第196話 <<リナル郡攻防戦2 ー東の大陸 サティナ姫ー>>
東マンド国リナル郡の防衛線は破綻し、次々と兵が旧王都内まで撤退してきている。
まさに天が砕けた。
恐るべき魔法攻撃、いや光術なのかもしれないが、大魔女ミズハの攻撃に匹敵するその一撃によって東マンド国軍とそれを支援した魔族連合軍の最後の反撃は失敗した。
あれを放ったのはあの忌々しい少女だろう。ミズハや三姉妹に並ぶ規格外の存在がこんな所にもいた、それを見抜けなかった我々のミスだ。
ニロネリアは破れたドレスの裾を引き裂いて動きを確保すると旧リナル国の神殿まで退いてきた。そこには第1軍のための食糧基地がある。そこが最後の抵抗拠点になる。
「カミネロア様! 先ほどの超級魔法
「ここを死守しろ、と言っても、お前たちでは何もできないわね。もういいわ。撤退の合図を、お前たちはノスブラッドへ落ちなさい」
「ですが、カミネロア様は? 魔力ももう残っておられないのではありませんか?」
その言葉を聞いてニロネリアは胸で黒々と光る宝珠を握りしめた。
「先の戦いで私の配下は全員私を守って戦死したようです。こうなれば最後の力で “死者の兵” を召集して一矢を報います。とは言っても呼び出した兵を操るほどの魔力が残っていません。兵は敵味方見境なしに殺戮するでしょう、その前にお前たちは王都を出るのです。リーナル川の港に食糧を運んだ時の輸送船団があるはず、それで川を下りなさい。それが一番安全です」
「残念です」
「早く行きなさい。お前たちがいると始められない。私が術を開始するのに邪魔です」
「カミネロア様、ご武運を!」
「必ず生き延びてください!」
「王都ノスブラッドで再びお会いしましょう!」
ーーーーニロネリアは兵たちが神殿を引き払って川の方に向かうのを窓から見下ろし、大きく息を吐いた。
既に身体はボロボロである。
あの美少女は圧倒的に強かった。
遠く、王都の通りは既に敵兵の姿で溢れている。大きな歓声が上がるのが聞こえた。中央通りに市民が集まっているのが見える。
そこにリナル国の正旗が翻った。
リナル国王女フォロンシアが入城したのだろう。
「くくく……もう勝った気でいるな。いいわ。ここから本当の地獄を見せてやろうじゃない」
ニロネリアが両手を広げ、床に魔法陣を展開した。
それと共に地面から、棺から、死者が蘇っていく。
その中には、リナル国の王や王妃の姿もあるのだ。
「王女フォロンシア、ターマケ将軍よ。死人とは言え、お前たちの肉親だった者に剣を向けることができるかしら?」
ニロネリアは三叉槍を掴むとにやりと微笑んだ。
ーーーーーーーーーー
「来たわよ!」
サティナが叫んだ。通りの向こうからぎこちない動きをする者たちが向かってくるのが見える。
「死人の兵か! 市民を下がらせろ! 槍兵前へ!」
ターマケが左右に命令を発した。あれは一度見ている。それだけにその対処方法も分かっている。
「いいか! 首を刎ねるか、火をかけるのだ! それ以外では倒せんぞ!」
「撃て!」
通りの向こうから近づく死人の群れに一斉に火矢が放たれた。
燃え上がる死人の間から次々と新手が現れる。その先頭に立った者を見た瞬間、ターマケ将軍は目に怒りを灯した。
「なんと、非道な事を!」
その衣装と王冠、顔は焼け、腐敗しているが前王に違いない。
「我が主君を死人の兵として使うとは、ぐぬぬぬ、許せんぞ!」
ターマケがぎりぎりと歯を食いしばった。
「ーーーーフォロンシア王女は後方に退かせました。あれは見ていないはずです」
騎士マクロガンがサティナの元へ駆け寄ってきた。
「そうですか」
サティナはほっと胸を撫でおろした。フォロンシア王女に肉親のあのような姿を見せることはできない。
「姫様、あいつの居場所を突き止めました。あいつは神殿の塔にいるようです!」
通信を受け取ったカルバーネも息を切らせて走ってきた。
このドメナス王国流の通信魔導士による通信網が今回の勝利につながっているのは間違いない。旧態然とした東マンド軍ではこの素早い動きに対応できない。
潜入した近衛騎士からの様々な連絡をカルバーネが即時処理しているのである。
「ここは任せたわ。私は奴の術を止めるわ」
サティナはそう言うと、通りの露店の屋根の上に跳び、そこからさらに建物の屋上に移る。
屋上を走る目には高い塔が見えている。
その前方を遮るように死人が姿を見せた。
黒い刃が音もなくそれらをなぎ払う。
神殿を囲む塀に飛び乗ると、その細い稜線を駆け抜けた。
そこに神殿の塔の上から炎の矢が降り注いだ。それをかわすと、その着地地点目がけて雷属性の貫通矢が次々と突き立つ。
「流石にやるわね!」
サティナは剣を頭上にかざし、塀から飛び降りた。幅広の大剣に矢が弾かれている。
「ちっ、なんなのだ。あの剣は! 私の術が、威力が吸い取られてしまう」
窓から見下ろしたニロネリアが毒づく。
あの不気味で下品な剣は敵対した相手の魔力を根幹から枯らす恐ろしい呪いがあるらしい。あれに触れてからニロネリアの最大魔力量は大きく減じ、回復の兆しもない。
今持っている限界に近い魔力を注ぎ込み魔法陣は輝いている。
これは今までの術とは違う。サティナの闇術によって死人の兵を元の世界に帰されるのを防ぐための魔法陣である。
しかし、防衛用に配置した凶悪な魔獣たちをあっさりと切り捨てながらサティナが塔を駆けあがってきた。魔境に映るその姿!
何と言う強さと速さ。
とても人間とは思えない。
前日の平原での戦い、そしてリーナル大橋攻防戦では、手下の魔族や魔獣を総動員させた。
最重要防衛拠点の橋を守る4匹の厄兎大獣は、1匹ですら歩兵であれば数千人でも正面突破は不可能と言われる攻撃力と防御力を誇る最強の魔獣だったのだ。それが壊滅した。
平原戦に参戦した魔族部隊は人族には絶対に抵抗不可能な攻撃を繰り出し、まったく兵力差を感じさせなかった。その戦況が一変したのは、突然現れた新規の騎兵部隊数万の機動力、それと同時に現れたあの少女の人外の威力を放つ魔法攻撃とその恐るべき剣技だった。あそこから我が軍の崩壊が始まったのだ。
あの新手をリーナル大橋攻防戦に間に合わせないように画策した罠や奇襲も効果は無かった。
その結果がこれなのだ。
「来たのね、早かったわね?」
振り返ったニロネリアの目に漆黒の髪をなびかせた絶世の美少女が映る。
「これ以上は魔族に勝手な真似はさせませんよ」
「正義の味方の登場というわけね。さしづめ私が悪の女王というところかしらね?」
「魔王二天のニロネリア。貴女たちがこの大陸で行おうとしていた企みはここで終わりです。大人しく自分の国に帰ってはもらえないでしょうか?」
「帰る? 見逃すというの? はははは……おもしろい事を言う娘ね。あくまでも自分が勝つと思っているの? でもそうはならないわよ!」
突然、ニロネリアの指先に紫の光が閃き、紫雷弾がサティナを襲った。
身をかわしたその前髪を絶って弾が通過する。
その逃げる軌道を予測していた毒刃がその心臓を貫く……。
硬い音が響いて、大剣で弾かれ、毒刃が床に落ちた。
この少女には幻惑術も遅延術も効かない。こちらの攻撃が当たるように展開した補助魔法の効果は全て無効化された。
「ちっ! しかもまたその剣か。いちいち気に障る邪剣だ!」
魔法陣を維持すべくニロネリアが三叉槍を構えたまま後退した。
「その魔法陣からは離れられないようね!」
「え?」
気付いた時にはサティナの剣がニロネリアの脇腹に叩きこまれた。
「ぐうう!」
ニロネリアが吹き飛ばされる。とっさに腹を防御したのは良いが、二つに折れ曲がった槍が部屋の隅に転がっていった。
「おのれ……」
壁に激突したニロネリアが唇の端から血を流した。
刃で切られたのではない、剣で叩かれたのだ。切られていれば今頃は胴が真っ二つになっていたに違いない。とっさに槍で防御したもののそのダメージは大きい。
しかもまた大きく魔力を吸い取られた。もはや総魔力量は通常の1割もない。なんという恐ろしい呪いの邪剣なのか。
サティナがその大剣を軽々と肩に担いで振り返った。
「もうお終いですよ」
その足元から魔法陣が消えて行く。
魔王二天のニロネリアが最後の力を込めた術である。それがあっけなく崩壊した。あれが簡単に分解されるとは信じがたいが、それもサティナの術なのだろう。やはりこの美少女はミズハ級の魔女なのだ。
「まだだ、お前のような人間に我ら真なる魔族が負けるわけがないわ」
だが、どうすれば良いのか。
目の前のこの少女は強い。単に魔力が強いだけなら方法もあるかもしれないが、こいつは剣を振るっても化け物のように強い。
昨日の戦いを見て分かった。
この少女に剣で対抗できるのは一天衆でも武天くらいなものだろう。この場に武天が、ミズハがいれば、このような無様な事にはならなかった。
後衛向きの自分が、前衛バリバリの実力を持つこの少女と戦っても勝ち目は無い。当たり前のことだ。
全身の痛みがかつての記憶を呼び起こす。
私が死にかけた時に見たみんなの顔、あの頃のようにみんながいれば……魔王様、武天、ミズハ……一緒に冒険していた頃の事がなぜか脳裏に浮かぶ。
お調子者の魔王様、武骨で不器用だが優しい武天、そして喧嘩ばかりしていたが本当は思いやりのあるミズハ……。
だが、その最後に黒い巨大な影が浮かぶ。
記憶の中で一天衆の貴天オズルがニロネリアの額に指を触れる。その瞬間、白い光が闇に染まったのだ。
「……」
見開いた瞳が
ニロネリアは胸に下げていたネックレスを握っていた。
大戦中に一天衆より授かった黒魔の宝珠。
こうなれば、魂をかけてこの宝珠の力を解放するしかない。
「私は魔王二天! 簡単には負けはしない!」
ニロネリアが黒魔の宝珠の封印を解く。
突然、黒い闇がニロネリアの前に現れ、恐怖とともにニロネリアを包んでいく。その命と魂を糧にして強大な魔力と共に術者を邪悪な魔物に変える漆黒の闇が扉を開いていく。
「馬鹿な事をしないで! それを使ってはいけない!」
ニロネリアが最後に聞いたのは少女の声、そして手から叩き落された宝珠の砕ける音だった。
ーーーーーーーーーー
小鳥がさえずっている。
どのくらいの時間が流れたのか、夜は明けていた。
朝の穏やかな明るい日差しを受けて、ニロネリアはまぶしそうに目を開いた。
そこは草原を流れる清らかな小川の畔である。
「私は…………生きているのか?」
ニロネリアはよろよろと立ち上がった。
草の揺れる丘の上から煙の立ち昇るリナル領が遠くに霞む。
その光景は、なぜか故郷のアルケラカンの丘に似ている。妹と共に優しい日々を過ごした小さな家を思い出す。
胸に痛みを感じて見下ろすと、常にそこにあった黒魔の宝珠が砕け散っていた。どうやら宝珠の解放に失敗し、その影響でここまで空間転移して飛ばされたらしい。
清々しいほどの完敗であった。
ニロネリアの頬に西風がそよぐ。
憑きものが落ちたようにその表情からは険しさが消えていた。
足元のピンク色の小さな花がほのかに香る。
草原の草花の匂いを胸一杯吸い込んだのはいつぶりだろうか。
大戦から今さっきまでは、血と鉄の匂いしか嗅いでこなかった気がする。
「負けたわ……。本当に負けた……」
ニロネリアはその高い空を見上げ、つぶやいた。
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