第327話 聖都クリスティ2

 「いらっしゃいませーーっ!」

 店に入ると元気な女性の声がした。


 「空いているお席にどうぞ!」

 見るとカウンターの向こうに若い女性が立っている。どうやらこの店を任されているらしく手際よく従業員に指示を出している。


 店内では常連客と見られる野郎共が大声で騒いでいた。まだ夕方だと言うのにカウンターには既に酔いつぶれている大柄な男の姿も見える。


 「キャシーちゃん、こいつに水をくれ」

 「いや、もっと飲ませろ!」

 ぎゃあぎゃあと煩い連中なので、俺たちはカウンターから一番離れたテーブル席へ座った。


 店中の男たちの視線が一斉にイリスに集まってくるのがわかる。そして、その隣に当たり前のように座った俺を見て、何かひそひそ話を始めた。いつもの事だがどうせロクでもない話だろう。イリアは超絶に美人過ぎるのだ。


 「いらっしゃい。ここは初めてですか?」

 人懐っこそうな少女がメニューを持ってきた。


 「僕は2回目かな。あとのみんなは初めてだと思うよ」

 「そうですか。本日のお勧めはこの欄です。お酒はこのクリスティリーナスペシャルがお勧めですよ」


 「じゃあ、それを4つ。料理はこれとこれ」

 クリウスがてきぱきと注文した。


 「まったくもう、せっかく二人だけで、と思っていたのに」

 リィルがぶつぶつ言っている。


 「リィルさん、どうかしましたか?」

 「えっ、何でしょうか?」

 その変わり身が早い。


 俺を見てむくれていたのに、クリウスを見る時にはキラキラした純真な乙女の笑顔である。


 「リィルはまるで天使です……」

 クリウスはリィルを見てつぶやいた。

 それはむくれ顔を見ていないので言えるセリフだろう。騙されているぞクリウス、と言いたくなったが、イリスが俺の腕を掴んで軽く首を振った。


 「はいどうぞ! お待たせしました!」

 元気よくテーブルに並べられたのは綺麗な七色に輝くクリスティリーナスペシャルとかいうお酒だ。


 「わあ、綺麗な色ですね!」

 「みなさん、このお酒は魔獣もいちころという強いお酒がベースになってます、少しづつお楽しみください。お水は必要ですか?」

 ふーむ、どこかで聞いたような話だ。


 「お水をひとつ頂けますか?」

 イリスが指を立てて言った。


 「かしこまりました。あと、お料理はちょっと混んでいるのでもう少しお待ちください」

 快活に言って少女はぱたぱたと戻って行く。


 「それでは、皆さん! 乾杯しましょう! 乾杯!」

 クリウスが叫ぶ。

 俺は恐る恐る一口飲んでみる。以外に甘い。

 これならいけるのではないだろうか。クリウスは普通に飲んでいる。男ならこの程度、と言う感じだ。


 リィルがにやにやして俺を見ている。その顔を見るとなんだか負けられない気がしてきた。


 俺はさらにごくりと飲む。

 うん、思ったよりイケるのではないか。

 隣を見るとイリスが上品にグラスに唇をつけ、美味しそうな表情になって頬を染めた。


 「おいしいですね、カイン様」

 俺が見ているのに気づくとイリスは蕩けるような笑顔で優しく微笑んだ。


 うわあああ! 美しい、素敵だ!

 こんな素晴らしい乙女が俺の婚約者! これは絶対に大切にしなくてはならない!


 急に鼻息が荒くなった。アルコール分が鼻からぶふぉと噴き出すような感じがする。


 あれあれ、おかしい、何だか酔いが回るのが早い。

 そう言えばまだ料理を食べていないし、隙ッ腹に強い酒は効くのだ……目が回る。


 「大丈夫? カイン? ほら、お水ですよ」

 心配そうにイリスが覗きこんで水を飲ませてくれた。

 どうやら始めから俺のために水をもらってくれていたらしい。

 戦闘ではあんなに強くて凛々しいのに、普段は控えめで気が効いて優しい。妹のクリスのようにグイグイはこないが、こういうさりげない心遣いがハートにきゅんとくる。


 「ほらほら、見てください! カインはこの程度の酒でこれですよ、ざまあないです。わはははーーっつ!」

 少し酒が入って地が出たのか、リィルが俺を指差して勝ち誇った。


 「うわあ、リィルさんの顔が悪い顔になってますよ」

 その様子を見たクリウスの声に、リィルは一瞬で青ざめる。


 「えっ? 何でしょう? どうかしましたか?」

 リィルは清純そうな表情で首をかしげた。

 凄い変わり身。


 「あれっ? 今のは幻覚だったのでしょうか? 僕も酔いが回るのが早いのかな?」

 クリウスが目をごしごしとこすった。


 「あっ! 何だか聞いたことがある声だと思ったら、やっぱり! クリウス! それににカインまでいるじゃないの!」

 不意に背後で声がした。


 イリスに水もらって少し復活した俺の目に、手を振るゴルパーネが映る。


 「あれ? ゴルパーネさんじゃないですか! と言う事はネルドルも来ているのか?」

 クリウスは周囲を見渡した。

 彼らは帝国との防衛戦用の武器製造を一手に引き受け、第二次スーゴ高原の戦いでの新王国の勝利に貢献したということで、先日叙勲されたばかりだ。


 「ネルドルだって……?」

 俺の耳がぴくりと動いた。


 「あの人はほらカウンターで酔いつぶれているわ。今日も私の勝ちだったのよね。折角ご褒美で半年間飲み代が無料なんだから、飲まなきゃ損なのに彼ったら弱過ぎなのよ」

 ゴルパーネはジョッキを持った手を腕まくりした。その後ろには酔いつぶれている背中が見える。


 「あの人?」

 俺は思わす聞き返した。以前はそんな風には言わなかった気がする。


 「あの人って、ネルドルの事か?」

 「あれ? カインは知らなかったのですか? ゴルパーネとネルドルは新婚さんですよ」

 クリウスが驚いたように言った。


 「えええええーーーー!」

 いつの間に! 驚いたのはこっちだ。


 「ですから、今は、ネ・ルドル・パーネリアさんですよ」

 「いつ結婚したんだよ。ネルドルからカッイン商会への定期連絡でも全然、そんな事は書いてよこさなかったぞ!」

 酔いが一気に冷めそうな衝撃だ。


 「えへへへ……。カインには直接会った時に驚かそうと企んでいたのよ。まあ、それは成功したわね」

 ゴルパーネは頬を指で掻いた。


 「まったくもう、本当に驚いたぞ。それで? 今は仕事の方はどんな感じなんだ? 最近の手紙には新王国のお抱え大工みたいなことをしているって書いてあったけど?」


 「そうなのよ。帝国との戦いで貢献したので勲章までもらっちゃって、商売は順調よ! 私もアッケーユ村に個人的なネルドル工房も立ちあげたし。彼と結婚できたし、もう幸せ一杯よ」

 嬉しそうに身体をくねらせてゴルパーネがにやけた。


 「ああ、そう言う事か。アッケーユ村の工房ってゴルパーネの工房なのか。ネルドル工房って聞いたから、ネルドルの奴が俺に内緒で建てたのかと思ったぞ」


 「あれは私の専用工房よ。私もネルドルになったんだから、ネーミングは合ってるでしょ?」

 「そう言われればそうか。うーむ、それでどうかな? ゴルパーネもカッイン商会を代理店にしてはどうだい?」

 俺はちょっと企んだ。


 「ふふふ……残念でした! 私は既にロウ商会と契約しているのです!」

 ゴルパーネはどうだ! みたいな自慢気な顔をした。


 「それは凄いですね、シズル大原で最大の商会じゃないですか! ロウ商会に認められるなど、将来が約束されたようなもんですよ! おめでとうございます!」

 クリウスがゴルパーネの手を取って握手した。


 「え、えへっ、そうかなあ?」

 ゴルパーネが照れる。


 「ロウ商会? ロウ・バ・ボトナンさんのところか?」

 「へえ、カッイン商会もロウ商会と取引があるんですか? 新進の商会が伝統あるロウ商会と繋がりを持つことは成功への第一歩と言われていますよ、凄いですね」

 クリウスが意外そうな顔をした。


 「そういえばロウさんから名刺ももらったな」

 ガタン! とクリウスが立ち上がった。

 ゴルパーネも驚いている。


 「め、名刺をもらったですって!」


 「挨拶だろ? 何をそんなに驚くんだよ」

 「あの方が直接名刺を渡すのは王族か選ばれた大貴族か。平民が名刺を貰ったなんて聞いたことがないですよ。一体何をしでかしたのです?」


 「そうよ、カイン、あの人は国境を越えてあらゆる国の要人に顔が効く、物凄い商人なのよ。ご本人も元は滅びた国の王族らしいしね」

 ゴルパーネは慌てて、ジョッキの酒をこぼしまくっているのにも気づいていない。


 ああ、そうか、と俺は思った。

 おそらくリサがいたからだ。


 どの段階で気づいたかのか分からないが、ロウ氏はリサが新王国の王女だと勘付いたのかもしれない。

 だから、その後ろ盾になっている俺に名刺を渡したのだ。

 なんという老獪な人か。


 しかも、知らないうちにそんな大物と繋がりを持っていたとは……。そう思うと次第に怖さを覚える。


 「ま、まあ、リサ王女絡みの一件だと言えばわかるかな?」

 俺は震える手でグラスを掴むと動揺を落ち着かせるためにぐいっと水を呷った。


 「あっ! カイン! それはお水じゃないですよ!」

 イリスが慌てて俺の腕を掴むが、時すでに遅し。


 喉がキューーっと熱くなった。

 一気に俺の顔が赤くなって部屋が回り出した。

 「カイン様、大丈夫ですか!」

 叫ぶイリスの声が遠くになった。

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