第345話 ドリス、そしてボザルトとベラナ

 林の奥から白い煙が上がり、やがて肉の焼ける臭いが周囲に漂ってきた。


 ボザルトたちはたき火を囲んで昼食の準備中だ。


 やっとドリスの体力が回復したので蛇人族の国に戻ろうとクサナベーラに別れを告げたのは良いが、帝都には妙に不穏な気配が漂っていた。

 それをボザルトが野生の勘で敏感に察知し、三人は帝都をぐるりと迂回して、ようやく黒鉄関門が見える森まで戻ってきた。


 「早くしなさいよ。お腹がすいて私が死んじゃうわ」

 ベラナが腕組みしてボザルトの背後に仁王立ちしている。


 「あちっ、あちっ、待つのだ。そんなに急かすと肉を火に落としてしまうのだ」


 ボザルトは腰の短剣で切り刻んだ森の黒猪肉を枝に刺して焼いている。枝が先に焼け落ちては意味がないのでボザルトは手に持って肉を火であぶっている。その肉汁の油が垂れてきて、手に持っているととにかく熱いのだ。


 ドリスの腹がくうう……と鳴った。


 「ほら、見なさいよ。ドリスだってお腹が減っているのよ!」

 「あ、大丈夫よ、ベラナ。私は大丈夫だから。そんなに急かしたらボザルトが可哀想よ」


 「そうなのだ。可哀想なのだ」


 「何を言うのよ。あんたはできる男なのよ! 槍の英雄じゃないよ!」

 「今は槍は関係ないと思うのだが……」

 

 きゅうう……今度はベラナのお腹が鳴った。

 ベラナは恥ずかしかったらしく仁王立ちのまま顔を赤くした。


 「ほら、焼けたぞ。食べて元気をつけるのだ。ドリス。ベラナの分はこっちだぞ」

 ボザルトが二人に串焼きを手渡した。


 「うわぁ! おいしそうじゃない!」

 「うん、これはおいしそう」

 二人の目が輝いた。


 「まだまだ焼くのだ。いっぱい食べるのだぞ」

 ボザルトは新しい枝に次の肉を突き刺した。


 「ん? どうしたの?」

 ドリスが肉を噛みちぎったベラナを横目で見ていた。お腹がすいているはずなのに、すぐに食べようとしない。


 「ああ、そうよね! 今回は大丈夫よ。味付けもボザルトだから安心して」

 “無事に” 何もしなかったベラナが少し自慢気に言った。数日前にベラナが調理した料理でボザルトとドリスは酷いめにあったばかりなのだ。不安になるのも当たり前だった。


 「ありがとう」

 ドリスは穏やかに微笑んだ。


 良かったのだ。

 ドリスに笑顔が戻ってきたのである。

 ボザルトは焚き火であぶっている肉をひっくり返し髭をぴくぴくさせた。


 王宮の地下からドリスを救出してクサナベーラの屋敷に運んだ時はまだ人形のようだった。クサナベーラの招いた医者が魔法的治療を施して感情が戻ったのだが、それでも以前のような活発さはなかった。


 それが三人で野宿しながらここまで来る間においしい空気と緑に触れて癒された効果が出て来たのか、ベラナが得意げに作った料理の凄まじい味で我に返ったというか、強い刺激で脳みそをぶん殴られたせいなのか、ドリスは感情をほぼ取り戻したようだ。


 「あと少しで例の黒ナントカ関門よ。なんだか少し前に大きな戦いがあったらしいじゃない? 通り抜けられるかしら? ミサッカさんから何か聞いたかしら?」

 ベラナは肉をかじりながら、ボザルトの尻尾がぴくっと硬直するのを見逃さない。


 「一般人でも通行できないらしいのよね」

 ベラナはボザルトが調理している間に街道を逃げてきた帝国兵が集まっている野営地に潜りこんで色々と情報を集めてきていたのである。


 「ミサッカはな……、いいこと! 無事にドリス様を国元まで送り届けなさいよ! と目を吊り上げてにらむから怖いのだ。あまり連絡したくないのだ」

 ボザルトは腕輪をそっと隠した。


 「まさか連絡していないんじゃないでしょうね?」

 ベラナが手を止めた。連絡していないと言ったら殺されそうだ。ボザルトは尻尾を震わせた。


 「ほら、調理で忙しかったから今日はまだ連絡していないのだ。これからするのだ」


 「そうなの? じゃあ、今しなさいよ」

 そう言って、むしゃむしゃとベラナは再び肉にかじりついた。


 逃げ道をふさがれたボザルトである。

 連絡すればミサッカが怖い。連絡しなければ今ここでベラナにトドメを刺されそうだ。


 焼肉の枝を地面に突きさし、ボザルトは震える手で腕輪を隠していた布をとった。


 「あー、あー、こちらはボザルト。聞こえるか?」

 シーーン。

 うんともすんとも言わない。

 「あれっ、壊れたのであろうか!」

 少し嬉しそうな顔をしたボザルトが手を振った。


 「あ、ちょっと待って」 

 ドリスがちょっと軽く指を上げ、腕輪に魔力を込めた。 


 「ボザルトォーーーー!!」

 ぎゃああああああああーーーーーー!!

 ふいにミサッカの鬼のような顔がドアップで出現した。

 

 「ミ、ミ、ミサッカではないか」

 口から心臓が飛び出すかと思った。胸がドキドキしている。血圧が急上昇した。


 「なんで、あんたはいつもいつも人がお風呂に入っている最中に連絡をよこすのよ! そんなにあたしの裸が見たいの!」

 バスタオルを胸に巻いたミサッカだ。


 「い、いや、そんな事はないのだ。そんな平らな胸……」

 ギロリとにらまれ、あわあわとボザルトは尻もちをついた。


 「それより、ドリス様はご無事なんでしょうね? ちゃんとお守りして、一緒に帰って来てる?」

  

 「私なら無事よ、ミサッカ」

 ドリスが顔をのぞかせた。


 「ははっ、これはドリス様、ご健勝でなによりでございます。国元につくまで、そこのバカがお供でご苦労をおかけしてると思いますが、ご辛抱くださいませ」


 凄く丁寧にミサッカは頭を下げた。ボザルトに対する態度とは大違いだ。なんだか不公平なのだ。


 それに、「そこのバカ」とは誰のことであろうか?

 そう思ってついべラナと目があった。ベラナが無言で「何か言いたいのかしら?」という感じで小枝をパキリと折った。


 「ところで、ミサッカ様、私たち黒ナントカ関門の手前まで戻ってきたんですけど、関門は今は通れないって聞いたんです。何か知っておられますか?」

 ベラナが割り込んできた。


 「うん。聞いてるわよ。そっちに同盟軍として蛇人族から神聖騎士団を派遣しているしね。帝国側からの通過は今はかなり難しいと思うよ」


 「なんとかならぬであろうか?」


 「うーーん、神聖騎士団長のカブンが頼りね。カブン・スエア・ロラドーザって人に会えれば、通過させてもらえるかもしれないわね」

 「カナブン・エロどっさり?」


 「まあ、簡単にとは行かないでしょうね? あのお方は関門管理なんか面倒なことはしていないでしょうから。でもその名前を出して何とか団長を呼んでもらうしかないわ。それとか、姫様たちが……」

 ぶつっ、と通信が途切れた。

 いつもながら中途半端に終わるものだ。

 

 「とにかく関門まで行ってみるしかないわね、ボザルト」


 「それで、そのカナブンが出てこなかったらどうするのだ? 関門は閉じていて通れないのであろう? その場合、どうやって通り抜けるか、それが問題なのだな」

 ボザルトは再び肉を焼き出した。

 

 「それよね。ドリスなら術を使って簡単に通過できるんじゃないの? できないかしら?」

 「おお、そうだ。ドリスは凄い魔法を使うのだ。ドリス、何か方法があるだろうか?」

 ボザルトはドリスを見た。


 「そうね、門番の意識を外から操って開門させるか、二人を抱えて門を一気に飛び越しちゃうか、そんな所かしら」

 ドリスはさらっと答えた。


 「あれを飛び越すというのか? 本当に? 山のように大きいのだぞ」

 ボザルトの目が大きくなった。


 「ええ、たぶん跳び越せる。空間を階段状に固定して、その上を次々と渡っていってね」

 ドリスは平気な顔をして言う。


 「うーむ、空間を階段って、何のことか全くわからないのだ」


 「ドリスができるって言うんだから、まずは行ってみましょうよ。関門のドアを叩いて、エロどっさりって奴を呼んでもらう。それがダメならドリスにお任せってね。あ、これ、もらうわね!」

 ベラナが最後の一本に手を伸ばした。


 「待つのだ!」

 その手をボザルトがぺしっと叩いた。


 「これはドリスの分なのだ。ベラナが一番多く食べたのだぞ。もう十分であろう?」

 「そうかしら? 味見だとか言って、ボザルトがさっきからぱくぱく食べていたのを見ていたわよ」

 ベラナが怖い目でにらむ。


 「いや、あれは完成前だから数に入らぬのだ」

 ボザルトはなおも肉に手を伸ばすベラナの手を遮った。


 「邪魔する気なのかしら?」

 「やるのか?」

 バチバチッと二人の間に火花が散った。


 バッとベラナの手が伸びる。

 ハッ! とその魔の手から串焼きを守るボザルト。だが見えない角度からベラナの尻尾が伸びていた。


 「しまった! この手はフェイントであったか!」

 ボザルトもとっさに尻尾でベラナの尻尾を弾いた。

 「やるわね! ボザルト! でも本気の私について来れるかしら?」

 「負けぬのだ!」


 シュッシュッ!

 ヒュンヒュン!

 目に見えない速さで串焼き攻防戦が続く。


 ボトリ、やがて真っ黒に炭化した物体が焚き火の中に燃え落ち黒い煙が巻き上がった。


 「あー、何をやっているの……もったいない」


 ドリスが煙が立ち昇った空を見上げてつぶやいた。

 結局最後の肉は消し炭になった。ほら見てよ、空まで黒い炭色になったじゃない。その目に真っ黒な雲が渦を巻いて広がってくるのが映った。


 「どうしたのだ?」

 「どうかしたの?」

 ドリスが固まったのを見て、その視線の先を見たボザルトとベラナは息を飲んだ。


 「ほーーら見ろ。ベラナのせいで串焼きの煙が空にあんなに広がってしまったらしいのだ」

 上空は墨を流したように真っ黒だ。


 「うわあ、本当だ、よくまあこんなに真っ黒に煤けたわね」

 ベラナも空が黒いのは自分のせいだと思ったようだ。


 「食べ物を粗末にすると罰が当たると言うが、それがこれであろうか?」

 「まあ、串焼き1本で世界が滅びそうよね。ほら見てよ!」

 二人の上空に禍々しい色の雲を従え、巨大な竜が降下してきた。


 不意にその巨大な竜の腹が蠢いた。

 光沢のある無数の青い鱗が腹から頭部に向かって波打っていく。

 次の瞬間、竜が大きく口を開いた。


 パカ! とまるで大気そのものが真っ二つに割れたように見えた。


 手前から奥へと大地を目に見えない何かが切り裂き、土や岩、木々を吹き飛ばしていく。


 遠くから鈍い重低音を伴った衝撃波がボザルトたちの周囲の草木をなぎ倒して行ったかと思うと、こんどはその裂けた大気に向かって周囲の岩や大木が吸い寄せられ、互いに衝突して砕けた。


 「これは、なんと恐ろしい力なのだ!」


 ボザルトは目を細くしてベラナを抱きかかえ、その一撃の振動に耐えた。いつの間にかドリスが展開したのだろう。3人の周囲には目に見えない防御術が広がっているが、それでもこの衝撃なのだ。


 「あの巨大な竜は一体なんなのであろうか」

 ボザルトは目の前の信じがたい光景に総毛だった。


 竜の咆哮の一撃で大地が大きく裂けている。

 

 「おや、あれは……誰かしら?」

 「ボザルト、ほら見て、あんな所に人がいるわよ!」

 「空に人だと?」


 ベラナが指差す遥か上空に、確かに人のような影が見えていた。

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