第314話 謀反人の末路

 「ふふふふふ…………」

 ゲ・ボンダは上機嫌でタオルを身にまとった。


 黒鉄関門を攻めあぐねている敵軍が崩壊するのは時間の問題だ。既に敵将の獣天ズモーと鳥天ダンダは殺した。総大将の貴天と鬼天の姿が見えないのが気がかりではあるが、既に奴らの最大戦力である厄兎大獣隊はほぼ壊滅した。


 敗走する敵軍を追撃し、貴天を捕らえればもはや憂いはなくなる。暗殺術は一流だが鬼天は政治的には問題ではない。


 これで、あとは王位に就くための戴冠式を行うばかりである。


 既に戦後の新たな王朝の幕開けをゲ・ボンダは頭に描いている。魔王五家と婚姻関係を結び王家の地盤を盤石にするのが手始めだ。さらに後宮を大きくして大貴族とのつながりを深め、二度と一天衆のような下賤な者どもの好き勝手にさせない魔王中心の国を作るのである。


 そのための要となるのは後宮だ。

 王宮にある魔王専用の風呂の中から、さっきまで存分に戯れていた妾たちが王を呼ぶ嬌声がまだ聞こえてくる。

 これも王家の力を強めるために必要なことだ、とゲ・ボンダは自分の好色な性格を正当化してニヤついた。


 すぐに女官たちが濡れた身体を拭き始めた。この女官たちは愚王が召し抱えた者たちだが、いずれも悪くない女だ。そのうちに遊んでやろう。ゲ・ボンダは唇を舐めながら、彼女たちに香りの良い乳液を塗らせていった。


 「この後も後宮に入る予定の令嬢たちがわしを待っておるのだ。仕上げは念入りにな、きちんと細部まで拭くのだぞ」

 そう言って初々しい女官の前で醜悪な股を広げて見せた。そうして若い女官が恥ずかしそうにしながら股間に触れるのをニヤニヤしながら見下ろした。


 「魔王に触れることができるのだ。栄誉に思うのだ」


 「は、はい……魔王様」


 「もうよい、下がれ」

 全身に乳液を塗らせ、全裸の上に寝巻きを羽織るとゲ・ボンダは女官を下がらせた。


 「次のお方は33番の部屋でお待ちでございます」

 後宮の管理を命じている女官長が札を差し出した。

 「うむ、33番であるか」

 ゲ・ボンダは仰々しく札を手に取った。

 「既に準備は整っております」

 そう言って女官長が扉を開けさせた。


 長い後宮の回廊の左右には幾つもの部屋がある。ゲ・ボンダは飲み干した精力剤の瓶を投げ捨て、良い香が焚かれた回廊を一人堂々と歩いていく。ここは魔王以外の男は入ることの許されないエリアである。


 やがてその部屋の前に控えている女衛兵を見つけた。

 彼女はゲ・ボンダが近づくと緊張した面持ちで敬礼をした。

 ほう、こいつも中々の美人じゃな。女衛兵が鍵を開けるまでゲ・ボンダはニタニタとその横顔を見つめた。


 「開きました。どうぞお入りください」

 衛兵は33の番号のついた部屋の扉を開いた。

 淡い照明に照らされ、寝室にしては華美と言われそうなほど豪華な調度品が部屋を飾っている。


 ゲ・ボンダは太った腹をぶよんぶよんと波打たせ、軽い足取りで甘い香りの満ちた部屋に入った。


 「よいな、わしが呼ぶまでしばらくは誰も中に入れるなよ」

 ゲ・ボンダは女衛兵に耳打ちした。

 「はっ!」

 女衛兵が真面目な顔で敬礼するとゲ・ボンダの背後で扉がゆっくりと閉まった。


 部屋続きの奥の部屋の中央には豪華な彫刻が施された白亜のベッドが一つ置かれていた。そこに薄衣をまとった者が身じろぎもせず座っているのが見える。乙女が緊張しているのであろう。


 「ひひひひ……どれどれ、今日はどんな生娘であるか」

 そう言ってゲ・ボンダはベッドの前に立つと、そのベールを剥いだ。


 「おおおっ! これはなんと美しい!!」

 ゲ・ボンダはあまりのことに絶句してしまった。


 そこにはまだ少々幼さが残るものの、あのクリスティリーナを彷彿とさせるほどの物凄い美少女がいた。


 何と言う美しい少女であろうか!

 これまで見たことがないほどの上玉だ!

 今まで抱いてきた美女など美女のうちに入らないと思えるほどだ。まさにこれこそが真の美女だろう。クリスティリーナに妹でもいたのであろうか。ゲ・ボンダは思わず涎を流して震えた。


 「これぞクリスティリーナの再来! よくやったぞ。この娘を推挙した者には手厚い恩賞を取らせねばなるまいな!」

 ゲ・ボンダは鼻息荒く叫んだ。

 顔がニヤついてくるのがわかる。これこそ魔王になった甲斐があると言うものだ。


 「さ、さあ、こっちに来るのだ。怖くはないぞ。さっそく可愛がってやろう」

 ゲ・ボンダの手が華奢なその肩に触れた。


 その時だった。

 不意にゲ・ボンダは胸に熱を感じた。

 何が起きたかわからない。


 「はぁ?」

 とっさに押さえた手のひらに血がべったりとついていた。


 「ひ、ひえええええ……!」

 刺されたと分かったゲ・ボンダは情けない声を上げベッドから転がり落ちた。


 暗い目をした少女の手に鋭利な短剣が光っている。


 「だ、誰か! 誰かおらぬか!」

 とっさに叫んだが妙だ。

 あまりに周りが静か過ぎるのである。


 「無駄よ。ここにはもう誰も入れない」

 少女が無機質な声で言った。


 「なんだと。お、お前は一体……」

 流れ落ちる血を少しでも止めようと胸を押さえ、ゲ・ボンダは立ち上がって後ずさった。


 「!」

 少女が無言で短剣を閃かせた。

 その瞬間、背後からゲ・ボンダの手足が斬り裂かれて血飛沫が舞った。


 「ぐあっ! 刺客か! だがわしも戦士である! 簡単にはやられはせんぞ!」


 手足からボタボタと血を流し、耳障りな呼吸音を響かせながら一番の深手である胸元を押さえ、ゲ・ボンダは壁に飾れられていた一振りの長剣を手に取った。


 「わしは魔王なのだ! 小娘め、返り討ちにしてくれる!」

 ゲ・ボンダはにらんだ。

 大丈夫だ、致命傷ではない。この暗殺者の美貌に目がくらんで警戒を怠ったのがまずかっただけだ。こいつを動けなくして扉の外に控えているはずの衛兵を呼べば良い。


 「そう? そんな足でできるの?」

 少女がすうっと指差した。


 「な、何だこれは?」

 ゲ・ボンダの足がいつのまにか豚のような足先に変っている。小さな爪先に太った身体の全体重がいきなりかかって、思わず支えきれずによろけてしまう。


 「き、貴様、わしに何をした!」

 よろけながらもゲ・ボンダは剣を大きく振った。こいつは魔物に違いない、こうなれば惜しいなどと思ってはいかん。

 殺す!

 こいつを今すぐ殺すのだ!

 

 「死ねえっ!」

 ゲ・ボンダは少女を斬った。鋭利な長剣がその肩口から腹部に袈裟がけに斬り捨てた。


 どうだ化け物め、思い知ったか!


 だが、妙な手ごたえに寒気が走った。

 床に見覚えのある足が転がっている。


 あれは……、俺の右足!

 ぶしゅう! と切断された足から血が吹き出た。


 「ぐわああああーーーー!」

 ゲ・ボンダは血が噴き出す片脚を押さえて床を転げ回った。


 「なぜだ! お前を斬ったはずなのだ!」

 「私を? ふふふ……何を見ていたの? 貴方は自分で自分の足を斬ったんじゃない?」

 どよどよと少女の周囲に黒い闇が広がり始めた。


 こいつはやはり魔物だ!

 闇の気配が強まってくる。これは闇術師か?

 闇術師たちは貴天の同志だったはずだ、仲間割れをしたと聞いていたがそれは嘘だったのか。

 ならば、こいつは貴天が差し向けた刺客に違いない。苦悶の表情でゲ・ボンダは唇を噛んだ。


 「こ、この化け物めッ!」

 ゲ・ボンダは最後の力を振り絞って魔力を込めた剣を少女の頭めがけ投げつけた。


 くすっ、と少女は微笑んだ。

 その顔面に突き刺さったかに見えた剣は……。


 「ブバッ!」

 ゲ・ボンダは白目を剥いてゆっくりと血の海に沈んだ。


 その後頭部にはゲ・ボンダが投げたはずの剣が突き立っている。じわじわと広がる血痕が絨毯を汚していった。


 「一時でも王の気分を味わったのだから、本望でしょう?」

 ドリスは無機質な冷たい目でその死骸を見下ろし、やがて部屋の片隅に人形のようにうずくまった。

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