第186話 <<サンドラットの湯 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 「ふう、気持ちいいなぁーーーー」

 サティナは裸で思いっきり手足をのばした。


 久しぶりのお風呂。

 簡単な屋根が載った巨岩をくりぬいて作られた湯舟には少しぬるめの温泉が引き入れてある。


 サンドラットの里には怪我を治すための温泉施設があるが、ここはその中でも特別な者だけが入ることのできる湯である。


 ほぼ無色透明に近いお湯をすくって腕にかける。これには肌がすべすべになる効果がある。サティナは最近発達が著しい豊かな胸の谷間に、窮屈そうに挟まっていた大事なクリスタル製のペンダントを取り出した。


 「…………」

 肌身離さず大切にしているその中には、カインを写した視紙が封じられている。


 カインと過ごした王宮での日々は楽しかった。お堅い王宮の連中と違い、庶民に近いカインの反応はあまりに新鮮だった。カインの言動はいつも目からウロコだったし、サティナを特別扱いもしなかった。


 「それに、誰よりも優しかったな」

 サティナは愛おしいそれにキスをする。


 「ああ、もう、本当にカインが大好き!」


 カインと裸で抱き合った昔のことを思い出し、少し顔を赤くして身悶える。

 カインの逞しい肉体、その匂い、温かさ……。思い出しただけで身体の芯がうずく気がする。


 「うわぁーーーー恥ずかしい!」

 何度も夜這いをかけたことを不意に思い出してしまった。

 母である王妃の助言に従っただけとはいえ、かなり大胆な事をしたのが今になってわかる。サティナもそんなお年頃になったのだ。


 「あの時、あのままカインが狼になっていたら今頃はどうなっていたかしら? いやいや、考えちゃだめ」

 もわもわと今になって様々な妄想が湧き上がってくる。恥ずかしい想像をして鼓動が速くなる。


 でもカインと結ばれれば、とても幸せになれる、それだけはなぜか確信めいている。


 ともかく大貴族連中の誰かの妻になるよりはずっと良い、きっと天と地ほどの差がある。


 それにカインとの夜は凄いらしい。

 妖艶で肉感的なマリアンナはともかく、あの清純そうなナーナリアさんまで顔を真っ赤に染めて「凄い、凄い」って言うんだから間違いない。


 「カインに抱かれると果てしない天国って、どんなのかな……」

 もう何も知らない無垢な幼女ではない。抱かれると言う意味も分かる。

 ぶくぶくぶく……と鼻までお湯に沈んで、サティナは恥ずかしさを紛らわした。


 その時、パタパタと廊下を走る足音が聞こえてきた。


 サティナは慌てて少し赤くなっていた顔をバシャバシャと水で洗ってごまかした。


 「サティナ姫! 来客でございます」

 廊下からマルガの声が聞こえた。


 「わかった、今行くから。少し待たせてちょうだい」

 そう言ってサティナ姫は湯船から上がり、まとめていた黒髪を降ろした。



 ーーーーーーーーーー


 「姫様、お久しぶりでございます」


 サンドラットの湯から館に戻ったサティナの前に懐かしい顔があった。魔獣討伐戦で第一軍にいた騎士マクロガンと騎士見習いで通信士のカルバーネの二人である。


 「二人とも、元気そうでなによりです」

 サティナは姫としての威厳を保つため再会がうれしいという感情を極力見せないようにしつつ微かに口元を緩めた。


 「彼らは、本国からの書簡とラマンド国王からの密書を持って来ました。それと姫に口頭で伝えたいこともあるとのことです」

 マルガがそう言って2つの封書をサティナに手渡す。


 「ご苦労さまでした」

 サティナはさっそく密書を開いて目を落とす。その表情に変化はない。おそらくその内容は姫が思っていたとおりなのだろう。


 「マルガ、里長たちにこのラマンド国王からの密書の内容を伝え、至急、里長会を開くように言ってください」

 「はっ」

 そう言ってマルガはサティナから開封されたばかりの封書を受け取った。


 「それで、マクロガン、口頭で伝えたいこととは何かしら?」

 「はい、姫から調査依頼のありました、魔族の女、ニロネリアと申す者のことです」

 マクロガンは膝をついたまま見上げる。


 「何かわかったの?」

 「ええ、ニロネリアという人物は中央大陸における先の大戦の折に指揮官の一人だった魔族で、魔王国の幹部です。魔王二天のニロネリアと言うそうです」


 「魔王国ですと!」

 マルガは驚いてサティナを見た。サティナは「そう……」とつぶやくなり何か考えこんだ。


 沈黙が続く中、やがてサティナは口を開いた。


 「魔王国の幹部が海を渡って、手を出してきたと言う事は、魔王がこちらの大陸への侵略を計画していると見なしていいでしょうね。これはただならぬ事態です」


 「それでは今回の東マンド国の動乱も魔王国の差し金ですかね?」


 「ええ、間違いなくその布石の一つでしょうね。これが事実なら、なおさら東マンド国の暴走を止めなければならないわ。大戦後に中央大陸で起こった出来事を思えば、魔王国に占領されたら私たち人族はどうなるか、わかるでしょう?」


 「ムムム……、姫、これは予想以上の事態ですね」


 「これで私の気持ちも固まったわ。魔族の暗躍はともかく、国同士の問題にはあまり関わらないようにしなければと思っていたけれど。これが魔王国の計画だとすれば、ここで奴らの陰謀をつぶさないと、中央大陸の二の舞になってしまうかもしれない」


 「では本格的に動きますか?」


 「ええ。里長会議にはメルスランド王子も参加するように伝えて。あと、今からラマンド国王にも伝書を書くわ」


 「はっ!」


 「マクロガン、カルバーネ、二人にはここでやってもらう事があるの、ちょっといいかしら?」

 「畏まりました」

 二人は頭を下げた。



 翌日、ムラウエの案内でメルスランド王子の近衛ヘビンとマルガが一緒に東へと旅立った。サンドラットの里とサティナの密書を携え、ラマンド王宮へと向かったのだ。


 『ガゼブ国の瓦解前に旧諸国連合とラマンド国が同盟を結び東マンド国逆包囲網をつくる。ぜひその一翼を担ってほしい』というラマンド国からの求めに応じ、その包囲網にサンドラットの里が協力することを正式に伝えるためである。


 その使者としてメルスランド王子の近衛ヘビンが同行することには重要な意味がある。


 同盟国の動きに東マンド国の目が釘付けになった隙をついてサンドラットが西で蜂起するのだ。

 ただの蜂起ではない。匿っていたメルスランド王子とリナル国王女フォロンシアを奉戴し、王子の復権と王女の故国奪還を宣言して西から東マンド国に圧力をかけるのである。


 王子が東マンド国の王となり、リナル国を王女が継げばこの混乱は収まるだろう。それがヘビンの思惑である。


 そして、ムラウエにも思惑があった。


 包囲網に参加し王子を王位に就かせる見返りとして、サンドラットの里を西砂漠の一つの国として周辺諸国に認めてもらう。

 その手始めにラマンド国を口説き落す。それこそムラウエが案内を買って出た真の狙いであった。

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