第328話 デキてる
ここはどこだろう……?
俺はぼんやりと質素な板張りの天井を見上げた。
まだ少し暗いが、窓の外が少し明るくなってきた所をみると夜明けなのだろう。
早朝の静けさの中、遠くで小鳥が静かに鳴き始めている。
うーむ、今さらだが頭が痛い……昨日は飲み過ぎたようだ。次第に昨晩の光景を思い出してきた。リィルたちと一緒に飲んで騒いで、それで……。ああ、もの凄くリアルでエロい夢を見てしまった。
俺は腕を動かそうとしてその重さに気づいた。
「ん?」
俺の腕を枕にして眠る全裸の美女がいる。
「え? ええええええーーっ!」
俺は思わず声を出してしまった。
「カイン様、お目覚めですか?」
まぶたが動き、その美しい澄んだ瞳が俺を見つめる。
俺の胸に顔を埋める微笑、全身に優しい人肌の温かさを感じる。その素裸の腕が俺の首にまわされる。
「カイン様、昨夜はとても素敵でした……。噂の夜の魔王には私もまったく敵いませんでした。まだ足腰に力が入りませんので、もう少しこうしてお側に置いて下さい」
イリスは俺にキスをして俺の胸に再び顔を埋めた。
俺は裸で、イリスももちろん全裸!
その美乳がもっちもちで柔らかい。イリスは素足を俺の足に絡めて頬を染める。
と言う事は……急に昨晩の事を鮮明に思い出した。あれは夢じゃなかった!
「思い出しました?」
俺の胸で恥ずかしそうに微笑む表情があまりにも可愛い。俺の腹に浮かんだイリスの紋は当然のようにはっきりと婚姻紋に変化している。
「うおおお! イリスっ!」
「ああ、カイン様! 素敵です! 夜だけじゃない。ベッドの上では常に魔王様なのですね!」
布団がずれ落ちて、美しすぎるイリスが両手を俺の背に回してにっこり微笑む。
ーーーーーーーーーー
昼すぎになって、ようやく二人は部屋を出て一階の食堂に顔を出したが、そこにリィルとクリウスの姿があった。
「昨夜はずいぶん張りきっていたようですね。派手に隣部屋まで聞こえてきましたよ」
クリウスと昼食を食べていたリィルが上目づかいで俺をにらんだ。
「ええ……? 何のことかな?」
俺は壁のメニューを見るふりをしてとぼける。
イリスもなんだか恥ずかしそう。
「死んじゃう死んじゃうって。イリス様ですら夜の魔王には敵わない。まさにベッド上の帝王ここに現るでしたよ」
リィルが果実をかじった。
「カイン様もご一緒にどうですか? ここの卵とベーコンは美味しいですよ」
クリウスがにこにこして言った。
「そうだな、昨日はすぐに酔って倒れたからな」
俺がイスに座ると当然のようにイリスは俺の隣に座って俺の指に指をからめた。
「ご注文は?」
昨日とは違う少女だ。
「あれと同じやつを2つ」
「かしこまりました!」
目の前でリィルが俺たちを見てニヤニヤしている。
「ほら、リィルもこれを食べてごらん。美味しいよ」
急に隣からクリウスが自分のセットに付いてきたアイスを一口スプーンで差し出した。
「どうだい?」
リィルに食べさせた後、クリウスが尋ねた。
「本当だ! とても美味しいです」
リィルが頬を押さえて笑う。
ん……こいつらも何か昨日までと違う感じがする。
「クリウスにはこれをあげる。はい、あーん」
今度はリィルが自分のゼリーをスプーンですくった。
「もう、リィルの分なんですから、いただけませんよ」
「そんなこと言わないで、あーん」
「仕方がないなあ。あーん」
クリウスがぱくっとゼリーを食べた。
つんつんとイリスが肘で俺の横腹を突いた。
「なんだい?」
「気づきましたか? カイン。あの二人」
「ああ、何か昨日と違うな」
「ほら、お互いに呼び捨てですよ。それに昨夜カインが張りきっていた事をどうして知っているのでしょう? 隣部屋とも言ってましたよね?」
イリスと見つめあう俺の頬に冷や汗が流れる。
「あっ! お前たち! さてはデキてるな!」
俺はがばっと立ち上がってリィルを指差した。
きゃあと声がして料理を運んできた少女が皿を落としそうになったほどの勢いだ。
「お客さん、なんですか、急に」
ぷんとむくれた少女が俺たちの前に料理を置いて行く。
俺の前で、リィルとクリウスは固まった。
やがてリィルがにまあと不敵に笑った。
クリウスはうつむいて顔を赤くしている。うーむ、その反応普通は逆じゃないか?
「なんだよ。結局、お前たちもデキてるんじゃないか?」
俺は席について、頬に肘をつきながら料理を口に運んだ。
「俺とイリスは元々婚約者同士だから別に何も驚くことじゃないだろ? でもそっちは出会ってまもなくなんだぞ。そこまで一気に進むとは正直驚きだな」
などと俺は自分の事を棚に上げて言う。隣では上品な仕草でイリスが食べ始めた。
「どの口が言うのでしょう。いつも手が早いのはカインの方じゃないですか? 出会うと同時にさらっと愛人紋! なんてしょっちゅうじゃないですか」
「まあまあリィル。カインさん、私は真剣ですよ。生涯、リィルを妻として守っていくつもりです」
そう言ってクリウスはリィルの手を握った。
「まあ、良いじゃないか。頑張れ、クリウス。こいつは見た目以上に強いし、本当は物凄く優しい奴だからな。自分を犠牲にしてまで姉を救おうと行動していたような奴だ。今までリサの事もずっと大切に守ってくれたしね」
「カ、カイン! カインがそんな事を言うなんて、悪魔でも取りついたのでしょうか?」
リィルが青ざめた。
「そこは素直に喜べよな。せっかく褒めたのに」
「リィル、良かったですね。こんな素敵な男性に巡り合えて」
イリスが微笑んだ。
「イリス様……、ありがとうございます。感激です! イリス様が結ばれた同じ夜、同じ宿で、クリウスと結ばれたのは運命なのです」
リィルは目を輝かせた。
俺の時と反応が全然違うじゃないか。俺は釈然としないまま、野菜スティックをポリパリとかじった。
ーーーーーーーーーー
「ニドル所長、よろしかったのですか? 頭の中を読まれて拒むことができなかったとは言え、あの者共にあれの場所を教えてしまったのですぞ。後で貴天、いや魔王様の怒りを買うのではございませんか?」
蒸気が噴き出す格子鉄板の上で操作盤の数字をメモしていたニドル所長に近づいて来たのは白衣の男だ。
「1001号くんか。前にも言ったが我々は地上で何か起きようが知ったことではない。気にすることはない」
「そうですが、貴天様がこれまで援助してくれたおかげでここの修復が一気に進んだのではございませんか? 今、貴天を怒らせるのは得策ではないかと思いますが?」
1001号は手際よくニドルの作業を手伝いながらつぶやいた。
「1001号くん。貴天は今まで十分に好き勝手やったではないか? 我々にとって寄生虫のような存在だったが、あのマッドサイエンティストを採用して研究させ、我々の知識を使って人と魔物を融合させた。
そうして、その実験結果を利用して例の少女の遺伝子情報に手を加え、様々な人種の遺伝子を組み合わせた人工生命体を大量に製造し、ついにその中から目的に適合する個体を一つ見つけ出した、そうではないかね? 我々は貴天にはもう十分な対価を支払ったのだよ」
ニドル所長は何の感情の色も見せずにキュッキュッと操作盤のバルブを閉めた。
「おや、第13ブロックの研究は閉鎖ですか?」
1001号は閉めたバルブの意味に気づいた。
「うむ、もう用はないだろう。こうしておけば第13ブロックの実験体は自然に死に絶える。そうだな百年くらいたったら別の研究に使えるだろうな」
「関連の第13Bブロックはどうしますか?」
「そこはまだ開けておけ。アフターサービスは必要だろう?」
「所長、貴天に貸し与えていた第205ブロックは現状維持でよろしいですか?」
1001号は第13ブロックのランプが黄色の点滅から赤に変わるのを確認しながら言った。
「帝国が勝手に第102ラボと呼んでいるクローン製造工場だね。あれはそのままにしておく。少なくともあと三千年は維持できるだろう。その間に地上の生物とどのような違いが生じるか見守るのもおもしろいと思わないかね?」
「ーー何が面白いだって?」
ふいに蒸気の向こうから女の声が聞こえた。
「誰だ! ここは我ら白天の使いと呼ばれる者以外は立ち入り禁止の区画だぞ!」
1001号が目を吊り上げ、ニドル所長を守るようにその前に立った。
「お前らがここの研究員だろ? 知ってるんだぜ?」
1001号の前に見知らぬ獣人の女が姿を見せた。その片手には大きな曲剣が握りしめられている。
「お前は誰だ!」
「1001号、そこをどきなさい。ふむ、傭兵隊所属の獣人の女性ですね? ジャシア・テンゼント・ミャロナ。22歳。ふむ。デキてますね、妊娠中ですか。それと背中に隠れているのは……、ほう、彼女ですね? 噂は聞いてますよ。例の実験における唯一の成功体、元カッツエ国の王族の末裔にあたるエチア・クレシュデ・カッチェルン、17歳、通称は「銀狼」、おや、怪我をしているのですね?」
ニドル所長は淡々とした口調で話ながらジャシアを見つめた。
まるで目の前に二人のデータが見えているかのようだ。
エチアは帝国の施設で様々な実験をされたと言っていたのでこの研究所にデータがあってもおかしくはないのだが、なぜジャシアのことまで、しかも妊娠していることまで分かるのか。
ニドルの能面のような顔は不気味だった。
「話に聞いていたとおりなんだぜ。気持ち悪い連中だ。だが、手っ取り早いんだぜ。死にたくなかったらエチアの傷を治すんだ。ここで治せることはわかっているんだぜ。それに彼女を人間に戻すんだ」
ジャシアは剣先をニドルのあごに突きつけ脅した。
「剣は何の意味もありませんよ。ジャシアさん」
「どうしてだい? 怖くないのか?」
「我々はいくらでも代わりの効くただの道具ですからね。死というものに恐怖は覚えませんよ」
「ちっ、面倒な人形なんだぜ」
「ですが、その銀狼は我々が手を加え、薬物で生まれた存在ですからな。人間に戻せるかどうかはわかりませんが怪我くらいは治せるでしょう。1001号くん、お二人を培養カプセルのある第204区画に案内しなさい。せっかくの機会です。銀狼を癒してみなさい。アフターサービスは大事だと言うことをあなたも覚える良い機会です」
「よろしいのですか? あそこはあそこで重要な機密区画ですが?」
「君、この獣人に何かが分かるとお思いですか? 何が重要かすらきっと理解できませんよ。いいから連れて行って処理しなさい」
バカにされてジャシアはムッとしたが、こいつの言うのももっともだ。周りを見回してもそれが何の機械なのかなどジャシアにはさっぱりわからないのだ。
「それではジャシアさん、私についてきてください」
1001号は納得したようだ。
「変な行動はするんじゃないぜ。いいな」
ジャシアは警戒しながら1001号という男の後に続き、ニドル所長と言う奴を横目で見た。
「そうそう、ジャシアさん。真ん中の受精卵の女の子がきっと将来英雄と呼ばれる子になりますから、大事に育ててくださいね」
ニドル所長の前を過ぎようとした時、彼が耳元でつぶやいた。
「な! どういう意味なんだぜ」
「希少な英雄の種ですよ」
その声に振り返ったジャシアの前からニドルの姿は消えていた。まさか転移魔法か? 辺りを見回すがやはりニドルはどこにもいない。細い一本道の通路は隠れる所もないはずだ。
「彼に何度も種付けしてもらうことをお勧めしますな……そのうちの一人くらい私どもに預けて頂ければ……」
どこからかそんな声だけが頭の中に響いてきた。
「なんだ、これはテレパスか?」
ジャシアは頭を押さえ、誰一人お前らなんかに預けたりするものかよと眉をひそめる。
「さあ、何を突っ立っているんです。こっちですよジャシアさん」
ジャシアに向かって1001号が扉を開いて呼んだ。
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