5 ロッデバル街道

第76話 スーゴ高原の襲撃者

 ロッデバル街道を南へ進む一行。

 俺は立ち止まって振り返り、古びた轍の続く石畳を掃き晒す強い風に目を細める。


 微細な砂混じりの東風で霞がかかったように視界が悪く、それでも大都市だけあってデッケ・サーカの街は遥か遠くにけし粒のように見えている。


 「どうかしたの? カイン」

 セシリーナが俺の気配に気づいて歩みを止める。


 「いや、何でもないよ。それにしても今日もひどく風が強いな」

 「季節風よ、この辺りでは珍しくないわ。慌ただしく出発したからね。……ほら、旅商人たちが風が収まってから出発した方が良いぞって言ってたじゃない?」

 「俺たちは逃亡中の身だから、一つの街に長く留まるのは危険だろ?」


 俺たちは、というか俺は、逃げるように街を後にした。その理由は、もちろん誰にも言いたくもない。


 ボロ長靴を履いた変態の話は、クリス亭に舞い降りた美少女の噂とセットになって、あっと言う前に広まってしまった。道行く人の目が痛くて街にいられなかったと言うのが本音だ。


 「相変わらず誰ともすれ違わないな。人っ子一人通らない。こんな大街道なのにな。このところ街道に危険な魔物が出ると言うので、みんな避けているのかも知れないな」


 「いやな事を言うなよ、サンドラッド」


 「たしか魔物に人が襲われて食われたって話だったな」


 「このあたりは大戦で無人になってから野獣も増えているの。人を襲う獣も多く棲息しているのよ。気をつけないとね」


 「リサは、みんなが一緒だからへいきーー!」

 サンドラットに抱っこされて前を行くリサが振り返った。


 デッケ・サーカの街を出てしばらく経つが、ロッデバル街道は不気味なほど人通りが無い。

 大街道のはずだが、セシリーナが「こんな事は珍しいわ」と言うほど、まったく他の旅人や商人とすれ違わない。これは異常事態だと言えそうだ。


 何かが起きているのは間違いない。この先で一体何が待ち受けているのか、人どころか獣の姿すら見かけないからなおさら気持ちが悪い。


 帝国新道と分岐する前まではちらほらと人がいたので、今はみんなそっちを通るのだろうという見方もできるが、こっちの街道の石畳も補修されたばかりで真新しい。


 主要街道としての役目が終わっているという感じは全くしない。一定間隔で植えられた立木が風で揺れており、適度に日陰がある心地よい道なのだ。


 ロッデバル街道はデッケ・サーカからスーゴ高原を抜けてシズル大原に出る。


 途中、スーゴ高原を二分する大断層を越えた地点でロッデバル街道と帝国新道が分岐している。この断層帯までが旧王国の支配域だったというから、旧王国がいかに大国だったかが分かるだろう。


 シズル大原に出ると街道は中央回廊と呼ばれる東西方向の大街道と交差する。その交差点にあたる旧カンッツ国の国都ヤッシロが俺たちの当面の目標地点だ。そこからアパカ山脈へ向かう西シズル中央回廊に入る。


 次の街までは徒歩でさらにあと2週間、馬車なら4日の距離だという。本来なら馬車を使う距離だが、旅馬車は帝国新道を通るルートで運航しており、帝国兵の検閲は厳しい。


 それに切符を買うにも身分証明書が必要だ。俺もランドサットもそんな物は持っていないため馬車は使えない。セシリーナの持っている認識票も今では逆に手配対象になっているかも知れないので使えないという訳だ。


 「なに? どうかした?」

 セシリーナが俺の視線に気づいた。


 俺たちの他には誰も通らないので、セシリーナは素顔だ。

 青色の光沢を放つ黒い豊かな髪をなびかせて解放感に浸っている。きらきら光る澄んだ瞳に俺が映ると、その笑顔がたまらない。


 「いや、セシリーナに見惚れてしまったたけだ」


 「な、何を急に、バカね」

 そう言いつつも、そっと俺の手を握る。


 ちょっと冷えた手の柔らかさに優しさを感じる。街では日中はずっとオリナの姿だったから何だか新鮮だ。


 「カインの手は好きよ、大きくて安心する」

 「そ、そうか……」

 それにしてもデッケ・サーカの街でのクリスティリーナの人気ぶりは凄かった。その彼女を昼も夜も独り占めしているのだ。俺が危険だというサンドラットの話は十分うなずける。


 「お二人さん、そろそろ危険地帯になるから油断しないでくれ。隊商がこのあたりで魔物に襲撃されたそうだからな。武器の準備を頼む」

 地図に目を落としていたサンドラッドが立ち止まった。


 サンドラットの情報収集能力は凄い。事件の詳細は把握しているのだろう。魔物の種類も目星がついているのかもしれない。


 「武器? ああ、これだったな」

 俺は街を出る直前に手渡されたトーチを背中から外した。そうでなければわざわざこんな物まで急に準備するわけがない。


 「カイン、それは獣用だ。万が一近づいてきた時に火を使って追い払う。その他の武器もいつでも使えるようにしておくんだ」


 「わかってる」

 「ええ、油断しないで行きましょう」

 セシリーナは弓矢を背中に装備した。


 サンドラットはリサを道に下ろした。リサは14歳とは言え身体が8歳程度なので疲れが見えたら交代で抱っこやおんぶをしている。


 「何かあったら、カインの後ろに隠れろよ」

 「わかった。カインにくっつくの大好きだからね!」

 リサはうなづく。


 四人が警戒しながら丘を登ると、下り坂の道の途中に車軸の折れた馬車が3台放置されている。馬車は通行の邪魔にならぬよう道端に除けられているようだ。


 「どうやらあそこで襲撃されたようだな」

 「見通しは悪くない場所だわ。馬車の速度でも逃げ切れない魔物かしら」

 「草の背が高いからな。草よりの背の低い魔物なら、気づかないうちに接近されるかもな」


 丘から見下ろす高原は広大で、どこまでも草がなびいていて、まるで緑色の海のようだ。


 遥か東方の海辺から流れてくる風は途中に遮るものがないため、こんな大陸内部まで弱まることなく吹きつけてくる。かつてはこの草原地帯やその向こうの大湖沼地帯にもいくつかの小国があったらしいが、戦火に焼かれ無人の廃墟になっているそうだ。


 しかし、廃墟になっているだけならまだマシだ。


 高原の東、海に面したエッツ公国攻防戦で、帝国軍はその強固な王城を陥落させるため、”人を狂わせる毒”を初めて使用した。大地にしみ込んだ毒の効果は10年くらいでは消えず、現在は立ち入り禁止区域になっているらしい。


 そこは毒のせいで恐ろしい姿になった元人間や魔獣の変異種が大量発生し、今では危険な魔物の巣になっている。魔物の駆除に手を焼いた帝国は周囲に結界魔法を張り巡らせ、魔物が外に出てくるのを押さえこんでいるという話だ。だが、どの程度の結界なのか、そういう場所から大量発生した魔物があふれ出しているという噂は常に人々を不安がらせている。


 かつてスーゴ高原に広がっていた田園地帯は誰も耕作しなくなって久しく、広大な耕地が徐々に原野に戻りつつある状況だ。時々、崩れた建物らしき影が墓標のように見えることがある。こんな藪だらけの野原に帝国が生み出してしまったそんな怪物がうろついていたとしても何の不思議もない。


 「何か見えたか? カイン」

 「いや、何でもない」


 「生存者がいないからどんな魔物かわからないそうだが、遺体の骨には細かな噛み跡が見られたそうだ。このあたりに出没する草より背の低い魔物で、骨まで齧ると言えばなにが考えられる?」


 「大牙油虫おおきばごきぶりか、毒大ネズミか、そんなところかしらね?」


 「さすが、セシリーナ嬢。たぶんそんな所だと思う」


 あいつか、草原の嫌われ者だ。テラテラ光る羽は剣を通さない、というか羽にあたると刃が滑ってそれてしまう。カサカサと素早く動いて人であろうが馬であろうが手当たり次第に肉をかじりとっていく大牙油虫。

 それとも、腐った肉を好物として、口の中が病原性の菌だらけだという大型ネズミ。


 「群れで襲ったなら毒大ネズミの可能性が高いかな?」

 「俺としては隊商を全滅させるほどの数がどうして繁殖したのかが気になるが、そのことについては、帝国兵は無関心らしい」


 「この付近での野営は止めておいた方がいいな。明るいうちに少しでも安全な場所へ移動しよう」


 「ああ」

 「そうね」


 付近は一面の草原で身を隠すような場所がないためか、どうも緊張して疲れるのが早い気がする。囚人都市でいつも何かに隠れていたからなのだろう。


 「股間の金ぴかアーマーや背負い袋がちょっと重いな……」


 なぜこんなに背負い袋が重いのか。理由は簡単だ。実は背負い袋にはエロ雑誌から選りすぐった切り抜きがまだ大量に入っているのである。

 不要なページは全部燃やしてきたが、愛しの妻の記念品はそうそう捨てられそうにない。


 「大丈夫か? カイン?」

 サンドラットが水筒を手渡す。


 「少し体力回復の薬草を煎じてある。お前にもらったやつだ」

 「そうか、ありがとう」

 おお、水がうまい。次の野営地の水場に着くまで水も貴重なのだが、こう暑いとどうしても消費してしまう。


 「二人とも気を付けて! 向こうから誰かこっちに来るわ、様子が変よ、注意して」

 水筒をサンドラットに返した時、セシリーナが声を上げた。

 見ると、街道をふらつきながら向かってくる人影がある。


 「歩きかたが変だな?」

 「熱中症か?」

 一人、二人、いやもっといる。いくらなんでも全員が熱中症ということはないだろう。


 「ヤバイぞ! あれは人間くずれか、歩く屍人かもしれない」

 サンドラットが長剣を抜いた。デッケ・サーカで新調した剣である。


 「数はあれだけか? 仲間を呼ばれる前に逃げた方が良くないか?」

 人間くずれだったら、周囲にいるモドキを眷属化するだけでなく、近くにいる人間くずれを呼び寄せてその数を増やす。


 「もう遅いわ! 後ろを見て!」

  いつの間に回り込まれたのか、後ろからも数人の化け物が向かってきている。


 「前から三人、後ろから二人かよ。人間くずれだったら噛みつかれるなよ!」

 「怖いな、噛みつかれるとやはり人間くずれになるのか?」

 「いや、物凄く痛いって話だ。奴ら手加減を知らないからな」


 「動きが遅い。あいつらは歩く死人型か、そうでなければ歩く屍人よ。それにたぶん元は市民か農民よ。訓練された騎士や兵士なら大変だけど、力を合わせればなんとかなるわ」

 確かに姿や服装を見れば騎士でないのは間違いない。


 「だが、こっちはリサを守りながらだからな」

 俺も骨棍棒を手に取る。


 こんな時に範囲攻撃できる魔法が使える者がいると良いのだが、セシリーナは魔族なので魔力はあるが、そう言った強い攻撃魔法は使えない。魔法使いは生まれながらの資質が大きいのだそうだ。簡単な攻撃魔法は使えても弓の方が威力が大きいらしい。


 セシリーナが弓を構えた。大峡谷の奴もそうだったが、獣化型の姿はない。もしかすると獣化型は特殊なのかもしれない。


 「私もやる! ほら見てーーカイン!」

 リサも道端に落ちていた棒を拾って俺の真似をした。なんだかほっこりする様子だが、彼女なりに真剣に身を守るつもりだ。


 しゅっと隣で風切り音がして、先頭にいた化け物が大きく仰け反った。


 矢が太った男の頭部を貫通して止まっている。

 だが、一旦姿勢を崩したそいつは再び何事も無かったように歩き始める。


 「丈夫な連中だな。あいつら人間くずれじゃねえな。歩く屍人だ。カイン、トーチに火をつけろ。近づいた奴から燃やしてしまえ!」

 そう言ってサンドラットが剣を構えて駆けだし、化け物に斬りかかった。その背後からセシリーナの矢が援護する。


 見事な連携攻撃。

 矢が命中してのけぞった先頭の屍人を、サンドラットが横なぎに叩き斬る。胴と足が離れてしまえば奴らも動けなくなり、首を落とすと徐々に朽ちて行くしかない。


 次の矢が、サンドラットが態勢を戻すタイミングで歩く屍人に命中する。下から上へ剣を振り切ったサンドラットの前で腰から肩へ切断された男が倒れた。


 あと一人という所で、横なぐりの強風がセシリーナの援護を邪魔した。歩く屍人が急に駆け出すとサンドラットに襲いかかった。


 「!」

 だが、俺はその結末を見ている余裕は無かった。こっちの敵も目前に迫ってきた!


 「わーー来たよーー! カイン!」

 しけも、リサが俺のズボンを引っ張る。

 対処に遅れ、先制攻撃のチャンスを失する。

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