第318話 処刑場のドリス1

 地下の薄暗い牢獄である。

 その簡素なベッドに座ったまま身じろぎもしない影がある。


 「ここか?」

 若い男の声が響いた。


 「はい、この中にいるのがそうであります」

 「抵抗は一切しないのだな?」


 「血まみれの短剣を持って部屋の隅に座り込んでいる所を確保したのであります。一言も話もしない、魂の抜けた人形のような奴であります」


 「魂が抜けた人形とは、的を得た言い方をするものだ。おい、鍵を開けろ」

 「よろしいのですか?ナダ様」

 衛兵は美天ナダを見上げた。標準的体格の兵士ですら見上げるほどナダは背が高い。


 「よし、お前たち、鍵を開けろ」

 ナダが腕組みして無言でうなずくのを見て、衛兵が二人の部下に命令した。

 一人が剣を構え、もう一人が鍵を回すと重々しい乾いた金属音が響いて檻がゆっくりと開いた。


 「ふん、こいつがそうなのか?」

 ナダは特別警戒する様子もなく、檻の中に足を踏み入れる。

 「ナダ様! 危険でございます。こいつはまだ何か隠していると思われます。こいつの魔力反応値は異常です。計測用魔道具が壊れるほどであります」


 「よい、大丈夫だ。心配するな」

 ナダはベッドに近づくと、その頭を覆うフードを剥いだ。


 虚ろな目をした美少女がそこにいた。


 「おい! お前!」

 声をかけてみるが返事は無く、振り返りもしない。まさに生きた人形のようだ。


 「本当にこいつがあのゲ・ボンダを殺したのか?」

 ナダはドリスを見下ろした。


 ナダが一芝居打ってゲ・ボンダに叛旗を翻させ、魔王とゲ・ボンダの双方を一気に排除するという貴天の計略は成功した。しかし、このような少女がゲ・ボンダを暗殺する手札だったとはナダも知らされていなかった。


 「はっ、目撃者はおりませんが、こいつが握っていた凶器とみられる短剣は遺体の胸の傷と一致しております。間違いないかと思われます」

 「そうか。衛兵、こいつを刑場へ連れ出せ。これが命令書だ」

 ナダは懐から紙を取り出すと衛兵に示した。


 一瞬衛兵が怪訝な顔をしたが、書類に目を通すとその表情はすぐに元に戻った。その死刑執行の命令書はまさしく本物だったからである。


 この少女は謀反人のゲ・ボンダを殺した容疑者である。おそらく現場の状況から見れば好色なゲ・ボンダが無理やり少女をベッドに引き入れたが、愚かにも逆襲を受けたということだろう。


 それにしても王を名乗った王族が殺された事件である。正式な裁判があるだろうと思っていたのだが……。

 いや、王朝が交代した現在の魔王国の政治情勢からすれば、前王朝のきな臭い事件など裁判なしで処理すべき事案になっただけの事だ。それは一介の衛兵が口を出せる問題ではない。


 「はっ! ただちに連れてまいります」

 二人の衛兵がドリスの腕を掴むと、足枷を外し、廊下に引っ張り出そうとした。


 「おい、立つんだ! あれっ?」

 「なんだ、これは?」

 ドリスはまるで座った人形のように動く気配がない。それでは、と衛兵らが二人がかりで少女を強引に動かそうとしたが、まるでベッドに張り付いてしまったかのようだ。びくともしないのだ。


 「何だ、こいつは本当に人なのか?」

 「まるで人形だ」


 やはりそうか。そうだろうな。

 ナダはポケットの中の丸い珠を指先で転がした。こいつの意識は今ここに囚われているのだ。


 貴天に教えられるまでは信じがたい話だったが、この少女は例の暗黒術師の3姉妹の一人を元にして造られた人工生命体なのだという。


 帝都の地下施設でこの人工生命体を大量に生産し、最強の暗黒術師の軍団を作ることが計画されたが、様々な問題が発生したため計画は中断し、その責任者の科学者も少し前に行方をくらませたままであるらしい。


 つまり、まだ全ては実験段階であり、この人工生命体を外部から操作する唯一の手段は黒魂珠と呼ばれるこの魔道具である。しかもそれは貴天に手渡されたこの一つしか未だ完成していないという。


 あのゲ・ボンダを確実に殺すため、貴天が切り札として黒魂珠を起動させた。いったん珠が起動すれば、ターゲットになった人工生命体は自我を珠に封印され、命令に忠実に従うだけの人形と化す。


 つまり今はゲ・ボンダを殺せという命令以降、何の命令も発していないため動かないのだ。


 ナダはポケットの中で珠をつかんだ。


 「ドァリス、立ち上がって、そのまま刑場に出るんだ」

 珠を握ったままナダが命じると、仮面のような顔つきのドリスはすうっと自ら立ち上がり、目を丸くした衛兵の前を歩きだした。


 「諸君、刑場に向かうぞ。王族殺害の罪でこいつの刑を執行する」

 ナダは目の前を通り過ぎる美しい少女を見つめた。


 貴天の話ではこの個体は2番目に製造されたもので、初号体のような無差別の破壊行動と錯乱状態には陥らなかったものの、やはり覚醒直後から行動制御に難があった。何より自我があったのが問題で、黒魂珠を起動する前はどこかに逃亡していたらしい。


 美天ナダにしてみれば、武器として必要のない自我が見られるという点で、既に欠陥品である。

 貴天の言葉によれば、こいつもいつ暴走するか分からないため、早々に処分する必要があるという事だった。


 だが、こいつの処分を急ぐのは貴天にとっても何かまずいことがあるからではないのか?

 貴天はまだ何かを隠している気がする。そう言えば貴天の側で時折見かけるようになった美女も”人形の姫”と呼ばれていた気がするな。……ナダは前を静かに歩く少女の後ろ姿を見ながら考えた。


 「もしかするとこいつを調べれば、いずれ貴天を追いおとす手札になるかもしれないが……」


 「何かおっしゃられましたか?」

 衛兵が怪訝な顔でナダを見上げた。


 「いや、何でもない」

 貴天を追いおとすにしても今はその機会ではない。魔王に就任したばかりで何の落ち度も見えていない。自分が貴天にとって代わるには準備不足だ。今は貴天の忠実な僕として行動しておくべき時なのだ。



 「開門せよ!」

 先頭を行く衛兵が叫ぶと、前方の黒い扉が重々しく開いた。


 地下刑場の天井の魔光石は既に点灯している。そこは多くの囚人の血で染まった砂が敷かれた大きな地下空間で、昔から政治犯に対する刑を執行してきた極秘の刑場である。


 「さあ、中央に立て」

 ナダの声を聞いてドリスは両手を縛られたまま刑場の中央に立った。


 「衛兵、入れ! 処刑を執行しろ」

 その声に脇扉から慣れた様子で十人の弓兵が入ってくる。


 「それでは、準備完了でございます。通常処刑を執行いたしますか?」


 「やれ」

 美天ナダは冷たく笑った。

 「弓兵構え! …………放て!」

 衛兵が声を上げると、十人の弓兵がドリスに向かって矢を射た。


 恐ろしい音を立てて矢がドリスを襲う。

 確実に死ぬ!

 誰もがそう思った瞬間、信じられないことが起きた。

 全ての矢が空中でぴたりと停止し、カラカラと音を立てて地面に落ちたのだ。


 「何だと! バカな!」

 弓兵が声を荒げた。

 「不思議な魔術を使いおって! 四方から取り囲め、再度一斉射だ!」

 ばらばらと弓兵がドリスを取り囲む。


 「撃て!」

 矢が風を切った。

 鮮血が刑場を汚した。


 「ぐえええええ……!」

 四方を取り囲んでいた弓兵たちが次々と倒れていく。ドリスを貫いたと思われた矢はドリスの体を素通りして反対側にいた兵に当たったのだ。


 「ば、ばけもの! ナダ様! こいつは化け物ですぞ!」

 衛兵たちは青ざめた。


 「やはりな。攻撃に対しては無意識でも防衛機能が発動するのだな」

 ナダはにやりと笑った。


 「どうせ実験体だ。今後の参考にいろいろと調べさせてもらうぞ。おい、次は魔法による刑を執行せよ」

 「え、ナダ様、ですが」

 「いいからやれ。それとも私の命令が聞けぬと申すか?」

 その恐ろしい目が衛兵の肝を冷やした。逆らえばどうなるかわからない。


 「次だ! 負傷した弓兵を救護し、代わりに魔術師を入れろ!」

 刑場に緊張の色を隠せない魔術師が3人入ってくる。さきほどの惨劇を別室で見ていただけに処刑相手がただ者ではないことがわかっている。相手は少女のくせに無詠唱で矢を落したり、すり抜けたりする者なのだ。


 「それぞれ、一番得意な属性魔法で刑を執行せよ」

 ナダが命じた。


 魔術師たちは互いに顔を見合わせ、覚悟を決めたようだ。


 「火球弾!」

 「雷矢!」

 「風斬り!」

 凄まじい熱風と稲光、最後に風の刃が刑場に荒れ狂った。


 「やったか?」

 衛兵の顔は見る見る恐怖に変っていく。

 攻撃したはずの3人の魔術師が逆に一斉に口から泡を吹いて気絶した。一体何があったのか誰にも皆目見当がつかない。


 そして相変わらず何事もなかったかのように刑場の中央には無傷の少女が人形のように立っている。


 「おもしろい。おもしろいぞ!」

 ナダはその光景に興奮を隠しえない。

 久しぶりに血がたぎる。


 ナダは腰の魔剣を抜いた。これまで何人もの敵将を切り殺してきた刃が青白く光った。


 「この娘は私が直にこの手で葬ってやろう」

 その魔剣は殺した相手から術やスキルを奪うことができるという邪剣である。


 これほどの者である。一体どんな術やスキルを得られるのか。ナダはニヤリと笑みを浮かべ、ポケットの中で珠を握った。


 「一切の反撃を禁止する、抵抗するな」

 そうつぶやくとナダは凶暴な狼のようにドリスに斬りかかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る