第257話 野族の族長
「何がどうなったのです? これは何ですか?」
シュウが目の前の果物の山を見て不安そうにルップルップの顔を覗き込んだ。
ルップルップの話がうまくいって、歓迎の意味で持ってきたのだろうとは思うが確証がない。これが最後の食事なのでは? という不吉な考えもちらりと頭をよぎる。
「うん、話はうまくいった。これから族長に会わせてくれるらしい。少し時間がかかるのでこれを食べて待っていろとのことだ」
そう言いながらルップルップはすぐに一番上に置かれたバヌナの実を手に取る。
「そうか、少し時間があるのなら、今のうちにあれを直しておくか」バヌナを加えてネルドルが立ち上がる。
「なら私も手伝うわ」
もぐもぐ口を動かしながらゴルパーネが続く。
そして二人は部屋の隅に置かれた翻訳装置をテキパキと分解し始める。
それからどのくらい時間が経ったのか。
いい加減に緊張感が無くなって、部屋でだらだらしていると何の前触れもなく奥の扉がガラリと開いた。
「!」
部屋に入ったボフルトの目が固まる。
奥では妙な機械をバラしている二人がいるが、こっちに背を向けて全く気付いていない。
部屋の真ん中に寝転んで大欠伸していたシュウと目が合う。
そして部屋の端には最後の一つとなった赤い実を丸飲みして頬を膨らませ、もぐもぐしているルップルップがいる。
「ゴホン! 族長ヘルヘイ様が見えられたぞ!」
ボフルトが咳払いする。
その声に気づいたネルドルとゴルパーネが慌てて機械から引き延ばした線の先をお面に接続した。
「ほらよ。シュウ、改良が間に合った。出番だろ!」
手渡されたお面は少し改良されて三角錐に髭だけ生えているような機械的なものになった。
「大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫、故障は直った。今度こそ翻訳はうまくいくはずだ」
「みんな、準備は良い? まずは族長への礼拝! みんな私の真似をする。良く見なさい、こんな風にするの」
そう言うと、ルップルップは土下座して額を床に付けると急にお尻を上げた。丸見え!
「ブッ!」と後ろにいたシュウが何故か鼻血を撒き散らし、 手で鼻を押さえながら倒れた。同時にネルドルも何故かゴルパーネに肘鉄を喰らわされて悶える。
「こいつらは何をしているのだ?」
族長ヘルヘイは部屋に入ってくるなり目を丸くした。
「はっ。ルップルップ殿の真似をして、礼拝をしているのかと思われます」
「これがこ奴らの礼拝か。無残なものだな」
まともな礼拝の姿を取っているのはルップルップともう一人の女と思われる者だけで、あとの二人は何故か床で鼻や腹を抱えて白目を向いている。
「顔を上げよルップルップ。心配しておったのだぞ。よくぞ里に戻った。もはや一族として共に暮らすことはできぬが、久しぶりの故郷だ、ゆっくりしていくがよい」
族長ヘルヘイの言葉にルップルップの目が潤む。
「ありがたきお言葉。叔父さまもお変わりないようで安心しました。里も平穏無事で何よりです」
「そうだな、これもお前が犠牲になって、星神様の招聘を復活させてくれたからだ。星神様はあれからも何度か姿をお見せになっておられる」
「父上の願いがかなって嬉しく思います」
「星神様の復活は我が族長一族代々の悲願だったからな。野族はお前に大きな恩義がある。それで、その男だな、南の国の代表とやらは」
シュウはようやく鼻血が止まったところだ。
「お主、こちらが族長ヘルヘイ様である。お話をお聞きくださるとのことだ。手短に要件を言うのだ」
ボフルトが言った。
「ははっ、私は新王国のシュウと言う者です。既にお聞きの事と存じますが、森に悪い軍隊が侵入しております」
「うむ」
「奴らは野族の里がある事も知らぬまま、森に火を放ちながら向かってきております。野族のことは魔獣程度にしか思っておりません。このままでは、数日後にはこの里が戦禍に見舞われるでしょう」
「ふーむ」
「我が国はここで北の軍隊を食い止めたいと願っております。そのこととヘルヘイ様が野族の里を守りたいと願うことは利害が一致しております。ぜひ、我が国と共に北の軍隊の侵攻を食い止めてはくださらないでしょうか?」
シュウは髭を撫でる族長ヘルヘイを真剣な目つきで見上げた。
「そうか。お主の言い分は分かった。もちろん我々は身を守るためには戦うことも厭わぬ。だが、お前の国は我が里にどのような利益をもたらす? まさか、ただで戦わせる気ではあるまい?」
族長の尻尾がピンと立った。その威厳に満ちた表情は鼠ながらさすがの威圧感だ。
「ですから、里にも危害が及ぶかもしれないのです。この里を守るために戦う必要があると思われます」
「うーーむ、しかし、我々の生き方はお前たちが思うよりもずっと自由なものでな。危なくなったらもっと森の奥に移動して暮らすという手もあるのだ。別に無理をして戦う必要もない」
そうなのか? という雰囲気でシュウはルップルップを見た。
ルップルップはうなずく。
シュウは、何か手はないか? という目配せだ。
「そう言えば叔父さま、このシュウの国には甘い“お菓子”なるものがあるのです。それはもう舌がとろけるほど美味しゅうございます」
「ほーう。そんな物があるのか?」
族長ヘルヘイは落ち着き払っているように見えるが尻尾がわずかに左右に揺れ始めた。どうやら甘いものには目がないらしい。
「シュウの国と仲良くなれば、交易をしてそのような珍しい食べ物が手に入るようになりますよ、叔父様」
「ほう、なるほど交易とな?」
「美味しいですよ~。旨いですよ~。野族の里では食べたことのない物がたーくさんあるんです。この私が言うんですから間違いないですよ」
ルップルップがどこかリィルのような話し方になっているのは共通語を教えているリィルの影響だ。
「うむ、昔から食いしん坊のルップルップが、かくも言うのだ、確かに美味い物なのだろうな」
「そうです! ヘルヘイ様! わが国には美味しい食べ物や旨い酒がたくさんあります! 仲良くなればいつでもそんな食べ物が手に入るようになります! ですからぜひ我が国と友好を結び、北の軍隊の侵略を共に防いでもらいたいのです!」
シュウがここぞとばかりにまくしたてる。
「ふむ、だが一族の主だった者を納得させるには、そのお菓子とやらの実物を食べさせてみない事にはな。そうだな、明日は月欠けの日、皆がちょうど集まる。その席にお菓子をとやらを準備できれば、他の者を説得できるのだがな」
「明日までにですか? 何人分でしょうか?」
シュウの頭の中で手持ちの材料で作れるお菓子のレシピがピックアップされていく。数人程度ならばなんとか……。
「そうじゃな、およそ100人分ほどもあれば足りるかな」
「明日までに100人分ですか!」
シュウは青ざめた。
とても無理だ! 今から国元に使いを出してもそれだけで往復で4日はかかる。
「お菓子は、準備も含めれば最低5日は必要となります」
「それでは間に合いません、3日後には北の軍隊がここに来ます。戦う気が無いのなら、今すぐにも逃げる準備が必要ですよ。叔父さま」
ルップルップの言葉にヘルヘイが思案する。
「お菓子は5日必要か……。明日まで皆に配ることは無理、全員を納得させることは無理ということだ。お菓子が出来るまで少数の兵を出し、森の中で撹乱させて北の軍隊とやらの進軍を送らせることもできるだろうが、そのうえで出来上がったお菓子を配り一致団結するという方法もある」
「いや、それはしない方が良いです」
落ち付いた声でシュウが言った。
「?」
「少数の兵で遭遇戦を繰り返すということは、敵にこちらの戦い方に慣らさせる機会を与えるのと同じこと。敵が野族の戦闘方法に慣れる前に大打撃を与えねば不利です。ルップルップが言ったように、本気で戦う気がないのなら直ちに逃げる準備をするように進言します。私にこのような面会の機会を与えていただいたこと、深く感謝いたします」
シュウは頭を下げた。
「いいのか? それではお前の役目としては失敗だぞ?」
ルップルップはシュウを見る。
「いいんだ。野族には野族の選択がある。それをこちらの都合が良いように無理強いするのは傲慢な魔王国のやり方と同じ。俺たち新王国は異質な生き方を認める人の集まりだからな」
確かに、色々な”へんた…”が集まっているのは間違いないだろうな、とネルドルは妙に納得した。
「なるほど、お前は面白い人間だ。だが現に我らに利ありと実物で示さないと、大部分の者を動かすことはできないのだ。わし自身はお前たちに協力してやっても良いと思うが、野族とはそういう生き物でな。とても残念だがな」
族長ヘルヘイはそう言って部屋を出ようとした。
その時、部屋の外が急に騒がしくなった。
「大変です! 族長!」
血相を変えた野族が髭をぴくぴくさせて扉を開けた。
「何事だ! 今は重要な会議中であるぞ!」
ボフルトが目を怒らせた。
「森の南側、古老の林付近から人族の馬車3台が侵入し、こちらへ向かっています!」
「何ッ? それは敵襲か?」
「い、いえ、物見からの伝令では武器は持っていないようであります。しかし、まるでこちらの居場所が分かっているかのように真っすぐ向かってきており、馬車に乗っている人間は皆、妙チクリンな尻尾をはやしているとか」
「尻尾だと? 人ではなく我らの仲間か?」
「いえ、顔はこいつらと同じです。人族か魔族と思われます。武器も持たず、あまりに妙なので皆攻撃をためらってしまい、まもなく裏手の広場に到着します」
「わかった、すぐ向かおう。おい、お前たちも来るんだ。南から来たとすればお前の仲間かもしれん。だが、変な事は考えるなよ。これが元々お前たちの策という可能性もあるのだからな」
ボフルトがシュウを睨んだ。
屋敷のバルコニーに出ると、既に広場には武装した野族の兵がたくさん集まっていた。その向こうの森から3台の馬車がゆっくりと近づいてくる。
「ほう?」
ルップルップがくんくんと鼻を鳴らした。
「この匂い、まさか焼き菓子?」
シュウも風に乗って漂ってくる香りに気づいた。
その甘い匂いのせいで、勇敢な野族の兵たちも攻撃を躊躇っている。
族長ヘルヘイとその身を守る兵の前で、その3台の馬車はゆっくりと止まった。
馬車に乗っている男たちは皆、お尻に妙な尻尾を付けている。
しかし尻尾を立て左右に揺らしている所を見ると不気味ながらそれは一種の友好の意思表示なのであろう。どうやら敵対心は無いらしい。
「そこの者ども! なぜ許可なく我が里に来た!」
ヘルヘイが叫んだ。
馬車から下りた男たちの前に屋根の上から跳躍した者が軽やかに降り立った。
「族長ヘルヘイ様、こちらが南の国、新王国からの友好の品でございます。新王国名物のお菓子1000人分、ぜひ、ご覧ください」
クリスが野族語で恭しく挨拶する。
その仕草を見てヘルヘイはふうっと安堵の息をつき、張り詰めていた髭を緩めた。
クリスの礼は魔族から野族まで広く知られている格式の高い礼法だ。国の使者が行う正式な礼なので彼女に敵意が無いことは明確だった。
「友好の使者、歓迎する」
ヘルヘイはクリスに対し返礼の挨拶を送る。
このような格式ある礼法をわきまえている者は少ない。目の前の人間の女の作法は完璧だった。しかもこの女、野族には人の美醜は分からないが人としてはかなり美しいのだろう。
「クリスさん! どうして?」
シュウがクリスに駆け寄った。
「ん、野族、お菓子、好き、交渉に役立つ!」
クリスはにっこりと笑い、親指を立てる。
本当にそれだけかは分からないがこれで条件はそろった。
まさか、お菓子が食べたくて買いに行ったら、たどたどしい共通語のせいで注文数を思い切り間違え、3Bが出てくるほどの大事になり、それを誤魔化すために「これは野族を仲間にする作戦、野族への土産」という事にしたなどということはないのだろう。
「ヘルヘイ様、さっき申されていたお菓子というものがこれでございます。これで、皆を説得出来ますでしょうか?」
シュウはヘルヘイの元に駆け寄った。
ヘルヘイは髭をピンと立てている。尻尾を振ったのはおそらく肯定の意味だろう。
「ルップルップ、ゴルパーネ、我々の分はこっち! 私たちも、お茶、しよう!」
クリスは族長一族の緊急会議が始まろうとする広場を離れ、日当たりの良い原っぱで皆を呼んで手を振った。
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