第325話 ミズハ挙兵す!

 「オズル陛下、緊急事態でございます!」

 執事カルディが封書を手に姿を見せた。少し息が荒いところをみるとだいぶ急いだのだろう。


 「ふむ、見せてみろ」

 オズルはおもむろに封書を受け取ると慣れた手つきでナイフを使って封を切った。


 報告してきたのは元鬼天配下の諜報員である。


 鬼天亡きあと残った鬼天衆は魔王オズルの直轄に組み入れられていたが、各隊のリーダーや主要なメンバーを失った鬼天衆の弱体化はあまりにも顕著で、新王国に対する様々な謀略はうまくいっているとはとても言い難かった。


 つい先日もリサ王女誘拐作戦が失敗したという報告を受けたばかりである。


 鬼天亡きあと、鬼天衆筆頭の座を狙う男が「鬼天衆としての面目にかけて絶対の戦力を注ぎ込むのでやらせてくれ」と言うのでやらせてみたが、やはり鬼天ダニキアの足元にも及ばない三流品だったらしい。

 生き残った者の話では、その男は黒髪の少女に襲い掛かった瞬間に一刀の元に斬られたらしい。


 「奴らがまともにできる仕事は諜報活動くらいなものだな」

 封書を開くと、異形の仮面を被った男の姿が書簡の向こうに陽炎のように浮かび拝礼した。


 「オズル陛下、未だ王位継承の儀式が続いているところではありますが、その政治的空白を突いて、魔王ゲ・ロンパを騙る者が出現しシズル大原の東から混乱が広がっております。

 反逆の首謀者は元魔王二天ミズハであります。魔王を騙る痴れ者と共に東部港町に突然姿を現し虚言で人々を惑わせ、真魔王国と僭称して挙兵。謀反人どもは周辺の街を占領し、さらにオミュズイ方面に侵攻する気配を見せております」

 仮面の男の姿は要件だけを伝えるとすうっと消失した。


 「ふむ、こうなる可能性は予測済みだったのだが、早すぎるな」

 オズルは唇を噛んだ。

 大魔女ミズハがゲ・ロンパを担いでついに挙兵したらしい。真魔王国を名乗ったところを見ると我らこそ本当の魔王国だと言いたいのであろう。


 こうなってみると旧公国の王都決戦でミズハとゲ・ロンパを殺せなかったのが改めて悔やまれる。

 あの時、何者かが黒水晶の塔に忍び込んで術式を破壊したせいで力が急激に減衰し、撤退せざるを得なかった。

 あれがなければ二人ともあの場で抹殺することが可能だったのだ! 魔王オズルを嘲笑うかのように謎の侵入者は未だにその尻尾すらつかめない。何者か知らぬが許さんぞ、オズルはぐっと拳を握り締め歯ぎしりした。


 「いかがいたしますか? ただちに裏切り者を討つため討伐軍を編成いたしますか?」

 執事カルディは魔王オズルの顔色をうかがう。


 「帝国は新王国との戦やその後のゲ・ボンダとの抗争で精兵を損なったばかり。ただちに編成可能な予備兵力は今の帝都には無い……」


 「それでは、この危機に際して出兵しないと?」


 「残念だが今はシズル大原への新たな出兵は不可能だ。これもゲ・ボンダの愚か者が無駄に抵抗したせいだ。しかし手をこまねいていてはならん。至急伝令を出し、オミュズイの基地に周辺の残存兵を集めさせろ! オミュズイは堅城だ、あの街を絶対に抜かれてはならん! 帝国の防波堤として死守させるのだ!」


 「はっ、かしこましました。裏切り者のミズハへの対応はいかがしましょう? あの者は脅威です。謀反の主導者として真っ先に暗殺した方がよろしいのでは?」


 「それも鬼天衆の現状では難しいな。お前が考えるよりもミズハの魔力は強大だ。ミズハの周りに集まっている仲間も数は多くはないが、けして侮ってはならない」

 ミズハたちと戦った魔王オズルはあの場にいた敵の強さを思い出した。少なくともミズハに匹敵する力の持ち主が数名いた。特に暗黒術師は厄介だった。


 「暗殺が無理であれば、戦場であの大魔女ミズハに対抗できる者がおりますでしょうか?」

 執事カルディの問いに、魔王オズルは黙り込んだ。


 こんな時に限って美天が重傷を負った。

 あの様子では完治までおそらく数か月以上かかるだろう。こうなるとミズハに個人で対抗できるのは自分しかいないのが現状だ。


 ふとオズルの脳裏に地下に眠る製造番号No3の美少女の姿が浮かんだが、あれはやはり不安定すぎると首を振る。

 あれを目覚めさせるとせっかく調整がうまくいったシュトルテネーゼの覚醒にまた不確実な影響が出るかもしれない。それだけは避けねばならない。


 「戦争は結局のところ数だ。いくらミズハが強大な魔女でも個人の力には限界もあろう」

 魔王オズルはミズハの力は化け物だという事は重々分かっている。だが、今はそう答えるしかない。


 「そうでございますか」

 「うむ」


 「それでは、ただちにオミュズイの街に兵力を集中するよう命を下しますが、オミュズイの総指揮官には誰が? 陛下が直接オミュズイに出向かれるのでしょうか?」


 「そうだ、と言いたいところだが、即位後にやらねばならぬ儀式がいくつも重なっておって今は帝都を離れることはできない。総指揮官はオミュズイ総督のゲミュールに一任するしかあるまい。だが、残念だがおそらく奴では前大戦で名をはせた大魔女ミズハには到底敵わないだろう。最悪の事態も想定しておくべきだろうな」


 「最悪の事態でございますか?」


 「今はじっと耐え、帝都の混乱を速やかに収める。そうして帝都近郊の領土、つまり昔からの魔王国領の支配を盤石にし、そのうえで準備が整い次第、再度シズル大原に撃って出て賊軍を討つ。そういう手順になるだろうな」


 即位からまだ日は浅い。ようやく新たな政治体制を発表し新魔王としての権限を発揮し始めたばかりである。体制が固まらないこの時期にオズルが帝都を離れることはできない。その間に真魔王国と称する者たちがどこまで勢力範囲を広げるか、想定される最悪の事態とは……


 「なるほど。と言う事は、最悪、黒鉄関門以南の地は一時的に諦めるということでございますか?」

 カルディの目が光った。


 「その通りだ。しかし仕方があるまい、何もかもタイミングが悪い。せめて私の例の術式が破壊されていなかったなら新たな卑神獣を召喚して送りこんだのだが。……例の壺を失ったのも痛手だったな」


 誰にでも暗黒術が使えるという壺が破壊された影響は大きい。あの壺さえあれば、誰かに壺を持たせその命と引き換えに死人兵を召喚させ、真魔王国を支持する街を壊滅させることもできたかもしれない。足がかりとなる街や人々がいなければゲ・ロンパとミズハがどう騒いでも組織的な広がりにはならない。後は孤立した反逆者をじっくりと追い詰めれば良いだけだったのだ。


 「ちっ。ようやく魔王の座を手に入れたというのに」

 貴天は忌々しそうに唇を噛んだ。



 ーーーーーーーーーーー


 晴れ渡っていた空に暗雲が迫る。


 「急げ! 賊軍はそこまで迫っているぞ、早く進め!」

 「先は何をしている!」

 「文句を言うな! こっちは重砲を運んでいるのだぞ!」

 夕暮れのセク大道は敗走し、北へ向かう帝国兵で溢れ、混乱の極みにあった。


 「そんな荷物を運ぶからだろう! そんなものは廃棄していけばよいではないか!」

 「何を! むざむざ賊軍の手に渡せというのか!」

 輜重隊の兵と槍兵が睨みあう。


 「何をしておる! 既に賊軍はセク大道の南端に達し、殿軍が抵抗している状態なのだぞ! 急がねば捕捉されるぞ! 向こうには大魔女ミズハがいるのだ! 余計な荷物は捨て、身一つで黒鉄関門に向かわねば、妻子に会う事もできぬぞ!」

 元獣天配下の副将だったという獣人の男が叫んだ。


 その怒声に顔を青くした兵たちが我先にと走り出す。


 「ここまで簡単に防衛線が破られるとは大魔女恐るべし」

 男は南方の地平線に湧きあがる巨大な黒煙の連なりを見た。

 方位からすれば、あれはセク大道と各街道の交差点に築かれていた帝国軍の砦群だろう。

 黒煙は遥か上空にまで達している。偽王ゲ・ロンパ率いる賊軍の総攻撃で火薬庫に火が回ったのだ。あの砦を失陥した以上、もはや黒鉄関門以南での抵抗は不可能。


 魔王オズルが帝都を離れられないことが災いし、ゲ・ロンパを称する偽王と大魔女ミズハを支援する群衆は燎原の火のごとく広がった。


 魔王の命により帝国軍がオミュズイの街を固めようとした矢先、驚くべき速さで到達した真魔王軍との戦端が開かれ、双方に多大な被害を出しながら、わずか1日でオミュズイの街は陥落した。


 たった1日の戦いだったとは言え、最大の激戦になったオミュズイ攻防戦に帝国軍は獣天部隊が飼育していた若い厄兎大獣を防衛のために惜しげもなく出撃させた。


 厄兎の群れは押し寄せる賊軍に甚大な被害を与えたものの、大魔女ミズハと二人のメイド姿の黒い魔女が戦場に姿を見せると状況は一変した。大魔女は恐ろしい魔法を繰り出して厄兎を次々と駆逐し、基地に立てこもっていた帝国軍を無力化した。


 もはやあの大魔女に対抗できるような魔女は帝国には存在しない。あれに対抗できるのは赤い魔女ニロネリアか魔王オズルくらいだと言われているが、赤い魔女は半年以上前から行方不明だ。


 こうしてシズル大原を支配する最大の軍事拠点オミュズイを失った帝国軍は黒鉄関門以北への撤退を開始した。

 帝国軍の撤退を目の当たりにし、オミュズイ攻防戦の翌日にはシズル大原の旧国のほとんどが貴天オズルを擁する帝国からの離反を宣言、真魔王国への恭順を示した。


 偽王の真偽はともかく、大魔女ミズハの影響は計り知れなかった。旧国のこの迅速な決断の影には、ミズハに付いていこうという多くの声があったことは否めない。

 シズル大原では先の大戦で指揮官だったミズハの温情に心を動かされた者が多かった。そのことがミズハ陣営に人心が容易に流れた最大の原因になった。彼らは帝国の権威よりもミズハの人柄そのものを信じたのである。


 「急げ! 殿しんがり部隊が必死でがんばっているのだ! 黒鉄関門が閉じる前に帝国領に入るんだ!」

 敗軍の将、獣人の男は大声で叫んだ。



ーーーーーーーーーー


 「やっぱり情報は正確だったんだぜ」

 髪を後ろで一本にまとめたジャシアは、岩の狭い隙間を這いつくばって潜り抜けてから、ロープをひいて置いて来た背負袋を手元にゆっくりと引き寄せる。


 息が少し白いのは地下水の冷気のせいだ。その地下水から水をくみ上げている細いパイプが見えている。


 黒水晶の塔の警備は厳重だ。しかし、潜入する方法がないわけではない。オミュズイ陥落の報に動揺する兵を横目にジャシアは地下水路に潜りこんでいた。


 帝都に潜入して数日、ジャシアが新たに得た地下水路の情報は完璧ではなかったが獣人特有の勘で正しいルートをたどっているという自信はあった。それがこれで確認に変わった。


 ジャシアは傷ついて昏睡状態のエチアを包んだ袋を背負って地下水脈沿いに進んできた。地下フロアの研究区画がこの地下水を吸い上げて利用していることはとうに分かっている。

 

 「この管は最近取り換えたんだな。おそらくこの先にもっと太い管があって、その場所にメンテナンス用の出入口があるはずなんだぜ」

 ジャシアはその錆一つない真新しい金属製のパイプをつかんだ。


 地下水脈に沿って立って歩ける細い通路のような岩場が続いていた。しばらく進むとやがて遠方からドウドウと水音が響き渡るのが聞こえてきた。


 「これは難所なんだぜ」

 ジャシアは立ち止まった。

 目の前に荒々しい岩肌を見せるちょっとした滝が現れた。どこかで道を間違ったわけではない。地下水脈から水を汲み上がる太いパイプを見落とすはずはない。


 「進むしかないんだぜ。揺れるけど心配するなよ、エチア」

 ジャシアは袋に向かって語り掛けると、尖った岩肌に爪を立てて慎重に下っていった。


 力を入れるとズキッと急に左腕の傷が痛んで、ジャシアは「ちっ」と唇を噛んだ。


 濡れた崖に突きだず足場は非常に滑る。どうしても腕力に頼らねばならない。そのためにやっとふさがったばかりの傷口が再び開きそうだ。


 これは黒鉄関門の抜け道である洞窟を出る際に密輸組織の連中に見つかって派手に一戦交えた時に受けた傷である。

 獣人であるジャシアは傷の治りも早いが、それでもまだ力を入れるとかなり痛む。


 歯を食いしばりながらようやく崖底に着くと地下水脈はそこから奥にむかって水平に流れているが、両岸にはこれまでのような足場は無い。進むには氷のような地下水脈に入るしかない。


 ジャシアは意を決して流水に足を入れた。水は冷たいというより痛い。それでもジャシアは膝まで地下水に浸かりながら進み始める。


 どのくらい進んだのか、足先の感覚はもはやなくなっている。

骨の芯まで凍るような地下水に膝まで浸かりながら歩いてきたが、さしものジャシアも限界が近い。


 「そろそろヤバいかもしれないんだぜ」


 思わず弱音を吐きそうになった頃、ようやく前方に地下水を汲み上げている太い鉄菅が見えてきた。管は右側の岩壁沿いに立ち上がって壁に大きく開けられた穴の中に続いている。


 「着いた……、きっとあの隙間から中に入れるんだぜ」

 ジャシアは腰に下げていたカギ爪のついた縄を振り回して放り投げ、その感触を確かめた。大丈夫、登れそうだ。


 「エチア、まもなくだ。もうすぐ治療できるぞ」

ジャシアが縄を手にして、背中に語り掛けると袋の中から荒い鼻息だけが聞こえてきた。

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