第319話 処刑場のドリス2
おおっ! 衛兵たちは思わず声を上げた。
初めてドリスの服が裂けた。
しかしそれだけである。人形のような感情の色の無い目をしたままドリスはひらりひらりと体に当たらぬようにその一撃を紙一重でかわしていた。
「その状態でも私の初撃を避けるのか、人形にしてはおそろしいスペックなのだな」
ナダは微笑し再度斬り込んだ。
次々と振り下ろされる剣にドリスの服が次第に裂け、あちこちから血が滲みだしてくる。逃げるなと言わず抵抗するなと言ったのはこれを愉しむためである。
「少しづつ切り刻んでやろう」
「流石は美天様!」
衛兵が叫んだ。
ナダは楽しんでいる。
これほど美天の攻撃を避け続ける者は戦場でも見たことが無い。面白い玩具だ。
「!」
剣を避けたドリスの足元が砂で滑った。
もういいだろう。
その一瞬の隙を見逃すナダではない。鋭利な刃が閃き、ドリスの心臓を目がけて突く。
やったか!
目を開いた衛兵の表情が固まる。
しかし、ナダの剣先は突然ピタリと制止し、未だドリスに達していなかった。
なぜ止めたのだ?
疑問が頭に浮かんだ時、脇扉の奥から騒々しい音が近づいている事に気づく。ハッと振り向いた衛兵の目に、突然扉の奥から大牙豚が飛び出してくるのが映った。
「ぶ、豚だと!」
「た、大変です! 飼育場が何者かに荒され、先ほどから豚があちこちを走り回って! うわあああ!」
ブウ! 豚に背中を押されるようにして処刑場に慌てて入ってきた兵が転倒し、豚に押しつぶされた。
「なんと、酷い匂いだ」
豚の匂いがあまりに臭い。美にこだわるナダには耐えられない臭さだ。
大牙豚は野生種に近い。凶暴だが肉は美味く非常に高級だ。貴族の間ではその裕福さを示す食材として好まれるため王宮下層で普段から飼育されている。それがまさかこんな時に逃げ出したというのか! 兵士たちは混乱した。
「ちっ!」
ナダは突進してきた豚の噛み付き攻撃から華麗に逃れる。
ドドドドドド……!
さらに豚の群れが脇扉から現れ、反対側の扉をぶち破った。
「いたのだ! ドリスだ!」
ふいに若い男の声がした。
振り返ったナダの目に突進してくる豚の背にまたがって近づく、若い男女の姿が映った。その手が刑場の中央に立つドリスに向かって伸びた。
「こしゃくな!」
一瞬でその意図を悟ったナダが豚の背を踏み台にして飛んだ。
「逃がすものかよ! 死ねっ!」
ナダはドリスめがけて剣を振り下ろしたが、だが、その剣は鋭い音をたてて弾かれた。
「なんだと!」
「やらせんのだ! ベラナ! ドリスを連れ出すのだ!」
ナダの攻撃を防いだが、己も無理をしたのだろう、槍を手にした男が豚の背から落下しつつ叫んだ。
「わかったわ!」
あっと言う間に目の前で若い女が棒立ちしているドリスを抱え、そのまま反対側から出て行く。
一瞬の出来事にナダですらそれを見送るしかなかった。
「おのれ! 邪魔をしおって!」
「はっ、ほっ!」
ナダの目の前でそいつは地面に片手をついてくるりと回転すると、身軽に立ち上がった。その顔を見たナダは軽い嫉妬を覚える。
「むむむ……貴様、何者だ」
ナダも美天と呼ばれるほどの美男子でイケメンを自負している。しかし、その男は自分に匹敵する容貌ながら、その逞しい体は自分以上に鍛え上げられている。
「ドリスをあのようにしたのはお前か? 仲間として許しがたし」
槍を構え、そのイケメンの目つきが変わった。
「仲間? 仲間だと?」
そう言えば貴天の報告の中には市中を放浪していた時に行動を共にしていた者がいたと書かれてあった。そいつがこいつらなのだろうか。その男の目は尋常でない怒りを表している。
「おもしろい、この私と戦って、無事にここから出られると思うのか?」
「やってみなければわからぬ」
ブヒブヒと豚が立ち去った後には、豚に踏まれて気絶した兵たちが倒れ、ほかほかの糞があちこちで湯気を上げている。
その臭い中ので睨みあう二人。
「その顔、我が魔剣で切り刻んでくれる」
ナダが純白のハンカチで鼻を押さえ、歪んだ笑みを浮かべた。
この程度の糞の臭いがそんなに気になるのであろうか? ボザルトがおかしなものだ、と見えない髭を揺らした時だ。
一陣の風がボザルトを襲った。
「!」
いつの間に踏み込んできていたのか、ナダの挙動は見えなかった。ただ野生の勘がボザルトの身体を動かし命を救った。
「ぐうっ!」
まさにボザルトは息を吐き出しながら身を反らす。槍先でその一撃を弾けたのは単に運が良かったとしか言えないレベルだ。
続けて乾いた金属音が数度に渡って響いた。
「こいつ!」
今度はナダが舌を撒いた。
美天に嫉妬心を抱かせるほどキレイな顔をした男。こいつが思ったよりも強い。
この男、周辺の属国で起きた反乱軍の将など問題にならない強さ。まさに人間とは思えない反射神経をしている。
手足を払うように攻撃しても、まるでそこには手足が無いかのように斬ったと思った瞬間に手ごたえを感じないのである。
「貴様、さては幻影術か? 珍しいスキルを使うようだな」
ナダは唇の端から流れた血を拭った。
攻撃したはずがいつの間にか逆に一撃喰らっていたようだ。
「嬉しいぞ。これほどの使い手に巡りあうとはな! 私は魔王一天衆の一人、美天のナダと言う。お前の名は?」
「我か? 我の名はボザルト! ドリスの集団にして槍の勇者ボザルトだ!」
男はキザにポーズを決めた。
その周囲に薔薇の花が一斉に咲く幻影すら見える。
「恥ずかしげもなく、自ら勇者を宣言するとはますます面白い奴。だが、これで終わりだ! ボザルト!」
ナダが両手で剣を構え、剣に魔力を込めた。
「何か来る」
ボザルトは見えない髭をひくつかせ全身でその気配を感知する。ナダが動いた瞬間、ボザルトは跳躍した。
動かなかったらやられていた。地面が裂け、地面が真っ赤に熔けている。
衝撃で巻き上がった砂塵が顔に当たって痛いが、一緒に飛んできた豚の糞だけは必死に避ける。
ナダが着地と同時に向きを転じ、後方に跳んだボザルトを追ってその剣が再度迫った。
「逃がすか、死ね!」
横なぎに払われた刃が、今度こそボザルトの腹を真っ二つにしたかに見えた。
「!」
ナダは目を疑った。
確かに奴の胴体を真っ二つに叩き斬ったはずの剣は宙を斬っていた。ボザルトは壁から突き出すように掲揚されていた帝国旗を見えない尻尾で掴んで方向転換していた。
「何っ!」
ナダの目にはボザルトが何も足場の無い空中で急に方向を転じたように見えた。そんな事ができるのは高度な魔法か闇術を使う者以外はない。
「どうしてもやる気なのだな!」
ボザルトは尻尾を曲げて反動をつけ、神速の槍を美天めがけて撃ち込んだ。両足の力に加えて尻尾の力を込めた強烈な一撃だ!
ナダは前髪がスパッと切断されながらも、大きく仰け反ってその攻撃を避ける。
「やるなボザルト! 補助魔法か? あるいは闇術を行使したか!」
だが、次で決める! 奴の攻撃はもはや見切った!
次の跳躍に備え、攻撃の予備動作に入りながらナダは後方に着地し、必殺の奥義で奴を切り刻むイメージを浮かべる。
全神経を指先に集中し「これが我が必殺のっ!」と叫ぼうとしたその瞬間だった。何の前触れも無くナダの足元がぬるりと滑る。その体勢が崩れる!
「ふ、糞だと!」
ウンコを踏んだナダは思わず、きったねェ! などと余計なことを思ってしまった。
エレガントでナルシストの美天の悪い癖が出てしまった。もちろん、その瞬間を見のがすボザルトではない!
「!」
血飛沫が上がってナダの顔が苦悶に歪んだ。不覚だ! 豚の糞で足を滑らすとは!
激痛の原因はボザルトの槍先がナダの足に突き刺さった事だ。
「だが、この程度! まだまだだ!」
ナダが槍を抜こうと柄をつかむ。
「済まんな! 実は既に終わっておるのだ」
ボザルトが力を込めると一瞬で槍の先端が青白く光った。
「うぎゃああああああ……!」
槍先に込められた竜殺しの電撃がナダを襲う。バリバリバリ! とナダの全身を稲光が包み込んだ。
しゅうううう……と煙が上がり、美天はゆっくりと地面に倒れた。
煤だらけの顔でチリチリのパーマ頭になったナダが踏み潰された蛙のように砂上に伸びている。
電撃の威力で服もぼろぼろ、パンツ丸見え、しかも前のめりに豚の糞に顔を突っ込んだその姿は、美男子として女の子にキャーキャー言われる美天とはとても思えない。
「済まんと先に言ったのだ。許されよ」
ボザルトはナダを拝むとすたすたと豚の後を追った。
「うぐぐぐ……この屈辱……」
ナダは生きていた。ペッ、と口の中の糞を吐き出すと、その痺れる手を動かした。
まだ勝負はついていない、とポケットの中の珠の感触を確かめてニヤリと微笑む。
これに命じれば、奴らは終わりだ。仲間だと思って救った少女に無残に殺されるが良い。
「ドリスよ、目覚めよ。そして……」
奴らを殺せ、と言わんとした瞬間、黒魂珠がポケットの中で砕け散った。珠は既にボザルトの電撃で壊れていたのだ。
「え? 俺はまだ命令を終えていないぞ」
ナダは手のひらの破片を見て呆然となった。あれ? 俺は最後に何と命令した?
破片をぼんやり眺めるナダの身体に地響きが伝わってくる。
この音はまさか……ナダの目が大きく見開かれる。目の前の大きく開け放たれた扉の向こうから無数の足音が近づいてくる。その地響きで周囲の砂の上のウンコが振動しながらナダの周りに寄ってきた。
「や、やめろ、俺は体が痺れて動けないのだ」
その目が驚愕に見開かれた。
「うわああああああ……!」
再び戻ってきた大牙豚の群れ。
ブヒブヒ言いながら動けない美天ナダに向かってそいつらは一直線に雪崩れ込んで来た!
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