第 5話 サティナ姫との出会い
俺の婚約者、ドメナス王国の宝石、美しきサティナ姫。
その母である正王妃は、かつて西の大陸で数百年に一人の美姫と言われた方でエポキ神に仕える黒髪の闇巫女である。西の大陸は、中央大陸と東の大陸に挟まれた北海に浮かぶ大きな群島で、俺たちから見て西にあるというだけでそう呼ばれている。その主神は人と人を結びつける神、エポキ神だ。
闇巫女は闇魔族の血を引くといわれる希少人種で、その特徴は膨大な魔力と美しい黒髪だ。東の大陸の住人は大半が金髪か赤毛なので、西の大陸のような人種、特に黒髪は凄く珍しい。
サティナ姫は、王妃の強大な魔力とその奇跡と称えられた美しさを見事に受け継いだ。最近では王妃を越える美女になるだろうと噂されているほどだ。
父親はドメナス国王のリヒダス二世。英雄王と呼ばれ、西の大陸の危機と呼ばれた火山竜を討伐した。王家は勇者の血をひいていると伝わるが、それにふさわしい英傑だ。
サティナ姫は魔法騎士として、母親から多彩な魔法と膨大な魔力を、父親からは英雄の武を受け継いだ。
王国騎士の試験を軽く突破した姫は、その剣技で並ぶ者のいない強さを誇る騎士になった。前回の王国武闘会で優勝した謎の仮面の少女はおそらく姫だ。
それほど強いのに、加えて姫の愛刀として有名な大剣 “黒光り丸” がまたヤバイ。かつて世界を混沌に陥れたという凶悪な魔王が鍛えさせた最恐の邪剣なのである。
別名 “
数百年に渡って幾人もの勇者を血祭りに上げ、そのたびに世界を絶望の淵に立たせてきたという邪悪な闇属性バリバリの伝説的呪いの魔剣で、魔王に殺された勇者の霊や身の毛もよだつ恐ろしい怨念がとりついているとすら噂されている。
その幅広の大剣が収まる漆黒の鞘には、絡み合う裸身の魔女のリアルなレリーフが彫られ、その反りかえった柄は男自身がモチーフという陰陽剣である。鞘は女性、剣は男性を意味しているのだ。
ひとたび鞘から抜かれた剣は、鞘に収まるまで血を求め続け、剣を手にした”男”を狂戦士と化し、切るたびに切れ味を増す。しかも敵の魔力を根源から吸い尽くすという呪い付きの恐るべき邪剣だ。あまりに危険で邪悪なために王宮の地下深くに禁忌の剣として長い間封印されていたらしい。
しかし、あろうことか姫はそれを持ち出した。
しかも、今やその恐怖の大剣の柄頭には、俺と姫の名が金の象嵌でラブラブに刻まれている。
姫が純真な瞳をキラキラ光らせて、嬉しそうに自慢の武器に施した象嵌の仕上がりを見せてくれたが、それ以来俺の右肩がちょっと重くなった気がする。俺に言わせれば伝説の魔剣に新たな呪いが刻まれたようなものだ。
だが、なぜ、こんな大国の奇跡のように美しいお姫さまが、こんなにも冴えない貧乏小貴族の男の許嫁になったのか。
ーーーーそれは今から4年前にさかのぼる。
俺はドメナス王国の王宮にいた。
ドメナス王国の恒例行事、周辺諸国の代表を招いて数年に一度行われる大夜会が開かれたのである。これはドメナス王国が盟主国であることを大陸全土に知らしめるための重要な行事であるため小国は招かれれば断ることなどできない。
ミスタルの代表団を警護する者が選ばれ、その顔ぶれの中に俺が含まれていた。
警護と言っても、別に強さを基準に選ばれるわけではない、街道は安全そのものだし、途中の宿場町もまったく問題はない、王都に至っては街を丸腰で歩いても危険がないほど治安が良い。なんてことのない安全快適な旅のお供なのである。
通常は暇を持て余している貴族の二男、三男が当番制で警護員に割り当てられるのだが、放浪の旅先での勝手な結婚で親父の激怒をかった俺は、逃げ出す口実として自ら警護員に手を上げ代表団に加わったのである。
お気楽な道中の警護、そして王都ドメナスティに到着してみれば一週間も続く宴である。
毎日大陸一の王宮で一流の美味い飯が食える、それだけで貧乏症の俺が舞いあがったのは仕方がないというものだ。
そして、俺はそこでやらかしたというわけだ。
実は、俺は酒にめちゃくちゃ弱い。
宮廷の美しい女たちに目を奪われて鼻の下をのばし、格好をつけて、うっかり酒を飲んだ。それが運の尽きというやつだ。手にしたのが北方産の強烈な酒で、飲み口は甘いが熊でもいちころという魔酒だったのも運が悪かった。
美しい貴婦人たちの軽妙な会話に乗せられ、キザに微笑んで確認もせずに、美女が差し出したグラスを一気に飲み干した。
わずか1杯である。
目玉が飛び出し、口から火が出るかと思った。
予想通りの無様さを見て、一同大爆笑である。
誰も俺を本気で相手になどしていなかったのだ。最初から田舎者をバカにするつもりだったのである。
一撃で酩酊状態になってしまった俺は、笑い声を背にして廊下に転がり出た。
制止する給仕を何人も振り切り、さながら幽鬼のように徘徊した俺はいつの間にか立ち入り禁止区域に入ったらしい。
どこかで、衛兵を呼べ! と叫ぶ声がしたが、衛兵が駆けつけてきた時には既に俺はベランダから一つ下の階の庭木の中に尻を逆さに転落していた。
食前で腹が空に近かったため嘔吐もできず、顔は青ざめ、震えがくる。それと同時に身体が熱くなり、間もなく猛烈な眠気が俺を襲ってきた。
本当にいちころだ。
朦朧としていた俺は、窓から部屋に入りこんだ。
もはや何が何だかわからない。
そして全裸になるとうっとりとするほどの良い香りに包まれ、温かいベッドに潜り込んだのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ひーっ!!!!!」
朝、宮廷女官の甲高い声で俺は目覚めた。
俺にあてがわれた部屋じゃないというのが視界に入った調度品でわかる。
豪奢で美麗な部屋だ。
俺の、宮殿内の警護人用のゲストルームはもっと質素だったはずだ。
次第に頭がはっきりしてくると、背中に柔らかいものが当たっていることに気づいた。
寝ぼけたまま、振り返るとそいつと目と目が合った。
ぽっと顔を赤らめる……。
そして自分が全裸であることに気づく。
顔を赤く染めた彼女が俺の腕の中にいた。
しかも今は朝である、俺は若いのだ。まさに元気一杯なのだ。
「あわわわわ……!」
二人の女官は膝から崩れ落ちた。
こうして俺はもはや人として終わった……
早朝から俺は国王リヒダス二世の前に引き出された。
国王の膝には “ベッドを共にした” 愛らしい娘が座っており、周囲をいかめしい重臣や騎士が取り囲んでいる。
何をしたわけでもない、ただ同じベッドでぐうぐう寝ていただけなのだが、男が全裸で同じベッドに、というのがこの国でどういう意味をもたらすかを知らないわけではない。
皆、無言で俺をにらんでいる。
むむむむむ……突き刺さる視線が痛い。
間違いなく死刑だろうな、俺は覚悟を決めた。
重苦しい時間が流れ、やがて国王が静寂を破って王錫でカツンと床をこづいた。
「ミスタルの貴族カイン・マナ・アベルト、お前を我が娘サティナ姫の婚約者とする」と国王は半ば諦め気味に、ため息まじりに宣言した。
「へ?」
死を覚悟していただけに、かなり間抜けな声と表情で俺は放心してしまった。
同時に周囲を取り囲んでいた貴族の何名かがぷっと吹き出したが、俺の言葉と態度を王への侮蔑と受け取った騎士たちが殺気立ち、剣に手を添えて身構えた。騎士がもう一歩踏み出せば確実に俺の首は宙を飛ぶだろう。
「待て! 騎士マルガ!」
動揺する俺をにらみながら、王は若い騎士を制し、再び確認するように言った。
「お前は、このサティナ姫と婚約するのだ、よいな」
その重圧感、流石は英雄王である。
「で、ですが……俺には最近娶ったばかりの妻が……」
「断れば死罪。それに、妻が何人いようと問題なかろう。それでも断ると申すか?」
俺の背後に大きな斧を手にした死刑執行人が嬉しそうににじり寄る。
「あ……たった今、お言葉が頭に入りました。ありがたき幸せでございます。その命、謹んでお受けいたします。誠に感激の極み。この大恩、命にかけて……」
俺は理解した。
だめだ、流れに逆らえば詰む。俺は恭しく拝礼した。
目を血走らせていた死刑執行人が残念そうに後ずさる。
ざわめきが波紋のように俺の周囲に広がるが、反対する貴族はいなかった。
ーーーーあの時は、この幼く愛らしい王女がわずか数年で目も覚めるような美少女に成長するとはまだ誰も思っておらず、むしろ自分たちが王の元に送り込んだ妾に王子が生まれてくることを期待している貴族ばかりだったのだ。
ドメナス王国では王位継承権は男子が優先する。だからその時点ではサティナ姫の価値はそれほど高くなかったのである。さっさとどこかの国の貴族にでも押し付けて、やがて生まれてくる王子を次の王に、と考えている貴族が多かったのだ。
「では、こちらへ」と笑みとは裏腹に氷の刃のような目をした重臣の一人が未だざわつく広間を後に俺を別室に誘った。
わざと時間を作るためか、少々入り組んだ経路で回廊を歩きまわされ、着いたのは豪奢な王の私室だった。
そこに王とわずかな側近たちが待っていた。
俺は少し離れた場所にあるイスに座らされ、渋い顔をした王に対面した。
給仕に果実酒を進められたが、ここは断る。
俺も学習能力くらい少しはあるのだ。
「さて、知っての通り我が国は、富国強兵のため子どもを多くつくることを良しとしておる。多夫多妻、一夫多妻こそ合法であり、妻問い婚が通例となっている。全裸の男とベッドを共にした、そんな関係になった男女は必ず結婚しなければならないというのが古くからの習わしだ……もちろん、知っているだろうがな!」
「はあ」
「その見本となるべき王族が今回の件で男を処断したとなれば、その事の方がむしろ問題が大きくなるのだ。わかるな?」
王は大きな目をぎょろりと動かした。獰猛な猛禽類のような目である。
「王族にまで適用されるとは知りませんでした」
「ふむ、残念ながら、民の手本である王族こそ掟には絶対に従わねばならぬのだ。例外は認められぬ」
王はため息をつく。
「そうなのですか?」
「うむ、先に謁見の間で申し渡したとおり、二人の婚約は既に決定事項である。しかしながらサティナはまだまだ幼い。よってサティナが18歳になったら正式に婚姻の儀を執り行うこととする。今後、婿殿には姫のお相手に相応しい男になるよう、最低1年は王都に滞在してもらい、様々な事を学んでもらうことになる。異論はないだろうな? ミスタルの貴族カインよ」
そう言って微笑むが、王の瞳にはメラメラと怒りの炎が立ち上っている。可愛い娘を寝盗られたと言って良い状況なのだ、当たり前だろう。
「ははーっ」
俺は床に平伏した。
思えばそれが、全ての始まりだったのだ。
ーーーーーーその事件の翌日から数年もの間、俺は姫に相応しい男になるように王族に必要な教養と実技をたっぷりと教え込まれた。騎士の訓練を受けたのもその時だ。
だがもっとも驚くべきは、実技には
そしてその実技指導と各種の教養を高めるために俺の前に現れたのが、俺より一つ年上で、後に俺の2番目の妻になる王のお気に入りだった元王宮顧問娼婦、つまり元
マリアンナは国中から王の妾として集められた美女の中で最も美しい女性だったが、貴族からはその冷たい雰囲気から魔性の女と呼ばれていた人物だった。
男の目をくぎ付けにする豊満な胸、蜜蜂のように
マリアンナは貴族出身か、有力な後ろ盾さえあれば、間違いなく第二王妃になったはずの美女だ。
それが俺のような冴えない貧乏貴族の男の元に放り出されたのは自尊心だけ肥大した大貴族らしい嫌がらせだったのだろう。
王子を産むことを期待して送り込まれた大貴族の娘たちをさしおいて王の
要するに俺の教官という名目で体よく王宮を追い出したというのが事実らしい。
俺が王から賜った屋敷に身一つで移り住んで、教官になったマリアンナだが、彼女は惜しげもなく夜の秘儀を俺に教え込んだ。
最初は良いようにやられていた俺だったが、俺は若くて覚えも早いうえ、あそこだけはマリアンナも目を見張るほど無駄に立派だったのが彼女にとって誤算だったのかどうか。
俺は生徒として優秀すぎた。すぐに夜の勝負は俺が勝ちをおさめるようになり、一月もしないうちに彼女は初めて気を失うほどの悦びがあることを知った。
それから毎晩二人は求めあい、マリアンナは満ち足りる喜びをその身に刻んでいった。
そして、そんな王宮の権力争いとは無縁の俺との愛おしくも熱い日々が、彼女の凍っていた心を溶かした。いつしか魔性とまで呼ばれた冷たい影はすっかり消え去り、マリアンナは娼婦として売られる前の自分自身を、そして何よりも明るく笑うことを思い出した。
そして俺の腹に浮かんだ妾の俗紋は誰もが驚く美しい婚姻紋へと昇華し、マリアンナは俺の大切な女性、二人目の正妻になったのである。俺はドメナスの屋敷をマリアンナに譲り、マリアンナは俺が再び旅に出ることを見越して、屋敷の一角に日常生活で役立つ魔法を教える塾を開いた。
こうしてサティナ姫の婚約者として数年をドメナス王国で過ごし、二人の妻の元を行き来していたのだが、その後もドメナス王国では王子が生まれることはなかった。
そのため、このままでは第一王女のサティナが王位を継ぐことになると考えだした貴族たちはサティナ姫に狙いをつけ始めた。
しかも、サティナは多くの美姫を侍らせている貴族たちですら驚愕するレベルの美少女に育っていた。
そいつらからすれば、目の上のタンコブは俺である。俺を暗殺するのが手っ取り早いのだが、直接手を出さなかったのは大神官が手を加えた婚姻紋の加護の恐ろしさを知っていたからだろう。
サティナ姫と王妃を中心とする王族派も、このまま大貴族派に取り込まれるよりは、と俺との結婚の既成事実を先に作ってしまおうと考えたらしい。
姫は夜這いやらなにやら、色々と大胆な策を仕掛けてくるようになった。サティナ姫は既に魅力十分である。それが俺のベッドに潜り込んで薄布一枚で初々しく迫って来るのだ。これに耐えられる男は俺くらいなものだったろう。幸い王都にはマリアンナがいたので助かったとも言える。
一番危なかったのは、王妃の計略でマリアンナが遠出した時に、二人して媚薬の香りが充満したお風呂に閉じ込められた時のことだ。王家の風呂場には、当たり前だが、そのためのベッド付きの休憩室が完備している。しかもその日の夕食は男を野獣に変えるという貝の粉末を混ぜた精力増強料理だった。
俺とすれば姫が18歳に達しないうちに手を出せは間違いなく王に殺される……。危うく姫の誘惑に負けそうになったのをかろうじて踏みとどまった俺は、一旦国を捨てて逃げることにしたのだ。
マリアンナには悪いが理解してくれるはずだ。
国を出て、サティナ姫が18歳になるまでドメナスの王都には戻らない。
マリアンナに事情を離すと、彼女はすぐに事情を呑み込み、俺に当面の逃亡先まで準備してくれた。
「これからは、このような通い婚が当たり前になります。寂しいですが私も慣れます。カイン様も慣れてくださいね。それに、ご連絡を頂ければ、いつでも私の方から会いに参りますわ」
「そうだな。ありがとうマリアンナ、手紙を書くよ。西国の海岸の浜辺でデートというのも良いかもしれないな」
「はい。浜辺のデート、楽しみにお待ちしています。私は西の港町には行った事がありません。お呼び頂ければすぐ参ります」
愛しく俺の唇にキスをして、優しい笑顔で見つめる。
王都を出る日の早朝、マリアンナは街の入口まで密かに見送りにきた。
「行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ。商売のご成功をお祈りいたしますわ」
荷馬車に隠れた俺は木箱の隅から覗く。
マリアンナはお腹の前で両手を重ね、寂しさを見せまいと微笑んでいる。
その愛おしい姿が次第に遠くなる。
実はこのときマリアンナは待望の第1子を妊娠していたのだが、かわいい双子の兄妹が生まれたことを知るのはだいぶ後になってからになる。
様々な街を後にして、姫の追跡者を巻いて、身を隠して、また逃亡して……。
そして、その結果が今やこのザマなのである。
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