第187話 ドリスとボザルト、洞窟を行く

 「おかしいぞ? われが道を間違えるわけはないのだが」

 ボザルトは小首をかしげた。尻尾が小刻みに左右に揺れているのは思案中という感情の現れなのだろう。


 その狭隘な洞窟の道は地下水脈に繋がっていた。

 目の前にかつては無かったはずの地下の川が轟々と音を立てている。


 裏道は峡谷に続いていたはずだったのだが、いつまでたっても峡谷にでない。考えられるのは、地形が変わってしまったということくらいだ。


 「ボザルト、このまままだ進むの? ずっと下り道だったけど」


 「うーーむ、この道は必ず続いているはずなのだ。心配ないぞ。多分、こっちの穴だろう」


 戻るに戻れず二人は迷路のような洞窟をさまよっている。地下水に進路を阻まれ右に行くか左に行くか悩んだのは何度目なのか。


 今もまた人がかがんでやっと通れるほどの心細い穴が奥へ奥へと続いている。


 「水が流れていくという事はどこかで地上につながっているのだ。かつては確かに地上に続く道があったのだ。心配するでないぞ。我を信じろ」

 「もちろん、信じてる」

 ドリスは微笑した。


 野族を毛嫌いしない人間などそうそういないはずなのに、ドリスを見ているとそれをつい忘れてしまう。


 「ならば付いて我の後ろを付いて来るのだ」


 二人は灯りもつけずに歩いているが、二人が進む洞窟は真っ暗ではない。

 魔石の成分を多く含んだ青い鉱脈が壁に走って仄かに光り、そのごつごつした地面を照らし出しているのだ。


 二人は協力して冷たい小川を渡り切った。


 「おお……」

 やがて先導する野族ボザルトの尻尾が左右に振れた。


 「見よドリス、この先に広い場所がありそうだぞ。あそこで少し休憩しようぞ」

 「うん、わかった」


 「ここに座るが良いぞ、今、暖を取ろう、さっきの地下水で足が冷え切ったであろう?」


 ドリスが岩に腰を下ろすのを見ながら、ボザルトは拾ってきた小枝に火をつけ始めた。

 カチカチとナイフの背に石を打ちつけて火を起こす。


 「ケホッ、ケホッ、ゲオッ!」

 「大丈夫か? ボザルト?」

 「問題なしなのだ」


 涙目で顔を上げたボザルトの方に煙が動く。逃げてもなぜかボザルトの方に煙がたなびく。

 

 「ブヘッ、ゴホゴホ……」


 再びむせるボザルトを尻目に、沸き上がった煙は洞窟に吸い込まれるように昇って行った。やはり洞窟はどこかで地上に繋がっているようだった。


 火がつくと二人は焚き火に足を投げ出した。芯から冷えた足に心地よい温もりだ。


 「次はこれだな」

 「ところで、それは何なの?」

 ボザルトが腰の袋から何かを取りだし、火にくべ始めたのをドリスは面白そうに見ている。


 「これはな、老砂球という実の一種を乾燥させたものでな。おいおい、まだ焼けてないぞ。落ちつきのない娘だ。人族とはこういうものなのか」

 ボザルトは興味本位でドリスがつついて転がり出た実を再び火に戻した。


 「そろそろかい?」

 「まだだ」

 「もういいだろう?」

 「まだだ、まったく、我慢のない奴だな、我のような大人は何があっても余裕があるのだ」


 バチン!

 ぎゃああーーーー!

 火の中で何か弾けた。

 覗いていたボザルトの鼻に当たったのだが、その絶叫と跳ね回るボザルトのオーバーリアクションにドリスがぎょっとする。


 「今のは、火の神への感謝の踊りだ。けしてびっくりしたのではないぞ」


 ボザルトは鼻頭を掻きながら、今度はもう一つの袋から小壺を取り出し、付属の小さな杯を2つ地面に並べた。


 「それは、いったい何なの?」

 「茶だ。草原コケモモの実を乾燥させたものを煮出したものでな、疲れを和らげる薬のような効果があるのだ」

 そう言って、杯を赤い汁で満たす。


 「そろそろ良いぞ。いま我が取ってやるから見ておれ」

 そう言うとボザルトはたき火に向かって槍を構えた。


 「我が、天啓の槍さばきを見るが良いぞ!」

 何か意味があるのか、妙なポーズを決めたボザルトが火を槍で突く。


 「見よ! どうだ!」

 槍先にちんまりと焦げた実が刺さっている。


 「ほら、早く手を出すのだ」

 ドリスが両手を出すと、ほいっと実を落す。

 熱そうだが意外に熱くはない。


 「槍で刺したところから皮が剥ける。中の実を食するが良い。ただし、大人にはこの無残な味が身を震わすのだが、お子様には酷だろう、良いか、一口で飲みこむのだぞ」


 ドリスがそれを口に咥える。

 右の頬が膨らみ、左の頬が膨らむ。


 「んんんん!」

 突然ドリスが顔をしかめた。よほど、苦いのか、辛いのか、まずいのか。


 「ばか、早く飲みこむのだ!」

 ボザルトがその背をさすって茶を手渡す。

 飲みこんで茶で口直しをしたドリスが笑った。


 「ああ、これは美味かった! この舌が痺れるような、吐き気を催すような感覚がねえ」


 「まったく、お前ってやつは、見ておれ、大人はこう食すのだ」

 そう言って槍で突いた実を頬張る。


 んぐぐぐぐ! 目が白黒するが、さっきドリスはこれにしばらく耐えた。俺は大人だ、もうちょっとは耐えられる。


 これこそ大人というものだ。

 ゲホッ! ゲホゲホゲホッ!

 ごくりと飲み込み、慌てて茶を手にしたあげく盛大にむせ返った。


 「よしよし」

 ドリスに背を擦られ、口から涎をだらだら零しながらも大人の余裕の表情を見せる。


 「どうだ……こ、これが、大人の食事というものだ。うっぷ、どうだ、スゴイであろう?」


 「凄かった。ボザルトが死ぬかと思った」

 ドリスが笑っている。


 その笑顔に一瞬見惚れたボザルトだったが、すぐに表情が変わった。鋭敏な感覚が嫌な気配の接近を感じ取ったのだ。


 「ドリス! 用心しろ、下からだ!」

 そう言いながら、砂をかけて火を消すと、下方に続く闇をにらみながらボザルトは槍を取った。


 「何? 何か来るの? 来るの?」

 ドリスはわくわくしている。


 「じっとしていろ! 仲間のドリスはこの俺が守るのだ!」

 ボザルトはその背でドリスを庇うように立ちはだかった。


 バサバサバサ……と羽音が響き、突然周囲を黒い影が飛び交った。


 「うわっ! こ、これは、吸血蝙蝠だ。しっ、しっ! あっちいけ! こいつに噛まれると恐ろしい事がおきるのだ」

 ボザルトが見事な槍さばきで蝙蝠を叩き落とした。


 「恐ろしい事?」

 「おお、なんでも我のようにカッコいい野族が月夜に残念な人間になってしまうとか。さあ、走るぞ。我に続け! 蝙蝠がいるということは出口が近いに違いないぞ」

 ボザルトがドリスの手を引いて駆けだした。


 細い枝道を右に左に走り抜け、どこまで下りたのか、不意に二人は天井の高い大きな空間に飛び出し、急停止した。


 「もう、追ってこないようだな。まったく厄介な連中よ」

 ボザルトはめくれたスカート風の服を直した。


 「ボザルト、ここはどこ?」

 ほつれたスカートの裾を気にしていたボザルトだったが、ようやくそこに見た事もない光景が広がっている事に気付いた。


 地下に広がる大空間である。

 天井は高く、青白く光っている。外で言えば朝方のような明るさだ。どうやら天井や壁には無数の水晶のような魔石が含まれているようだ。


 二人は崖に開口した洞窟の出口に立っていたのである。

 おお、危なかった……もう数歩前に出ていれば崖から落ちていたところだ。目の前に千尋せんじんの谷が口を開けている。落ちれば命はないだろう。


 「ここはな、そう、水晶洞窟だな」

 たった今、ボザルトは見た目でそう決めたのだ。ここの名前は水晶洞窟だ。それでいこう。


 「さすが、ボザルトは物知りだ」

 ほへーー、とドリスは子どもっぽい尊敬の眼差しでボザルトを見た。


 「こっちの脇から崖を下りることができそうだ。行ってみるか?」

 「もちろんだ。行くに決まっている」

 ドリスはどこかうきうきしている。


 その姿にふっと笑って、思わず髭を立てたボザルトは崖際に続く細い道を一歩一歩確認するように下りはじめた。

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