3 バルザ関門を越えて
第51話 浜辺の逃避行
渚に出来た四人の足跡はすぐに波にかき消されていく。
「あーー! 今日も無事! 追っ手の気配なし! ここまでくればもう大丈夫だろうぜ」
サンドラットが大きく伸びをした。昨日まではまだ警戒していたが、さすがにこうも何も起きないと気が緩む。
「あれから3日半、だいぶ歩いたからなあ……」
俺は長靴を砂から上げるたびにポコンポコンと妙な音を立てている。穏やかな波の音に混じるのはリサとセリシリーナの楽しそうな笑い声と俺のこの長靴音だけだ。
「あの数の死肉食らいだ、帝国も制圧するのに必死だっただろうな。もしかすると死傷者や行方不明者多数とかで、今だに混乱が続いているんじゃないか?」
「ああ、俺たちに構う余裕なんかないのかもしれない。囚人都市の全軍を動かしてなんとか対処できるかどうかって数だったからな。だとすると幸運だな」
囚人都市は既に遥か彼方になり、振り返ってもその影すら見えない。
うーーむ、もしかしてあの過剰なほどのモンスター召喚は俺たちを安全に逃亡させるためだったりして? 3姉妹はそこまで考えていたのだろうか?
あの場から逃がすためだけでなく、帝国軍から捜索の余裕すら奪うために、わざとあれだけの規模の死人を召喚したのだとしたら……クリスは意外と策士かもしれない。
「カインーーーー! こっちだよーーーー!」
リサが手を振っている。
俺が応えると、輝くような笑顔を見せてセシリーナも大きく手を振った。
初めて見る海に、リサはずっとテンションが高い。セシリーナも、人がいない海辺というのは経験がないらしく、リサに負けずおとらず楽しそうで、かなり開放的になっている。海辺を走る彼女はあまりにも美しくて思わず鼻の下が長くなる。
でも、あんな感じで彼女が寿命の呪いを思い出す機会が減っていることは良い傾向だ。発作も小康状態にあるらしく、ここ数日苦しんでるところを見ていない。
「わーーい!」
「こらっ、リサったら、待つのよ!」
砂浜にリサが駆けだし、後を追ったセシリーナだが、その足跡はすぐに波でかき消される。
リサたちはまたも渚で水をかけ合ってはしゃぎ合っているが、砂浜は断崖の下になっているので上からは見えないし、大きな声を出しても人に聞かれる心配は無い。
「いまだに帝国兵の追手が姿を見せないことからすると、あの状況の中で俺たちが街を抜けだしたことに気づいた者がいなかったのかもしれないな」
「そうだな、まあ、俺たちの脱獄に気づくにしても、あの現場ではかなりの日数がかかるだろうぜ」
既に抜けだした地下室は水が満ちているはずだし、万が一あそこに俺たちが入ったことに気づいた者があの場にいたとしても追跡は容易でないはずだ。穴が外につながっていることがわからないうちは、まだ囚人都市内に俺たちが潜伏していると思っているかもしれない。
むしろ今の問題は、ここからどう移動するかだ。
大きな街道には関所が何か所もあるらしいし、そういった街道は安全だが帝国の目も光っている。脇街道や裏道は危険だが監視は弱い。どの道を通れば一番安全なのか?
ただ一つ言えるのは、どこをどう通っても、大峡谷のバルザ関門という関所だけは通過しなければならないということだ。
そこが、大陸南部と中央部を結ぶ唯一の道なのだ。
「サンドラット、これからどう進むか考えはあるか?」
俺は荷物を抱え直した。
今はセシリーナの分も俺が背負っている。
「まずはバルザ関門をどうやって抜けるかだ。そこさえうまく越えることができたら、逃亡ルートはいくらでもある。俺は東海岸の港町に向かうぜ。そこが俺が追う男を最後に見た地だ。それに早めに海を渡る準備もしたいからな。まあこれを見てくれ」
そう言うとサンドラットは砂に下手くそな地図を描いた。
手前に囚人都市。
大峡谷を越えると旧ルミカミア王国に属していた大小の街があり、スーゴ高原をはさんで北にシズル
大平原にはかつて人族の国の王都だった街や数多くの町や村があり、大平原の東に港湾都市群がある。反対の西がアパカ山脈だ。
「そうか、これだと、スーゴ高原を抜けてから東岸に向かうんだな、その男を倒したら海を渡るのか?」
「ああ、何としても男を探す。見つけさえすれば倒すのは難しくない」
「そうか」
「そんな心配そうな顔をするなよ。大丈夫さ。ーーーーむしろ倒したとして、問題は船と船員だな。東の大陸に戻るにはある程度大きな外洋船が必要だろう。昔は港湾都市にいけば必ず停泊していたが、今はどうだろうな?」
急に話を変えたのは、俺がこれ以上心配しないようにというサンドラットなりの配慮なのだろう。
「俺が捕まって連れてこられたのは軍港だったな、商船は見当たらなかった」
「最近では貿易自体を行っていないって話だったか?」
「少なくとも東の大陸との正規の貿易航路は閉ざされたままだよ」
「うーーむ、望みは薄いか。それでもどこかに昔の商船が残っていればな。まあ、それ以前の問題として乗組員だろうな。こっちに来た時は多くの仲間が一緒だったんだが……、安易な希望は持たない方が楽か。現実問題として船は一人や二人では動かせないしなあ」
「船員も必要か。どこかで船員を探すのか?」
「そうだな。だが、法を犯してまで危険な航海に応じる者がいるかどうかだな。普通の方法ではまず無理だろう、それをどうするかだ。……ところで、カインたちはどうするつもりだ? 俺と一緒に行くか?」
「今、セシリーナを連れて東の大陸に行くことは難しいかな。魔族への偏見が強すぎるし、大戦での魔族の非道な行為が知れ渡っているからね」
「なるほど。確かに俺も魔族はもっと邪悪だと思っていたくらいだ。彼女は人族と全然変わらない、というか、かなり優しいな」
はしゃぐリサを上手に遊ばせているセシリーナを見つめる。
ーーーーーーーーー
「それで? 魔族の彼女を妻に迎えるつもりか?」
サンドラットが急に核心をついてきた。
俺はうなずいた。俺の心はもう決まっている。
一緒にいる時に思いを伝えなかった後悔とともにエチアの顔が脳裏をよぎる。最後に好きだと言えたのだけが救いかもしれないが、あの状況で俺の言葉は果たして伝わっただろうか。あんな風になるのだけは避けたい。
「たとえ断られても、男としてきちんと言葉に出して伝えるよ。それに彼女の呪いも何とかしてやりたいし」
「彼女は一応、愛人眷属だろ? 断られるなんてあるのかよ?」
「おいおい、いくら何でも無理やり強要なんてしないぞ。どこの大貴族だよ。俺はきちんと告白して、正々堂々と結婚を申し込む、俺は卑怯でも器用でもないしね」
「まったく、お前は根っから清廉なお貴族さまだぜ。だからいつまでも貧乏貴族なんだ、少しはうまく立ち回る方法も覚えた方が良いと思うぜ」
「でも、その方が俺もスッキリするしな。本当に俺で良いのか? 愛人眷属の効果に過ぎないんじゃないか? とか思いながら付き合うのはいやだろ?」
「俺から見たらセシリーナ嬢の気持ちなんかバレバレなんだがな。むしろ、問題は妻にしてからじゃないか? 彼女やリサが安心して暮らせる場所があるかどうか、そっちだろ?」
「まあ、その前にリサの呪いを解いてやる必要もあるんだよ」
「リサに呪い? セシリーナ嬢の呪いの話は聞いたが、リサにも呪いなんて初めて聞いたぞ」
「リサな、彼女は何歳だと思う?」
「は? いまさら何を言ってるんだ。見ればすぐわかるだろ? せいぜい7歳くらいじゃないのか?」
「リサは14歳なんだ」
その言葉にサンドラットは俺の顔を見る。
俺の頭を疑っているような目だ。
まあ、当然の反応だろう。
リサはどこからどう見ても子ども、幼児だ。14歳の乙女には見えない。この世界では15歳で成人、結婚する者も多いのだ。
「それが、呪いのせいだと?」
「リサはね。呪いをかけられていたんだ。それも2つ。一つは精神年齢が徐々に減っていくもの。これはナーヴォザスが命がけでその呪いを解いた。二つ目が時間停止の呪い。これが彼女が幼い理由だよ。リサは8歳のまま時間が止まっているんだ。この呪いを解くためには大規模で特殊な儀式が必要らしい」
「そんな呪いは聞いたこともないぜ」
「邪悪な儀式のための特殊な術というか、厄介な呪いらしい。きちんと解呪しないと肉体が暴走して即死だそうだ」
「おいおい、恐ろしいな。そんなもの解呪できるのか? ちょっと聞いただけでも、かなり高次の術が必要そうだぞ?」
「アパカ山脈のアプデェロア大神殿に行けば、なんとかなるらしい。だから俺たちはそこを目指そうと思うんだ」
「そうか。なるほどな。でも俺はなあ……」
サンドラットは少し難しい顔つきになった。彼は東の海岸を目指すのだ。俺たちとは進む方向が違う。当たり前の反応だろう。
「まあ、少なくとも途中までは同行するぜ。途中からは海辺を目指す。行けるところまでは一緒に行こうぜ」
「向こうに帰ったらニーナ嬢と結婚するんだろ?」
「ああ、4年、いや5年近いかな。だいぶ待たせているからな」
「大丈夫だ、妖精の月日の感覚は俺たちとは違うらしい。1カ月経っていても昨日の事のような感覚だ。彼女からすればまだ1、2年かそこらしか経っていない感じだろう」
「そうだな、確かに。彼女を妻に迎えるのが待ち遠しいのは、むしろ俺かぁ……」
サンドラットが鼻の頭を掻いて照れくさそうに笑う。
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