第195話 <<リナル郡攻防戦1 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 コドマンド王はカタカタと小刻みに震えていた。


 王都ノスブラッドを守る兵は少ない。

 近郊を守るべき第2軍は国境地帯でラマンド国軍と対峙している。ラマンド国軍の国境越えから4日が過ぎたが、未だにラマンド国軍が退却を始めたという情報は入って来ない。


 それどころか、メルスランド王子を奉戴し、西の砂漠地帯から侵攻を開始したサンドラット軍が、西の重要都市であるノマダの街を無傷で通過したという伝令が飛び込んできた。


 ノマダの街はさしたる抵抗もせずに王子に降伏したといい、既にメルスランド王子の軍は5万を越えたらしい。


 しかも、このところ前王に対する呪符事件や大神官殺害がコドマンドの謀略だったという噂が市中に出回り、市民の動揺が広がっている。

 ノマダの街と王都の間には幾つかの街があるが、この分ではコドマンド王の命に服して王子の軍と戦おうとする街が果たしていくつあるのか。


 各街の守備隊長に王命を発しているが、裏切るかもしれないという疑心暗鬼に包まれる。


 「王よ。こうなれば第3軍を呼びもどしてはいかがです?」

 重苦しい雰囲気の中、中流貴族のベンドアが意を決して口を開いた。

 刻々と伝えられる戦況は芳しくない。軍務を預かる身としては、これ以上王の決断を悠長に待ってはいられないのだ。


 「それは同意しかねますな」

 ベンドアの肩を宰相が叩いた。


 「第3軍の圧力が無くなれば、敵は第1軍に向かうでしょう。第1軍はガゼブ国内で孤立し、包囲されてしまいますぞ。今が辛抱の時です。第1軍がガゼブ国の王都に迫れば、状況は一変するはずです」


 「しかし、リナル国の王女フォロンシアの軍もまもなく旧リナル領に達します。ここは、第1軍、3軍ともに速やかに撤退命令を発すべきかと」


 「ベンドアよ、貴様は我が軍が負けるとでも言うのか?」

 コドマンド王が闇を湛えてにらんだ。


 「いいえ、そのような事は……、今は攻守が転じただけであります。戦力を集中させれば、我が軍は再び……」


 「黙れ! 第1軍はまもなくガゼブ国の息の根を止める。ラマンド国軍が飢餓で自壊するのもまもなくである。ラマンド国軍が撤退すれば第2軍で王子が率いる盗賊集団など容易に撃破できよう! これ以上、不吉な事を申せば刑に処す! おい、こいつを収監しろ!」

 コドマンド王は衛兵に叫んだ。


 「王よ! 私はそのようなつもりは……」

 ベンドアが衛兵に引きずられて行く。


 「大丈夫、リナル領にはカミネロアがいるのだ。カミネロアと第1軍は間違いなくガゼブ国の王都を陥落させる。

 差し当たっての脅威はやはりメルスランドであろう。王家の誇りもなく薄汚い盗賊の力を借りた愚か者め。

 ラダ宰相、王子に対しては私が直に出陣するぞ! 留守はルグ将軍に一任せよ。さっそく王都の守備兵と近衛兵をかき集めろ、予備役も徴兵する。それと囚人たちに恩赦を出せ、兵として私と共に出陣する者はその罪を許すとな!」


 「ははっ、仰せのままに」

 宰相ラダはうなずいた。


 ーーーーやがて王都ノスブラッドの西に位置する丘に、侵攻を続けるサンドラット軍に対抗するための軍が集結した。王都守備兵と近衛兵3万に、強制的に徴兵された市民4万、囚人1万である。


 国王旗を掲げ、総勢8万の軍が西へと移動し始めた。




 ◇◆◇



 リーナル河大橋、ここはリナル国の旧都に入るうえで最大の防御地点である。


 リーナル河は深い峡谷の大河であり、渡河地点は多くは無い。中でもこの鉄橋は限られた橋の中でも最大のものである。


 ここ突破されれば敵の大軍を防ぐ手段はないと言ってよい。

 先の首都攻防戦で破壊した旧都の城門はいずれもまだ修復されていないのだ。


 「敵の追撃速度が早い、予想以上だ。撤退が間に合うのか?」

 東マンド国のリナル領守備隊を任せられた貴族ベンガは指揮棒を握り締め脂汗を流した。


 旧リナル国王都から発した5千人の防衛部隊はリーナル河の西方平原で王女フォロンシアとターマケ将軍が率いる旧リナル国残存軍と遭遇し、交戦のすえ壊滅した。

 今、その残存兵が次々と橋を渡って逃げてきている。少しでも多く彼らを自軍に編入しなければ旧王都防衛はとても不可能だ。

 撤退してくる全ての兵が橋を渡り切り、敵軍が橋に到着する前に橋を爆破できるかどうか。旧王都防衛のかなめは橋を爆破できるか否かにかかっている。


 「副官コバラモンド、全兵力を橋の周囲に配置、急がせろ! 敵はもう見える位置まで迫っておるのだぞ!」

 「はっ。既に開始しておりますが、如何せん兵の絶対数が不足しておりまして、爆破作業にあたる工兵も不足しております」


 「カミネロア様配下の魔の者が加勢すると聞いておる。それとあれを出せ、大獣部隊だ」

 ベンガは表情を強張らせた。


 「もしかすると厄兎やくと大獣でございますか? あれは攻城用ですし、第3軍の虎の子、将軍の許可なくしては出撃は無理かと思いますが」

 「そんな事を言っている場合か? 今が危急の時ぞ。今あれを用いずしていつ用いるのだ」

 ベンガは指揮棒で自らの手のひらを打った。


 「わかりました。これより至急、厄兎大獣隊をリーナル橋前面に展開し、敵を殲滅いたします!」

 コバラモンドの声は震えていた。


 厄兎は一般に知られる兵器としては最大最強の魔獣である。

 巨大な体から放出される一撃は頑強な城壁をも容易く崩し、その分厚い正面の皮膚は敵の攻撃を一切受け付けない。

 

 城を破壊する武器でもなければ正面から厄兎にダメージを入れることなど不可能である。一匹で歩兵数千人に匹敵するが、体重の重さゆえ歩みが遅く、攻城戦以外に戦場で使われた例はない。それを今回は平地での防衛線に投入すると言うのだ。



 ◇◆◇


 耳をつんざく凄まじい爆音と共に大地が激しく揺れ動いた。


 「何です! 一体何が起こっているのです!」

 王女フォロンシアが机を押さえて叫んだ。


 転倒した近衛達がようやく立ち上がった。

 幕舎の中にあった武器や棚がバタバタと倒れて崩れている。


 「報告いたします! 前線のターマケ将軍より伝令! 敵はリーナル大橋の前方に布陣しており、その数約二千人! さらに厄兎大獣隊が配備されており、たった今、その攻撃を受け、わが軍は被害甚大であります!」


 「続報! 左翼ジェラック副将の陣8千人が敵の一斉射で消滅した模様! こちらの遠距離兵器では厄兎の装甲皮膚は貫通不可能です! 魔導加速徹甲弾搭載の対戦車強弩ですら刃が立ちません!」


 「な、なんてこと……」

 フォロンシアは思わず王錫を落とした。


 解放軍3万人のうち1/3近い兵がさっきのたった一撃で失われたのだ。


 「あまりにも圧倒的です。将軍、いかがいたしますか!」

 ターマケ将軍の隣でまだ若い貴族達が不安な顔をした。


 彼らは、王女とターマケ将軍がリナル国復興のために立ち上がったのを聞きつけ各領地から駆けつけてきた者達である。彼らもあのような化け物じみた魔獣は見たことがないらしい。


 「将軍! 突撃した歩兵部隊がまもなく敵防衛隊と接触します!」

 陣に声が響いた。


 「なんとしても敵陣を突破して、厄兎が次の砲撃に移る前に厄兎を混乱させるのだ! 奴らは本来攻城戦用の獣だ、弱点は接近戦だ! 厄兎の皮の薄い脇腹を狙え! それと雷筒の準備を急がせろ!」

 幸い厄兎大獣の攻撃はインターバルが長い。本来が攻城兵器である、速射は考えられていないのだ。


 ターマケ将軍は、味方が敵の防衛ラインを突破すれば、強弩部隊を出撃させ、近距離からの強弩攻撃で厄兎を倒すつもりだった。最悪殺せなくても指揮系統を乱せばよい。


 だが、突撃した歩兵部隊の陣形が乱れた。

 数では圧倒しているはずなのに形勢が不利なことは遠目でもわかる。何かが起きている。


 「伝令! 敵に魔物が加勢しております! 怪しげな術を使って兵を次々と虐殺しながら、こちらに向かってきます!」

 「魔物だと! コドマンドめ、やはり邪悪な者とつるんでいたか! 本陣前に魔法防御を集中、遠距離魔法攻撃に備えるのだ!」

 魔物との交戦は大部分の兵には経験がない。一般に知られているのは魔法攻撃が得意な連中だということだけだ。

 ここにきて未知の敵との交戦、これは危うい。

 ターマケは拳を握った。

 

 「将軍、肩の力を抜いて」 

 その肩をポンと軽く叩いた者がいた。


 驚いて振り返ったターマケ将軍の目に美少女が映った。


 「遅れたとは思いませんが、苦労しているようですね、ターマケ将軍。援軍を連れてきましたよ」

 そこにいたのは戦の女神かと思いたくなるような美しき姫とラマンド国のバチュア、待望の援軍が到着したのだ。


 「サティナ姫! バチュア殿も!」

 「間に合ったようですな、ターマケ将軍」

 バチュアはターマケと固い握手を交わした。


 「戦況は聞きました。あの魔物は私たちに任せてください。バチュア殿は騎馬で敵をかく乱し、厄兎大獣を倒す助力を願います。ターマケ将軍はラマンド軍の騎馬が敵をかく乱した隙をついて厄兎大獣を駆逐願います」


 「よし、わかった。さっそくやるぞ、ぼやぼやしているとまた厄兎が吠えおる」

 バチュアはテントを後にした。



 ーーーーーーーーーー


 「おほほほほ…………そんな攻撃があたるとお思いですか」

 ニロネロアが三又槍を振うたびに歩兵が二人、三人と吹き飛ばされていく。


 戦場を駆け回る赤い死神の姿に逃げ出す兵まで現れ始めた。


 「ニロネリア様、向こうのザコ共は私達にお任せを」

 魔人ニヤクア達が爪の血を舐めながら言った。


 「任せるわよ。それじゃあ厄兎の砲撃に恐れをなして丘の向こうで縮こまっている臆病な連中の処理は、ドルドズ、お前の部隊に任せようかしら? あの本陣さえ壊滅させれば、後は烏合の衆よ。王女を捕らえなさい」

 ニロネリアは傍らにいた岩のような大男達を見た。


 「了解しました」

 魔人たちはニロネリアの指示に従って再び虐殺を始めた。厄兎の攻撃で三分の一の敵兵が消えた。敵はまだ混乱している。


 「やれるわ」

 彼らと戦える人間などごく限られている。こんな雑兵では相手にもならない。


 「どうやらここは持ちこたえられそうね。リナル国の残兵などこのまま一気に息の根を止めてやろうかしら?」

 ニロネリアがニヤリと笑みを浮かべた。


 「ーーーーできるかしら?」

 その時、ニロネリアの前に光が現れた。


 いや違う、光っていたのはその鎧とその瞳だ。

 バカなとニロネリアは睨んだ。


 たとえ、こいつが強くても、その戦場には魔人ニヤクアの軍勢がたった今向かったはずなのだ。ニヤクアたちとすれ違わなかったとでもいうのか?


 「お前の手下は既に叩き切りました、殲滅です」

 サティナはその禍々しい血まみれの大剣をニロネリアに向けた。ニロネリアですらぞっとする光を放っている。恐るべき呪いの剣であろう。


 サティナは目の前の赤い服の美女を睨んだ。この魔族のせいでどれほどの血が流れたのか。


 「この地で、これ以上の陰謀は許しません!」

 サティナはそう言って飛び掛かった。

 「小娘がっ!」

 ニロネリアは手のひらから無数の黒い針を吹き出した。

 敵をひき肉にするほどの数の針が放たれたが、サティナは残像を残して、身を低くニロネリアの腹に鉄拳を打ち込んでいた。


 「うぐっ!」

 ニロネリアが吹き飛ばされ、二度三度と地面にバウンドした。


 続けて、横からサティナの刃が迫り、総毛だってニロネリアは防御魔法を発動したが、剣が触れた途端にその魔法が弾けた。


 バカな! と思う間もなく後方に逃れるのが精いっぱいである。


 だが、サティナも少しよろけていた。

 ニロネリアが防御魔防に仕込んでいたリフレクトの効果であろう。ニロネリアが受けたダメージの幾分かをサティナも受けたのである。


 「やるわね、さすがに魔族と言ったところかしら」

 その姿が一瞬で消え、地面から岩々が飛び散った。


 「おのれっ! ニロネリア様になにをする!」

 魔人ドルドズがその巨腕を振るって棍棒を叩き下ろしたのだ。


 「気を付けるのよ! そいつは強敵、一緒に攻撃よ!」

 ニロネリアが叫んで、前方に強い魔法陣を出現させた。

 対象の時間を遅延させる魔法! 一天衆直伝の技だが消耗する魔力が大きい欠点がある。


 その効果範囲にサティナが入った。


 「今よ!」

 ニロネリアが叫ぶ。


 サティナの足元に魔法陣が転写され、直後ドルドズらが一斉に周囲から襲い掛かった。


 「やった!」

 あの魔法から逃げられるわけはない。わかってしまえば簡単な効果だが、初見ではね。……ニロネリアが邪悪な笑みを浮かべた。


 その時、ギャアアアアア! とドルドズ達の声が響いた。


 「き、貴様、どうして?」

 ジャリと背後で砂を踏む音がして、ニロネリアは振り返ると唇を噛んで強敵を睨んだ。


 魔法陣が発動した地点にはドルドズたちが相打ちになって倒れている。どうすればこんな事ができるのか。

 絶命しているのは確認するまでもない。大戦で大暴れした歴戦の勇者魔人ドルドズらが一瞬でやられたのだ。信じがたい光景だった。


 「彼らは私の幻覚に攻撃したのです」

 血塗れの大剣を握り締め美少女が微笑む、その姿は凄惨だ。その気配、こいつも闇術師だとでも言うのか。

 「よくも、貴様っ」

 右手に攻撃魔法を発動させながら振り返った瞬間、ニロネリアは総毛だった。


 その目の前にサティナが踏み込んできていた。馬鹿な! 恐ろしく速い! こいつ、魔法使いのスピードじゃない!


 「貴女は人を殺しすぎです」

 耳元でサティナが甘い声でつぶやく。

 

 その時、ニロネリアは悟った。


 この女、聖魔法はおろか本当に闇術まで使うのだ。幻覚を見せる術でドルドズらを相打ちにさせた。帝国にもいない規格外の魔女だ! こんな奴に手を出してはいけなかったのだ。


 そう思った瞬間、ニロネリアは腹を大剣で強打され吹っ飛んでいた。


 「魔女のくせに何という武技、前衛としても超一流なのかっ!」

 派手に土煙を上げて転がりながらニロネリアは呻いた。

 これでもニロネリアはかつて冒険者として一流の武芸者と共にしてきた。その彼らに比べてもこの動きは目を見張るものだ。魔法使いのくせに武天並みの運動神経とか、ありえない。


 「哀しい音ね……それを貴女の本心は望んでいない。気づいていないのかしら?」

 サティナはぽつりとつぶやいた。


 「?」

 少女が何を言っているのかわからない。

 サティナはニロネリアを斬らなかった。それがなぜかニロネリアには理解できない。だが、急速にニロネリアの魔力が失われていく。


 「こ、これは、呪いなのか……、ちっ」

 

 「ニロネリア様! 撤退してください!」

 ニロネリアとサティナの間に魔族の一団が壁を作った。


 「ボーガン、お前たち!」

 後衛にいたはずの蜥蜴人の闇術師と魔術師の一団である。ニロネリアが危ないと見て駆けつけたらしい。


 「ここは、我々が時間を稼ぎます。旧王都内までお下がり下さい!」


 周囲を見ると既に戦局は一変していた。

 既にここでニロネリアたちができることはないらしい。


 「すまない、お前たち!」

 ニロネリアは転移術を繰り返して後退する。情けないことに既に一気に飛ぶ魔力すら残っていないのだ。


 橋まで来ると、一匹の厄兎が近接距離から脇腹を攻撃され、爆沈していくのが見えた。

 リーナル大橋守備隊も敵の騎馬と歩兵の波状攻撃に敗色が濃くなっている。守備の総指揮官であるベンガは、残存守備隊と魔族の連合部隊を編成し、敵の側面から突かせる最後の作戦に賭けるようだ。

 おそらく橋の爆破も間に合わないだろう。何発が爆発させたくらいではこの頑丈な鉄橋は落ちない。


 厄兎はまだ数匹持ちこたえているようだが、いつまでもつか。やはり凄まじい攻撃力だがインターバルが長すぎた。帝国のようにインターバルを短くする技術も東マンド国では未開発なのだ。混乱した厄兎では砲撃を行うことすら出来ない。


 ここが帝国軍なら……最後の決戦に出撃する連合部隊を横目に見ながら、唇を噛みしめニロネリアは橋を渡った。

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