第100話 誤解と災難
「カイン様、申し訳ございません」
アリスは頼まれていた薬をイリスに渡すとすぐに口を開いた。
中庭のテーブルでお菓子を食べていた俺たちの手が止まる。
アリスは深々と頭を下げたままだ。
「どうした? 何も悪い事はしてないぞ。そんな事はしなくていい」
「これから起きるかもしれません」
俺とオリナは顔を見合わせる。
「実は、薬を受け取りに行った際に、カムカム様の一行と会ってしまい、後を付けられたようです。尾行者を巻くこともできましたが、かえって不審に思われるのもなんですし。狭い村ですから、ちょっと聞き込みされればすぐに私の居場所はバレてしまいますので、そのまま放置してきました」
ガタン! と音がして、オリナが立ちあがっていた。
「認識阻害の術を使っていたので大丈夫と思っておりましたが、カムカム様はそれに対抗できる魔導具を身につけておられたようです。確認しておかなかった私のミスです」
「父上の悪い癖がまた出たのね。アリスのせいじゃないわ。でも困ったわね」
「ここにいるのが君だとバレたらまずいな」
俺はオリナを見つめた。
深刻な顔をしているとサンドラットとリサが畑から戻ってきた。
「カイン! 見てーー。大きな夏芋だよーー」
「リサが面白がって掘るのを止めなくてなー。ついついこんなに収穫しちまったぜ」
サンドラットは抱えきれないほどの芋を見せた。
「ん? どうした? 何かあったのか? カインにしては珍しく深刻な顔だな。なあ、アリス?」
テーブルに芋を置いてアリスの顔を見る。
アリスは困ったような顔をした。
俺は事の経過を説明した。
「セシリーナ嬢の親父さんがかなり貴族の義務に忠実だという話は聞いていたが、俺が先に目を付けたアリス嬢に色目を使うとは、むむむ……どうしてやろうか」
「乱暴はやめてね、一応、父なんだから」
オリナが慌てて止める。
「とにかく、これ以上カムカム一行に目を付けられるのはまずいだろう。どの程度の接触を図ってくると思う? セシリーナ」
「アリスを見初めたというのなら、部下にアリスの身辺調査をさせるでしょうね。父は行動派だから、こっそり見に来るかもしれない。屋敷に来るとすればその後、早くて2日後ね。いずれにしても3姉妹には当面の間、姿を隠してもらった方がよさそう。イリスやクリスまでいると分かれば、3姉妹の正体に勘づくかもしれないし、どうなるか分かったものじゃないわ。もちろん、私やリサも隠れるわ」
「わかった。明日からそうしてくれ。俺とサンドラットは今から手分けしてカムカム伯の様子を調べよう」
「ふふふ……俺のアリスには指一本触れされないぜ」
おおう、何だかサンドラットが怖いぞ。背後に炎が立ち上っているのが見えそうだ。
すぐに俺とサンドラットは手分けしてカムカムの動きを探ることにした。
屋敷を出るとすぐに気づいた。向かい側の通りの角からこちらを伺う男がいる。どう見ても怪しい。あいつがカムカムの手先であることは間違いないだろう。
俺は気づかないふりをして通りを左に曲がって歩いて行く。
この先はこの前オリナとリサが襲われた風車のある建物の通りに続いている。後ろの男は追っては来ていないようだ。
やはり目的は女、アリスの動行か。
念のため、俺は途中で路地裏の小道に入る。
大通りと並行して走っている道で、大通りに面した屋敷の裏側にあたる。
大通りと違って生活感が濃い路地で、洗濯物が建物から建物に紐を渡して干してある。所々に細い十字路があってそこを抜ければ大通りに出るか、反対の村はずれの方向にも行ける。
俺は村はずれのほうに向かった。
やはり後を付けてくる者はいないようだ。
「偵察を兼ねて、このままカムカムが出て行ったらしい入り口の方に行ってみるか」
畑との境になっている木柵沿いの道が東へ続いている。さほど大きな村ではないから、この辺りには家もぽつりぽつりしかない。やがて東側の木柵が見えてきた。あの角を曲がって行けば村の東入口になる。
角にある屋敷にも大きな風車が付いている。蔵も見えるし、かなり金持ちのお屋敷らしい。
風車の羽に数人の人影が見えた。
羽の一枚を分解しているのだ。収穫に備えて今の時期に風車の手入れをしてるのだろう。道端には修理用の新しい木材が積まれている。
「風車を直すのは技術がいるだろうな」
東の大陸でも風車は見ているが、中央大陸のものは形状が異なっていておもしろい。天辺が妙に呪術的な装飾性に富んでいるのは魔術が広まっている土地柄だからだろうか。
質実さを好む故郷アベルーロの建造物とはだいぶ違う。どちらかと言えば北方諸国の妖精の街の建物に雰囲気に近いものがある。
俺は資材の近くで立ち止まってその作業を眺めた。
材木には先が曲がった刃物が突き立てられたままだが、大工道具もだいぶ違うようだ。
「これで木の表面を平らにするんだな。これならドメナスの道具の方が進んでいるかもしれないな」
この国では主に石材やレンガで壁を立てるが、東の大陸の南部では森林資源が豊富なので木材を大量に使う。その差が道具の発達にも影響しているようだ。
俺は何気なくその道具に手を伸ばした。日雇い経験の癖で、見たことのない道具があるとその重さとか、握りやすさとかが気になる。
「!」
その資材の影にしゃがんでいたのか、ひょっこり誰かが立ちあがった。
花の飾りをつけたウエーブのかかったブロンドの長髪を軽く首の後ろで縛っている。丸い大きな目は猫科の動物のようだ。少し厚い唇は情熱的な印象を与える。
魔族の娘である。煤で汚れた顔を上げた瞬間、俺と目があう。
汚れを落して化粧をすれば、村一番の美女と言えなくもない。
その目に凶器を手にした男の姿が映し出される。刃物を手にした不審者がニヤリと笑うのだ。
「お! お前は……」
その娘はいきなり俺を指差した。俺を知っているかのような口ぶりだ。
「お前は、例の変態男! ……大変! へ、変態が出たわ! ……変態、変質者よ! 凶器を持ってる! だ、誰か来てよ! ネルドル! クリウス、誰かいないの!」
急にとんでもないことを大声で叫ぶ。俺は慌ててその大工道具を落とした。
「ゴルパーネ、大丈夫か! 俺の後ろに隠れろ! むっ、こいつが例の変態か!」
俺の目の前に筋肉隆々の逞しい男が駆け込んできた。
彼女の前に立ちふさがった男は、その逞しい体格と裏腹に顔は少し小顔のイケメンである。
「こいつよ! ネルドル! こいつが噂になってた例の変態よ!」
「間違いないか? 思ってたより弱そうな奴だが」
「間違いないわ! この通りの先が例の現場だから、また人通りの少ないこの道に戻ってきたに違いないわ! 私が股間に一撃をお見舞いして確かに退治したはずなのに!」
ああ、本当だ。こいつだったな。あの時俺の股間に一撃を食らわせた女は……。うっ、玉の痛みが蘇ってきた。
「貴様、覚悟はできているだろうな! またもゴルパーネに近づいた事を後悔させてやる。この変態め!」
睨む顔が男前だ。
「図星のようだな」
しまった顔に敗北感が出ていた。
「ち、違う!」
男の背丈は俺より頭一つ高い。筋肉は発達して強そうだ。だが敗北感はそこではない。顔だ。その魔族の男のイケメンぶりは比べるまでもなく、俺の完敗だ。
圧倒的に凛々しい顔立ちをしているし、全体的に大柄で非常に男らしいというか、筋肉隆々、何か拳法でもやっていたのか、見る者にまさに
「ま、まて、何か勘違いしている!」
男のその迫力に、俺は腰が引けた。おどおどし始める。
何か取り繕おうとするが思いつかない。
だが、その態度がいかにも怪しい。怪しさ満点だ。変に腰がひけたり戻したりしているので、はたから見ると腰を前後に動かしているように見える。
俺は救いを求め、間違ってゴルパーネを見る。
「貴様、何をじろじろとゴルパーネを見ている! その嫌らしい目つきと腰つき、その邪な顔つきとすぐ脱げそうな緩いズボン! さてはゴルパーネに欲情して変態的な行為を企んでいたな」
男は資材置き場にあった長い棒を掴んだ。
「お、俺はただ、たま、たまたま」と思わず口ごもる。
「玉だと! こんな路上で己の玉々を見せようとしたのか! わかったぞ、無垢な少女に下半身露出してしがみつき、無理やり服従させて連れ去るという凶悪犯はお前だな!」
「そうそう、そうかもしれないわ! この前、倒れている少女の前で全裸だったのがその証拠よ! やっぱり、この人族はヤルことしか頭にない、悪い変態なのよ!」
ゴルパーネという娘も輪をかけてひどい事を言うが、悪い変態というのは何だろう? 良い変態というのもいるのか?
ネルドルは長い棒を右手に持ち、近づいてくる。
「や、やめておけ! 俺に手を出すとひどい目に遭うぞ」
俺は虚勢を張って身構える。
婚約紋の力を考えるとあながち虚勢とも言い難いのが怖いが。
「お前を叩きのめして、今度こそ逃げられないように捕まえて警邏隊に差し出してやる」
ネルドルは真面目な顔をしてにらむ。
いやいやいや、それは困る。事実、俺は脱獄囚なのだ。帝国兵に差し出されて調べられたら一発で首が飛ぶだろう。
「死ねえええ!」
ネルドルが思い切って棒を振り下ろした。
「うわっ! 危ねえ!」
よけた地面が抉れて路面に穴が開き、小石が弾け飛ぶ。
捕まえると言ったくせに、いきなり「死ねえ!」はないだろう。しかも手加減なしの馬鹿力、その威力なら即死だ。というか殺す気満々だろう。
「頑張って! ネルドル!」
ゴルパーネが黄色い声を上げる。
頑張らなくて良いから!
俺は逃げる、道に穴が開く。俺は逃げる、またも道に穴があく。
「ちょこまかと逃げ足が速い奴だ」
ネルドルという男も大概だ、見た目は強そうだが、戦闘訓練は未経験なのだろう、素人丸出しで、武器の扱いは俺並みにへたくそだ。
「もうちょい右! そこ! ああ、惜しい」
ゴルパーネのテンションが上がる。
惜しくないぞ、当たったら大ごとなのだ。
「やめろっ! 俺は無実だ! 俺はそんなことをする変態じゃない!」
俺としては、よく変態のレッテルを貼られるのが不本意なのだ。息が上がってくる。相手が大柄なので逃げ道が少ない。
何とか、一撃をよけたが背中に柵が当たる。
しまった、追い詰められた!
脂汗が流れる、死を前にして全身の神経が敏感になっている。鼻がひくつく、何か臭いような気がする。俺はその臭いの正体に覚えがあった。春先の畑での日雇い作業の思い出だ。
「疲れが見えるわよ! 一気に押し込んじゃえ!」
「おう! 任せろ!」
ネルドルが突っ込んでくる。
「ば、馬鹿! やめろ! ここはまずい!」
ネルドルの大きな手が俺の胴を掴んだ。
「捕らえたぞ!」
凄い力でゲロが出そうだ。そのまま勢いが止まらず、俺を巻きこんでネルドルの体が柵に突っ込む。バリバリと柵が壊れる音がして、ゴルパーネが何か叫んだ。
どっぼーん!!
黄褐色のしぶきがあがった。
生温かい滑りと強烈な悪臭!
「ぶええええ!」
ネルドルが口からそれを吐きだす。
「ぐえええ!」
俺は息を止めていたが、水面に出たとたん、流石にその悪臭に涙が出る。
肥溜めだ!
石組みの池に、畑に撒くための糞尿がたっぷりと蓄えられていたのだ。
「ネルドル! 大丈夫、く、くっさあああ!」
心配顔で駆けよったゴルパーネが鼻を摘まんでその場から一歩も近づけなくなった。
とんでもない災難だ。
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