第312話 後宮からの脱出2

 「ここまで来れば……、流石に女用のお手洗いの中までは入って来ないでしょう」

 ゲ・アリナは振り返った。


 「でも、外までは追ってくるはずですわ。早くこの窓から外へ」

 そう言ってクサナベーラが窓を開け放った。とたんにびゅううと風が吹き込んだ。


 「クサナベーラ、ちょっとこれは高いですわ。ほら地面があんなに下です。ここから降りるのは無理じゃないかしら?」

 「本当ですわね。ここから飛び降りたら怪我をしそうですわ」

 ゲ・アリナとクサナベーラは外をのぞき込んだ。下には茂みが見えるが、あれがうまくクッションになったとしても怪我をしそうだ。


 「まぁ、これは怖いですわね」

 「困りましたねぇ」

 「ええ、これは予想外でしたわね。どうしましょう」


 「何かロープか何か、ないかしら? 誰か、浮遊は無理でも身を軽くするような魔法は知らないかしら?」


 ゲ・アリナの言葉に御令嬢たちは顔を見会わせた。


 「仕方がありません。ゲ・アリナ様、私のドレスを裂いて、これでロープを作りましょうか?」

 それも一案だが今は時間がない。どうすれば短時間でうまくここから降りられるだろうか?

 

 「おい! 何をしている! 用が済んだら早く出てこい!」

 みんなが思案していると外から兵士の荒々しい声がした。


 まださっきの一人だけらしいが、騒ぎを聞きつければ他の兵も集まってくるかもしれない。そうなれば計画は完全に失敗だ。


 「今、お化粧を直しておりますの! 今しばらくかかりますわ」

 お嬢様の一人が叫んだ。


 「どうしましょう?」

 「誰か良い考えはありませんか?」

 だが、こんな時にどうすれば良いのかとっさに思いつかない。


 「いっそ、色気でさそいこんで後ろからポカリと一撃はどうです?」

 「ここには棒きれも何もないですわよ」


 「もう我慢の限界だ! いないことがバレたら俺が酷い目に遭っちまう! さあ、もう出てくるんだ!」

 「あっ! 待ってください!」

 叫んではみたものの、兵士が容赦なく扉を開け放ってずかずかとトイレに入ってきた。


 「きゃあ……」

 悲鳴を上げそうになった娘の口をゲ・アリナが塞いだ。悲鳴を聞きつけてさらに兵士が集まってきたら最悪になる。


 「なんだ? みんなもう用は済んでいるではないか。さあ早くここを出ろ、痛い目を見たくなければすぐにホールに戻るんだ」

 兵士は腰の剣に手をかけて威嚇した。


 どうすれば……。


 「さあ、早くしろ! まずはお前だ!」

 兵士が乱暴にゲ・アリナの腕を掴もうと手を伸ばす。


 「下賎な者が触れてはなりません!」

 クサナベーラがその手を叩いて、ゲ・アリナを庇うように立ちふさがった。


 「貴様、抵抗する気か? さてはやはり何か企んでいるな?」

 大きく開け放たれた窓を見て、どうやらクサナベーラたちの考えを悟ったらしい。戻る気が無いと知った兵士の目に野獣のような色が光った。


 「逃げる気であれば容赦はしない」

 乾いた金属が擦れる音がしたかと思うと、兵士は長剣を抜いた。その刃が冷たく光る。


 「ゲ・アリナ様、お下がりください。みんなも下がって!」

 クサナベーラが先頭に立ってその剣をにらんだ。 


 その強張った表情が兵士の嗜虐しぎゃく心をそそる。美人だけになおさらだ。


 「くくくく……、威勢のいいお嬢さんだな」

 兵士は唇を舐めた。所詮は強がりだ。剣で脅せばすぐに屈するだろう。この美女がどんな反応をするのか。


 愉しみながらドレスを少しづつ剥いでやろうか?


 にやにやと歪んだ笑みを浮かべた兵士の剣先が、キッとにらむクサナベーラのスカートの裾を持ち上げようとした。


 その時だった。

 兵士の頭上にぱらぱら……と細かな塵が降ってきた。


 「ん?」

 兵士は片手で目をこすった。


 「何だ? こんな時に?」

 そう言って天井を見上げた時だ。


 バッコーーン!

 何かが外れる音がしたかと思うと、黒い物が兵士の頭上に迫った。「アッ!」と声を上げる暇も何もない。

 兵士の顎を強打したそれが床にドスンと落ちて床が震えた。


 まさに一撃である。兵士は糸が切れた操り人形のように膝から崩れ落ち、白目を剥いて倒れた。


 一体何がおきたのか、びっくりするゲ・アリナとクサナベーラたちの目の前の床には落ちてきた換気口の鉄枠が転がっていた。


 「だから、待てと行っているのだ! こんな所から出たら、大抵はロクでも無い事になるのだ!」

 頭の上から若い男の声がして、トイレ中に反響した。

 天井から生えた足の下では、たった今、ロクでもない目にあった兵士が伸びている。


 「いいから! 降りなさいって! 後ろから油光虫が寄ってきているのよ! ひやあああーー!」

 次に若い女の声がした。


 「押すんじゃない! うわああああーーっ!」

 目の前に蜘蛛の巣とホコリまみれの男が落下してきて、気絶している兵士を踏んづけた。


 「ひやああああーー、どいて! どいて!」

 「ぎゃーー!」

 顔に絡まった蜘蛛の巣を取ろうとしていた男の頭上に、今度は娘が落ちてきた。


 「ん? ここはどこなの? あれ?」

 男をお尻で潰した娘の目に、硬直している6人の令嬢の姿が映った。貴族の御令嬢たちのようだが驚きのあまり声も出ないようだ。


 「お、重いぞ、ベラナ。早くそこから降りるのだ」

 「わかったわよ。重くないわよ、軽いわよ」

 ベラナはお尻の下のボザルトをにらんだ。

 

 「やれやれ、酷い目にあったのだ」

 ボザルトは立ち上がると壁の鏡を見ながら顔に引っかかった蜘蛛の巣を取った。


 「あの……、もしかして貴方はボザルト様では?」


 「へっ?」

 「ん?」

 ボザルトは前髪をいじりながら振り返ると、御令嬢たちの先頭にいる美女を横目で見た。もちろんそれがイケメンの流し目になっていることには気づいていない。


 「きゃああああーーーー素敵!」

 「イケメン!」

 埃を払って振り返った貴公子の美貌とその立ち振る舞い。危機を救われた乙女たちの瞳に一斉にハートマークが浮かぶ。


 「ボザルト様っ、お会いしたかったですわ!」

 その誰よりも早く、クサナベーラがボザルトに抱きついていた。


 「ええええええーーーー! 何っ? 誰なの?」

 それを見たベラナが隣でがたがた震えた。


 「ボザルト様! またも私の危機に……、いえ、この危機を察知して、私たちのような乙女を助けに来て下さったのですね?」

 クサナベーラはきらきらと瞳を輝かせた。


 「近い、近いのだ」

 人間とは言え身体の構造は野族も大差がない。そのドレスの胸元から見える胸の谷間にはさすがに目のやり場に困る。


 「ご承知のとおりとは思い出すが、私たちは悪者にここに閉じ込められて困っているのですわ。ボザルト様、どうか私たちをお助けくださいませ」


 「ん? そうか? もちろん悪者から守るのも我の役目の一つではあるのだが、いいのか? 我らの手を取って?」

 ボザルトは今まで魔族が野族の力を借りた話など聞いたこともない。

 魔族は穴熊族と仲が良い。いつもは野族を魔物だと言って討伐する連中だ。


 「だめでございますか?」

 クサナベーラの訴えるような甘えるような表情がかわいい。最近ずっと人間の姿をしているので人間の器量の良し悪しも分かるようになってきた。それからするとここにいる御令嬢はみんな器量良しだ。


 「そうだな、まぁいいぞ」

 ちょっとうつむき加減に照れた顔がまた乙女心を掻き立てる。

 「ボザルト、鼻の下が伸びてる!」

 その足を隣からベラナが踏んだ。


 「きゃああああ! ちょっとクサナベーラ様、この方はどなたですの?」

 「もしかして、クサナベーラ様のお相手とか?」

 「きゃあああ、素敵!」

 「羨ましいですわ!」

 まったくもう騒々しい。


 「あなたたち、今、自分たちの置かれている現状と言うものを完全に忘れていますわよ」

 ゲ・アリナは腕組みして少し怒ってみせた。


 でも、ちょっぴり異国の雰囲気が漂う美形ですわね。みなさんが騒ぐのも無理はないわ。とゲ・アリナは横目でボザルトを見た。


 「ゲ・アリナ様、ご紹介しますわ。この方はボザルト様と申します。私をあの凶悪な盗賊白狼団の魔の手から救ってくれた英雄なのですわ」

 クサナベーラは鼻高々に自慢の彼を紹介した。


 「まあ! お強いのですね!」


 「それでボザルト様とクサナベーラ様とはどこまで関係が?」

 「服に汚れがついておりますわ。このハンカチをお使いください」

 ボザルトは乙女たちのキラキラした瞳に圧倒されて何も言えなくなっている。


 脇から恐ろしい目で睨んでいるベラナをちらりと見た。「助けてくれ」と目配せをしたのだが、ぷんとそっぽを向かれてしまった。


 「ま、待ってくれ」

 ボザルトは軽く髪を掻いた。


 緊張すると耳の根元を掻くのが癖なのだが、人の姿だとそこに耳は無い。だが、なぜかそれがキザっぽくてカッコいい。


 「はぁ……素敵ですわ」 

 ボザルトの腕を離そうとしないクサナベーラの顔が益々近くなった。


 「クサナベーラ、今はそんな時ではないでしょう? みなさん、もたもたしていられませんわよ」

 二人の仲良さそうな様子にさすがにイラッとしたのか、ゲ・アリナが頬をぷうっと膨らませた。


 ほう、そうかわかったのである。

 あの美女がこの集団を率いている者か。どことなく雰囲気が違うのである。


 ボザルトはとっさに考えた。

 ミサッカに「集団戦ではまずは指揮官を攻略することよ」と言われていたのを思い出した。このような者と親しくなるのが集団同士のいざこざを回避するために必要不可欠なのだ。


 「クサナベーラ、ちょっとあの方に用がある。離れておれ」

 ボザルトはクサナベーラの両肩を掴んで距離を取ると、真っすぐな瞳でゲ・アリナを見た。

 「な、なんですか?」

 見つめられ、ゲ・アリナが戸惑う。

 王族である彼女にこれほど真っすぐな瞳で真正面から見つめた男は今までいない。

 大概の男は魔王五家の令嬢だと分かると恐れおののいてしまう。しかし、この貴公子はゲ・アリナの瞳の奥底まで見通すような澄んだ目で見つめるのだ。


 「高貴なる貴女にはこれを差し上げるのである」

 ボザルトはゲ・アリナの前に進み騎士の礼を取ると、手のひらに青い光を放つ美しい宝石のようなものを取り出した。


 「えっ? これを私に? なぜですの?」

 ゲ・アリナはきょとんとして、大貴族顔負けの美しい所作で差し出された美しい丸い玉を見た。


 「これは貴女に必要なものだ」

 その爽やかな笑顔……思わずうっとりしてしまう。

 ゲ・アリナまで顔を赤くして大切そうにそれを受け取って胸の前で握り締めた。


 王族に対する礼儀としては完璧以上である。これほどの礼儀をわきまえているのは彼も王族だからではないだろうか?


 周囲の令嬢たちはその様子を見てボザルトがどこかの王子だと確信して頬を染めた。


 これで良い、とボザルトは満足げに立ち上がる。この群れの統率者はさっき頬袋を膨らませていた。たぶん消化不良であろう。


 そう思って彼女に胃もたれに効くという蛇人国で貰った薬玉を手渡しただけなのだが、どうもおかしい。彼女は時折我をチラチラ見ながら顔を赤くし始めた。


 しまった! あれは違いますという意思表示だろうか? もしかすると胃薬よりも下剤の方が良かったのかもしれん、とボザルトは少し後悔した。


 「それはそうとボザルト! 例の気配は外よ、外! どうするの? 追うんでしょ?」

 そう言えば居たっけ、と誰もが存在を忘れていた少女がボザルトの肘をぐいぐいと引いた。


 「うむ、ここからだろうな」

 ボザルトは窓から顔を出した。ドリスを追うならばここから降りるしかなさそうだ。下水から潜入したのに、まさかこんな高い場所に出るとは思わなかった。


 「そう、そうです! この窓からですわ。ここから私たちを逃がしてくださるのですね?」

 窓から外をのぞいていたボザルトの背後に瞳を輝かせたクサナベーラがいる。


 「騎士だわ!」

 「素敵ですわ!」

 何だかさらに期待を込めた目が集まってきて、居心地が悪い。ボザルトは彼女たちの迫力に気押されて思わずうなずいた。


 「じゃあ、そこから出るのね?」

 そう言うとベラナは背負い袋の中からロープを取り出した。


 一旦方針を決めるとベラナとボザルトの行動は早い。あっという間に窓から逃げ出す準備が出来た。


 「さあ、先に行くのだ! どうも客が来たようだ」

 ボザルトはどこからか槍を取り出した。普段目に見えないだけで、器用に尻尾で持っていたのだが、そんな事はクサナベーラたちには分からない。魔法で出したとしか思えないのだ。


 カッコ良く槍を片手で構えるボザルト。


 仰々しく大げさな動きで、いつもは変な目で見られるのだが、人間の姿でそれをやると妙に洗練された動きでカッコいい。


 「素敵です……!」


 「いつまでも見ていないで、早く降りなさいよ!」

 「えっ、ああん!」

 ベラナに頭を押されてクサナベーラが窓の外に消えた。


 「ベラナも行くのだ!」

 ボザルトが叫んだと同時に扉を開け放って兵士たちが入ってきた。足元に倒れている仲間を見て一瞬で状況を悟ったらしい。


 「貴様! 何者だ!」


 ボザルトはにやりと笑った。

 何者だと聞かれて正直に答える者がいるだろうか? それを真顔で言うとは。思わず噴き出しそうになったのだが、相手にはイケメンが自信たっぷりに微笑みを浮かべたようにしか見えない。


 「く、貴様!」

 そいつが兵士たちのリーダーなのだろう。男の容姿端麗さに思わず完敗を感じて歯ぎしりしている。


 槍を構えた美男子の周囲には赤い薔薇が咲き誇っているかのようだ。そんな幻想すら覚え、それを打ち払うべく叫ぶ。


 「このやたらカッコいい男を倒せ!」


 「まったく、わけのわからない事を言うのである」

 左右から飛びかかってきた兵士を軽やかにかわし、槍を兵士の足にひっかけると相手は受け身も取らずに顔面から転倒した。


 無残な……

 その勢いで転んだら気絶するなという方が無理であろうな。床の上で手足をひくひくさせている兵士の姿が哀れだ。


 「さあ、どこからでもかかって来るが良い! 我が槍術をとくと味わうのだ!」

 「!」

 ボザルトの前にはまだ3人の兵士が立っているが、ボザルトの俊敏さを見た直後のハッタリでびびったようだ。


 「行けっ! 奴を殺せ! どうした!」

 リーダー格の兵士が左右の兵士の尻を叩く。だが、やはりびびっている。


 「我に敵対するとはな。我が神速の槍捌きをその身に受けたい愚か者は参れ!」

 イケメン効果抜群である。


 「……!」

 兵士たちは震えて剣を落した。


 「では、我は行かせてもらうが、死にたい奴はいくらでも追ってくるが良い」

 そう叫ぶとボザルトの姿が一瞬で消えた。


 「お、恐ろしい、あんなに完璧なイケメンは始めて見た」

 「こ、怖い、実はあれが本当の魔王様だったらどうする?」

 兵士たちは顔を見合わせ、毒気を抜かれたようにへなへなと床にくずれ落ちた。

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