9 動乱の序章

第145話 <<砂漠の盗賊サンドラット ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 砂漠に強い風が流れ、地平線をぼんやりと曇らせている。

 空は青く、緩やかに起伏する大地は淡黄色に染まっている。


 男たちは街道を見降ろす砂丘の稜線の影で身をひそめていた。

 布を背にして這いつくばっていれば、すぐに布は砂で覆われて見えなくなる。


 わずかに石畳の痕跡が見える街道に数騎の馬影が現れた。

 次第にその数が増していく。


 「全部で20騎程か……」


 雰囲気からしてどこかの貴族が旅をしているようだが、馬に跨る男たちの雰囲気は幾度も死線をくぐり抜けてきたかのような気配がある。


 「手強い連中かもしれませんぜ」

 「だが縄張りを断りもなしに通る者を見逃すわけにはいかない」

 男たちは目配せをする。

 隊列の中央に一際立派な馬にまたがる少し小柄な人影がある。おそらくあれがこの隊列を率いる貴族なのだろう。


 隊列は2列で横長である。

 砂塵が長く吹き付け、視界を遮ったタイミングで貴族を襲えば、直接相手にするのはせいぜい2、3人だろう。


 男たちは妙な具合に曲がった曲刀を抜いてその時を待った。


 この地点では強い砂塵が一定周期で吹く。

 砂塵と共に現れ、砂塵と共にお宝を奪って消えるのが、砂漠の民サンドラットの手法なのだ。


 その時が来た。

 強い風が吹いた。

 声も無く、十数名の盗賊たちが砂丘を駆け下る。


 視界がほとんどない砂塵の中でも、周囲の地形と砂に隠れる直前の隊列の配置は覚えている。目をつぶっていても襲撃できるのだ。逆にこの状態で襲撃を防げる者はいない。


 今だ!

 男は曲剣を振りかざした。

 まずは貴族たちの乗る馬を仕留める。馬の首を掻き斬るのに適した剣なのである。


 「!」

 砂塵の中で剣が空を切った。


 「何っ?」

 予想外の手ごたえに男の顔に一瞬動揺が見えた。

 「いねえ!」

 「隊長! 奴らがいねえ!」

 周囲から仲間の声がした。


 ヤバイ、直感がそう告げた。

 「移動だ、留まるな! 襲撃は失敗だ。逃げろ!」


 男たちは街道下に向かって駆けだした。坂の下には逃亡用の馬が隠してある。


 風が止んだ。


 「!」

 男たちは絶句した。

 逃亡用の馬がつないである岩陰の前に女がいた。


 黒い髪をなびかせたその顔を見た瞬間、男たちは硬直した。あまりにも美しい。この世の存在とは思えないほどの美少女である。その優しい微笑みは、まるで死者を迎えに来た天女のようだ。


 「あれは? まさか吟遊詩人の詩に出てくる精霊や女神じゃないだろうな?」


 「隊長、周囲を見てくだせえ、取り囲まれていますぜ」

 優秀な手下であるミドゾウの声がその頭を正常に戻した。


 見渡すと、さっき街道を2列で進んでいたはずの騎馬が既にぐるりと周囲を取り囲んでいる。数的にも向こうの方がやや多く強行突破は難しそうだ。


 「どうしますか? やりますか?」

 その圧迫感に中央にじりじりと集まってきた手下たちの表情が硬い。


 この状況で斬りかかっても、多少は相手にダメージを与えるかもしれないが、おそらくこちらは全滅だろう。曲剣ではあの騎士たちが装備している鎧を斬ることはできない。急所を狙えば倒せなくもないが相手も熟練の騎士らしい、圧倒的に不利だ。


 それより何よりも正面でこちらを見ているあの少女だ。美しさの影に人が触れてはいけないような恐ろしい気配がある。

 背中に背負った大剣は見掛け倒しというわけではないのだろう。


 「だめだな。みな、剣を捨てろ。降参するぞ」


 「そんな! 我々は死刑にされますよ」

 「俺が突破口を開きます!」


 「止めておけ! 無駄だ。あれのどこに隙がある?」

 彼の言葉に若い男はギリギリと歯を食いしばって騎士たちを睨んだ。


 「俺が話をしてみよう。今すぐ斬り殺されるよりはマシだろう。ーーーー降参だ! 話がしたい!」

 男は剣を地面に置くと、両手を上げて数歩前に出た。


 「お前がこの盗賊団の親玉か?」

 少女が進み出て男を見た。


 「俺は、この辺りを治める盗賊団サンドラットのムラウエだ。降参する、話がしたい」

 やはりこの美しい少女がこの騎士たちのリーダーだったらしい。どこの国の大貴族なのだろうか、少女の兵装は初めてみる上品なものだ。


 「そうか、お前たちがサンドラットですか。噂は聞いています」

 美少女はあまり警戒していないようだ。一見無防備な様子でさらに近づいてきた。

 一歩踏み込めばその首を落とせるような距離である。少女は素手だ。大剣を背負っているが、あれをとっさに抜くことはできないはずだ。


 ミドゾウがヤルかという視線を送ってよこすが無視する。確かにこの娘を人質にとれば逃げられるかもしれないが、どうもそんな事ができる相手ではなさそうだ。


 「あんたは? 俺たちをハメたその手腕、ただの貴族とは思えないな。それに周りの騎士の格好もこの辺りでは見かけない」


 「我々はドメナス王国の者だ」

 いつの間にか少女の傍らに姿を見せた騎士が答えた。


 「ほう、ドメナスねえ。それで? そんな遠い国の者がわざわざ俺たちを捕まえてどうするつもりだ? 近くの国の警護隊にでも差し出すのか? それともまた領土拡大策に転じたか?」


 ドメナス王国は東の大陸随一の超大国だ。その影響力は50年ほど前まではこの付近にまで及んでいたが、西方諸国との紛争の激化でずっと南へ撤退して久しい。それが再び領土拡大を狙うほど国力が充実してきたとすれば憂慮せざるを得ない事態となる。


 「いや、違う。お前たちはただの盗賊とは違うんだろ? いまやその力は北砂漠のオアシス一帯におよび、もはや一つの国のようになっていると聞いている。他の国にお前たちを差し出しても事を荒立てたくないはずだ。どうせ穏便に釈放される。それとドメナス王国が再び領土拡大の野心を持ったということも違う」


 「それでは、こんな所をうろうろして一体何をしたい? そんな兵装をして観光ってわけじゃないんだろ?」


 「我々は西の街へ行きたいだけだ。無事に通してくれれば何も文句はない。もしそれが嫌だと言うのであれば、障害は排除せざるを得ないな」

 少しの脅しの色を込めマルガは、ムラウエの顔を見つめた。


 ムラウエは少し面白そうに口元を緩め、その隣にいた巨漢の男が難しい顔をして前に出た。


 「ここは俺たちが支配する場所だ。断りもなくこの街道を通る者をすんなり通すわけにはいかねえ。そうだな、通行税を払うっていうなら少しは考えるが。それとも、俺たちに護衛を頼むという方法もあるぜ。金は通行税の4倍になるけどな」

 ミドゾウがマルガを見下ろした。


 「どうします? 姫、こんな連中ですが?」

 その騎士は美少女に答えを求めた。姫ということはドメナス王国の姫だということだろう。

 そうかこれが黒い旋風と言われる例の王女かとムラウエは納得した。流石にその噂は耳に入っている。確かにその美貌は噂以上、まさに女神のように美しい。だが、戦士としてはどうなのか? 本当に噂ほどのものか?


 「姫と言う事は、あんたが魔獣討伐で華々しい活躍をしたというサティナ姫なんだろう? 本当にそれほど強いのか手合わせしてもらえないか、ここにいるミドゾウはサンドラット一の剣士なんだ。こいつに勝ったら通行を許可する。もしあんたが負ければお宝を置いて立ち去ってくれ」

 ムラウエは今にもマルガに斬りかかりそうな雰囲気のミドゾウを押しとどめた。


 「何を馬鹿なことを。姫がそんな戯言に付き合うものか」

 

 「いや、そうだな、もしこいつに勝ったらサンドラットを挙げてあんたたちに協力してやってもいいぜ、砂漠を行くのに俺たちの協力があるのと無いのとではかなり違うはずだ」


 これでどうだ? この条件なら応じないか?

 ムラウエはマルガたちの様子をうかがう。ミドゾウは短気だ。これ以上ミドゾウが暴れるのを押し止めるのは難しい。ここで彼を失うわけにはいかないのだ。


 「そんな馬鹿な申し出、誰が……」

 「まあまてマルガ。ムラウエと言いましたね。お前にそんな約束をする権限があるのですか?」

 吸い込まれそうなほど澄んだ瞳がムラウエをじっと見た。自分の考えを全て読まれるような気がするが、その瞳から目を離すことができない。


 「これでもサンドラットをまとめる里長の一人だぜ」

 ムラウエが答えるとサティナ姫の口元に笑みが浮かんだ。


 「では、ムラウエ、約束しなさい。私が勝ったらサンドラットは私たちの協力者になる。そう言う事で良いですか?」


 「ええっ、受けるんですか? 姫?」

 マルガが頭を抱える。まったく姫のお転婆ぶりにはいつも泣かされる。こんなつまらない事で姫にもしもの事があれば、と言うか、顔に傷一つでもついたらマルガはどう責任をとれば良いのか。


 「お止めください、姫。勝負であれば私が出ましょう」

 マルガの背後から巨漢の騎士が顔を出した。バルカットだ。


 話にならない、と言う感じでムラウエは肩をすくめた。


 「バルカット、気持ちはうれしいが、ムラウエは私がミドゾウと戦うことを希望しているようだ。試合ということになるが、場所はここで良いのか?」


 「さすがはドメナスの姫、胆力がある。場所はここだ。試合は我々の形式で行ってもらいたい。馬の毛を束ねた胸飾りを下げてもらう。相手の胸飾りを奪うか、相手が戦闘不能になったり参ったと言えば終了だ」


 「戦闘不能には、相手が死んだ場合も含まれるのですね?」

  姫の問いに、ミドゾウがニヤリと笑った。

  肯定という意味だろう。


 「仕方がありませんね。危なくなったら中止させますからね」

 マルガはそう言って全員を岩壁際に移動させた。

 もちろん騎士たちが盗賊連中を厳重に取り囲んで逃亡しないように見張っている。


 「姫、武器はどうします?」

 「間違って殺さないようにしないとね。マルガの指揮棒を貸してくれる」


 「指揮棒ですか、こんなもので良いのですか?」

 「あの相手には丁度良いでしょ?」


 サティナたちと対面してムラウエとミドゾウが立っている。

 ミドゾウの武器は両手の曲剣だ。


 「いいか、殺すつもりで行け。あの娘が本物ならば殺す気でなければ逆に殺されるぞ。いいか、油断するな」

 ムラウエが耳元で囁く。


 「元より手加減ができない性質なのは隊長も知っているだろう。まあ任せておけ、ここは俺たちの土地だぜ」


 再び風が出てきた。

 ムラウエは片手を挙げてタイミングを計る。

 もうじき強い風が吹く。その時こそミドゾウが本領発揮できる時だ。ずるいと言われようがそれがサンドラット流なのだ。


 「両者構え! 試合始め!」

 ムラウエが手を振り下ろす。

 それを合図にしたかのように砂塵が巻きあがった。不意に一面の砂嵐で視界が無くなる。


 「姫!」

 マルガの声が慌てている。


 「遅いっ!」

 ミドゾウは足音を砂塵に紛らせ、姫が立っているはずの空間に跳ぶ。もらった! 姫が接近に気付いた時には顔と顔がぶつかるくらいの距離だ。一瞬で胸飾りを引きちぎって終わりだ!


 「!」

 だが、ミドゾウが姫の姿を視覚に捉えたと思った瞬間、姫は残像を残して消えていた。


 風が弱まる。

 背後で砂を踏む音を捉えてミドゾウはとっさに転がった。

 ミドゾウの右肩を姫の一撃が掠めていた。


 どうやって俺の一撃を感知した? 

 ミドゾウは体勢を立て直しつつ曲剣を払った。


 カーン……と金属音がして姫が曲剣を指揮棒で止めたとわかる。


 再び砂塵が舞う。

 砂嵐の中から金属音だけが数度響く。


 「姫っ!」

 マルガたちには中でどんな攻防が行われているかまったくわからない。


 「不味いな……」

 ムラウエだけが苦い顔をしていた。

 視界の悪い中で戦うのはサンドラットに有利の状況だ。

 しかもミドゾウは砂塵の中で気配を消して相手を倒す腕は里一番の男なのだ。それが未だに決着をつけられないでいる。最初のあの一撃をかわされるとは思いもかけない事態だった。


 「まもなく風が止むぞ。有利な条件がなくなる前に仕留めろ」

 ムラウエは固唾を飲んで見守る。


 音が止んだ。

 ムラウエが眼を凝らす。


 風が止まった。

 全員の眼がその光景に釘付けになる。


 ミドゾウは前方に踏み込んだまま両手を左右に広げていた。

 手の曲剣の角度から、胸元でクロスさせた剣を外側へなぎ払ったのだとわかる。ミドゾウ必殺の技である。


 だが、周りの目はミドゾウの上に集まっている。

 ミドゾウの頭の上である。


 サティナがミドゾウの頭の上に片足で立ち、指先で馬の毛の胸飾りをくるくると回していた。


 「ミドゾウ!」

 ムラウエはミドゾウの胸飾りが無いことに気付いた。ミドゾウは動かない。もしかすると既に殺されているのではないのか。心臓が止まりそうになる。


 「ミドゾウ!」

 ムラウエはもう一度叫んだ。


 それを合図のようにサティナがポンと軽くその頭を蹴って地上に降り立った。


 「え? ええっ?」

 その瞬間、ミドゾウが我に返って左右を見た。

 どうやら生きている。ムラウエはほっと胸を撫でおろした。


 「見事だ。……お前の負けだ、ミドゾウ」

 ムラウエは何が起きたか理解できないでいるミドゾウの肩をポンポンと叩いた。


 「俺たちの負けのようだな。サティナ姫、あんたの勝ちだ。悔しいがサンドラットはあんたらに協力することにする。それで?  俺たちは何をすれば良い?」


 「そうね、それではまずは貴方たちの里にご招待して頂こうかしら? 話はその後で」

 「姫? 西に向かうはずでは?」

 「いずれ向かいますよ。もちろんね」


 「ええーー?」 姫がまた何かする気満々だ。


 「さっそく案内願います。ムラウエ殿」

 顔が引きつるマルガをよそにサティナはムラウエに優しく微笑んだ。

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