7 西へ向かって、南西湿原の道

第108話 西に向かうルート

 「行ってしまいましたね」

 イリスが屋敷の門の前でサンドラットが去った道を見ている。


 「ああ、振り返りもしないところが、あいつらしいな」


 最後までサンドラットを見送っていた俺とイリスは屋敷の玄関へと向かった。


 セシリーナとアリスは村長にもらったお古でリサ用の旅衣装を新調するため先に部屋に戻っている。


 リサの呪いが解けたわけではないのだが今まで着ていた服が少々小さくなった。たぶん何度も繰り返し洗ったので縮んだのだろう。


  「ところで、カイン様、先ごろ鬼天衆の男から奪ったというこの文書ですが、頼まれていた暗号文の解読が済みました」


 イリスがポケットから文書を出した。これはリサを助けるために潜入した遺跡の洞窟で鬼面の男から奪った文書だ。


 「それで? これには何が書かれていた?」

 「シールド発生装置の停止手順のようです。重要な機密事項はありませんでした」


 「そうか……」


 「ですが、文書には回収した装置の移送先として帝都地下にある研究施設の名が記されておりました。一般の帝国兵には知らされていない極秘の研究施設のようです、さらに調べてみますか?」

 

 「そうなのか? 獣化の病を治す薬は帝都地下の研究室にあるようなことを奴は言っていたし、ひとつ頼めるかな? イリス」


 「わかりました。時期を見て調査いたします。一時的に護衛任務を離れることがあるかもしれませんが、よろしいですか?」


 「あ、うん、頼んだよ。これはイリスたちにしかお願いできない、でも無茶はするなよ、危ない時はすぐに逃げてくれ」

 「かしこまりました」

 イリスが頭を下げた。


 「それにしても自分で頼んでおきながら何なんだけど、一時的でもイリスたちまで周りに居ないと思うと寂しくなるな」


 「私がいないと寂しいですか?」

 イリスがちょっとうれしそうに俺の顔を覗き込む。その仕草と微笑みはちょっとずるい。可愛すぎる。


 ゴホンとわざとらしく咳払いする。


 「この先は4人で移動だろ? 人数的には変わらないけど男が俺一人というのは少しね。戦力的にもね。しかも4人のうち1人は幼女、もう1人も幼女みたいなもんだしなあ」

 俺はちょっと誤魔化した。


 「誰が幼女ですか! 私はこれでも成人です」

 いつの間にか俺の背後を取ったリィルが俺の背に人差し指を突き立て怖い声で言った。


 流石は盗賊職、恐ろしい奴だ。これが指で無くナイフだったら終わっていた。リィルはクリスに盗賊職としてレベルを上げるための特訓を受けていたはずだが、いつの間に戻ってきたのか。

 

 「ところでリィル、アパカ山脈の山裾に穴熊族の村があるということだったけど、本当だろうな?」


 「私を信じないのですか。嘘を言って何か得になる事があると思いますか?」


 「まあそうか、そうだよな。ごめん」

 「まったく失礼な人です」


 「ところでイリス、俺たちはこれから西のアパカ山脈に向かう。リサの呪いを解く大神殿はアパカ山脈の山の中にあるダブライドの街にあるんだったよな? ただ、途中で穴熊族の村に立ち寄る必要が出てきたんだ、どう行けば良い?」


 ダブライドの街の大神殿の話は3姉妹が調査してわかった情報だ。なんでも街全体が結界に覆われ、今は普通の人間が外から入ることは難しいという。


 このアッケーユ滞在中に少し余裕が生まれた俺たちは互いの情報を交換し、様々な打合せを行う時間が持てた。そこでリサの呪いを解く目的地はダブライドだろうと分かったことは大きい。


 「ここから西に向かうには、旧カッツエ国の旧王都ヤッシロを経由して西シズル中央回廊を通るのが一般的ですが、ここは帝国が押さえており警備が厳しいかと思います。少し遠周りで道も一部未舗装ですが、西シズル北方回廊を迂回する手もあります。いかがします?」


 「うーん、リサの足を考えると近い方が良いんだけどね。安全面を考えれば北方回廊を行くべきかな?」


 「そうですね、少しでも人目につかない方がいいでしょう」

 イリスがうなずいた。


 「リィルはこの辺りの地理に詳しいと言ってたな。中央回廊と北方回廊とでは、その穴熊族の村に着くのにかかる日数はどのくらい違う?」


 「そうですね、3日くらいじゃないでしょうか。でもカイン様の実力からすると、私としてははあまりお勧めしませんけどね。特にね」

 なにかルートに関する事情を知っていそうな口ぶりだ。


 イリスがいぶかし気にリィルを見た。


 「リィルの言うとおり、多少の危険はあります。でもリィル、”特に今は” ってどういう意味かしら?」


 リィルは頭の後ろに手を組んで口笛を吹いている。

 しらじらしいことこの上ない。


 「リィル、お姉さまが、聞いている」


 「うぎゃっ!」

 リィルが心臓が口から飛び出しそうなほどびっくりした。いつの間に現れたのか、クリスがリィルの後ろを取って、耳元でつぶやいたのだ。


 「逃げ足、速くなった。だけど、ずっと見ていた、私からは逃げられない」

 「クリスお姉さま! 私は訓練がきつくて逃げてきたわけじゃありませんよ」


 「挙動不審、絶対、逃げ出した」

 クリスが指をわきわきさせながら近づく。


 「ひぇーー! その指使いはやめてください!」


 「クリス、それは後でね。リィル、なぜ北方回廊を通るのはお勧めしないのかしら?」


 「はい! それは、その……ちょっと……色々と……騒動を起こしてきたばかりのルートですから……」

 リィルはちらりと俺を見て、目を反らした。


 「お前が原因なのかよ!」


 「それで? 何をしでかしてきたの?」

 「正直に、言う」

 イリスとクリスが問い詰める。


 「まあ、そのぉ……資金が尽きたので、特技を生かしながら北方回廊の村から村へと旅を……。きっと今は警備がかなり厳重でよそ者には厳しいですよ」

 リィルはもじもじしながら言った。


 「盗みを働きながらここまで来たというわけだな? 結局、お前のせいじゃないかよ!」

 俺はリィルをじろりと見た。


 リィルは壁の方を向いて素知らぬふりだ。まったくこいつは……。妖精族といえば清楚可憐で純真無垢な美少女というイメージだったのに。


 見た目はともかく、その行動は妖精のイメージをことごとく破壊する。


 「困りましたわ。両方の道とも危ないとなれば、西シズルの南西湿原を通るしかありませんわ。大湿地帯で道らしい道もないところですけど、どうしましょう?」

 イリスが腕組みして思案顔になった。


 「湿原、嫌、じめじめして、嫌い。変な生き物、多い」

 クリスがべーと舌を出した。


 「でもお姉さま、悪いことばかりじゃありませんよ。穴熊族の村に寄り道するのでしたら距離的には一番近道ですし、自生している草原コケモモなんかジャムの材料としてはとても貴重で美味しいのですよ」

 と愛らしい声がしてアリスが姿を見せた。


 アリスに続いて屋敷の玄関からオリナとリサが出てきた。リサは新しい軽装の狩猟服を着て上機嫌だ。


 「草原コケモモ?」

 「ええ、確か都ではかなりの高級品だったはずですよ、値段はええっと……」

 アリスが人差し指を頬にあてて考え込んだ。


 ”高級品!” その言葉に、ぴくと俺の耳が動いた。

 うーーむ、金儲けの匂いがする。旅商人の血が騒ぎだす。


 ふふふ……


 「カイン、悪い顔に、なってる」

 クリスが俺の頬をつついた。それで俺は妄想から醒めた。


 「セシリーナ、この先は西シズルの南西湿原を行くしかないそうだ。大丈夫だと思うか? そんな街道でもない道を通るルート。どう思う?」


 こんな時はセシリーナが軍隊にいた時の知識と経験が頼りになる。彼女は弓兵隊の隊長だっただけあって、各地に散らばる帝国軍の拠点や重要地点の情報に詳しく、大陸全土の地理にも明るい。


 「南西湿原? うーーん、湿原の魔物は数年前に帝国が討伐したはずだから……今はたぶん大丈夫じゃない? ただ、まともな宿とかは期待しない方が良いわよ」


 セシリーナが少し眉をひそめたのは、野宿だと人目があるので夜にイチャイチャできないからだろうか? と昨晩ベッド上の魔王の腕の中で激しく悶え、天国を漂っていたあのあまりにも美しく魅惑的な姿を思い出す。


 「野宿覚悟というわけだな……。イリス、南西湿原ルートは大丈夫だと思うか?」


 「はい、カイン様たちならきっと大丈夫です」

 イリスは微笑んだ。


 「よし、決定だ! 南西湿原を通るルートを進むことにする。出発は明日、みんな出発に備えて準備を頼んだぞ」


 「そうと決まったら、不足品の最終チェックね。野宿に備えて何か足りなければ今日中に買い出しよ。湿原向けの装備とか」


 「はい! 多少なら野営セットの持ち合わせがあります」とリィルが手を上げた。




 ーーーーーーーーーー


 翌日は珍しく雨だった。

 深夜からふり続いて雨が所々に水溜まりをつくっている。


 村長が空を見上げた。


 「この季節には珍しい雨になりましたな。皆様がたを出発させたくないという私共の気持ちに天が応えたかのようです」


 「治療を施していただき、感謝に堪えません。道中のご無事をお祈りいたしております」

 村長夫妻たちは村の入り口までわざわざ見送りにきてくれたのだ。


 村長の奥さんは歩けるまでに回復していた。イリスの治療の腕はかなりのようだ。


 「それではお世話になりました」

 「御商売の取引が成功しますよう。またぜひ村にいらしてください」


 「ありがとうございます」

 俺は村長や奥さん、そして色々と世話になった屋敷の人々と握手して別れた。


 俺たちが果樹園の角を曲がって見えなくなるまで村長屋敷の人たちは手を振っていた。



 「さて」と俺は多少軽くなった背荷物を担ぎ直す。


 昨夜の最終チェックで、セシリーナに例の大量のエロ本切り抜きが見つかってしまい、半分以上燃やされてしまったので軽いのだ。

 

 「はい、こっちの道ですよ、皆さん!」 

 元気の良い声がした。枝道を知っているリィルが先頭である。


 大湿地の近くにリィルの親戚が住む森の妖精族の村があるのでリィルは何回か大湿地を通ったことがあるらしい。


 予定ではヤッシロの街まで行ってから西シズル中央回廊を通るはずだったのだが、大湿地を通ることになったので、舗装もされていない畑の中の狭い農道を進むことになった。


 早くも足元は泥んこになってきたが、それでもオリナとリサは、アリスと楽しそうに話をしながら前を歩いている。


 珍しく俺はイリスと並んで歩いていた。


 俺のすぐ後ろにはクリスがいる。本当は自分が脇に並びたいが二人並んで歩くのがやっとの狭さなので、俺の隣を姉に譲っているという感じだ。


 イリスは自然に俺に歩調を合わせてくる。さりげない自然な気づかいが上手で、一緒にいてとても居心地が良いのが彼女だ。何をしてもうまく受け止めてくれそうな気がする。


 「もう誰も見ていない。そろそろ行くのか?」

 俺は隣のイリスに尋ねた。


 「はい。ーーーー残念ですか? カイン様」

 イリスが微笑んで俺の顔を覗き込んだ。


 久しぶりに飾らない笑顔をまともに見た気がする。やはりかわいい、かわいさ大爆発だ。三姉妹は村から離れた所で劣化化粧を落としたので本来の目も醒めるような美少女に戻っている。


 「い、いや」

 俺は顔が赤くなりそうになった。


 その笑顔、本当にとんでもなくかわいいのだ。


 長女だからか、クリスのように積極的に迫ってくるわけでもないし、アリスのように人目を気にしないで気軽に接することもない。


 いつも一歩ひいている印象があるが、おそらく3姉妹の中では一番端正で正統派の美人だ。美乳自慢のクリスと違ってどちらかと言えば胸はやや控えめな気もするが、モデル体型である。思わずそのキュートなお尻から足をちらりと眺める。


 「どうかしました? カイン様」

 俺の視線に気づいてイリスが首をかしげた。


 「い、いや、なんでもない」

 俺は本当に少し顔が赤くなった。改めて隣を見ると、その恰好の良い胸はいつもより大きく見える。もしかして普段は隠しているだけだったのか?


 「カイン、イリス姉さまに、劣情した、発情中、危険!」

 クリスがひょいと後ろから俺とイリスの間に割り込んできた。


 「まあ、劣情なんて失礼よ。クリス。ねえ、カイン様」


 「ん? そうだよ。俺はイリスとこれからの予定を相談しようとしていただけだ」


 「ふーん、あやしい。イリスもあやしい」

 クリスは後ろからイリスの顔を伺う。


 「何よ? 何でもないわ」

 イリスまで少し顔が赤くなった。

 「でも、カインの、一番槍は、私が受ける」


 クリスが俺の反対の腕を取って強引に引き込み、腕組みして見せると、一人になったイリスを見てにやりと笑う。


 「まあ、一番槍だなんて。でもそんなことわかりませんよ。実はもう私とカイン様はとっくにデキてるかもしれませんよ」

 イリスはつんと前を向く。


 「ない、それはない、お姉さま、完璧に処女」

 クリスはイリスを指差した。


 「アリス、ちょっとこっちに来なさい」

 イリスが呼ぶ。


 「なーに? 姉さん」

 「この先、カイン様の進む道の安全確保は、いつもどおり私とクリスがやっておきますから、あなたはカイン様に同行して警護してください。サンドラットさんが抜けた穴は大きいから。いいわね」


 「はい、でも私でいいの?」

 その目がイリスとクリスを交互に見返す。


 「むっ、カインの警護は、私が」


 「貴女はダメです。夜の警護とか言って抜け駆けする気満々でしょ? あなたがアッケーユ村で一体何回エロエロの下着姿でカイン様の部屋に侵入しようとしたかわかってる? セシリーナ様がご一緒でない夜は必ず私たちを出し抜こうとしてましたよね?」


 クリスが俺に抱きつこうとしたのをイリスが止めた。なんと、そんなもったいない事がおきていたのか?

 いやいや今は逃亡中の身だ。それにセシリーナも夜な夜な誘惑してきて激しいのだ。


 「それにね、先行して道の安全を確保する作業は、クリス、貴女が一番適任であることは自覚してるでしょ? 旅人を別の道に誘導する際も、アリスは気をつかいすぎて遠慮したり判断が遅れる場合があるけど、貴女はお構いなしだし。カインのためよ。一番大事な仕事を任せられるのは貴女しかいないの」


 「褒められている気がしない」


 「褒めているのよ」

 「それなら、いい。わかった。カインのため、がんばる」

 クリスは両手のこぶしを握ってぐっと気合いをいれた。


 「カイン様、それではこの先のどこかの村で合流しましょう。あとは頼んだわよアリス」

 「はい、お姉さま」

 アリスが笑った瞬間、イリスとクリスの姿はかき消えていた。


 「あ、今のは? 今のはどうやったのです? 私にもできますか? アリス様!」

 リィルが走り寄ってきた。

 暗黒術の一端を目にして興奮気味だ。


 「あなたにはちょっと難しいかな」

 アリスは困ったように微笑んだ。

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