第149話 逃亡者・追跡者・迎撃者

 穴熊族の村クマルン。


 アパカ山脈の南東の岩山の洞窟の中に作られた人口二千人の村である。主な産業は洞窟で採掘される魔鉱石だ。魔鉱石は生活用品から軍事用まで様々な魔道具に用いられる。


 付近には旧アパカラ河による入り組んだ峡谷が広がり、似たような洞窟集落が散在する。峡谷と言ってもアパカラ河の河道は何百年以上も昔に北に移動しており、峡谷の中は雨季に小川が流れる程度である。


 西シズル中央回廊に通じるアパカ南山麓街道はクマルン村の手前で大湿地への道と枝分かれしている。

 クマルン村からさらに南へ進むとしだいに森が深くなり、平野と森の境には森の妖精族が暮らすラフサット村がある。

 さらに奥地の森林は魔獣の住処である。多少知恵のある魔獣とも人ともつかぬ者が幾つかの集落を作っているという。


 少数民族が多い地域で元々国と呼べるものは殆ど無く、帝国もこの一帯からアパカ山脈にかけてはその独立性を認めており、属国や属領という程度の緩やかな統治を行っている。


 魔族に類する人々が多く、純粋な人族が少ない地域であることもその理由だ。現在の魔王国は人族には厳しいが、それ以外の民族には比較的寛容らしい。


 穴熊族は大きな洞窟に村を造っており、比較的高所に住んでいる。このクマルン村は最も標高の低い場所にある穴熊族の村と言う事なのだが……。


 俺は荒い息を吐きながら急な坂道を登っていた。


 「何が、穴熊族の村にしては珍しく低い場所にある村だ……ハアハア……」

 アパカ南山麓街道を別れて山道に入ってかれこれ半日、ずっとキツイ上り坂が続いている。


 「カイン、ひ弱過ぎるわよ」

 リサの手を引きながらセシリーナが振り返った。

 その前をリィルとミズハがおしゃべりしながら歩いている。


 拾った木の棒を杖代わりにして、ひいひい言いながら最後尾を歩いているのが俺だ。


 リサですらまだまだ元気だ。

 いや、リサは身軽だ。荷物も背負っていない。俺はリサの分も荷物を背負っているのだ。


 しかも、次に通り過ぎる者が男か女かというつまらない賭けをしてリィルに負けた俺はリィルの荷物まで背負っている。


 次の村までという事で軽く考えたのだが、考えてみればリィルはこの辺の地理に詳しいのである。

 しかもリィルは盗賊である。俺の知らない所で何か姑息なズルをしていても俺は全く気づかないだろう。言ってみればまんまとリィルに騙されたのである。


 「あれは大丈夫か? 死にそうな顔をしているぞ。荷物持ちを替ってやった方が良いのではないか?」

 ああ、ミズハの言葉が優しい。胸に染みる。


 「あれくらいで丁度良いんですよ。普段から怠けて身体を鍛えもしない男ですから。少しは身体を鍛える必要があるんです。この先も帝国の追手から逃げ続けなければならないんですから、逃亡者に甘えは許されないのです」

 リィルがそっけなく答えた。


 「まあ、確かにカインにはもう少し強くなってもらう必要があるわね。この先はこれまで以上に危険な旅になるだろうしね」

 セシリーナがうなずいた。

 なんということだろう。俺の味方はついこの間まで敵の大幹部だったミズハだけか? 


 リサが振り向いた。俺を大好きなリサだ。リサくらいは俺の味方だろう。


 「カイン、頑張ってネーー」

 にっこりと笑う。

 微妙だ。


 「だが、本当に心臓まひでも起こしたらどうする? 人族の心臓は一つしかないのだろう?」

 ミズハはやはり優しい魔女だ。


 「大丈夫ですよ。カインの心臓には毛が生えていますから。それにそんなにひ弱な心臓だったらとっくに死んでますよ。カインは夜に非常に強い男なんです。アリス様がいなくなったとたんにこっそり森の奥で一晩中子づくり、しかも凄い奥義を連発ですよ……、ねえ、セシリーナ様?」

 なんという事を平気な顔でさらりと言うのだリィルは。


 見ろ、セシリーナが真っ赤になっている。


 「ふーーん、確かに子づくりに強い男であれば、この坂道程度、何の問題も無いのであろうな。なるほどなるほど」

 ミズハが妙に納得してしまった。


 はかなくも俺の味方は消えた。

 こうして物々しい砦のようなクマルン村の入り口に辿りついた頃、俺はほとんど死んでいたのである。



 ◇◆◇


 ―———スーゴ高原から続く長い下り坂の一帯は常ならざる深い霧に包まれていた。


 まもなくアッケーユ村が見えてくる距離だが、早朝に高原を覆った霧が季節風にあおられ一斉に坂を流れ落ち視界を遮っている。


 その濃い乳白色の霧の中、複数の影が同時に走った。

 幾度も刃が閃き、金属音が響く。


 渦を巻く霧の中、戦っているのは魔王一天衆の鬼天ダニキア直属のエリート集団、鬼天暗殺衆の4人である。


 全員が鬼天配下であることを示す異形の鬼面をつけており、腰に下げた細身の反りのある暗殺用の短剣はその階級を示している。


 帝国兵であれば、与えられている武器や仮面の種類からそれは暗殺衆の中でもかなりの強者であると一目で分かるだろう。


 「ベス! 左だ。左に行ったぞ。気をつけろ! カナベ、ベスを援護しろ!」


 いつも冷静なゲマボンの声に緊張感が混じるのはいつぶりだろう。ベスは剣を逆手に持ち、跳躍して敵との距離を置いた。

 真っ先に応戦したゲマボンの様子から、この敵が尋常でないという気配がひしひしと感じられる。

 

 「オドスはどうした? 付いてきていないぞ!」

 ベスは叫ぶ。

 「奴は足を負傷した! 大丈夫生きている!」

 「二人とも、今は敵に集中しろ! 一気に囲むぞ!」

 霧をまとったカナベがベスの隣に姿を現した。


 暗殺衆随一の追跡者として知られる彼らにとって、旧王国の忘れ形見である幼いリサ王女の追跡など簡単な仕事のはずだった。 

 しかし、一体誰がこれほど追跡に苦労すると予想しただろうか。しかも今度は何者かの襲撃までも受けている。


 「ここで邪魔が入ったということは追跡が正しいということだ! ぬかるなよ!」

 「囲いこめっ!」

 「わかった!」

 3人は同時に動いた。


 リサ王女の行方を追って情報を収集していた彼らはデッケ・サーカの街の食堂で起きた大立ち回りの件を耳にした。


 よくよく聞いてみれば、変態男の男同士の痴話喧嘩という聞くに堪えない話だったが、店の給仕が言った何気ない一言に勘が刺激された。


 “ボロい長靴を履いた変態が……” という一言である。


 確か、囚人都市でリサ王女が何者かに連れ去られた日の前後に街を徘徊していたとある変態の噂があった。


 パンツを時々ずり下げ、半ケツで歩いていたという変態の最大の特徴はボロい長靴を履いていることだった。誰に聞いても、その顔を覚えている者はいなかったが、その変態ぶりだけは印象に残っていたのだ。


 ボロい長靴の変態……こんな特徴を持った男がこの世に2人もいるはずがない。その時点で、彼らはリサ王女連れ去り犯としてそいつの足取りを追う事にしたのである。


 しかし、デッケ・サーカの街以降、その足取りは綺麗さっぱりと消えてしまった。

 変態のくせに実は隠密術の使い手だったのか、それとも何者かがその痕跡を消しさったのか、それはあまりにも見事な手際だった。


 果たして奴は東の海辺へ向かったのか、北へと街道を進んだのか? 部隊を二手に分けるかどうか思案していた時、北へ向かう街道沿いで畑を開墾している農夫に何気なくその変態の特徴を言ったところ、一緒に働いていた真面目そうな男の子が急に頭を抱えて気絶してしまった。


 記憶は無いらしいがボロ長靴の男というキーワードに何かひどいトラウマを受けているようだった。


 その様子を見て、その変態は北に向かったと判断し、スーゴ高原を北上、そして今、まもなくアッケーユ村が見えてくるという所で謎の襲撃者の攻撃を受けているのである。


 「かわされた?」

 「もう一度だ! 回り込め!」

 「今度こそまかせろ!」


 まさか帝国軍、しかも鬼天暗殺衆を襲撃する者がいるとは思わなかった。鬼天暗殺衆は魔王軍の中でも殺戮と暗殺を得意とする部隊である。その殺戮のエリート集団を一人で迎え撃つ馬鹿者がいるとは。


 だが、舐めてかかったのが悪かったのかもしれない。前衛担当のオドスが真っ先に足を負傷して戦列を離れてしまったのが痛い。


 しかもこの敵は深い霧の中から的確に攻撃してくる。

 姿を見せない攻撃は本来なら鬼天暗殺衆の得意分野のはずなのだが、今は逆に翻弄されていると言って良い。


 「ちっ! この敵は強いぞ」

 「ああ、もしかすると同じく各地に散った闇術師たちが次々と消息を絶ったのは、こいつのせいかもしれない!」


 「数的に有利なのはこっちだ。三対一で我々に敵うはずはない! 間違いなく奴を殺せるはずだ」


 ゲマボンが刃を翻し、霧の中の黒い影に飛びかかる。

 反対側からベスが剣を突き刺す。

 それでも逃げた場合の方向を先読みし、カナベが剣を構える。


 ビシ、ビシ! と何かが弾ける音がした。


 ゲマボンが痺れる手を押さえて後退した。

 ベスの手から剣が消え、カナベの足元に剣が突き刺さった。


 「何?」ベスが戸惑う。

 「何だと?」カナベが目を凝らす。


 「カナベ、こいつは本当に強い……気をつけ……ぐはっ!」

 二人の目の前でゲマボンが血を吐いて倒れた。押さえていた手首から紫色に変色したミミズ腫れが、まるで生きた蛇のように這いあがって首元にまで達していた。


 「くそっ、毒だ! ベス! これを!」


 カナベは地面に刺さった剣をベスに向かって放るが、白い霧の中で鞭が唸り、ベスがそれを手に取る前に鞭で叩き落とされてしまった。


 「この視界で見えているのか、化け物め」

 カナベが唇を噛んだ。


 「だが、鬼天暗殺衆の名にかけて、必ず仕留めてやる」

 カナベはそう言いながらベスに合図をする。


 ベスの得意技は実は剣ではない。腰のベルトに挟んだ鋭利な柳の葉のような投擲武器こそベスの一撃必殺の暗殺武器なのだ。奴はベスが剣を失ったと思って油断を見せるに違いない。その時がチャンスだ。


 「死にな!」

 カナベは口元に笑みを浮かべ、黒い影に剣先を向けて柄のスイッチをカチリと押した。

 「お前の相手はこっちだよ!」

 それと同時にベスが動いた。


 カナベの剣先が割れ、無数の毒針が射出される。

 ただでさえ目に見えにくい細針弾である。まして、この霧の中ではこの小さな針を視認することなどできない。

 それに、万一それすら回避するほどの者であったとしても、ベスとの同時攻撃ならば避けられまい。


 ベスが素早く投げた刃が音もなく霧を裂く。

 黒い影は動かない。気づかないのではない、動けないのだ。


 「ったぞ!」

 カナベの両拳に力が入る。


 その瞬間、霧が揺らぎ、何かが破裂するような音が響いた。


 「何か破裂した?」カナベは思わずつぶやく。

 「違う、破裂じゃない」ベスは目を疑った。


 鞭だ。鞭が唸りを発し、カナベとベスの放った刃を全て叩き落としたのだ。二人は目を見張った。


 「この霧の中で叩き落しただと?」

 信じがたい、まだ魔法防御で防がれたという方が納得がいく。


 「たかが鞭一本だぞ、それであの数の刃を弾き返しただと?」 

 彼我の実力差を見せつけられた思いがしてベスは息を飲んだ。


 「馬鹿な……、細針弾だぞ。ただでさえ見えぬのだ。それがこの靄の中で見えるものか」

 詰まった息を吐き出すようにカナベがつぶやいた。


 「霧ですか? 霧はもう晴れてきましたよ」

 その声はぞっとするほど美しい。


 白い霧が薄れゆく中、黒いメイド服を着た美少女が微笑んでいた。恐ろしさより、そのあまりにも美しい容姿と無垢な微笑みに衝撃を受ける。


 「これが敵?」

 現実とは思えないほどの美貌に、これが今まで戦っていた相手だということがすぐに理解できない。


 「カナベ、しっかりしろ、そいつは敵だ!」

 ベスの大きな声でカナベははっと我に返った。


 美少女は手に禍々しい色をした鞭を持っている。やはりこの虫も殺せないような美しい娘が敵の正体で間違いない。


 「お前は何者だ。なぜ、我々を襲う?」

 カナベはそう叫びながらベスに合図する。

 ここは一旦撤退しかない。ゲマボンが倒れた。生死は不明だが、ベスがオドスの所まで彼を抱えて行くことくらいできるはずだ。引き際はわきまえている。それができるからこその鬼天暗殺衆なのだ。


 その時間は俺が作る。

 カナベは相手のわずかな動きも見逃さないようににらんだ。


 「我々を帝国軍と知ってのことか?」


 その美女は答えない。


 ゾッとカナベの身体を恐怖が包んだ。

 恐れを知らないからこその鬼天暗殺衆のはずだ。恐怖と言う感情などとっくに失ったはずなのだ。だが、この美女の微笑みは鬼天暗殺衆としての根幹を揺るがす。


 それが相手の根本を破壊する暗黒術本来の効果なのだが、その知識はカナベたちにはない。彼女を目撃した瞬間に、既にその術中にはまっていたのだ。


 ……動けない……

 カナベは金縛り状態に陥った。

 目玉だけ動かして見ると、隣でベスが硬直したまま青ざめている。一体何が起きているのか、目の前の美少女はずっと微笑んだままだ。


 怖い、怖い、怖い!

 カナベは白目を剥いた。

 恐ろしい! 恐ろしい! 恐ろしい!

 その恐怖にベスは失禁して倒れた。


 霧が晴れると草原に4人が仲良く並んで倒れている。

 戦って敗れたなら、あちこちに倒れているはずなのだが……

 いったいいつから彼女の術にはまっていたのか、そのことに彼らが気づくことは永遠にないだろう。


 4人の頭上に影が落ち、メイド服のイリスはスカートの埃を軽く払った。

 おへその前で両手を組んで見下ろすその姿からは、今しがたまでこの4人と死闘を演じていたとは誰も思わないだろう。


 「さて、カイン様たちを追って来たことは全部忘れてもらいます。貴方たちも闇術への抵抗力なんて無駄なスキルを取得していなければ、記憶操作だけで済んで、こんなに怖い思いをしなくてもすんだでしょうにね」

 イリスはちょっと真面目な表情で片手を男たちの上に翳した。


 「貴方たちは殺しませんよ。まだ利用価値がありますからね。まあせっかくですから、意識の底にカイン様たちや私たちを守るよう術印を刻ませていただきます。それと、これはその報酬、ちょっとしたサービスですよ」


 イリスがパチンと指を鳴らすと、気絶した男たちの恐怖に歪んだ顔がなぜか次第にニヤけだして鼻の下が伸びた。

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