第141話 <<東マンド国を覆う影 ー東の大陸 サティナ姫ー>>
西砂漠の地下墓地である。
長い間砂に埋もれていた崩れた石塔の石段を降りると、精緻に組み合わされた石造のホールに多くの獣の気配がしていた。時折肉を貪り食う音が響いてくる。
「お帰りなさいませ、ニロネリア様、ご到着をお待ちしておりました。砂嵐が止んでなによりでございました」
開いた扉の向こうで頭を下げている男たちがいた。
「報告を聞こう。その前に、敵に後を付けられ今回の作戦を台無しにした間抜けなあいつを処断する。私の部屋に連行してこい」
ニロネリアは肩の砂を払い落しながら、立ち止まりもせずに言った。
ーーーーーーーーーー
闇の中、組んだ足が小刻みに動いていた。
「ちっ。こいつも失敗か!」
ニロネリアは親指の爪をギリッと噛み、テーブルの上から片手で握りつぶした粘土を荒々しく放り投げた。
地面に叩きつけられたのは、今しがたまで生きているかのように動いていた伝書魔鳥の残骸である。
「あれほど目をかけてやったと言うのに、まったく使えない。こんな役立たずで終わるとは、期待はずれもいい所だわ」
久しぶりに活動拠点である西砂漠オアシス地帯の地下墓地に帰ったニロネリアを待っていたのは、せっかく時間と手間をかけて繁殖させた魔獣ヤンナルネが一匹残らず駆除されたという報告だった。大陸中を恐怖に陥れるはずの魔獣の災厄は、結局、砂漠地帯の小さなオアシスをいくつか滅ぼした程度で終わったのだ。
「計画が台無しだわ!」
魔獣の繁殖と大暴走を指揮させた男の顔を思い出す。
わざわざ一度一緒に海を渡って、帝都で一天衆にお目通りをさせたほど期待した奴だった。
自らの欲望のため一族を裏切った男だ。その闇の力の潜在能力は多いに期待を抱かせる男だったのだが、その力が開花する前に魔獣にこだわりすぎて自滅するとは……。
奴の特殊能力による魔獣繁殖については、見事な手腕を発揮した。だが、魔王国で一天衆の言葉を聞いて膨れ上がった野心が奴を自滅させたのだろう。
「この辺りの土地にも詳しい、大暴走の指揮も俺に任せてくれ」などと威勢の良い事を言っておきながら……、なんという体たらくだ。封印の魔獣まで使役させたというのに、全てが無駄になってしまった。
魔獣の繁殖地の巣の中にある卵を擬した隠れ家からこの伝書魔鳥が放たれたのは数週間前らしい。
「大暴走で南下した魔獣の群れは壊滅、再起を図った繁殖地まで敵の襲撃を受けている。封印の魔獣を使って、これから最後の抵抗に出る」という内容の伝言だったが、その後の伝言はなく、ここにも帰っていない所を見ると失敗したと見て間違いない。
「結局は人族、あんな人間に任せたのが間違いだったか。出会った頃はギラギラとした闇の気配を漲らせて、使えそうな奴だったが……、野心ばかり大きくなって臨機応変な対応ができなかったのかもしれない」
ニロネリアは床で動かなくなった粘土の塊を冷たく見下ろした。
「意のままに動く手駒としては便利な男だったが、……この失敗で計画は大幅に遅れるわね」
魔獣の大津波でドメナス王国を襲撃し、周辺諸国を巻き込んで一気に政情不安にするという計画だったのだ。
「魔獣で混乱したドメナス宮廷ならば、さらに謀略を仕掛けやすかったのだけどね……」
ニロネリアはドメナス王国の協力者であるデブの大貴族の顔を思い出し、眉をひそめた。
あれも良い駒に違いないが、要求が多いうえに女癖が悪く頭も悪い。本来なら、その近くに潜んで奴を操るのが手っ取り早いのだが、今はこの地を離れるわけにはいかない。
大陸全土を視野に暗躍するなら人材の不足は致命的だった。この計画は一天衆の指示とは言え、魔族長会議で正式に承認された作戦ではない。そのため秘密裏に海を渡って行動しなければならなかった。
「野望や欲望にまみれた人物をもっと探し出し、闇の力でこちら側に引き込む必要があるわね」
ふぅ、とため息をついてニロネリアは額を押さえた。
やはり恋敵とは言え、ミズハは優秀だった。
彼女の緻密な計算と柔軟なフォローがあったから中央大陸の大戦は常に魔王軍に有利に動いた。今回の失敗は彼女が隣にいない影響が大きい。
「しかし、あの御方もこの作戦の成果を期待しておられる。ここで失敗しては、いずれ魔王様の妃に選ばれることも叶わなくなる」
ニロネリアは胸の宝珠を掴んで唇を噛んだ。
第3の策を使うか、それともまだ今の計略を続けるかだ。いや、考えている場合ではない。魔獣暴走も、死人によるラマンド国襲撃も失敗しているのだ。すぐにも新たな一手を講じるべきだろう。
あの王弟は思ったよりも浅はかだ。はっきり言ってかなり嫌いなタイプである。しかし、愚か者だからこその利用価値もある。
まずは攻めやすい所から成果を出すしかない。
(ダルメリ、居ますか?)
ニロネリアが思念を飛ばすと、すぐに室内に気配が生じた。
ドアの隙間から影のように入ってきたのだ。
「お前の得意な事をしてもらいます。東マンド国のノスブラッドの都に潜入して、この箱の中のものを街のあちこちに隠すのです。ただし、すぐに見つかるように隠すのですよ。できますか?」
うなずく気配がした。
「よろしい。今すぐ出発しなさい。ただし、我々に対抗できる者がいます。油断しないように」
気配は不敵に笑ったようだ。自分たちに対抗できる者がこの大陸にいるとは思っていないらしい。その慢心は危ない。
「ダルメリ、私の術を破るほどの者がいるのです。気を引き締めなさい。でないと、こいつのように死ぬわよ」
そう言って、壁際で首を折られて死んでいる騎士を指さした。
「こいつ、襲撃に失敗しただけでなく、後をつけられ、私の計画を台無しにしたのよ」
ダルメリの目が動く。
奴は黒い影使いだったはずだ。奴が操る黒い暗殺者はダルメリも一目置いていた。それがこうも呆気なく処刑されている。
「わかったわね? それでは、行きなさい」
ニロネリアが妖艶に笑った。
ーーーーーーーーーー
明け方の空がやけに赤い。
ノスブラッドの都の中央にそびえる高い塔の上で東マンド国の王子メルスランドは街を見下ろしていた。
王子は若くして亡くなった正王妃に最近益々似てきた。遠目に見ても眉目秀麗で、街娘たちが騒ぐのも無理はないだろう。
「王子、また見つかりました。こんどは南大市場の噴水からです」
部下の近衛騎士団長ヘビンが近寄ってかしづく。
「これで今週に入って何件目だ?」
「はい、34件であります」
「多いな……」
「お父上は何とおっしゃっておりますか?」
「これは何者かの陰謀だ気にするな、とは言って頂いたが、あまりにも多いと王が疑心暗鬼になる恐れがある。ただでさえ病で心身が弱っておられるのだ」
メルスランドはベッドに伏した王の顔色を思い出す。白く痩せこけた頬は余命が幾ばくも無い事を示している。
本来ならば、王位の後継を指名すべき時期にきているが、明らかに王の目は王子を疑っていた。
王の寵愛を受けている王妾は王弟派なのだ。彼女が何か王に吹き込んでいる可能性は十分ある。
問題になっているのは、約2週間前に突然始まった王の死を記した
橋の下や路地裏で呪詛の書かれた札が発見されたのが最初だったが、次第に市場や王宮前の広場の地面等から次々と見つかるようになったのである。
それと同時に市中には悪い噂が広がった。
王子が王位を狙って、王の死を早めるために呪詛札を都のあちこちに埋めて呪いをかけているというのである。
そのような根も葉もない噂を取り締まるため、宮廷警備兵が自主的に王都を見回るように動き出したのだが、逆にそれが王子が市民の口を塞ぐために警備を強めたのだという話になっている。
宮廷警備兵は王子の管轄だからである。
しかし、そのことを知っているのは貴族階級以上の者だ。市民の誰かが知っていたとは思えない。間違いなく貴族階級の誰かがその噂を流したに違いない。
そしてその可能性が最も高いのが王弟派の貴族連中だ。
「王弟様は自らの屋敷に籠って、姿を見せておりません。この事件に関しては何の発言もなさっていないのが逆に不自然な気がします」
ヘビンが言った。
「確かに、このような事態だ。奴ならばこれを利用して私を追い落すくらい考えるはずだ。そうだな?」
「はい。まさかとは思いますが、さらなる一撃の発動を待っているのではありませんか?」
その指摘にメルスランドは背筋が寒くなった。
王弟がそこまで賢いとは思えない。
メルスランドは王弟の一枚上手を行く自身があった。だが、もしも王弟の背後に冷徹な策士がいるとすればどうか?
「私が行動で示す必要があるな。午後の食事会は中止だ。予定を変更して教会に行くぞ。父上のお体の回復と、この忌まわしい事件の終息を祈るのだ」
メルスランドは強い風の吹き始めた塔の上から街並みを眺めた。
「はっ。国民に王子の真摯な姿をお見せするのは良いお考えと思います。すぐに準備をさせましょう」
そう言ってヘビンは敬礼をすると去って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます