第331話 北へ

 スーゴ高原は危険地帯になっている。帝国軍が撤退してからというもの生き延びて野生化した獣化兵や魔獣が出没している。

 真魔王国が勃興し、シズル大原を実効支配するまでロッデバル街道と帝国新道はともに封鎖されていたのである。


 真魔王国と新王国の間で物流が再開され、ようやく武装した隊商が行き交う程度にまで回復したが、それでも街道を野宿しながら行き交うような物好きはいない。


 「そろそろ時間のはずだけど、遅いな」

 幕舎の入口から顔を出すと、月明りに沈むスーゴ高原に数多くの野営テントが設営されている。


 ここはかつて帝国軍が本陣を置いた所である。あちこちに帝国軍の装甲馬車の残骸や魔獣厄兎の大きな骨などが見えている。

 俺たち新王国軍はデッケ・サーカの街を通過したあと、帝国軍の尻ぬぐい、つまり奴らが放棄していった軍用魔獣や野生化した獣化兵を討伐しながらロッデバル街道を北上してきた。


 「カイン様、どうかなされましたか?」

 明かりが漏れて、俺が出て来たことに気づいた護衛兵の二人がちらりとこっちを見た。


 「リイカ外交官と打ち合わせをすることになっているんだが、来ていないか?」


 「はっ、まだ到着されておりません!」

 「そうか。来たら通してくれ」


 二日後にはシズル大原に到着する。

 そのために夕食後に打合せをします、と言われていた。


 「いいですか! 今夜は誰もベッドに引き込まないで、大人しく待っていてくださいね!」とリイカが念を押して行ったのだが、それなのにまだ当の本人が姿を見せない。


 かわいい給仕の娘たちがいつもより短いスカートから生足をのぞかせ、ナゼかちらちらと俺に流し目を使い、空になった皿や椀をゆっくり丁寧に片付けていってからも既に結構な時間が経っている。

 

 やはり昨日の今日だから恥ずかしいんじゃないだろうか? あれはちょっと気まずかった。


 昨晩、「珍しいお酒が手に入ったわ」とこっそりやってきたルミカーナといつの間にかイイ感じになって二人でベッドを激しく軋ませていたら、何も知らずに突然入ってきたリイカが真っ赤になるという事件があった。

 

 「やっぱりこっちから出向くか。多分、中央テントで議論が白熱して時間を忘れているんだろう」

 うろうろ歩き回っていたが、俺はそう思い立って外に出た。


 「中央テントに行ってくる」

 「お供いたします!」

 「いや、行き違いでリイカが来るかもしれない。その時は俺が中央テントに向かったと言ってくれ」

 「はっ、かしこまりました!」

 

 俺は月夜に照らされた草原の道を歩いた。

 周りでは多くの兵士が野営しているので危険はないだろう。


 中央テントは兵士が寝泊まりするテントから少し離れた丘の上に設営されており一晩中灯りがついている。


 丘を登ろうとした時だ、街道の道向かいに広がる林の方から妙な声が聞こえて来た。


 ハッハッハッハッ…………という荒い息遣い。

 「ん……んんっ…………」

 これは間違いなく女の声だ。


 誰だ? こんな場所で不謹慎な奴め!

 俺は自分の事を棚に上げ、そっと近づいた。

 うん、これは間違いなく発情した男だ。ビリビリと衣服を裂くような音が聞こえて来た。


 「こらっ! 何をしておるか!」と威厳をもって注意したいところだが、うっかり顔を出して不審者と間違われたらこっちが危ないかもしれない。こんな時の兵は気が荒ぶっているのだ。


 「たまりん頼む。ちょっと見て来てくれないか?」

 ぴかっと俺の股間に金玉が現れた。

 「なんですかーー? のぞきですかー-?」

 「いいから! 視覚同調をたのむ、不届き者がいるんだ」

 「わかりましたよーー」


 すうっとたまりんが茂みの中に入るとすぐに俺の脳裏にその光景が浮かんだ。これは便利だ。夜でも昼間のような視覚情報だ。こんなに鮮明に見ていたのか、たまりんの奴め。

 いつも俺とセシリーナの姿をのぞいていたのは知っているが、夜でもこれほど鮮明だったとは……改めて恥ずかしくなってきた。


 「ん?」

 森の奥で蠢く人影がある。

 たまりん視点で近づいていくと……。

 

 上半身の服をビリビリに破いて興奮している狼男風の獣化兵の背中が映った。しかもそいつが押し倒し、口を塞いでいるのはリイカだ!


 「グルウッ!」

 低い唸り声を上げ、狼男のような猛獣が牙を剥いて振り返った。


 「しまった! 見つかった!」

 あんまりびっくりして思わずガサリと足音を立ててしまった。

 獣化兵はリイカを放り出して、俺の方に向かって来た!

 

 「ヤバい! あおりん、幻影防御!」

 叫んだ、直後、目の前にそいつが姿を見せた。


 「こいつ、獣化兵の中でも最悪なやつ……」

 とっさに骨棍棒を構えた俺の背中に冷たいものが流れた。


 昔、囚人都市で襲われた記憶が蘇る。救えなかったかつての仲間、トムが変貌したのと同じ猛獣の姿である。

 筋肉が異常に発達した両腕は容易に人間の手足を引っこ抜き、その長く伸びた爪は一撃で人間の頭を吹き飛ばす。


 今はあの時と違って、たまりんたちが付いているが俺自身の戦闘力はあの頃とさほど変わっていない。

 

 「これは不味い」

 助けに入ったが逆にピンチだ。そもそも骨棍棒程度で獣化兵に勝てるはずがない。助けを呼びたいが、動いた瞬間に八つ裂きにされそうだ。それに次期国王が無様に「誰か助けてーー!」などと言えるだろうか。


 俺はたまりんの視覚情報からリイカが気絶しているだけだという事を理解した。身体のどこにも異常はないようだ。


 グルルルル……

 そいつは、一人で姿を見せたこの俺を一応警戒したのか、すぐには襲い掛かってこない。


 俺は骨棍棒を両手で握り締めてにらむ。


 クヘッ、クヘッ!

 ふいに奴の口角が上がって涎が滲んだ。笑ったと同時に奴の殺戮衝動に火が付いたのだと分かる。俺が大した敵ではないことを理解したのだろう。


 「リンリン!」

 奴が地面を蹴るのと俺が叫んだのは同時だ。

 「はいよっ! まかせなさーい!」

 突然、紫色の玉が奴の目の前に現れ、奴は驚愕して両手で振り払った。


 いまだ!

 俺は思い切って骨棍棒を振る。

 命中した! そう思ったのは俺だけだった。

 

 奴はとっさに後方に飛び退いて俺の攻撃をかわし、同時に追跡してきたたまりんとリンリンを両手で打ち落とした。一瞬、形の崩れた二つの光玉がよろけるように左右に漂った。

 そのチャンスを逃すような奴ではない。


 「死ネエ!」

 人間の言葉を放って奴の爪が闇夜に弧を描く。

 一撃で斬り裂かれたかに見えた俺は茂みの中に倒れ込み、奴は手ごたえの無さに首を傾げた。あおりんの幻影防御で奴は俺の幻影を攻撃したのだ。


 だが、俺もキツい。

 息が上がる。一瞬の隙が生死を分かつ奴の殺気にさらされている。それだけで体力が持って行かれる。

 

 ガアッツ!

 奴が牙を剥いて四足で大地をえぐり、跳躍した。凶暴な肉食獣と化した奴の動きは速い! たまりんとリンリンがこっちに向かうが間に合わない!


 キーーン! と甲高い音が森に響いた。

 奴の牙の一つが月の夜空をくるくる回転して飛んで行った。


 「大丈夫っ! カインさま!」

 美しく冴えた剣が俺を救った。

 転んだ俺の前に立っているのは騎士の恰好をした一人の少女だ。


 「君は?」

 危ない所を救ったのはまだいかにも幼い少女である。

 どうしてここに? と思ったがそんな場合じゃない。騎士の恰好をしているが彼女はまだ幼い。


 「危ない! そこから離れろ!」

 俺が叫んだ瞬間、牙を折られて怒り狂った獣化兵が少女めがけて獰猛な爪を振り下ろした。


 だめだ! やられた!

 俺の脳裏に、首を刈り取られた少女が血を噴水のように噴き出しながら倒れる姿が浮かんだ。


 「!」 

 目の前を真っ赤な血を噴き出しながら首が飛んで行った。

 だが、空中を飛んでいったのは獣化兵の首である。

 「間に合ったようじゃな」

 恐るべき神速で敵を倒した白髪の爺さんが刀の血を払った。


 「カイン様、大丈夫でしたか?」

 フードをめくると予想外の美幼女というか美少女というか。幼げな女の子だが、どこかで見たことがある顔つき。


 「ほら、私ですよ。囚人都市で会った、ラサリアです」

 少女は後ろで髪をまとめてみせる。

 ああっ! 髪を伸ばしていたから全然雰囲気が違っていた!

 最初は口が聞けなかった子、囚人都市でゲ・ボンダから俺を助けてくれたあの女の子。


 「ラサリアか! 騎士見習いになったって聞いていたけど!」

 ラサリアはちょっと見なかっただけで見違えるように成長していた。とは言ってもまだまだ幼い少女なので変な気は起きないが……。


 「これで助けられたのは二度目だ。それにしてもびっくりするほど強くなったね?」

 「はい、がんばっているんです。カイン様のお役に立ててうれしいです」

 ラサリアはにっこり笑った。あの頃のような悲し気な雰囲気はまるでない。


 「ほう、ラサリアが騎士の修行を頑張っているのは貴方に尽くすためのようですな。以前、コベィの街でお会いしましたが、挨拶はまだでしたな、私はラサリアの師匠スザ・ベルモンドと申します。以後お見知りおきください、陛下」

 白髪の爺さんは丁寧に礼をした。


 「私のお師匠さまです。とても強くて、古老の騎士と呼ばれているんです」

 ラサリアが言った。


 「そうなのか、古老の騎士……。救援感謝する」


 「まずはお二人とも無事にお救いできて何よりでした」

 スザはそう言って視線を俺の背後に移した。


 「ーーカイン様、私を助けに来てくれたのですね」

 振り返って見ると、茂みの奥から肩を露わにしたリイカがふらふらと姿を現した。


 「リイカ! 怪我はないか? 大丈夫か?」

 俺はよろけたリイカの両肩をつかんで顔をのぞきこんだ。


 「はい。ありがとうございます、陛下」

 陛下? リイカが俺を陛下と呼ぶのは初めてだ。

 それにリイカが俺を見つめかえす瞳がどこか情熱的な気がするのだった。

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