第109話 <<砂漠地帯、大地の裂け目 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 砂漠の端に位置する最後の村を出発して2日目である。強い風は止むことなく、今日も砂塵が容赦なく顔に叩きつけてくる。


 サティナ姫の部隊は、隊商の一団が行方不明になったという大地の裂け目に到達していた。


 そこは、その名の通りの地割れ地帯で、巨大な谷が荒々しい岩肌を剥き出しにして砂漠に口を開けている。時折、砂が雪崩のように地表から谷に流れ落ちて行くが、底なしなのか、数百年前の記録に記された姿そのままの断崖は見る者を圧倒する。


 「サティナ様。兵舎に斥候が戻ってきました、テントにお戻りください」

 砂混じりの強風に顔をしかめながらマルガがやってきた。

 「わかったわ」


 姫は相変わらず周囲の地形を自分の目で見ないと納得しないようだ。テントの奥でふんぞり返っているだけの将とは違う良さがあるが、色々と細やかに気をつかいすぎる。気疲れして倒れなければ良いけど、とマルガは姫の横顔を見た。


 「どうかしたの? マルガ、ちょっと悩みがあるような顔つきしてるけど?」

 「えっ、いいえ、そんなことありませんよ!」

 「そう?」

 姫は自分の単独行動が一番彼を悩ませ、翻弄していることには気づいていない。


 「昨晩助けたオアシスの民のキャラバンは無事に砂嵐を抜けたかしら?」

 サティナは幼い姉妹を連れた夫婦の砂漠の民の顔を思い出した。魔獣に追われていた所を救助したのだが、二人のかわいい姉妹はすぐにサティナに懐いてしまった。

 「今頃はラマンド国の国境に向かっている頃でしょうね」

 姫は優しい。姫が北西の方角を見ていたのは彼らを気にしていたためなのだろう。

 

 「だと、いいんだけれど。さて報告を聞きますね。幕舎に戻りましょう」

 サティナは馬首を返した。

 「あ、待ってください! 早い、早すぎますよ!」

 マルガは慌てて自分の馬に向かって走り出した。


 ーーーーーーーーー


 大きな集会用のテントの中には既に部隊の各班リーダーが集まっていた。

 近衛騎士団をまとめる年頭としがしらのガンロット、装甲騎士団の団長のサクローネ。補給と後方支援部隊の隊長のマカリーネの姿もある。


 「みんな御苦労。各隊ともキャンプ地の設営は終えたようだな。これより今後の作戦を検討する」

 ドメナス王国別動部隊副官マルガが登壇する。


 「サティナ姫、こちらにどうぞ」

 姫が帳の向こうからその姿を見せると空気が一変した。


 銀製の飾りをつけた軽装鎧は動きやすさを重視した造りで辺境の狩猟民風の短いスカートを履いている。すらりと伸びた手足、長い黒髪をなびかせて、姫が壇上に登る。


 この数カ月の実戦でサティナ姫もかなり大人びてきている。

 年齢からは信じられない美貌とスタイルだ。


 姫は静かに中央のイスに座った。

 マルガがその傍らで皆を見下ろした。


 「斥候が大地の裂け目の状況を見てきた。結果は”当たり”だ! これまでも1匹や2匹のハグレ魔獣を討伐してきたが、その発生元をついに見つけたのだ!

 報告によれば谷底にはヤンナルネが数十匹単位で数か所のコロニーを成しているらしい。

 目視されたのは全て若い個体だが数はおそらく百を超える。本来なら王国の1軍で掃討すべき数だが、今から国元に連絡しても、新たな討伐軍が到着するまでの間に虫の数はその数倍になってしまうだろう。

 したがって、サティナ姫の指揮の元、我々だけでこれを殲滅するぞ! 続いて作戦を伝える、騎士ガンロット、壇上へ!」


 「はっ!」

 ガンロットは姫に一礼すると壇上に登った。


 「ガンロットである! 今、マルガ副官が言われたとおり、事態は一刻の猶予も無い。ここで見逃せば、またも増殖した魔獣が津波のごとく襲ってくるだろう。

 幸い、奴らはまだ繁殖地点であるコロニーから出ていない。我々は奴らが集団で巣を離れる前にこれを個別に駆除する!」


 「はっ!」

 ガンロットを見つめる騎士たちの瞳は使命感に燃えている。


「この地図を見て欲しい。コロニーは一定間隔で確認されている。一つのコロニーにいる魔獣はせいぜい数十匹、各コロニーの虫が合流する前に、個別撃破する!」

 ガンロットは壇上で天井から吊り下げた布製の大地図を指し示した。


 「こちらの不利な点としては大地の裂け目の中で、谷に張り出るテーブル台地の上、つまりそれほど広くない断崖の上での戦闘になることだ。魔馬を使った機動戦はできないだろう、そこでだ……」

 ガンロットが集団の一番前に座っている女性を見た。


 「マカリーネ女史、連弩の準備は間に合いそうか?」


 「はっ!」とマカリーネが立ち上がった。彼女は西方諸国出身で実力でのし上がった騎士である。野性味のある美女だが、化粧気はまったくない。

 「期日には必ず間に合わせます。補給部隊は昨日到着し、連弩の組み立ては既に8割終わっております!」


 「よし。みんな、今聞いた通りである! 大型戦闘指揮車用の連弩を使う。魔獣装甲兵で計4機の連弩を移動し配置する。

 一斉射で、コロニーの魔獣の半分は減らせるだろう。後は連弩部隊に気づいて突進してくる魔獣に対し、左右からはさみうちにする。

 数を減らしたのちに魔獣装甲兵を中央に挟撃部隊が合流して突撃、コロニーに残存するヤンナルネを駆除する! わかったな!」

 「はっ!」

 騎士たちの声に満足そうにうなずくとガンロットは副官マルガを見た。


 「今、ガンロットが言ったとおりだ! 作戦開始は明朝! 細かな作戦指示はこれを見てくれ」

 そう言ってマルガは各班長に作戦指示書を配布させた。


 それには部隊ごとに細かな指示が書かれている。人間相手の戦いでは書いたものを渡したりはしないが、相手は文字の読めない魔獣である。万が一作戦指示書が奪われても全く問題はない。


 サティナ姫が立ちあがった。


 「みんな! これまでの苦労が報われる時よ! ここで今回発生したヤンナルネを殲滅する。王国の騎士よ! 剣を取れ!」


 おおっと声が上がる。


 「それでは班長はここに残り、各自持ち場に戻り、あすの出陣に備え待機しろ!」

 「はっ!」

 マルガの声に、騎士たちは一斉に敬礼した。



 ーーーーーーーーーーー


 各班リーダーと細かな打ちあわせを終え、ようやく自分のテントに戻ったサティナの目に明るい黄色の光が映った。


 窓辺に置いた籠に、伝達使い魔のトベが戻っていたのだ。

 その顔がぱっと明るくなった。


 「戻ったの、王都の様子はどうだった?」


 トベは鳥に似ているが六つの黄色の羽をもち、昆虫に近い小型の愛玩獣である。


 「クウ」

 サティナから頭を撫でてもらい、トベは機嫌良く鳴いた。


 「みんな変わりがないようね。よかった」

 トベが見てきた光景が脳裡にフラッシュバックする。サティナが使える記憶再現術だ。


 トベは喉をぐるぐると鳴らしていたが、くちばしから通信筒を吐き出した。術で飲みこませているので、取り出すとこの小さな身体のどこに入っていたのかと思うほどの長さがある。


 「お母様からだわ。カイン様の消息がつかめたのかしら?」

 胸がどきどきして手紙を開くのがまどろこしい。


 一番知りたいのは婚約者カインの行方だ。不安は大きくなっている。ふとももの内側に咲いた小さな婚約紋は彼が生きていると教えてくれているが、生きていると知れるだけでどんな状態なのか、どこにいるのかまでは分からない。


 外では気を強く持っているが、内心はカインへの思いで一杯の少女なのだ。


 「カイン……」


 サティナは優しいカインの手を思い出す。彼は誰よりも優しくその手に触れる。カインの腕に抱かれているときが一番幸せなことは素肌で知っている。


 マリアンナのような幸せを早く私もカインと共有したい。都を出陣する前に会ったマリアンナのお腹の子は順調そうだった。


 その大切なカインは一体どこに?

 手紙を開いたサティナの目が大きく見開かれた。


 紙には思いがけない言葉が記されていた。


 「暗黒大陸バザス……」

 大戦で人族の国が滅び去ったあの魔王の国の名が記されている。サティナは思わずその紙を胸に抱いた。微笑みながら涙が流れる。


 「良かった、居場所が分かった!」

 それだけで今のサティナには十分だ。

 すぐに状況は想像できた。

 カインは何かのトラブルに巻き込まれて海を越え、暗黒大陸と呼ばれる中央大陸バザスにいるに違いない。

 

 だからこそ2人の妻にすら連絡がないのだ。

 東の大陸には暗黒大陸と国交を持つ国はない。それゆえ帰ってくることも手紙をよこすこともできなかったのだ。

 もしかすると、カインの失踪は仕組まれたことかもしれない。サティナを狙う大貴族ならば、それも可能だろう。


 サティナはまなじりを赤くして短い手紙を読み進める。

 くるりと紙を広げると一番最後に使い込まれた金色の針が入っていた。


 「これは、カインのお母様から私に?」


 それはアベルト家で代々母から娘へ贈られてきた幸運を紡ぐ針だと書かれている。つまりカインの母がサティナをカインの妻として大切に思っているという証だ。


 これで花嫁衣装を縫うらしいが、すぐには完成しないから数年かけて作るのだ。それくらい時間がかかるつもりでカインを待っていて欲しいというカインの母の気持ちだろう。


 文面からすると海運業で辣腕らつわんを振るうカインの母もナーナリアやマリアンナとも連絡を取り合っているようだ。

 暗黒大陸でのカインの行方を探るべく、昔の伝手を使って水面下で動いているのだ。現在国交のない暗黒大陸の情報を手に入れ、さらに詳しい調査を行わせているカインの母は凄いと言うべきだろう。


 サティナは涙を拭くと温かい気持ちに満たされながらその針を大切に引き出しに入れた。


 天幕の隙間から太陽の光が差し込み、飛沫のように漂う細かな砂に反射してキラキラと輝いた。 

 「ああ、カイン様、いずれ必ず私が迎えに行きます!」

 サティナは光に包まれてまだ見ぬ大陸に思いを馳せた。

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