第326話 聖都クリスティ1

 カサット村を密かに脱出したゲ・ロンパとミズハが東の港で挙兵したという連絡を聞く少し前、俺たちは聖都クリスティの大門をくぐっていた。


 コベィの街を出発しておよそ4日。

 単騎の魔馬なら1日で進む距離だが、途中の街々で休憩やら歓迎式やらがあり、思ったよりも時間がかかってしまった。


 聖都の巨大な城壁の正面の左右にはクリスティリーナのアイドル時代の絵が描かれている。

 囚人都市だった頃には固く閉ざされていた大門の三重城壁をくぐると、城壁の上には新王国の旗が無数にたなびいていた。

 テンポよく走る白亜の馬車を聖都の住民たちが総出で出迎える。大歓声が響き渡っている。


 「ようやく戻ってきたな。リサ、セシリーナ」

 俺は窓の外を眺めた。

 これがあの囚人都市か。そう思うと感慨深い。まさかここまで変貌しているとは思わなかった。脳裏に銃犯罪人区画での日々やエチアの姿が浮かぶ。


 「ええ、ここが全ての始まりの地です」

 「うん、カインと初めて会った場所だね」

 二人は外の大群衆に手を振った。


 「立派な城壁ですね。こんなのはドメナスにも無いわ」

 サティナが三重城壁を見上げた。

 「東マンドの地でもこんなのは見たことが無いな」

 ルミカーナもつぶやく。


 城門を抜けた瞬間、目の前に広がった景色に馬車の中で歓声があがった。


 「わあああ! 凄い!」

 リサが目をキラキラさせた。


 広く美しい大道が街の中央を走り、その先に巨大な白亜の女神像が光っている。

 あれはミニスカートのクリスティリーナが踊りながら歌っている石像だ。誰もが息を飲む見事な造形だが、一人セシリーナだけが恥ずかしさに身悶えした。


 「あれがクリスティリーナ女神像でございます」

 シュウがちらりとセシリーナを見て言った。


 「凄いな、あのふとももなんか生唾ものだ。あの下に行ってみたくなる男の心理を突いている。吸い寄せられそうだ」


 「もう、カインったら!」


 「この地区は商業地区になっております。女神に関するアイテムや土産を売る店が多く、ご覧の通り大変賑わっております」

 リイカが説明した。


 以前の南区だ。かつて帝国軍の駐屯地や演習地だったところで俺たちが逃げだした穴があったあたりである。あの女神像は俺たちがゲ・ボンダたちと戦った所に立っているようだ。


 「今は、もう人間くずれは発生しないのか?」

 「危険な魔物の掃討は済んでおり、大戦の汚染地域もその対策が完了しております。人間くずれは帝国が使用した薬物に汚染された魔獣に噛まれて変異するものだったらしく、原因となる汚染物質の無害化を行いました」

 「そうか。それは良かった。原因が判明したなら、まさか治療法もわかっているのか?」

 「いえ、それは残念ながら」

 「そうか……」


 「それにしても街の様子もだいぶ変わったわね」

 セシリーナも身を乗り出して窓から外を眺めた。


 俺たちは懐かしいような複雑な心境で再興しつつある聖都の街並みを眺めた。


 大通りの左右には「クリスティリーナ命」という旗を振って俺たちの帰還を歓迎している者たちの姿も多く見られる。


 やがて馬車は元の駐屯軍宿舎があった広場の一角を曲がった。既に宿舎は解体され、奥にあった王宮の庭園が外から見えるが、 二人が出会ったあの温水施設はそのままのようだ。


 俺とセシリーナは見つめあって思わず笑いあった。


 馬車はサンドラットたちが店を出していた広場を横切る。

 シュウの話では地下水道や下水道も修復しているという話だったから、ナーヴォザスの棲み家は既に無いだろう。


 かつて帝国軍の砦とオベリスクのあった場所は広場に戻されており大勢の市民が歓声を上げて出迎えている。その向こうに王宮の入口となる門が見えてきた。


 リサの表情が少し硬いのは緊張ではなく、ここで過ごした囚われの日々を思い出したからだろうか。


 「大丈夫かい? リサ」

 俺はリサの手を握った。

 リサは俺の手を握り返してきた。


 「うん、大丈夫。ここが私たちの新しい家になるんだよね。カインと一緒だもの、昔のことは忘れるよ」


 王宮前広場は群衆が入らないように兵士が厳重に警護しており、馬車は大きく広場を回ってから王宮正面にゆっくりと停車した。


 王宮の門の前に、王女の服装をした少女がかしづいていた。

 見覚えのあるような無いような、どちらとも言い難いが、誰かは知っている。コロニ―地区のトイレで衝撃の出会いをしたオリナだ。顔を上げればすぐわかるだろう。


 馬車の扉が開かれた。


 「リサ王女の御帰還でございます」

 シュウが宣言した。

 それと同時に姿を見せたリサの姿に集まっていた新王国幹部たちの間に驚愕の声が広がった。


 リサは星姫コンテストで使用した元クリスティリーナのドレスを着用していたのだ。もちろん新王国の幹部でそれを知らぬ者は一人もいない。


 「おおおお! まさにクリスティリーナ様の再来!」

 「美しい! なんと美しい!」

 人々はその輝く容貌に目を奪われた。


 それと同時に、彼らの信仰対象であるクリスティリーナを大切にしている事を王女様がこのような形でお示しになられたのだと気がつくと、たちまち周囲の人々の間にリサ王女に対する尊敬の念が広がっていった。


 旧王国の王族を迎えることに少なからず反感を抱いていたクリス教の幹部たちもまさに目から鱗である。反発していた事も忘れ、感銘を受けて涙する者たちで溢れ返った。


 「リサ王女様、今まで代理を務めましたオリナでございます」

 オリナが拝礼をする。

 その背後にはオリナの護衛役なのか、少年・少女の幼い騎士見習いたちが目をキラキラさせていた。


 「オリナさん……」

 リサにとってはもちろん馴染みの顔である。なにしろセシリーナが彼女に化けてずっと一緒だったのだから。


 「はい?」


 「今まで御苦労様でした。これからも私を助けてくださいね」

 「は、はい!」

 気さくな雰囲気が王女の人柄なのだろう。その代理を務めていたと思うとオリナは少し照れた。


 「それでは、王宮内にどうぞ」

 シュウが言った。

 リサがオリナたちと共に歩きだした。そのすぐ後ろにはセシリーナとリイカが控えている。


 少し間をおいてから俺たちは目立たないように馬車を降りた。


 仮面やフードを被っているのであまり俺たちに興味を示す者はいない。と思っていたのだが、オリナの護衛を務める騎士見習いの中から一人の愛らしい女の子がずっとこっちを凝視していて、仲間から早く来いよ、と呼ばれていた。


 そこに集まっていた者たちは新王国の幹部という話だったが、どこかで見覚えのある奴があちこちにいる。


 オリナと騎士見習いの後に続いて館に入ったでかい男は間違いなくドンメダだ。そのドンメダの隣にいた立派な鎧を着た騎士はジャクという名前だったはずだ。その他の若い男たちもどこかで見た気がするが思い出せない。ああ、そう言えばデッケ・サーカの街の宿屋の親父だった男もいた。


 「そろそろいいでしょう。我々も行きますか?」

 クリウスに先導され、俺たちはリサから少し遅れて王宮に入った。


 「ここが本当に囚人都市だったのですか? 信じられませんね。あれは何ですか? クリウスさま!」

 さっそくリィルがクリウスの隣にひっついて色々と質問を始めた。


 知っているようなことまで初めて知ったみたいな反応をしているリィルは確かにカワイイ。俺に見せる反応とは大違いだ。

 こうなると二人の仲はもう確定と言って良い。コベィの街を過ぎてから二人はいつも一緒にいる気がする。


 「ここからカインが逃げ出したのですね?」

 俺の隣には少しうれしそうな表情のサティナ姫がいる。

 セシリーナがリサのお供で先に行ったので人目を気にせず隣にいられるのがうれしいのだろう。


 「とても少し前まで囚人都市だったとは思えませんわね」

 俺たちの後ろでミラティリアがあたりを見回した。

 「ちょっと私には華美過ぎるかな? 私はもっと、こう、質実剛健さが欲しいわ」

 ルミカーナは腰の剣の柄に片手を置いて高い天井を見上げた。

 

 ベッドの中で教えてくれた彼女の出身地は北の砂漠の向こう側、灰色の王都と呼ばれる街だ。武を重んじるお国柄だという事で、彼女にしてみればこの装飾は繊細すぎるのだろう。


 俺たちは王宮内にある国議の部屋と呼ばれる大広間に案内され、その末席についた。リサ王女を壇上に迎え、新王国としての今後の対応や予定について話し合いがもたれた結果、リサ王女の戴冠式は1週間後、クリスティリーナ祭と呼ばれる祭りの初日に合わせて開催されることが決まった。


 リサを補佐する宰相としてセシリーナが引き続きその任にあたることも決まった。仮面を外さない謎の魔族の美女と言う事で多少の反感もあったが、最後はリサ王女の一言で無事に決まったのである。


 ついでに言えば、俺はリサ王女の婚約者でセシリーナの夫でもあるということで、王宮内の特別区画にある旧王妃の館と呼ばれる大きな屋敷を使用することが認められた。


 「ここですか!」

 「はい、ここがカイン様のお屋敷になります」

 リイカが大きな門を開けた。


 「凄いじゃないカイン」

 サティナたちが中に入って目を丸くした。

 案内されて見ると、そこは広い庭園や果樹園、ぶどう畑、菜園等を備え、独立した小さな離宮のような造りである。


 この辺りは広大な墓地になっていたエリアに近く、囚人都市だった時にはだれも足を踏み入れない閉鎖区画だったところだ。

 今は魔物は完全に駆逐され安全は確認されている。

 俺が使うことに決まる前までは騎士見習いたちの寄宿舎としても使用されていたらしい。


 そしてこの日から、この屋敷が俺の活動拠点になった。

 しかも、リサ王女の夫になる俺に対する新王国の対応は何もかもいたせり尽くせりで、驚いたことに初日から屋敷務めのメイドたちが何人も王宮から派遣されてきて、俺たちの新生活がスタートしたのだ。


 その夜、俺はさっそく屋敷の一部をカッイン商会本店として登録し、今後のセシリーナの私生活の場として備えることにした。


 今まで勝手に本店にしていたヨーナ村の宿には支店を置くことにして、そのことを伝えるため工房広場の職人たちに封書を送った。


 久しぶりに宝財所の貯金額も確認したが、ネルドルとの契約金を始め様々な権利金が溜まっていて結構な財産持ちになっていた。

 これだけの貯蓄があればセシリーナが子どもを産んでも安心して育てられるだろう。彼女には宰相の任もあるが、仮面を外して自由に出来る場所も必要だ。この屋敷なら伸び伸び過ごせるし、子育て環境としても抜群に良い。


 屋敷は王宮なみに大きいので、妻や婚約者たちの部屋は十分だ。リサやセシリーナの部屋はもちろんのこと、サティナたち3人を始め、3姉妹とルップルップの部屋も優先して準備させた。 

 ただし、居候扱いになるリィルだけは適当な客室を好きなように使いたいらしく、俺が勧めた部屋とは違うどこかの部屋に潜りこんだようだ。



 ーーーーーーーーーー


 旧王妃の館に引っ越した翌日、様々な雑務をこなした俺は久しぶりに街に出てみることにした。


 既に夕刻だが日が沈むまではまだ時間がある。

 あの廃墟だった街がまともな街になっているのには驚きだったが、それより驚きなのはイリスが出口で待っていたことだ。

 サティナたちに気づかれないように、こっそり出て来たつもりだったのだが、護衛任務中のイリスにはバレバレだったらしい。


 「ほら、この辺りですよ、カイン様」

 そう言って立ち止まったのはイリス。今日は珍しく私服である。いつもの黒いメイド服では目立ちすぎるというのが理由らしいが、通り過ぎる者がみんな振り返るほどとても可愛い。

 実は俺とデートしたいだけなんじゃない? とドキドキしてしまう。


 「どうかしましたか?」

 「い、いや、何でもない」

 イリスが指差している先には、大きな木の切り株が残っている。そう、ここは3姉妹と俺が初めて会った場所。枯れ木は切り倒されて廃墟だった場所には新たな建物が建設され始めている。


 「カイン様がここで私たちの呪いを解いてくださったのです。覚えていますか?」

 「そうだったよなぁ」

 あの時は必死だったが今思いだすとかなり恥ずかしい。

 だが、あの時3姉妹を助けに戻らなければ今の俺は無かった。


 「本当に感謝しているんです。私たち姉妹をこの世界に引きとどめてくださって」

 イリスがぎゅっと俺の手を握りしめ微笑んだ。


 「あのまま邪神に体を乗っ取られていたら、私たちは蛇人族の国に戻る事もできず、人としての幸せも知らずに世界に災いを撒き散らすだけの醜い悪しき存在に変貌していたことでしょう」


 「俺の方こそ今まで何度助けられたことか。改めて礼を言うよ」

 見つめあう二人。

 くすっとイリスは先に笑う。


 「お互い様ということですね?」

 「そうだな」


 俺たちは再び見つめあい、自然に唇が近づいて……


 「うわーーーカップルだ! カップルがいるぞ!」

 「うわーーキスしようとしている!」

 急に塀の影から子どもが飛び出してきて大声で叫んだ。


 くそっ、こいつら! せっかく良い所だったのに台無しだ。


 「もっとくっつけ!」

 「はやく、チューしろ!」


 「ああ! もう! なんですか!」

 イリアも照れた。

 俺は思わず「この糞ガキ!」と言いそうになったが、イリスの前でそんな汚い言葉は吐けない。俺はうるさいガキどもの前からイリスの手を引いて駆け出した。


 かつての南区の境のあたりまで来ると俺は息を切らして壁にもたれかかった。イリスは全然平気そうだが、少し血色が良くなって肌が輝いて見える。


 「もう、カイン様ったら、子どもからあんなに必死に逃げるなんて」

 イリスは楽しそうにくすくすと笑う。

 俺は思わず頭を掻いた。


 「おや、カインさんじゃないですか!」


 「え?」

 顔を上げるとクリウスが目の前にいた。

 彼は思いがけない所で出会ってしまった、という感じの表情をしている。


 「あ、あの、僕たちは、これから飲みにいくんです。ご一緒にどうですか?」

 「ん? 僕たち?」

 良く見ると、クリウスの影に隠れている奴がいる。


 「おい、隠れたつもりだろうが反対側からお尻が見えているぞ。そのお尻は……」


 「馬鹿ですか! お尻で判断できるって、どれだけ日々女の子のお尻ばかり凝視しているんですか!」

 怒ったリィルが顔を出した。


 「ほほう、今日の午後に特別な約束があるとか言っていたが、なーんだ、そう言う事か?」

 俺はリィルとクリウスを眺めてニヤつく。

 実は前の街でも二人が密かにデートを繰り返していて、かなり良い雰囲気なのを知っているんだけどな。


 「そ、そんな事どうでもいいじゃないですか? カインだってイリスさんと一緒じゃないですか!」

 「だって、イリスは俺の婚約者だぞ。堂々とデートできるんだよ」

 デートと言われて、急にイリスが顔を染めた。

 あれ? デートだと思っていたのは俺だけなのだろうか。


 「ま、まあいいじゃないですか、カインさん。この先にお勧めのお店があるんです。なんでも有名なデッケ・サーカのクリス亭分店なんだそうですよ」

 ズキッ!!

 何か心にひびが入った気がする。何か触れてはいけない物に触れたような。


 「お、俺はその名前の店はちょっとな」

 「ほらね? カインはお酒にめちゃくちゃ弱いんです。イリスの前でカッコ悪い所を見せるのが嫌なのですよ。だからカインたちは付いて来ない方が良いですよ」

 リィルがしめたとばかりに悪い顔で言う。


 「そうなのですか? お酒ダメなんですか?」

 イリスが意外そうな顔をした。

 「いや、そういう訳じゃないんだ」

 「ではどうします、別の店でお食事でも? そう言えば甘いスイーツも良いですね」

 イリスは優しい。

 だが、イリスの優しさに甘えてはいけない。


 「わかった。クリウス案内しろ、俺もその店に行こうじゃないか。イリス亭だったか?」

 「違いますよ。クリス亭分店ですよ」


 いかん、どうしてもその名には抵抗がある。そうだ、3姉妹のクリスの事だと思えば。

 ズキズキッ!!

 さらに盛大に心にひびが入った。

 ダメだ、思い出したくない記憶が……クリスとそこで何かあった気がする。


 やはり行かない方が……と思ったが、既にみんなは歩きだしている。イリスが心配そうに振り返ったので、男としては行くしかない。


 イリス、俺に力を!

 そんな思いでイリスの手を取った。

 微笑んだイリスが指を動かすので、俺は恋人つなぎで応える。

 

 なんてうれしそうな表情をするんだ。姉であるイリスはクリスやアリスの手前いつも自分を押さえている。それがいじらしくて愛おしい。


 「イリス、今日はデートだ。おいしいものを食べて力をつけような」

 「はい、カイン様」

 イリスは微笑んだ。

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