第 4話 婚約者は大陸一の美少女

 「カインか? 戻ったのか……」

 その老人はわずかに目を開いた。


 大戦で国を失ったという老騎士ヨデアスは半分獣化が進んだ右腕をさすった。床に伏せているが、その顔は冴えない。

 彼は数日前に魔獣に襲われた見ず知らずの俺を庇って、致命傷となる大ケガを負っていた。


 崩れた廃屋の狭い入口から体を斜めにして無理やり潜り込むと、落ちてきた屋根と壁の残骸の間にわずかな空間がある。そこが今の俺たちの隠れ家だ。

 しかし、そろそろこの隠れ家を捨てて移動しないとまずい。同じ場所にいると臭いを野獣に嗅ぎつけられる。臭い毒草を周囲に撒き散らしているが、ヨデアスの血の臭いを誤魔化すのもそろそろ限界だ。夜、寝ている間に襲われ、生きたまま食われるのは御免だ。


 何もない地べたの上にたった一枚敷いた板に、彼は横たわっていた。騎士の誇りである剣も鎧も兜も何も無い。粗末な囚人服の上着が血に染まって黒ずんでいる。


 「すまん、薬草が生えているという場所には結局たどり着けなかった」


 夕暮れになるまで廃墟の街を走り回ったが、危険な魔獣がうろついており、教えられた場所には近づくことすらできなかった。


 魔獣の主食は鼠に似た野生の小獣だが、時折補充される囚人の9割以上が半日から1日で奴らの腹に収まる。3日生き延びれば、ここで生き抜くコツのようなものが分かるが、大抵はそれを知る前に死ぬ。

 ここで生き抜くには、慎重さと臆病さが必要であり、そして何よりも無理をしてはならない。蛮勇は不要だ。少しでも危険があれば即撤退すべきなのだ。少し腕に自信のある奴ほど先に死んでいく。


 「いや、無理をさせてしまったな、これも運命だろう。国と民を救えなかったわしが最後に一人でも助けて、人としてこのまま死ねるのなら本望、むしろ完全に獣化する前に死ねるのであれば騎士の誇りが保てたというものだ」

 そう言ってヨデアスは苦しそうに咳き込んだ。


 「すまない、俺が魔獣を倒せるくらいに強かったら良かったんだが」

 俺はヨデアスの前の地面に座り、乾燥レンガの壁にもたれかかった。


 あの肉食獣たちを相手に素手で勝てる可能性はゼロだ。屈強な戦士系の男たちがあっけなく餌食になるのを何度も目撃している。鍛え上げた格闘家や拳法の達人でも勝算は五分五分だろう。

 武器もなく、俺が今できるとすれば、せいぜい道端の石を拾って殴るくらいなものだ。これではとても勝算はない。あの時、トムから逃げ切ったのも偶々運が良かっただけだ。


 「気にするな。その気持ちだけで十分だ」

 老騎士は傷口を手で押さえている。


 かなり痛むのだろう。当たり前だ。普通の人間なら即死していたかもしれない。半分獣化しているため獣の生命力が命を引き留めているのだ。


 彼は魔王国との大戦の生き残りである。囚人都市の遥か北方にある豊かな大平原に栄えた小国、カエウ国の騎士だったという誇り高き男だ。


 国が滅んだ後、難民となった民衆を守りながら各地で魔王軍と戦い続け、この地に流れ着いたらしい。


 北方の覇者である魔王国に対し、大陸南部のこの一帯には大きな勢力を誇った人族最強の国があったが、次第に戦況は悪化し、ついにこの囚人都市における王都決戦になった。


 ヨデアスは王城落城の最後の日まで最前線に立って剣を振るっていたが、ついに力尽きて囚われた。この重罪人地区にはそのような騎士くずれの者の他、小国の王族や逃亡貴族が多く囚われていたと言うが、生き残っている者は今やほとんどいないらしい。


 ヨデアスは再び目を閉じた。


 「なあ、カインよ、わしは若い頃、お前の故郷、東の大陸のドメナス王国に使者として赴いたことがあるのだ。……魔族がいない国というのは新鮮だったな」


 その静かな気配、遠い昔の思い出に浸っているのだろう。彼が一国の使者になるほど高位の騎士だったと聞いても別に驚きはない。彼の醸し出す雰囲気から、ただ者ではないとわかっていたことだ。


 「なあ、ヨデアス、今夜は俺の身の上話でもしようか? ほら、話を聞いていると気が紛れるだろ?」

 おそらく彼はもう長くはもたない。話で痛みを少しでも紛らわすくらいが関の山だろう。

 ヨデアスは何か意外そうな顔をしたが、その表情に好奇心の色が見える。俺は少しほっとした。多少でも興味があるうちはまだ大丈夫だ。

 

 「俺の貴族名はカイン・マナ・アベルト。生まれは東の大陸ニルアナの南部、美しいバレル海に面したアベルーロ連合国。ほら、ドメナス王国の南だよ。緑の多い国なんだ」と俺は語り出した。


 アベルーロ連合国は、地方領主国が寄せ集まった国で、昔から貿易が盛んで大きな港町が発達しており、立地的にも各国の物流の中心だ。

 その国境は北部で大陸一の大国であるドメナス王国に接し、周辺諸国同様に実質上はドメナス王国の属国という立場である。

 ドメナス王国は大河を有するものの直接海には面していない。だからこそアベルーロ連合国の有する港は重要だ。アベルーロ連合国としても大国の庇護下に入ることで他国や海賊の侵略を受ける心配がない。両国の利益は一致しているのだ。


 そして俺は、そのアベルーロ連合国を構成する地方領主国の一つ、ミスタル国に仕える貧乏な下級貴族家の長男である。


 俺の父は貴族ベルン・カナ・アベルト、若い頃は剣の腕でそこそこ知られていた元騎士である。下級貴族とは言え、貴族である以上、当然、妻も多い。


 俺の母は第一夫人だ。


 名前はチサティ・マオナ・ア・アベルティアである。周囲からは親父には過ぎたる美人と称されている。旅商人と共に世界中を旅していた人気の踊り子だったという。興行先の街で踊りを見た親父が一目惚れし、親父の猛烈な求愛のすえについに根負けして結婚したのだそうだ。当然二人とも生粋の人族で魔族の血は入っていない。特に母は人族のなかでも古種と呼ばれる珍しい血筋で、それにまつわるおとぎ話よくしてくれたものだ。


 アベルト家は下級貴族だが、代々子だくさんの家系として知られている。親父も例外ではなく、家計を助けるため長男の俺は小さな頃から様々な日雇いで弟や妹のために懸命に働いた。


 16歳の成人の日、神殿で騎士の素質無しと見事に判定された俺は、親父と大喧嘩して家を飛び出した。


 旅先で生き倒れていたところを蜥蜴人の旅商人夫婦に救われ、その夫婦と共に各国を巡ることになり、やがて旅商人として自立した。妻も娶り、生活も充実し始めていたのだが。


 俺が乗った輸送船……いや、本当は密輸船と言った方が正しいかもしれない。西の港から人目を忍んで出航した “賢しい小ネズミ号” は洋上で突如原因不明の航行不能に陥り、海流に乗ってこの中央大陸バザスへと流されてしまったのだ。


 当然、船員は一丸となって何とか船を修理し、航路に戻ろうとしたが、俺たちの船を発見した帝国軍の船は足が速く、中央大陸から離れようとする努力はまったくの無駄だった。


 船は抵抗空しく帝国軍に拿捕され、船底に穴を開けられて沈められ、積み荷どころか個人の衣服に至るまでほとんどが没収された。俺たちは変な病気になりそうなほど汚れたパンツをたった一枚支給され、都市全体が監獄と化した旧王国の都、囚人都市の中でも最悪と言われる、この重罪人地区に投獄されたのだ。





 「ーーーーなるほど、国境を侵犯したとみなされたのだろうな、だから重犯罪人扱いか」

 ヨデアスは天井を見上げたままだ。


 「なあ、カインよ。お前は若い、ここを生きて出るんだ。知ってのとおり城門や港口からの脱獄は不可能だ。危険だが、帝国軍が駐留する場所に……あそこには元王宮がある。王宮であれば秘密の抜け穴があるかもしれん、何の根拠もない妄想みたいなものだが、希望の種くらいにはなる……ゴフッ、ゴフッ! 少なくとも、ここよりは生きる望みがある……ゴフッ!」


 ヨデアスの傷は深く、血が止まらない。

 だが、ここには何もない。俺は治癒の魔法すら知らない。薬も包帯もなく、手当など何一つもできないのだ。


 「おい、痛むのか? 大丈夫か?」


 「やめろ、触るな!」

 触れようとした俺を制して、ヨデアスは声を荒げた。


 「この生血に触れてはならん」


 ヨデアスは傷を押さえて苦痛に顔を歪めた。自分の血が獣化の病で汚れていると考えているのだろう。傷は深い、だが皮肉にも半分獣化していることが結果的に彼を延命させているのだ。

 人間離れした獣の体力と、獣への肉体の変化がその傷と拮抗している。だが、あまりにも出血が多すぎた。獣化する前に彼の命が燃え尽きるのは目に見えている。


 「あまりしゃべるな、傷にさわるぞ」


 「カイン、これをやる……不完全だが、わしがここから出るために調べた地図だ……わしにはもはや無用だ」


 ヨデアスは血の跡が黒く染みついた布きれを俺の手に握らせた。その手は冷たく、息はさっきより荒くなっている。ヨデアスは自分の死期が近いことを悟っているのだ。


 「すまない、俺は何もしてやれない。せめて痛みの安らぐ薬草を持ち帰れれば良かったんだが」

 「気にするな。あの程度の攻撃をよけきれなかった、単にわしが老いたというだけのこと。……これでも昔は名の知れた騎士だった。……妻も数十人いたのだが、帝国に国を滅ぼされ、おめおめ生き延びてきた挙句がこれだ。おそらく妻も子も、誰一人として生きてはいないのだろう」


 ヨデアスは腹を撫で、ようやく静かに目を閉じた。


 この世界では、妻問い婚が普通で、昔から戦が多いため各国とも子だくさんを奨励している。王侯貴族から庶民に至るまで一夫多妻が当たり前で、それはこの大陸でも同じらしい。


 俺の故郷、ミスタル国では、貴族は家を絶やさぬため最低3人以上の正妻を娶る義務がある。その基準に満たない場合は爵位を剥奪されることすらあり、貴族として一人前に見られるためには、少なくとも10人は妻を娶らねばならないのだ。

 

 男女ともに成人は15歳で、成人を迎えた男は20歳までに1人は妻を迎えなければならない。


 「カインお主、今、妻は何人いる?」


 ヨデアスは苦痛に顔を歪めたが、俺に関心を向けることで少しでも痛みを忘れようとしているのかも知れない。その顔は意外にも晴れ晴れとしている。既に未練を断ち切った男の顔だ。


 「東の大陸に残してきた正妻が2人、それと許嫁が1人。それでもまだ3人だ。貴族として認められる最低ラインでしかない」


 親父は俺のために年頃の娘を持つ貴族仲間に手あたり次第声をかけているらしい。

 しかし、女性からすれば売り手市場で、俺のような貧乏貴族の妻になるような物好きはまずいない。特に親父が考えるような貴族のご令嬢なんかは到底無理だ。


 貧乏貴族でも切れ目でクールなイケメンだったり、将来有望な騎士だったりすれば話は別だが、どちらも俺とは全く無縁の話だ。結局のところ、身分や人種に関わらず俺を夫と認めてくれる女性を自分の力で探すしかない。


 しかし、なんとしても貴族の娘を息子の妻に、という親父の気持ちは痛いほど分かる。これ以上平民との婚姻が続けば貴族家としての格が下がるということだろう。許嫁の事を親父に話してしまえばそんな心配は無用になるのだが。許嫁のことは一般には極秘扱いなので、実は親父にも話していない。


 「そうか、お前の国でも同じか。どこでも貴族は多くの妻を娶らねばならないのだな。ふふっ、このわしも若いころは妻を増やそうと色々と無茶をしたものだよ」

 そう言ってヨデアスは青い顔をして少し笑った。ヨデアスならば色々な武勇伝がありそうだが、それを聞く機会はもはや残されてはいないようだ。


 「兄弟は何人いる? もちろん多いのだろう?」


 「全部で20人だ。母が同じ兄弟は一人だよ。ライアンっていう弟でね、一番俺に懐いている。こいつが騎士として優秀でね。将来は盟主国ドメナス王国の騎士にすら抜擢されるだろうと言われるほどなんだ」


 彼は我が家の希望の星である。まだ成人前だが剣の腕が抜群で顔も俺と違って親父似なので女の子からもモテまくりだ。俺はどちらかと言うと母親似の女顔なのだ。ただ、モテすぎると逆に本気で妻にしたいという女性は減るものらしい。それもまた親父の悩みの種になっている。


 「弟と比べられるのが嫌で家を飛び出し、旅商人としてはまあまあ成功していたんだが、今やパンツ一枚でこのザマさ。とある事情で国を逃げ出して1年半……、それがまさかこんなことになるとは思わなかった」




 「ーーーーどうして国を逃げ出した? 何か罪でも犯したか?」とヨデアスは俺を見た。


 「これのせいだよ」

 俺は下腹を見せた。そこには紋が浮かんでいる。

 へその下で淡く光っているのは婚約紋である。


 この世界では、婚約したり、結婚したりすると体のどこかにその証である紋が浮かぶ。男の場合、比較的多いのは下腹部で、女は太ももに紋が現れることが多い。普段はあまり見えないが、力んだり意識したりすると肌に現れる。


 紋は自然発生なのだが、特別な場合は術的に上書きされることもある。見栄っ張りの者などは似たようなタトゥを入れる習慣すらあり、酒場では下半身を見せあって、その数を競い合うバカな男たちの姿がよく見られる。


 婚姻紋や婚約紋の他には、非正式な俗紋というのもある。俗紋はおもに眷属や妾の状態を示すが、不確定要素のある男女の絆を示す微小紋で、互いに同意すれば婚約紋や婚姻紋に昇格することもある。


 「その発光している紋は王家のものか? しかもかなりの力を持つ呪術紋だな? お前、王家にゆかりのある者だったのか?」


 ヨデアスは意外そうな顔をした。

 俺のような貧乏貴族には過ぎたる紋であることを知っているのだろう。


 「これには特殊な加護が刻まれているそうだよ」


 俺は、この紋の説明を受けた時のことを思い出した。婚約紋に呪術を上書きされた時のことだ。もしかすると俺の身体に獣化の変化が無いのは、この紋のおかげなのかもしれない。


 婚約紋に強力な呪術を付与した老人は、東の大陸一、いや世界一の賢者として知られた大神官である。本当かどうかわからないが今はほとんど絶滅した竜人種だという噂もあるほどだった。


 恩寵とか加護とか呪いとか、何か難しい話だった気がするが思い出せない。

 退屈な儀式が延々と続く中、神妙な顔で説明をする老人の後ろに立つ、目の覚めるような美しい巫女の色っぽい生足にずっと目を奪われていたせいだ。

 太もも丸出しで、もうちょっとで見えそうで見えない、あれほど丈の短い巫女服を考えた奴は称賛に値する。




 俺のへその直下には現在3つの紋がある。


 中央と左側の複雑で美しい紋は婚姻紋で、正式な妻が二人いることを表している。淡く光っているのは右端の紋だ。


 これは許嫁が “私のものよ” と主張している婚約紋である。ひときわ目立つ色彩で、左を向いた半身の竜神と赤い宝石の絵が半分浮き出ており、正式に結婚すればもう半分が現れることになる。竜神は王家の紋というのは各大陸共通の認識のようだ。



 ーーーーそして、この紋の相手こそ、俺が国を離れて逃げ回る原因になった少女なのである。


 「その紋のせいで国を逃げ出したというのか?」


 「ああ、この紋の相手は実は大国のお姫様でね……」


 「お姫様だと?」

 時折、苦痛に顔を歪めていたヨデアスが急に目を見開いて話に食いついてきた。


 騎士にとってはお姫さまという言葉はかなり気になるものらしい。目の色が変わっている。どうやら話の続きを欲している表情だ。


 詳しい経緯は本来なら口止めされているのだが、話をしても彼が誰かにこの話を伝えることなど、もはやできないだろう。




 ーーーー俺の許嫁、それは東の大陸ニルアナの覇者であり最強の国であるドメナス王国の騎士、王位継承権一位の王女で、しかも既に神の領域の絶世の美女とすら讃えられる美少女なのである。


 その艶やかなロングヘアの黒髪をなびかせ、流れるように敵をなぎ倒し、黒い旋風、漆黒の乙女と呼ばれ、王国一の魔法騎士であり、大陸随一の美しき女神と称えられるサティナ姫、わずか14歳である。


 国内外の王侯貴族の男共が、今年成人を迎える姫を一目見ようと王宮前に毎日のように押しかけ、未だに無謀な求婚者が絶えないらしい。

 

 既に婚約者がいることは公表されているのだが、もしかすると俺が死んだ場合や消息不明の場合の後釜狙いなのかもしれない。婚約者の不慮の死や、数年以上の行方不明による婚約解消というのはあり得ない話ではないのだ……。


 「まてよ、まさか、今回の俺の遭難は……」


 不意に沸き上がった不吉な考え。


 もしそうだとしたら辻褄が合う。どうして今までその事に思い至らなかったのだろう。見知らぬ大陸で犯罪人として囚われ、魔獣に怯える日々、生き抜くだけで頭が一杯だったせいだろうか?


 これが謀略なら、サティナ姫にも危険が迫っていることになるんじゃないか? 王位継承権を持つ美しい王女を狙う男が日々増えていることは彼女を慕う女官からの連絡で知ってはいたが……


 その急先鋒は女好きで悪名高い大貴族、金と権力に物を言わせ、聞くに堪えない性犯罪の噂が絶えない醜悪な変態野郎だ。


 だが、そいつは俺がいなくなった場合、姫を妻にする権利を真っ先に主張できる地位にいるらしい。


 俺が戻らなければ、サティナ姫がどんな目に遭うかわからない。そんな事に今頃になって気づくとは……


 何がなんでもここから生還しなければならない……

 確か、婚約解消になる期限は、行方不明の場合は5年だったか? いや、貴族連中はそんな悠長なことはしないだろう。もし遺体が見つからなくても1年も経てば死亡と判断して婚約無効が発表されるだろう。そのくらいの工作はあいつらには朝飯前のはずだ。問題は俺が生きている限り、俺との婚約紋が姫にも現れていることだが、姫を強引に奪えばその男との婚姻紋が上書きされるかもしれない。そのくらいはやりかねない連中だ。

 

 「俺はバカだ、こんな所で何をしているんだ」


 「どうした? 急に声を荒げて」

 「いや、どうやら俺は姫を狙う者に罠に嵌められたらしい。今頃になって、それに気づいた」

 指を組んで押し黙ったのをヨデアスはじっと見た。

 

 くそっ、これが最初から大貴族の謀略なら、全部俺のせいじゃないか。


 船の仲間、トムたちも俺のせいで巻き添えを食ったのだ。

 トムのお姉さんに彼の死をどう伝えればいいのか。だが、それもいずれ俺が果たさねばならない役目だろう。


 「謀略か……昔からよくある話だ。だが、お前はまだ死んだわけではない。その姫様のために、何としても生き抜いて故郷に帰るんだ。自分を信じろ。あきらめるなよ」


 ヨデアスの顔には息子を送り出す父親のような優しさと共に、過酷な大戦を戦い抜いてきた男の不屈の表情が浮かんでいる。俺はこの地の果てで尊敬すべき男に出会ったのだ。


 「ああ、あきらめない。あきらめてたまるか、死んでいった彼らのためにも、きっと俺は生きて帰る」


 俺は頭の後ろで腕を組んでヨデアスの隣に横たわった。果たして生きてここを出るにはどうしたら良いのか。城壁を乗り越えるのは無理だ。やはり都市中心部に向かうしかないだろうか。


 「お前は若い。どんな困難があろうと生き抜け」

 闇の中で発せられたヨデアスの言葉は、重々しい響きで俺の胸に深く刻まれた。

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