第313話 黒水晶の塔とボザルト

 ロープが切れて、真っ逆さまに落ちたボザルトの両足が植え込みから突き出ている。


 「生きてる? ボザルト」

 ベラナがしゃがんで言った。

 「たいへんだ。鼻の穴に芋虫が入った」

 へきょい! とボザルトが盛大なくしゃみをした。

 飛んできた芋虫をさっとかわしてベラナがボザルトの手を引っ張る。


 「さあ、早くそこから出るのよ。例の彼女、ドリスの気配が強くなっているわ。あっちに居るのよ!」

 「わ、わかった」

 ボザルトはようやく植え込みから抜け出した。全身小枝まみれだが全く気にしていない様子だ。


 「さっきの騒がしい人間たちはどこに行ったのだ?」

 周りを見回すが庭園の花壇の間には令嬢たちの姿はどこにもない。


 「追手が来たからすぐに逃げろと指示したから、もうとっくにこの先の階段を降りて行ったわ。一人だけなかなか行こうとしない方もいましたけどね」

 じろりとベラナはボザルトを見上げた。


 「ならば良いのだが、なぜかきゃーきゃー言われて、あれはどうも苦手なのだ」

 ボザルトは頭を掻いた。

 「そうでしょうとも」

 どことなくベラナが冷たい気がする。


 「さて、ドリスの気配はどっちなのだ?」

 「向こうの小塔の方向だわ」

 「よし、行こうぞ」

 「あっ、待ってよ!」

 ボザルトたちはちょろちょろと花壇の間を走った。

 王宮にしては警備が甘い気がするのだが、こんなものであろうか? ボザルトは近づく塔を見上げた。


 ゲ・ボンダの命令で一天衆の息のかかっている者が王宮への出入りを禁じられたことや、黒鉄関門を守るために兵が召集されたために多くの衛兵が不在になっていることをボザルトたちは知らない。


 二人は誰に見とがめられることもなく難なく塔にたどり着いた。


 「見よ、ここから入れそうだぞ」

 ボザルトは大きな窓の外に張り出したテラスを指差した。

 「ここはきっと身分の高い者の居住空間よ。ご立派なテーブルとイスがテラスに出ているわ」

 「塔の中に入ろう」

 ボザルトたちはそのテラスに堂々と侵入した。


 二人の姿は丸見えなのだろう。

 二人の頭上に何匹もの飛竜が姿を現したので、ボザルトはぎょっとしたが、すぐに飛竜の上から手を振っているのがクサナベーラたちだとわかった。


 「ボザルト様、これを!」

 大声で叫んだクサナベーラが投げてよこしたそれはベラナの足元に落ちた。

 「なんでしょうか?」

 それは小石を包んだ紙きれである。紙にはクサナベーラの名とどこかの住所、それに何かのマークが殴り書きしてあった。

 

 「どういう意味であろうな?」

 覗き込んだボザルトの前でベラナがその紙を素早く折り畳んだ。


 「そうですか、これは恋の宣戦布告というわけですわね。人間のくせに。……負けませんわ!」

 その全身からメラメラと嫉妬の炎が燃え上がった。


 クサナベーラの飛竜は名残惜しそうに旋回を繰り返していたが、やがてどこかに飛び去って行った。


 「行ったようだな。我らも行くぞ」

 ボザルトたちはテラスに登った。

 「きゃっ! この大窓はダメだわ。鍵だけじゃなく何か強力な魔法で閉じられているわ」

 ベラナが窓に触れてバチっと弾かれた指先を押さえた。


 「では、あの高窓はどうなのだ?」

 「そうね、このテーブルを足場にすれば手が届くかしら」

 ベラナは高窓を見上げた。


 「じゃあやってくれ」

 ボザルトはテラスに置かれた大理石のテーブルをゴトゴトと壁際に押し付けた。テーブルの上に飾られていた黒光りする美しい壺がグラグラと揺れる。


 「ほう。改めて見るとこれは見事な黒光りの壺であるな。人の心を吸い寄せる魔力を秘めているかのようだ。人間が言うところの名品という物ではあるまいか?」

 「そんなガラクタなんかいらないでしょ」

 ベラナはテーブルに上がって手を伸ばし、高窓をこじ開け始めた。


 「開いたわ。侵入するわよ」

 ガチリと音がして鍵が外れたようだ。ボザルトはどたどたと土足でテーブルに上がってベラナを押し上げた。


 「さあ、もたもたしているとドリスに置いて行かれるわ、次はボザルトよ」

 窓枠に取りついて、振り返って手を差し出したベラナの目に、壺を割ったボザルトがこっそり直そうとしている姿が映る。


 「何をしているのよ! そんな物どうでも良いでしょ? 早くいくわよ!」

 「うむ、確かにどうでもいいな」

 そう言いつつボザルトは壊れた漆黒の壺を元通りに置いた。


 二人は泥のついた足で窓際の机の上に降り立った。


 「陰気くさい部屋ねえ、悪趣味というのかしら」

 ベラナは野族のおとぎ話に出てくる中世の魔女の部屋のような室内を見回して眉をひそめた。


 「うむ、これが悪趣味なのだ」

 おどろおどろしい魔法具や呪いのかかっていそうな置物があちこちに置かれている。まるで呪いの像を巧みに配置して魔法陣でも作っているかのようだ。


 「さっさとこんな部屋から出るわよ、ドリスの気配はこのずっと奥なんだからね」

 そう言ってベラナは飛び跳ねた。


 「あまり周りの物には触れない方がよさそうだぞ」

 そう言いつつ、ボザルトたちがさっきから踏みつけているのは机の上に広げられていた貴重な古代魔法が記された皮紙だ。ボザルトがジャンプすると皮紙はびりびりに裂け、どこか遠くから悲鳴が聞こえて黒い煙が立ち昇った。


 「何だか、触れると壊れそうな物ばかりある部屋であるな?」

 ボザルトは神経質そうに鼻を動かして周囲を見回した。

 「盗みに入ったわけじゃないわよ。……あれ? 何よこれ、内側からも開かない鍵がかかってるわ」

 ドアにむかったベラナがつぶやいた。


 「盗人ではないが、見るくらいいいであろう? ふむふむ、我にはさっぱり読めない本ばかりだ。こっちはごく最近の報告書か? 獣化の術と人体への影響? 難しそうだな」

 そう言ってボザルトが歩き回ると、そこら中に置かれている壺や棚に置かれていた邪悪な女神像のようなものに尻尾が当たって、次々と落下して派手に床で砕けた。


 「ボザルト、うるさいわ!」

 「すまん、でも何だか、黒い霧みたいなのや、精霊みたいな光が壊れた像から天に登って行ったような気がするのだが?」

 思わず総毛立ってぶるると震える。


 「何を馬鹿なことを言っているの? 早くこの鍵を開けなくちゃ!」

 ベラナは必死に鍵を覗き込んでいるので、背後で何が起きているのかさっぱりわからない。


 「これは何であろう?」

 ガチャン!

 またもボザルトの背後で無数の邪悪な霊が渦巻いて、それを精霊の光が包み込みながら互いに消滅していっているのだが、ボザルトはまったく気づいていない。


 「これは内鍵だから、普通に取っ手を回せば開くのではないのか?」

 「それが開かないから苦労しているんじゃないのよ!」


 「ふう、そんな時はこれしかないのだ」

 そう言ってボザルトは槍を構えた。

 「何をする気なのボザルト!」

 「はああああっ!」

 野族流の槍の一閃だ! 


 扉に槍先が当たった瞬間、凄まじい閃光と光の粒が部屋中に散った。ボザルトの槍はただの槍ではない。対竜兵器になっている槍が封印のドアノブを打ち砕いたのだ。


 普通は破れるはずはない強力な封印の魔法陣が一撃で砕け散った。


 ぶおおおおっ!

 物凄い異音がして、そこから部屋の中に閉じ込められていた様々な霊体がボザルトの股の下から外へと猛烈に噴き出して行った。

 部屋を丸ごと使っていた何らかの術が破れたのである。部屋に満ちていた闇の気配が霧散し、穏やかな陽光が差し込んできた。


 「ボ、ザ、ル、ト」

 しかしベラナはじろりとボザルトを睨んだ。


 「いくら槍を使うために力んだからって、いきなり乙女の目の前で屁をこくなんて!」


 「屁? 今の音は屁ではないぞ!」

 「だってボザルトのお尻のあたりから、ぶおおおっ! って物凄い音が聞こえたわよ」

 ベラナは鼻をつまんだ。


 「ぬ、濡れ衣なのだ! 我は屁などしていない、無実だ!」

 ボザルトは後ろを振り返って音の正体を探したが、既にそこには何もない。普通に荒らされ放題荒らされた無残な部屋があるだけである。


 何が起きたのか分からぬまま呆然とするボザルトの前で、鼻をつまんだベラナが「行くわよ」と指で合図した。

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