第143話 <<陰謀 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 ノスブラッド聖大教会の白い尖塔は王宮に匹敵する高さで、王都で一番目立つ建物である。


 ここには東マンド国で最も信仰されているアーベロイス神が祭られており、日々参詣者が後をたたない。


 アーベロイス神は戦と金運を司る神である。南マンド大王国の将軍の一人だった初代王が荒廃した国土を武力でまとめ上げ、混乱に乗じて北方から侵入した諸国連合軍を撃退し、国を興した際にその戦勝を祈ったのが始まりだという。


 メルスランド王子は配下の者を引き連れてその白亜の石段を上がる。灰色の街の中で王宮や神殿だけがラマンド国で採れるこの石材を使っている。


 アーチ型の大扉に続く石段の左右には多くの市民の姿が見えるが、ここでは王族と言えども市民と同じ石段を登らねばならない。


 伴の者が王子の進む道を作り、そこを登っていく。


 大聖堂の中にはさらに多くの市民が祈っていた。

 最近の王都内の不穏な事件に不安になっている者が多いということだろう。人々は中央祭壇に続く石畳みを進む王子の一行を無言で見つめた。その目には期待や不安、疑心に近い色まで見える。


 「これは、メルスランド王子、よくいらっしゃいました」

 大神官メルバナムが両手を広げた。いつもと変わらぬその優しい微笑みに王子は少しほっとした。


 大神官は現国王の従弟にあたり、王子が幼い頃から何かと王子を支えてきた人物である。王子は祭壇にかしづき、神を讃える言葉をそらんじる。


 「さて、お話は承っております。こちらの脇祭壇に登壇ください。一緒にお祈りを捧げましょう」

 メルスランドはメルバナムと共に象牙製の高欄で囲われた祭壇に登った。


 「只今から、国王の平癒と国の平安のため、王子が祈りを捧げる。皆も祈るように」

 神官の一人が告げた。


 メルバナムの祈りが始まった。大聖堂の中はその祈りの言葉で満たされた。


 メルバナムの周囲に二つの光が飛び交う。大神官が操る神の使いの光だ。徳の高い神官の言葉にのみ神の使いは現れる。普通は1柱だが、大神官の前には2柱が姿を見せている。


 人々はその神秘的な光景に見惚れた。


 時折、光の魔道具が揺らめく。

 祈りの言葉は最終章に入った。

 祝福を与えた2柱の神の使いが舞いながら宙に消えた。


 控えていた神官が神聖な杯を持って大神官メルバナムの元に近づいた。

 メルスランド王子は作法に従い、伴の者に持たせていた質素な灰釉壺を手に取り、神官が手にした杯に葡萄酒を注ぐ。その一挙手一同に市民たちの目が集まっている。


 「アーベロイス神の御加護を」

 そう言って大神官メルバナムに葡萄酒の入った杯が渡された。


 祈りを締めくくる言葉を添え、指で印を切ると、大神官が杯に口を付けた。


 儀式は滞りなく終わった。

 市民の緊張が解けていく雰囲気が伝わる。


 「メルバナム様!」

 「大神官様!」

 王子の伴の者と神官が悲鳴に近い声を発したのは同時だった。


 グボッと音がした。

 目の前で大神官メルバナムが血を吐いてよろめいた。


 「メルバナム!」

 メルスランド王子がその両肩を押さえようとするが、大神官はさらに喀血し、王子の服を血塗れにして崩れ落ちた。


 異変に気付いた人々の悲鳴が上がった。途端に大聖堂の中はパニックに陥った。


 「大神官様が! 毒だ! 王子が大神官様に毒を!」

 神官の大きな声が響く。


 「ちがう!」

 叫んだ王子の声は、突然、何の前触れもなく崩落した中央祭壇のアーベロイス像の巨大な右手が砕け散る轟音にかき消された。


 恐怖が人々を支配し、逃げ惑う市民が悲鳴を上げながら入り口に殺到する。


 集まった神官たちが砕けた神像の右手の残骸の中にある呪符に気づいた。


 「呪いだぞ! ここにも呪詛札がある!」

 「王子だ! 王子が大神官を殺して、国王を呪ったのだ!」

 誰かが叫んだ。


 その一声がパニックになった市民の耳にこびりつく。人々は「王子が大神官を殺した!」と口々に叫んで蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、その話はあっという間に街中に広まっていく。


 「違う! これは陰謀だ! 落ち着け!」

 王子と近衛兵の叫びは悲鳴にかき消され、神殿から逃げ出す人々から恐怖か伝達し、もはや誰一人まともな精神状態ではいられない。


 人々が殺到した入り口の向こうで、さらに騒ぎが起こった。

 

 「今度はなんだ!」

 「王子、既に王弟配下の兵が治安と称して神殿前に集合しております。奴に謀られたのです! ここは一旦脱出を!」

 ヘビンが息を切らせて祭壇を駆けあがってきた。確かに事件が起きてすぐ王弟の兵が集まる訳はない。あらかじめ分かっていたのだ。王子を追い落とすと同時に反勢力の教会の力を削ぐ見事な一手だ。


 「王弟コドマンドめ! 謀られたか!」

 メルスランドは唇を噛んだ。

 「ここは危険です、お早く!」

 「ここで逃げては、疑いを晴らす事はできぬ!」

 「ですが、この状態ではもはや弁明は無理です。外の奴らは裁判なしにここで王子を殺す気ですぞ!」

 「ぐぬぬぬ、コドマンド、そこまでして王位に就きたいのか」

 メルスランド王子は大神官の骸に祈りを捧げると祭壇を下りた。ヘビンの誘導で石像の影に入るのと、槍を手にした兵が大挙して大聖堂に雪崩れ込んできたのは同時だった。


 「王子を探せ! 見つけ次第殺せ!」

 聞き覚えのある声が聖堂に反響する。コドマンドの懐刀ふところがたな、ラダと言う頭の切れる男だ。


 「王子、こちらです」

 ヘビンと伴周りの騎士が石像の背後にある神官部屋に続く廊下の扉を開いた。


 全員が入ると扉に内側から木栓を下ろす。これで少しの間は時間を稼げるはずだ。


 「お急ぎください」

 「こちらです、王子!」


 廊下を走る一行に何事かと驚いて道を開ける神官たちがいる。


 「神殿の背後にはリーナル河が流れております。そこに神殿に物資を下ろす船着き場がございます。その船を使いましょう」

 ヘビンが言った。

 王子はうなずいた。

 断崖に面した神殿の背後に、谷に下りるための階段が続いている。


 ここに小さな船着き場があることは神殿で物資調達に関わる者しか知らない。そのため王弟の配下もここを押さえてはいなかったようだ。


 「ちょうど、今朝荷を下ろしたばかりの船が見えます。あれを調達しましょう」

 川べりに三艘の船がつながっている。

 「うむ」

 王子の一団が船に近づくと、ちょうど休憩中だった者たちが何事かと慌てて道を開けた。


 「ヘビン、船は操れるのか?」

 「我々近衛は普段からあらゆる事態を想定して訓練しております。お任せください」

 ヘビン配下の若い騎士が答えた。


 「綱を解け、すぐに船を出せ!」

 王子が乗船するとヘビンの指示で係留していた綱が解かれた。 

 同時にその船の横を二艘の空船がゆっくりと下流に流れていった。騎士たちがとも綱を切って敵が追跡できないように流したのである。


 ビシッ! と空気を裂く音がして、王子が乗り込んだ船の綱を巻き上げている騎士の脇に矢が突き立った。

 見上げる目に階段を駆け下りてくる兵と階段にとどまって矢をつがえる兵の姿が見える。


 「船の床板を外して立てよ! 王子を守れ!」

 ヘビンの一声で、騎士が床板を外して王子の周りに壁を作る。


 動き出した船に向かって矢が次々と放たれる。

 板に無数の矢が突き立つ中、船はようやく岩陰に隠れた。


 「なんとか死角に入りました。船が無ければ容易には追ってこれないでしょう」


 「これで私は国王を呪い殺そうとした反逆者だな。それでこれからどうするのだ? もはや勝敗はついた。お前たちは私に従って貧乏くじをひかずとも良いのだぞ。私を見捨てて帰ることもできる」

 その言葉に表情を変える者はいない。


 「王子、我々は王子と共に生きるのが務め。騎士はこのような事態にあってこそ忠節を全うするものです」


 「すまん、悪かったな」

 「いえ、謝る必要はございません。さて、これからですが、このまま河を下ってラマンド国の国境近くまで行きましょう。とは言え、もしもラマンド国に逃げ込めば、王弟にラマンド国侵攻の口実を与えてしまうことになりかねません。国境沿いに大砂漠へ向かいましょう。オアシス都市にはどこの国にも属していない街もあります。まずはそこに潜伏し再起を図るのです」


 「わかった。今はヘビンに任せよう」

 「はっ」

 ヘビンは敬礼した。

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