第144話 大湿地を抜けて

 遠くに見えていた山脈が近づき、俺たちは波乱に満ちた大湿地の旅を終えつつあった。


 ヨーナ村でネルドルやクラベルたちに別れを告げて出発してから既に一週間が経とうとしている。


 シャランと風に心地よい音が響いた。


 俺が首から下げている淡緑色の珠、美しい細工の施された首飾りの響きである。これは旅立ちの朝に見送りにきたクラベルにもらったものだ。


 「あと2年したら一人前の職人として認められます。それまでの間は、これを私だと思って側に置いてください」と言って恥ずかしそうに差し出したものだ。


 「へぇーー。きれいな珠だな」

 それを俺が受け取るとクラベルは優しく幸せ一杯の笑みを浮かべ、それと同時に茂みに隠れて覗いていた彼女の悪友たちが飛び出し、「きゃーーっ! おめでとう! クラベル!」と黄色い声を上げたのだった。


 あれはこの辺りの土地では求婚を意味する行為だったらしい。

 この珠は子どもが生まれた時に、その子の幸せを願って両親が与えた誕生石で、それを異性に渡すというのは結婚の約束を交わしたという意味なのだ。


 俺はよく考えもせず、またも婚約者を増やしてしまったらしい。腹に紋が生じていないのは間接的な約束だからだろう。


 「また一人毒牙にかかったか……」

 「今さらですよ」

 「カインだから仕方ないのよ」

 「結婚はリサが先だよーー!」

 首飾りを見た彼女たちの反応がこれだ。



 ーーーーーーーーーー


 さて、アリスとクリスは、まだイリスが戻っていないので、先行役として既に俺たちより遥か前方を進んでいる。

 アリスが先行したのは新たにミズハが仲間になったからだ。これ以上頼もしいボディガードはこの大陸にはいない。魔法による直接攻撃、魔法防御でミズハのレベルにいる者は一握りなのだ。ちょっと見には本当にただの美しい少女で、リサの次に年下に見えるほど幼い雰囲気だが、しゃべるとさすがは年長者の貫禄がある。


 「戻ってきたぞ」

 ミズハは魔女帽の庇を上げて空を見上げた。

 みんなが空を見ると、白い鳩のような魔獣がすうっと降りて来て、ミズハの左腕にとまった。

 

 「それは?」

 「丸々と太って旨そうなのです」


 「旨そう? 馬鹿な事を。これは私の使い魔だぞ。ほら、必要な書類が届いた」

 そう言って、頭を撫でて餌を与え、足に結ばれた紐をほどくと目のまえで封筒のようなものに変わった。


 「この先の山麓街道には帝国の関所がある。そこを通過するにはこの通行証明が必要なのだ」

 流石は魔王の元側近である。何か問題が生じてもそつなくこなすので、旅は極めて順調だ。


 「これが本物の通行証明か……」

 「堂々と関所を通るってわけね?」

 「私ならいつも裏口からこっそり通っていますけどね」

 「見せて! 見せて!」

 俺たちはミズハが手にする書類に見入った。


 「まったく、何の準備もなく通れると思っていたのか? 盗賊職のリィルならともかく、帝国直轄の関所だ、そう容易く通過できるような場所ではないんだぞ」

 ミズハはあきれ顔だ。よくそんなことでここまで来れたものだ、と思っているらしい。

 

 ミズハは封筒の中から二枚目の手紙を取り出した。

 「それは何だい?」

 「うむ、私の部下であるバルガゼットからだ。カイン、お前が私に相談していた獣化病のことだよ」

 そう言いながらミズハは手紙を開いた。


 「何かわかったのか!」

 「まあ、まて、まだよく読んでいない」

 ミズハが読み始めた。覗き込んでも俺には読めない。魔族語とも違うので、おそらく暗号文なのだろう。


 ミズハが仲間になってすぐに獣化の病の件を聞いたのだが、帝国の暗部組織の関与が疑われるが良く分からないとの話しだった。ただ、どうも魔王一天衆の貴天がきな臭い動きをしているらしく、ミズハは独自に調査を進めていてくれたらしい。


 「なるほど」とミズハは澄んだ瞳で俺を見た。

 「どうだった? 何か手がかりが?」


 「獣化病は、初めは南郡の戦場跡に発生地点が限られていて、原因は大戦で極秘に使用された薬物兵器だ。その薬物が人を強化する力に目を付け、囚人都市で人体実験を進めた奴がいる。実験を行ったのは帝国の闇に関わる研究機関だな。カイン、お前の情報を元に調べさせていたが、やっとその機関の実在を確認したらしい。今、仲間がその研究所に潜入しているとの報告だ」


 「帝都の地下にある研究所ってやつを見つけたのか? その研究機関なら治療法がわかる?」

 「おそらくはな」

 「そうか! 希望が見えて来た、エチアを救えるかもしれない。ありがとうミズハ! さすがは魔王二天だ」


 「良かったわね、カイン」 

 セシリーナが微笑んだ。彼女にもずっと以前からエチアの件を相談していたので気にかけてくれているのだ。


 「それと、もうひとつお前のエチアに関する大事な情報が書かれているぞ」

 「エチアの?」


 「最近、獣天が新設を申請して受理された特殊部隊に、人間獣化部隊というのがあったらしい。その化け物の群れを率いているのが、エチアという名の銀色の毛並みの狼だそうだ」


 「エチアだ! 間違いない、それはきっと俺の捜しているエチアだよ! 彼女は今どこに?」


 「バルガゼットによれば、編成された獣化部隊はオミュズイの街で訓練中とある。エチアはそこにいると考えるのが普通だろうな」


 「セシリーナ!」

 俺はセシリーナの手を握った。

 「エチアが生きていた! 今、この同じシズル大原に来ているらしい」

 「良かったじゃない!」 


 「この件には貴天の影がちらほらと見える。奴が何を企んでいるのか、これは、カイン。けっしてお前個人の問題ではないのだ」

 ミズハは準備していた封書を使い魔に結びつけると再び空に放った。


 使い魔の姿が空の彼方に消えて行くと、一行は再び歩き出す。



 ーーーーーーーーー


 「平和ですねえ」

 リィルが、呑気に欠伸した。


 先行した優秀な二人のおかげなのだろう。道中、危険なモンスターや盗賊に出会うこともなく、俺たちは、セシリーナ、リサ、リィル、ミズハの5人で大湿地の街道を進んでいく。


 通り過ぎる旅人はあまりいないが、あまり変な目で見る人は少なくなった。


 セシリーナはフードで顔を隠した弓使いらしい軽装、リィルは盗賊スタイル、リサはすっぽりと全身を隠す神官服に似た服に大きめの帽子、ミズハにはいかにも魔女らしい魔女帽と服装を準備したので、一応冒険者パーティー風になった。

 すれ違っても顔が見えるのはリィルと俺くらいなので目立つことはない。遠目にもなかなかバランスの良いパーティー風になったので万が一野盗が隠れていたとしても襲いづらいだろう。


 ミズハの魔女装備はゴルパーネが裁縫した特注品である。ミズハ自身のこだわりで、かなり手の込んだ作りになったが、これを仕上げたゴルパーネ嬢の腕は大したものだ。


 ネルドルとゴルパーネはヨーナ村での仕事が済んだら俺たちと同じく西へ向かうと言っていたので、この先まだどこかで会うかもしれない。


 ヨーナ村では、ネルドルの指導で新たに造船場を造ることになった。魔獣を倒すのに活躍した丘舟本来の交通・輸送手段としての優秀さに気付いた村の有力者たちが村長に専用の造船場を造ることを提案したのだ。


 課題は核となる軽浮き石の採掘なのだが村長たちには何か目処があるらしい。軽浮き石の在庫がほとんど無いにも関わらず、丘舟の造船は数年間ヨーナ村が独占する契約になった。


 当然、カッイン商会がネルドルの代理人である。村に独占権を与えるために1艙あたりに商会に入る金額も増えた。造船権料としてネルドルにその金の7割を渡すわけだが、それとは別に商会にはその手数料も入るので収入大幅アップだ。


 順調にいけばネルドルは数年後には大きな街で新たな工房を立ち上げるくらい資金が貯まるだろう。丘舟の需要はその頃には落ち付くかもしれないが、ネルドルの事だ、また新たに何かを産み出すだろう。 


 ネルドルが造って、俺の商会が契約や販売等の代理人となる。この関係は大事にしなければならない。


 中央大陸でセシリーナたちが暮らして行くうえで収入源の確保が必要である。そのためにもカッイン商会の経営の安定化は最大の課題で、様々なコネは徹底的に利用しなければならないのだ。


 例えば、ミズハの話によれば湿地の魔女の巣では珍しい果物が取れるという。魔獣ヤンナルナの牙もレアで貴重な材料だ。ミズハがいればいずれ魔女の里との繋がりも持てるかもしれない。

 リィルだって珍しい森の妖精族出身だ。ナーナリアの里と同じように妖精族しか作ることのできない繊細な工芸品も取り扱えればかなり良い商売になるはずだ。

 そう言えば3姉妹の故郷、蛇人族の国という所も何か珍しい特産品がありそうな予感がする。


 俺はリサの手を引いて歩きながら、旅商人としての思考を巡らせた。


 「カイン、さっきから何をニヤニヤしているの?」

 リサが不思議そうに首をかしげた。

 「どうせ何か下衆げすい事を考えているに違いないですよ。ね、ミズハ様」

 リィルが両手を頭の後ろで組みながら歩く。


 「なあ、いつも彼はこんな風にどこか抜けた感じなのか? いいのか、それで?」

 ミズハは隣のセシリーナに聞いた。


 「ええ、まあ」

 セシリーナはちょっと困ったような顔をした。

 そこは、「違います、もっと凛々しく、男前です」くらい言ってほしいものだ。


 セシリーナは今はオリナに化けていない。


 顔が隠れるフード装備という事もあるが、人通りが少ないうえ、だいぶ辺境に来たので元々クリスティリーナの素顔を知っている者は少ないだろうということ。そして人気アイドルだった少女時代とは髪型や化粧も違うし、今の彼女は大人の女性としてあらゆる面で数段レベルアップしているので、アイドル時代の彼女を良く知っている者でもすぐには気がつかないだろうというミズハの提言があったからだ。


 俺が以前デッケ・サーカの街で昔のポスターを見て、写っているのがセシリーナだとすぐに気付かなかったのと逆のパターンだ。毎日濃密に接していた俺ですらすぐに気づかなかったのだから、まして他人は気付きにくいだろう。


 出番を奪われた“たまりん”と”あおりん”の抗議活動は夜通し続いたが、ミズハは魔法でも使っていたのか、その嫌がらせで寝不足になったのは俺だけだった。


 「ところで、穴熊族の村に立ち寄るという話だったが、本当か? アパカ山脈へ登る街道筋からはちょっと外れるはずだが?」

 ミズハが帽子の奥から俺を見上げた。


 「ああ、野暮用があってね」

 まさか、この俺の股間で輝く金ぴかアーマーの呪いを解いてもらうためだとは言いづらい。このことを知っているのは今のところセシリーナだけだ。


 「この世界からいなくなった穴熊族の恩人の弔いのためです。ね、カイン」

 セシリーナがうまく言ってくれた。


 「ふーん。そうなのか?」

 ミズハの目は俺の背中に向いている。もしかすると背後霊から本当の事を聞きだしているのかもしれない。


 3姉妹やミズハの前では俺は隠し事ができないとすれば、それはそれで、将来3姉妹を妻にした場合に色々と面倒なことになるかもしれない。


 俺は背中を見た。当然背後霊は見えず、リィルと目があう。


 「ほら、また無言になりましたよ。こっちをちらちら見て、変な事を考えている男の顔です。リサ、カインの手のひらが汗ばんでいませんか?」


 「えっ? そう言えば、少し湿っぽいよ」

 リサは正直だ。

 俺は色々と考え過ぎて手のひらに変な汗をかいていた。


 「いやらしい妄想をしているに違いありませんよ」

 リィルは胸を隠して言った。


 いや、お前の胸など全然興味がないから。と思ってついミズハの胸を見る。似たようなものだ。


 むっとしたミズハの杖が俺の頭上に落ち、目から火花が散った。

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