第320話 王女の帰還1
馬車は心地良い音を立てながら良く整備された石畳みの道を走っている。
ここは既にかつてのモナス・ゴイ王国の領土である。この付近の村々は早々に帝国に降伏し、大戦では戦場にならなかったためか古い建物があちらこちらに残っている。
俺の向かい側にはリサが威儀を正して座り、窓の外を流れる風景や時折通り過ぎる村々の建物を眺めている。
これから街に入りますと言うので、準備されていた白いモフモフ毛の襟がついたマントを羽織ったら、本当にもうどこからみてで絶世の美少女、まさに王女様という雰囲気。
しかも、その隣には華麗な仮面をつけた美しきセシリーナが佇む。この先、この二人が新王国の顔になるのかと思うとそのカリスマ性が末恐ろしい。
しかもそんな二人が俺の妻と婚約者である。セシリーナの太ももを見て思わずごくりと喉が鳴った。
「痛てっ……」
俺の視線に気づいて隣に座るサティナが俺の手のひらをつねった。ぷうっと少し頬を膨らませてすねたところがカワイイ。
サティナは荷物を前で抱えて、俺の股間が狂戦士化しているのをうまく誤魔化してくれている。もうすぐコベィという大きな街に着くというのに俺の暴れんぼうは収まる気配が全くない。
サティナの横にはリィルが座って、その正面で本を読んでいるクリウスをちらりちらりと盗み見している。
どうもリィルが怪しい。まさかクリウスから何か盗むタイミングを図っているんじゃないだろうな? と気になったが、どうも違うな。クリウスと目が合うたびに急に乙女ぽい仕草になって、身体をくねくねさせて、何か気持ち悪い。
そう言えばクリウスは妖精族と魔族のハーフだったはずだよな? こいつもしかして……。俺はリィルを横目で見たが、いつもなら俺の視線にすぐに気づいて嫌味を言うはずのリィルがクリウスを見つめながら頬を染めている。
こういうのがリィルの好みのタイプなのか? もしかしてリィルにもついに春が来た?
だが、クリウスは軽い男ではない。残念だなリィルよ。と思ってクリウスを見たら、目を合わせるたびにどことなく照れている気がする。まさか二人ともお互いに一目惚れとか言わないよな!
だが、クリウスよ、こいつの見た目と甘い顔に騙されるな! そいつは可憐な妖精族の乙女じゃないぞ、いつも悪だくみばかりしている盗賊リィルなんだぞ。
「皆さん、ここを過ぎればまもなくコベィの街に到着いたします」
クリウスの隣に座るシュウが窓の外の石橋を見て告げた。
「そうですか、意外と近かったですね」
リサがうなずく。
窓の外を見ると大陸の東西を結ぶ街道が続いている。まわりの森の風景がなんだか懐かしい。シズル大原あたりとはだいぶ植生が違う。
始めて囚人都市に連れていかれた時もこんな森を眺めたっけ。あの時はもっと東の湾岸沿いを南下したが、あっちは今でも危険地帯らしい。ここは内陸であり、湖沼地帯や切り立った崖等で湾岸部から地形的に分断されているので、湾岸地帯と違ってさほど危険な魔獣は出ないという。
それでも警戒は必要で、馬車の周囲には魔馬に乗った騎士の姿がある。
羽のある魔獣にとって地形は障害物にならない。最近はキメラ型の飛行能力のある厄介な魔獣や竜種の姿すら目撃されているという。
馬車を警護していた騎士たちもここまで来るとようやく少し安心した表情になった。街道の左右には田園地帯が広がり始め、安全な地域に入ったことがすぐにわかる。
「やれやれ、珍しく一匹の魔獣も出てこなかったな?」
「ああ、これも王女様の威徳かもしれない。この道で魔物の襲撃に遭わなかったのは久しぶりだ」
騎士たちが馬を近づけてそんな会話をしていた。
もちろん、これほど順調に進んでこれたのは、先行したイリスが危険な魔獣を片っ端から排除してくれていたからだろう。
妖精族のカサット村を出て以来、彼女の姿は一度も見ていないが、容姿端麗な漆黒のメイドはきっとどこからか馬車の動きを見守っているに違いない。
ーーーーーーーーーー
やがて馬車の前方にコベィの街が近づいてきた。
コベィの街はルミカミア・モナス・ゴイ王国の拠点都市の一つだったところで、デッケ・サーカの街に匹敵する大都市である。人口や面積は新王国第三の街とさえ言われてるらしい。
周囲を城壁と水濠で囲われた堅牢な大都市で、先の大戦では当然戦場となり、数カ月に亘る篭城戦を繰り広げた。結果的にコベィの街が降伏する前に王都が先に陥落して国は滅亡してしまったという。
「王女さまーー!」
「モナス・ゴイ国に栄光あれ!」
その巨大な南門の前に多くの市民が人垣を作って歓声を上げ、王女の到着を出迎えているのが見えた。
城壁から付き出る楼閣の上からも人々が手を振って、新王国の旗に混じって旧ルミカミア・モナス・ゴイ国の国旗まで振られている。
ワァーワァー! と人々の熱狂的な歓声が道の左右から伝わってくる。
かつての王国が民を非常に大事にした国だったこともあり、旧王家に対する尊敬と愛着がある者が多いのも原因だ。
既に滅びたと思われた王家の忘れ形見の思わぬ帰還に、路上に平伏して涙を流している者も多い。
やがて馬車が大門を通過すると街中の者が総出で出迎えているのかと思うほどの大群衆が道路を囲んでいた。まさに熱狂的な大歓声が俺たちの馬車を包む。
「凄いねカイン。こんなにたくさんの人が出迎えてくれてる!」
リサはにこやかに窓から手を振ってその声に応える。
「この声に応えられるような立派な王女様にならないとな。それだけみんな期待しているんだぞ」
「うん。がんばる」
「私も補佐するからね」
「頼りにしているわ、セシリーナ」
「そうそう。セシリーナは貴族としての教養もあるし、賢いし、強いし、宰相にはうってつけだろうな。俺なんか、いてもいなくても同じだろうし」
「そんなことないわ!」
「そんなことないよ!」
二人が急に振り返った。
「カイン、二人が言う通りよ。カインはみんなを結び付けた。みんなの大事な要よ。もっと自覚したほうがいいわ」
サティナが俺の手に手を重ねて微笑んだ。
俺の方がずっと年上のはずなのに、何だかサティナの方が大人っぽく見えるのは気のせいか。これがいずれ女王になる者のオーラなのだろうか。
「そうですね。カインには不思議とみんなの心を繋ぐ力があります。そうでなければ精霊様たちがあれほど懐くこともなかったでしょう」
ルミカーナがうなずいた。
コベィの街に入る直前の休憩で、ルミカーナとミラティリアがクリウスとリイカと入れ替わってリサの馬車に乗り込んでいた。
街に入る時に歓迎を受ける王女の馬車に仲間全員を集めたというわけで、これはリサからのお願いだった。
物静かに控えているが、ルミカーナは常に剣を携えて護衛として集中している。
元は職業軍人だというが、そのせいだろう。彼女からはあまり過去の話を聞いた事はないのだが、ただの一兵卒という感じでは無い。
ただ、その氷の騎士のような彼女も婚約者の俺にだけは無防備でデレる。
その両極端なところがたまらない。
二人だけの時に見せる恥じらいの表情はとても可愛い。それにサティナに見つからないところでは意外に積極的で大胆で。ムフフフフ……。いかん、思い出したら狂戦士が増々凶暴化してきた。
「あっ、ほら、大きなお屋敷が見えてきましたよ。綺麗なお庭もあるみたいですね」
ミラティリアが窓の外を指差した。
お堅い外見を保っているルミカーナとは反対にミラティリアは誰が見てもお嬢さま丸出しの緩い雰囲気があって愛らしい。
実はミラティリアもサティナが見ていないところではかなり大胆なお嬢さまなのだが、そのギャップがまた良い。
ーーーーーーーーーー
やがて馬車は今夜の宿となるコベィ街の中央に位置する官舎に到着した。元は王家の離宮だった場所だ。
官舎入口の前には新王国の兵が警備にあたって、王女を一目見ようと集まった大群衆の立ち入りを規制していた。
馬車は門をくぐって屋敷の前で静かに停車した。
「どうぞ、皆さま、お降りください」
先に馬車を降りたシュウがドアを開けた。その向こう側にはコベィの街の要人と思しき者たちが玄関先に勢ぞろいしてリサ王女を出迎えている。
「ようこそお越しくださいました。騎士ベルモンドと申します。王女のご帰還の報を受け馳せ参じました。我々元王国に仕えていた者にとっては奇跡のような思いでございます」
今回の警護の代表なのだろうか、一番前で待っていた白髪の男が拝礼した。
老人ながら歴戦の勇士を思わせる顔つきをしており、鍛え上げられた身体が正装のスーツに窮屈そうに収まっている。
「さあ、王女さま、中へどうぞ」
馬車から降りたリサをリイカが白亜の階段の方へ案内する。
「さあ、皆さま方もどうぞ屋敷へ」
クリウスが馬車のステップの前で微笑んだ。
「さあ、リィル様、お手をどうぞ」
馬車のステップがリィルには高いと思ったのかクリウスが片手を差し出して微笑んだ。
「あ、ありがとう」
なぜか少し頬を染めて、その手を借りてリィルがクリウスの前に降り立った。
クリウスは微笑んでリィルを見下ろしている。
「な、なんですか?」
リィルは胸元を押さえた。
「い、いえ、リィル様のような可愛らしい方が王女を守って戦ってこられたなんて凄いなと思いましてね」
クリウスは頭を掻いて笑ったが、リィルは頭から湯気を出してうつむいた。もはや聞いていないようだ。
「か、か、かわいいって……」
リィルはうつむいたまま、そそくさとミラティリアの後ろに隠れた。
うーむ、やはりそうか。
俺は目を細め、リィルとクリウスの二人の甘酸っぱい様子を見つめた。
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