第142話 帰還
俺たちの丘舟が地平線に姿を見せると、いち早くそれに気づいた者が塔の鐘を打ち鳴らした。
ゲートが開かれ、村の工房区画と地続きの丘舟港に滑り込むと、船着き場に5艙の丘舟が出航準備を整え停泊しているのが見えた。
「おう、5艙は生還していたらしいな」
ネルドルが喜んだ。
「ほら、ネルドル、あれを見て!」
ゴルパーネが指差した。
待機小屋から駆けだしてくる丘舟部隊の面々の姿がある。包帯を巻いている者もいるが、舟を失ったチームの者も救出されていたようだ。
工房職人たちも次々姿を見せる。倉庫から慌てて出てきたのは若い少女たち、……クラベルもいた。
「カイン様ーーっ!」
クラベルは俺たちに向かって大きく手を振った。
「みんな元気そうじゃないか、ほとんど生還できたのか?」
「そうみたいだな」
俺たちは手を振って微笑んだ。
やがて舟が斜面に乗り上げて止まり、梯子が降ろされると俺たちは地面に下りた。
アリスとクリスは村に着く直前に姿を消している。心配しているだろうリサたちの元に先に行ってもらったのだ。
「ネルドル隊長! ご無事で何よりでした」
ドルランは目に涙を浮かべ、真っ先にネルドルの手を握りしめた。
「おう! 無事だぞ、魔獣も全て駆除されたことを確認した」
「えっ、本当ですか?」
「嘘を言ってどうなる? もちろん本当だぞ」
うおおっ! と周りで話を聞いていた人々が喝采の声を上げた。
「ゴルパーネさん、カインさんもよく御無事で」
頭に包帯を巻いたマルトーネも姿を見せた。
「おお、マルトーネじゃないか。怪我をしたのか?」
「カインさん、ご心配なく。大丈夫、軽傷ですよ」
「そうか、それなら良かった」
鐘の音を聞いて村の自警団の連中も次々と集まってきた。そして魔獣が全頭駆除されたと知ると港は笑顔の人々で溢れた。
自警団に遠慮して遠巻きに見ているのは工房職人たちだ。その中には赤い目をしたクラベルがいる。クラベルは俺の視線に気づいて明るく微笑み返した。
俺が彼女を意識したというだけでも十分満足らしいが、俺がこっそり手を振ったら赤くなった。
ーーーーーーーーーー
「カーイーン! おかえりーー!」
ドアを開けたとたんにリサが俺の腹に飛び込んできた。
思い切り体当たりを食らって、あやうく胃の内容物が飛び出そうになる。
「やはり生きていたんですね」
リィルが残念そうにつぶやく。
「リサ、待っていたの、カインは必ず帰るって信じてた!」
リサがキラキラした目で俺を見上げる。
うん、とても可愛い。
俺はその頭を撫でる。リサは嬉しそうだ。
「丘舟部隊の人から行方不明だと聞いて少しは期待していたのですよ。ああ残念だ」
リィルはベッドに腰かけて窓の外を見ている。
「リィル、少し目が潤んでいないか……うげえ!」
俺が全部言う前に腹にリィルの拳がねじ込まれた。
「そんなわけないでしょう」
「そうみたいだな……」
俺は最後の言葉を残し、白目を剥いてベッドに倒れた。
後から入ってきたオリナがそれを目にする。
「あれ? カインは寝ちゃったの? かなり疲れていたようね」
続けて入ってきたミズハにリィルの目が見開かれる。
「その方は?」
「こちらは、元帝国軍幹部のミズハさんです。新たにカインの愛人眷属になったの」
「ま、また、やったのですか? この男。しかも今何と、ていこくぐん、かんぶとか言ったような気がするのですが?」
流石にリィルも腰が引ける。
「森の妖精族か? 驚かせて済まない、元帝国軍幹部のミズハだ。もはや同じ眷属同士、宜しく頼む」
ミズハは帽子を脱いだ。
「あ、その銀髪! 知っていますよ。魔王二天、大魔女ミズハ様じゃないですか! カルモンデの街で大虐殺をやったという」
リィルは青ざめた。
「違うぞ、カルモンデを陥落させたのは私ではない方の魔王二天だ」
「そ、そうなのですか? でも本当に大丈夫なのですか? セシリーナ。この方は帝国の大幹部ですよ」
「ええ、でも仕方が無いわ。カインが愛人眷属にしちゃったんだもの」
「ひええええ…………!」
な、なんという、恐ろしい男だ。
国を容易く滅ぼすほどの力を持つ魔女を愛人にするとか、この男の考えなしには流石に開いた口が塞がらない。一体何をしでかせばそんな事が起こるのか。
リィルはベッドで白目を剥いているカインを見た。
いつの間にかリサがカインの頭を小さな膝に乗せて優しく撫でている。一瞬、その姿が帰ってきた恋人をねぎらう美しい乙女に見えてリィルは目をこすった。
ーーーーーーーーーー
「ぐえええええーーーー!」
夕方になって、俺は悲鳴を上げて目を覚ました。
隣にはリサがいた。リサは俺の腕まくらで気持ちよさそうにぐうぐう眠っている。その片足が俺の股間に突き刺さっている。
「かっ、かっ、かかと落とし……」
「お目覚めになりましたか?」
苦悶する俺にアリスが優しい声をかけた。
「心配ない、生殖機能に異常なし」
クリスが微笑んだ。
いや、そういう問題じゃない……。
ようやくショックから立ち直って部屋を見回すとクリスやアリスと一緒にミズハがテーブルでお茶をしているところのようだ。
反対側の壁のベッドにはセシリーナが寝ており、リィルの姿はない。
「先ほど工房にいるネルドルさんからの使いで、クラベルと言うかわいい子がわざわざ部屋まで来ましたよ」
「うん、かわいい子だった。本気でカインに惚れてた。私たちが居なかったら、そのままカインとベッドインする決心でここに来た」
「な、何を言い出すんだクリス、クラベルとは別に何もないぞ」
「誤魔化しても無駄、カインも、まんざらでない、密かに狙っている。だから、あの子もライバル!」
「まあ、まあ、お姉さま、カイン様と結ばれるのは私たちの方が先ですから、そうですわよね?」
アリスの目がなぜか怖い。
その圧力に俺は無言でうなずいた。
「それはそうと、今夜は村を上げて魔獣討伐祝いの祭りを行う事になったそうですよ。会場は中央広場です。既にリィルが下見に出かけています」
「下見? 何の下見にいったのやら……」
「魔獣がいなくなった、その報告を受けて今頃は街道の閉鎖を解くかどうか会議しているでしょう? その件ですよ」
「あっ、そうか、そうだろうな」
別に盗みの下見に行ったわけじゃなかったらしい。俺は誤解していたことを悟られないようにもっともらしくうなずいた。
俺たちに追っ手がかかったらしいので、早めに出発する必要がある。確かにいつ街道の閉鎖が解除されるか早めに情報を得ておく必要がある。
「ミズハに俺たちの事情は説明したのか? これまでの経緯とか、なぜ旅をしているかとか」
「ああ、話は聞いた」
ミズハがそう言ってお茶をすする。
この落ち着きぶり、流石は元幹部だ。魔王国に反逆する立場になってしまったというのに微塵も動揺していないようだ。
「そうか、俺たちの事情を知ったうえで、リサが旧王国の生き残りの王女だとわかっても俺たちに協力してくれるのか?」
ふう、とミズハはため息をつく。
「残念ながら、眷属は主人の意思には逆らえないからな」
達観しているようである。
「俺は偉そうに命令するつもりは無いんだけどな」
「眷属は主人にしたがうのがこの世界の
「ありがとうミズハ」
「それに、お前が本当に英雄シードの持ち主であるのかどうか、しばらく観察させてもらうのも一興だし」
そう言ってお茶を美味しそうに飲む。
「ちょっと待て、俺は英雄シードの事は誰にも言っていなかったはずだ。なぜそれを知っている?」
「私を誰だと思っている」
ミズハがじろりと睨んだ。
「隠しても無駄。どうせカインの事、みんな、そいつがぺらぺらしゃべる」
クリスが俺を指差した。
「俺? そいつ?」
「嫌ですわ。いつもカイン様の背後に居るその霊ですよ」
アリスがにこやかに笑う。
笑えねーー!
俺は横目で背後を見るが、当然何も見えない。あいつか? 化粧の濃い女の姿をしているが実は男とか言う背後霊か?
「まあ、お前には見えないのだろうな」
ミズハは淡々としている。
「私たちの術では死霊も使役しますから、当然、背後霊とか浮遊霊とかとも会話できるのですよ。ミズハ様も大魔女ですから死霊との会話くらいできますよ」
「それでミズハ、俺たちに追っ手がかかったと聞いたのだが、実際どうなんだろう?」
「本来は機密なのだがな。主人の命令であれば答えざるを得まい。ただ私が知っているのは少し前の情報だぞ?」
「わかった」
「囚人都市からリサ王女の姿が消えたという報告はあったが、その時はむしろ王族が負傷した事とモンスター大発生が問題となってね。たいした話題にならなかったのだ。今さら王女一人に何ができるかとして、その件は放置されたのだ」
「怪物の大発生?」
あれだな、俺はクリスたちをちらりと見たが。二人とも何食わぬ顔でお茶を飲んでいる。
もちろん、彼女たちの暗黒術がモンスター活性化の引き金になったのは間違いないだろう。ミズハもそれに薄々勘付いているらしい。
「それが今頃になって捜索を始めたのだ。王女に何らかの価値があると判断したか、その存在が危険だと思うような事態の変化があったのだろう。まあ、何が起きているかは何となく想像がつく」
そう言って、ちらりとクリスを見た。
「ん?」
「お前は街道を見張っていたと言っていたが、最近何か変化はなかったか?」
「人の流れ、急に忙しくなった。みんな南へ向かっている」
「各地の駐屯地から物資が南へ移送されているそうです。軍も再編されたとか」
アリスが付け加えた。
「そうか……ところでイリスの姿を見ないが、彼女はどこに?」
「お姉様は、追っ手の排除と撹乱のために行動していますよ」
「あれが撹乱? たった一人の男を守るために国を滅ぼす気か……」
ミズハは肩をすくめ、俺を見た。
「カイン、多分心配は無用だ。おそらく私や3姉妹に太刀打ちできるような者は追っ手にはいないだろうし、そんな余裕はもはや帝国には無いだろう。その点でイリスはかなり先を見越した大胆な手を打ったようだ。流石は恐るべき暗黒術使いと言うべきだな」
クリスとアリスが微笑んだ。
彼女らは分かっているようだが、俺にはさっぱりわからない。
一体何が起きているというのだろうか。
「イリスは、帝国の目が我々に向く余裕すら無くなるような局面を描いたのだ。リサの帰る場所まで想定に入れながらな。
そしてそれはイリスの筋書き通りに動くだろう。何しろ、その状況を収拾できる者、つまり魔王二天が今や二人とも帝国中枢にいないのだからな」
「?」
にこにこしているアリスたちを前に、俺の頭の中だけが疑問符で一杯になった。
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