第77話 襲い来る屍人と黒い群れ

 二人の前に二体の歩く屍人が立ちはだかった。風に乗って異臭が漂い、吐き気が出そうだ。


黒くなった肌をてらてらと滑め光らせ、腐った両手を突き出し、骨が見える指を不気味に蠢かしている。俺たちの隙を伺っているのか。


 俺たちを襲う理由、それは明確だ。餌として食うためだけじゃない。食人は同時に同類を増やす手段なのだ。歩く屍人に食い殺された人間は歩く屍人になると言われている。

噛まれた部位から腐り、やがて全身が黒くなって屍人になった奴もいるそうだ。


 「隠れていろ、出てくるなよ。リサ」

 俺は骨棍棒とトーチの二刀流で待ち構え、奴らを睨んだまま、相手を刺激しないようそっとリサを背後に隠した。


 こいつらは人間くずれじゃない。大丈夫、やれるはずだ。


 動きは遅いし、武器を持っているわけじゃない。噛みつき攻撃や剛腕による殴打、引き裂き攻撃にさえ気を付ければいい。


 一対二は不利だ、まずは動きを分断する必要がある。

恐れるな!

怖くない!

 俺はこれでも騎士養成所を卒業した男だろ、最低限のスキルはあるんだ。例え成績最下位だったとしてもな!


 「とぉうおりゃああ〜〜〜〜!!」


先制攻撃!

 相手の出鼻を挫くため火を付けたトーチを左右に大きくぶんまわした。


だが、奴らは器用にも避ける、避ける、避ける!


意外に身のこなしが素早い!

 だが、よろけた拍子に二匹が肩をぶつけ合って、左右に体が離れた。


 ここだ! 左の屍人に骨棍棒を振ったが、拳一つでかわされた。びびっていて踏み込みが浅かったんだ。


 ならば、と左手のトーチを振って、そのままの回転力で再度、骨棍棒を叩きこむ!


 ボキっと骨の折れる音がした!

やった!!

俺の攻撃を腕で防いだ化け物の一匹が骨を砕かれ後退した。だが、喜ぶ暇はない。そいつと前後するように、もう一匹が突進してきたのだ。


 「カイン! 危ない! えいっ!」

俺が体勢を戻すよりも早く、後ろからリサが飛び出した。そして拾った棒で健気に敵を突いたのだ。


 ちーん! 


 偶然か?

狙ったか?

 リサの棒は屍人の股間に突き刺さって、そいつの動きが一瞬固まった。


屍人は既に人間ではない。痛みなんか無さそうなのに思わず股間を押さえて止まってしまうのは、人間だった頃の名残りか。


 前かがみになったこいつ、よく見ると、溶けた目玉からウジがわいていたりしてかなり気持ち悪い。

最初は人間くずれかと思ったが、やはり歩く屍人だ。俺はこういうのは苦手なのだ。



「カイン! 今だよ!」

 「うまいぞリサ! ハアッ! これでも食らえ!」

 リサに股間を突かれたまま、いまだに動きが止まっている化け物に、俺はトーチを突き出した。トーチは奴の腹に命中すると、その炎は枯れ木に火を放ったかのように、あっと言う間に燃え移った。


 グエエエエーーーー!


 こいつら意外に燃えやすい!

 松明のように簡単に燃え上がった。リサと俺の連携プレーが見事に決まったのだ。


 だが、仲間がやられた様子を見ていた二匹めの動きが速くなった。両手をぶん回して逃げる俺たちを掴もうとしてくる。


 「もっと下がれ! リサ!」

 俺はとっさにリサをかばって後退したが、その隙にトーチを持つ方の手首をそいつに握られた。こいつ、火を封じてくるとはなかなか賢い!


 ぬめぬめとした、ぞっとするほど冷たい感触である。骨棍棒で応戦するが腕でガードされた。

 メシッ、と骨が軋むほど強い力で締めあげられ、息が詰まる。俺は思わずトーチを落とした。そこにガッと大きく開いた口が食らいつこうと迫る。噛みつかれれば肉をごっそり食いちぎられる! 咄嗟に骨棍棒を持ったままそいつの額を押さえたが物凄い力だ。


 「危ない。カイン!」

 リサが棒を手に飛び出し、小さな体で勇敢にもそいつの足に体当たりした。奴の足に棒が変な風に絡まり、そこにリサの体当たりが決まった。


 「!」

 ボキリと音がして歩く屍人の足が変な方に曲がり、態勢が崩れる。だが、そいつの敵意が足元のリサに向いた。


 「リサ!」

 俺は、骨棍棒の柄底を思い切りそいつの顔面に叩きつけた。グオッと衝撃で仰け反った奴の横っ面を間髪入れず骨棍棒でぶっ叩く!


 グギャアア!

 化け物が吹っ飛ぶが、奴は俺の手をがっしりと掴んだまま離さない。「うわっ!」と俺もつられて態勢が崩れる。


 「何やってんの! カイン!」

 俺の視界でセシリーナが跳躍していた。

 その体が華麗に空中で回転し、俺の手を掴んでいた歩く屍人を蹴り飛ばした。


 そいつは思わず両手を広げて後方に倒れ、燃えながら踊り狂っている仲間とぶつかって瞬時に燃え上がった。


 グギャアアアア!

 二匹の魔物は、もつれあって地面に倒れ、のたうち回っていたが、やがて動かなくなった。


 「やったね! カイン!」

 リサが親指を立てて笑った。


 「こっちの化け物も全部倒したぜ!」

 サンドラットが息を切らせて叫んだ。

 どうやら、全員倒したようだ。数的に不利だと思ったが最初にセシリーナの弓が正面の奴らを牽制したのが効いた。同時に一斉攻撃されていたら危ない所だっただろう。


 俺はまだ燃えているトーチを拾い上げた。

 「何だかんだ言って俺たちは意外と強いんじゃないか?」

 「そうか?」

 サンドラットが額の汗を拭う。

 何と言っても前衛のサンドラットと後衛のセシリーナがめちゃ強い。リサも大活躍だった。戦力的に俺が一番オマケみたいなものだったかもしれない。




 「カイン、見てあれ! まだ何か来るよ!」

 ほっとしたのも束の間、俺たちが歩く屍人の死骸に気を取られていると、リサが目ざとく草原の向こうに何かを見つけて指さした。


 さっきの棒攻撃といい、敵の感知といい、意外にリサもやる時はやるようだ。


 草がざわざわと動いて黒い絨毯が広がってくる。いや、あれは次第に近づいているのだ。


 「ヤバイぞ、あれは大牙油虫おおきばごきぶり、しかも大群だ。あんな数、見たことがないぞ」

 嫌な物を見た、という感じでサンドラットが眉をひそめた。


 「こっちに来るのか? なんで急にこんなに次々と災難が降りかかるんだよ? 何かどこかで呪いでも受けたか?」


 「そうだとしたら、まあカイン、お前だろうな。セシリーナの事が知れたら、カインは世界中の男から恨まれそうだし。それとも、こっそり三姉妹と仲良くデートしている所でも見られたんじゃないか?」


 「カイン……」

 セシリーナの爽やかな笑顔がなぜか怖い!

 サンドラットめ、まさかイリスと仲良く湖畔を歩いている所を見ていたんじゃないだろうな? あれは恋人同士の演技であって……。


 「な、何を言うんだ? セ、セシリーナ、違うぞ、そんな事、……していないぞ」

 目が泳ぐ。


 「わかってるわよ。ーーーーサンドラット、冗談を言っている場合じゃないわよ。急いでどこかでやり過ごさないとまずいわ。流石にあの数とまともにやり合うのは無謀よ」


 「あそこ、ほら見て、木がある」

 リサが草原の中にポツンと立つ大きな枯れ木を指差した。


 「よし、カイン、あの木に登ってやり過ごそう!」

 「時間がないわ。走って、リサ!」

 セシリーナがリサの手を引いて駆けだした。

 「うわ、待ってくれ!」

 いつも一番反応が遅いのは俺だ。


 「木の周りの草を刈って、周りに油をまいて火を放つのよ!」

 木の周囲の草を刈り払ってセシリーナが叫んだ。俺とサンドラットもすぐに草を刈る。


 「よしできた。これでいい」

 サンドラットが剣を戻すと、腰に下げていた壺の蓋を開けて油をたらす。

 「油に火をつけるんだな」

 俺も短剣を戻し、トーチの火を油に近づけた。


 「さあ、早く登って」

 「俺が先に登ろう!」

 サンドラットが身軽に登って、木の股のところにかがんで手を伸ばす。

 「リサをお願い!」

 「こっちだ、リサ」


 リサを上に押し上げた後、自分も手際よく登ったセシリーナが最後に残った俺を振り返った。


 「カインも早く!」


 俺は、ずるるる……途中まで登ると力尽きて落ちる。


 「の、登れん……」

 「カイン! 何してるの! 早く、早く!」

 近づいてくる黒い波。


 「カイン、お前、まさか木のぼりができないのか!」

 「おう! そうだな!」

 俺は腰に手をあてて大声で答えた。

 隠してもしょうがない。


 「まったくもう。お前という奴は!」

 そう言うとサンドラットは急いでロープをたらした。


 「これを体のどこかに巻きつけろ。なんとか引き上げてみる」

 「すまん。手間をかける」

 どこ結べば良いのか焦る。黒い群れは歩く屍人たちの死骸を貪っているが、そのうち何匹かがこちらに気づいたようだ。


 「パンツの紐に! それは丈夫なのよ!」

 セシリーナの声が聞こえた。

 うーむ、俺のパンツの紐の正体はばれていたようだ。


 素早く紐にロープを結ぶと、サンドラットとセシリーナが二人がかりで俺を引き上げ始めた。


 俺は猛獣の餌にされる生餌のように吊るされている。


 「ごめん! カイン! 足場が悪くてこれ以上は持ち上げられないわ!」

 「すまんな! そこで何とか耐えてくれ!」

 どうやら、引き上げきれないらしく、途中でぶらぶらと吊り下げられている情けない状態だ。


 足元では火の手で止まった大牙油虫の群れががちがちと牙を打ち鳴らして取り囲んでいる。


 「大丈夫だ! 奴らは火を恐れている!」

 さあ、そろそろ、もういいだろう、餌は無いぞ、早く帰ってくれ……と祈る。


 ぶぶぶぶ……嫌な音がした。


 そうだった、虫には羽という便利な物がある。

 火の向こう側で次々とたたんでいた羽を伸ばし羽ばたき始める。嫌な予感は当たるものだ。


 「ひやっ!」

 俺は飛んできた大牙油虫に骨棍棒で応戦した。

 ぶらぶら大きく揺れるので虫も簡単には齧りつけないようだ。


 「あー。カインが食われそうだ」

 サンドラットの半ば諦めたような声がした。冗談でも言うなよと思うが、今はそれどころではない。右に左に骨棍棒で虫を叩き落す。


 「カインーーーー! がんばってえーー!」

 「なんとかしなくちゃ、なんとか」

 セシリーナはポシェットに手を突っ込んで何かを探している。


 俺は手足をできるだけ縮めて周囲に滞空する虫どもを棍棒でなぎ払い続ける。


 だが、それも限界だ。

 ぶぶぶぶぶ……羽音が後ろから聞こえる。

 もうだめかもしれん、無防備なケツの方に奴らが集まってきている。そこが死角だとわかってきたらしい。虫のくせに賢いやつらだ。一匹、二匹とアタックしてくるのを右に左に体を揺らして避ける。


 いいぞ、そっちがその気なら、いざとなったら思い切り臭いのを喰らわしてやる! 俺は下腹に力を入れた。


 「させない、カインを食わせたりさせない」

 セシリーナは矢じりに布を巻きつけ、そこに俺が調達していた薬か何かをしみ込ませた。


 「さあ、この匂いを感じなさい!」

 そう言って、2、3回空中で矢を振りまわす。


 ぶぶぶぶ……急に音が静かになった。

 そこいら中の虫の触角が無秩序に蠢き始めた。


 「さあ、雌はこっちよ。ほら、ついていくのよ!」

 そう言うとセシリーナが思い切り遠方に矢を射出した。


 ぞぞぞぞ……と黒い群れが蠢きだす。


 「おおっ! 虫が向こうへ移動し始めた!」

 矢の飛んだ方向に黒い絨毯が消えて行く。


 「助かった……危ない所だったぜ」

 俺はセシリーナに手を振った。

 その瞬間、ぶちっと音がした。


 「あ……」

 かなり身体を揺すったせいでロープが切れた。

 俺はそのまま落下、いつものようにケツを逆さに落ちる。


 「うううう……」

 俺は頭を撫でながら、無様な姿から立ちあがったが、少しふらふらする。


 トンと身軽にセシリーナが下りると何も言わず俺に抱きついた。ふくよかな柔らかい胸の感触。


 「大丈夫?」

 セシリーナが俺を見つめた。

 ああ、俺は生きているのだ。と実感する。


 サンドラットがリサを抱っこしながら滑り降りてきた。


 「カインーー! 無事なのーー!」

 リサも俺の腰に抱きつく。

 「大丈夫! ほら、どこも齧られなかった」

 俺はセシリーナの背中を撫で、リサの頭を撫でた。


 「お前なーー」

 サンドラットは目を覆って指差す。


 「あーー! カインのお尻が丸見えーー!」

 リサがびっくりして大声で叫んだ


 「ええっ?」

 「気付かなかったの?」

 セシリーナが笑った。


 俺の尻はズボンからパンツまで齧られて大きな穴が開いていた。なんと! 尻が丸だしである。


 それだけならまだ良い。

 毛玉というか、俺のが後ろから丸見えである。


 「たまたま、ぶらりん!」

 わざわざ少し屈んで直視したリサが目を大きくして言った。


 「王女がそんな事をいっちゃだめですよ。さあ、早くそのズボンとパンツを脱いで。ここに替えがあるから着替えて」

 そう言って魔法のポシェットから俺の着替えを出してくれた。

 準備万端だ、流石は俺の妻は違う。俺は木の影でそそくさと着替えた。


 「虫が戻って来ないうちにここからできるだけ離れよう」

 「ああ、虫の大量発生は気になるが、あれの駆除は帝国の問題だろうしな」

 「行きますよ、リサ」

 俺たちは荷物を確認し、急いでその場を離れた。

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