第52話 渚の怪物

 二人が渚で戯れる様子は、まさに天女と天使が舞い降りたかのようで二人の笑顔がまぶしすぎる。

 

 しかし、なんと言ってもセシリーナだ。

 水しぶきに陽光がきらめく中で微笑むセシリーナがあまりにも美しすぎて思わず見蕩れてしまう。抜群のプロポーションが若々しく弾け、破壊力満点の美乳が揺れる、揺れる、揺れる……。

 細くくびれた腰から魅惑のお尻へのラインも絶句ものだし、長い美脚も誇らし気だ。


 「それにしても、何度見ても彼女は美しいな、もうため息が出るぜ」

 俺たちの少し先を行く二人を見てサンドラットがつぶやいた。


 「おい、セシリーナは渡さないぞ」

 「はははは……誰も横取りなんてしないぜ、心配するな。既に想い人がいる乙女に思いを寄せるなんて、俺の矜持きょうじに反するしな」

 「?」

 「本当に鈍感というか、なんというか……」

 怪訝そうな顔をした俺を見て、サンドラットはなぜか肩をすくめた。


 「どう見ても、セシリーナ嬢はお前に好意を抱いているだろ? 気づかないとは言わせんぞ」

 「……」

 「ふう、わかっているくせに煮え切らない奴だぜ」

 「いや、彼女の呪いも解けていないし、脱獄しての旅なんだ。こんな状態でセシリーナを妻にしてしまったら、いろいろと問題が多くないか? 今はまだ時期じゃないと思うんだ」

 「なるほどねえ、やっぱり真面目な奴だな。でも潮の満ち引きのように、満ちるタイミングってのがある。後で後悔だけはしないようにな。俺はいつでもお前たち二人のことを応援しているぜ」

 大きな波が俺たちの足を濡らし、波がひいていった。


 「ありがとうサンドラット、満ち引きか……やっぱり二人の思いが盛り上がる時期ってのがあるんだろうな。なんとなく分かるよ」

 「大きな波が来たら、迷わずガッ! といくんだぜ。ここぞと言う時に男を見せるんだ!」

 「ああ、そうだね。大きな波が来たら……って、なあ、あれ、なんだろうな? 変な波だ」

 その時、何気なく見た海に違和感があった。不自然な波が沖合から浜辺に向かっているのが目に映る。


 ザザッツ!!

 海面下の黒い大きな影が不気味なさざなみを立てている。


 「おい、バカっ、カイン! あれは何かが来てるんだ! 彼女らが狙われてる! 急げっ!」

 サンドラットの顔色が変わった。


 「おおいっ! セシリーナ、リサ! 逃げろ!!」

 俺は駆け出した。 


 セシリーナとリサが無邪気に遊んでいる渚に、何かが近づいているのだ。


 「逃げろ! 海から何か来るぞ!」

 海の波が急に逆巻いてリサたちの方に向かっている。海面に現れたいびつな背びれが波を切り裂く。


 俺たちは走るが、そいつも速い。


 「セシリーナ! リサ! そこから逃げろ! 敵だぞ!」

 駆け寄る俺の目の前で、海から巨大な影が水しぶきを上げて砂浜に乗り上げた。


 「!」

 驚いて固まるセシリーナ。

 転倒するリサ。

 奴の狙いは身体の大きなセシリーナの方だ!


 渚で体をくねらせた巨体がセシリーナめがけて跳ね上がった。開いた口腔に無数に並ぶ牙が蠢き、彼女に大顎おおあごが迫る。


 「セシリーナーーっ!」

 俺はセシリーナ目がけて跳んだ。

 「カイン!」

 ぐはっ……!

 俺はセシリーナを抱き抱え、彼女を守って背中から地面に落ちると一緒になってごろんごろんと砂浜を転がった。


 ハッ! と後ろを見ると、さっきセシリーナが立っていた砂浜を大顎でえぐった大蜥蜴おおとかげが砂を巻きあげて吠えた。

 

 「この野郎っ!」

 サンドラットが石を投げつけた。

 リサが転びながらも反対側にいるサンドラットの方に走って行くのが見えた。


 俺はセシリーナを抱き締めている。

 「セシリーナ、大丈夫か?」

 「あ、ありがとう、カイン。あれは遅足竜ちそくりゅうよ。皮膚が固いから矢は通じない。水中では素早いけど陸上では鈍重な生き物よ」


 「ほら、ほら、こっちだぜ!」

 サンドラットはさらに投石を続けて、遅足竜の気をそらしている。


 「あいつに矢は不利だ。セシリーナは、ここにいるんだ! 俺が何とかする!」

 俺は骨棍棒を手に取った。


 ちょっとでかくて恐ろしげだが、所詮しょせんは蜥蜴だ。

 似たような奴は東の大陸の海岸にも出没する。そいつの駆除は普通に漁師がやっていたし、俺も手伝ったことがある。見た目はちょっと違うが近縁種だろう。ならば駆除方法は同じだ。


 確か、頭の上の鼻の穴や目の後ろの聴覚器官がある部分の骨が薄くて急所だったはずだ。皮膚は固くて刃を通さないが、急所の打撃には弱い。


 遅足竜はサンドラットの方に気が向いているので背後の動きには気づいていない。まあ、そうでもなければ俺がこんな風に容易に近づくことはできないのだが。


 セシリーナが少し身を起し、熱い視線を向けて俺を見ている。


 尻尾は鰭状ひれじょうになっているが短い。

 背後からの攻撃に反撃はできないだろう。

 俺は左右に触れる尻尾をタイミングよく掴むと、その力を利用して思いっきり跳ねて、遅足竜のごつごつした背に飛び乗った。


 グルルルル……!


 ここでようやく遅足竜は俺に気づいたらしい。

 気持ちの悪い突き出した目玉がギョロギョロ動くが真上は見えていないようだ。

 体を左右に揺すって俺を落そうとしてくるが、瘤に掴まってなんとか落下を避ける。


 「カイン! 俺が気をひくぜ!」


 海岸に漂着していた長い棒を拾ってサンドラットが飛び出した。流石だ。正面から立ち向かうとは勇敢な男だ。


 「気をつけてーー! サンドラット!」

 リサが叫ぶ。


 サンドラットが棒で遅足竜の目のあたりを突く。

 グルルルル…………

 低い唸り声を上げながら暴れる遅足竜。

 俺は振り落とされないように瘤に捕まりながら前へ移動した。


 ぷしゅう! と目の前で皮膚が開いて、突然生臭い息が噴き出した。


 これが漁師の言っていた鼻の穴だろう。開閉する弁にはフジツボのようなのが寄生している。


 ぷしゅう! 

 「今だ!」

 俺は片方の靴下を脱いで、次に開いた瞬間に穴に詰め込んでやった。何日も洗濯していない俺の靴下だ、かなり凶悪な臭いだろう。だが元々生臭いので効き目は少ないかもしれない。むしろこれは少しでも息苦しくさせるのが目的だ。狙い通り弁が開きづらくなった。


 ばたんばたんと遅足竜が上下に跳ね始め、俺は落ちそうになって危ない所で瘤に抱きつくと、急所だという目の後ろの平らな皮膚が見えた。


 「ここだな! よくもセシリーナたちを狙ってくれたな!」

 俺は両足で瘤にまたがって、両手で骨棍棒を握る。


 「やあああーーーーーー!」

 遅足竜が体をひねるタイミングに合わせて、俺は骨棍棒を思いっきり振りおろした。


 ドボスム! と妙な音が響く。

 たるんだ太鼓を叩いたような手ごたえだ。


 遅足竜の動きが一瞬止まる。

 もう一度だ!

 

 遅足竜が再び暴れ始める直前に、俺は再度骨棍棒を叩きこんだ。ドボスム! と再び妙な音が響き、同時にめきっと骨が砕ける音がした。


 さらにもう一度だ!


 手を振り上げた瞬間、遅足竜が上下に飛び跳ねた。

 「うわっ!」

 俺は弾き飛ばされて、砂の上に背中から叩きつけられる。

 開いた目に移る大きな影!

 遅足竜の短い足が頭の真上に落ちてくる!


 「カインっ!」

 セシリーナの声が聞こえた、その一瞬で今度は俺を抱いてセシリーナが跳んでいた。


 背後で地面にめり込む前足が砂煙を上げた。

 美乳にめり込んで息ができない、でもこれは柔らかい! しかもいい匂いだ!

 俺達は砂浜を転がり、セシリーナが俺の上に覆いかぶさって止まった。


 「この! このっ!」

 サンドラットがさらに石を投げつけた。

 遅足竜はぐるっと体を回すと、少しよろけながら海中に戻って行く。


 やがて黒い影が沖の波に消えた。


 「た、助かったの?」

 「危なかったな」


 俺がつぶやいた瞬間、スポーン! と潮が真っすぐ上に噴き出し、何かが空高く跳んだ。


 そしてようやく浜辺は静けさを取り戻した。


 俺の体の上にセシリーナが身を重ねている状態だ。

 セシリーナは俺の頬に手を添えて微笑んだ。


 「カインありがとう。とても勇敢だったわ。貴方が飛び出してくれなければ、私もリサも死んでいたかもしれない」

 その澄んだ瞳は俺を映している。セシリーナは魅力的だ。


 「そ、そうか」

 二人は見つめあって頬が赤い。

 胸に当たるセシリーナの豊かな双房の感触はとても柔らかく……


 「カイン! 大丈夫ーー!」

 リサが駆けよってくるとセシリーナは身を起こして砂をはらった。


 「今のはヤバかったな! よくあんなのに飛び乗ったもんだ、見直したぜ!」

 駆け寄ったサンドラットが珍しく俺を褒めた。


 「リサ、カインに助けられたーー。嬉しーーい。やっぱり大好きーー!」

 リサが俺に頬ずりする。


 「やはり油断ならない場所だな。あんな奴がうろうろしているとは」

 「この海岸線があいつらの繁殖地だってことを忘れてたわ」

 「この先は、渚で水をばしゃばしゃするのは気をつけよう。奴らは水の振動で集まるのかもしれない」

 なんとなく脱力して海を眺めると「そうね」とセシリーナが俺のかたわらに寄り添って腕を組んだ。


 なんとなく良いムードになった。

 静かな波音が優しく響く。

 二人はただ海を眺めている。


 「セシリーナ……」

 「なに?」

 彼女の瞳には俺の顔だけが映っている。その赤い唇が愛らしい。やはりこの人、と彼女の瞳は結ばれることを夢見ているようだ。


 二人はどちらからともなく吸い寄せられて……。


 「うわーーーー! くっさい靴下見つけたあ!」

 リサが鼻をつまみながらそれを拾い上げた。


 静かになった渚に、粘液まみれになった俺の臭い靴下が打ち上げられてきたのだ。


 くううう、良い感じだったのに台無しだ!

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