第252話 脱出大作戦28号(ドリスとボザルト)

 蛇人族の国の王都が見下ろせる岩がごつごつした山肌に可憐な山野草が生えている。


 その山の中腹は王家の別荘地である。ドリスたちは屋外実習の薬草採集のために昨日からここの別荘に泊まっていた。


 「さあ早く行こうよボザルト」

 岩で作られた別荘の囲いの外でドリスは屈んで待っている。


 「いいのか? こんな所から抜けだしても。見つかったら叱られるのではないか?」

 ボザルトはスポンと狭い岩の間から顔を出した。


 「いいの、いいの、王様もお妃様も神殿に出かけた今がチャンスよ。たまには街に出かけたいと思うでしょ。まだ一度も見物に行っていないのよ」

 ドリスはボザルトの小さい手を引っ張った。


 「ま、待て、引っかかっておるのだ。そんなに引っ張られても」

 「おかしい。私より小柄なボザルトが引っかかるなんて」

 狭い穴を抜けるなど鼠顔の野族には得意中の得意に思えるのだが。

 ドリスは引っ張るのを止めて、岩の間から生えたようなボザルトの首の周囲を見る。その肩に背負袋の紐が食い込んでいる。


 「ボザルト、荷物を背負っているから抜けられないのよ。荷物を先にこっちへ渡しなさい」

 「うむ、だが、すでに思い切り引っかかって戻ることもできないぞ」

 ボザルトは困ったものだみたいな顔をして髭を揺らす。


 「まったくもう」

 ドリスは呆れて顔に手を当て、つぶやく。


 「どうして脱出大作戦28号の初っ端しょっぱなでしくじるの?」

 「初っ端でしくじったのはこれで8回目だ。別に驚く事もあるまい」


 「まあいいけど、仕方が無い。一丁やってやろうか」

 ドリスは杖を取り出して腕まくりした。


 「ド、ドリス、何をする気だ?」

 ドリスが悪巧みしていそうな顔になったのでボザルトは慌てて髭を立てた。


 「ふふふふ……この前習ったばかりの暗黒術、精霊合成術ってのを使う。土の精霊を合成してその岩の隙間を大きくしてもらいましょう。いくわよ!」

 ドリスが何か意味不明の詠唱を始めた。


 「ま、待て! ドリス、一つ分からないのだが、我が挟まっているのは“岩”だと思うが、なぜに“土”の精霊を呼ぶのだ?」

 「へっ?」

 ドリスは詠唱中に一瞬思考が止まる。

 土と岩、そう言えば違う?


 しかし、その一瞬の惑いが恐ろしい事態を引き起こした。

 大地が揺れドリスの足元の土が、グオオオオ! と隆起し始める。


 「うおっ、これは!」

 ボザルトの体が岩ごと上昇し、ドリスの目の前に巨大な影が落ちた。


 「うわーーーーっ、すごい!」

 ドリスは目を輝かせた。そこに人の背丈の3倍はある土のゴーレムが立ちあがった。


 その股間の丸い石に挟まって、まるでチン……のように顔を突き出したままのボザルトが垂れ下がっている。


 「ああーつ! ドリス様! またやりましたね!」

 姿の見えなくなったボザルトを探索中だったミサッカが大声を上げた。


 ゴーレムはドン! ドン! と足を踏みならす。


 ボザルトがその股間で左右に揺れる。


 「な、なんて卑猥な!」

 偶然とは言え、ミサッカすらも思わず目を覆いたくなる造形だ。


 「ドリス様、これは一体?」

 ミサッカは、密かにその場を立ち去ろうとしていたドリスを呼びとめる。


 「うー、お前には暗黒術は効かないのか?」

 ドリスが悔しそうにこっちを見た。


 「当たり前です。こっちはイリス様たちと幼い頃から一緒に育った身です。免疫がありますから私にはその術は無効でございます」

 「認識阻害、認識阻害……」

 ドリスは性懲りもなく指先をまわすが、ミサッカは益々睨む。


 ドドーン! と派手な音がして、ゴーレムが立岩を押し倒した。水しぶきと湯気が立ち上った。


 「ああっ、露天風呂の壁を壊したわ。ドリス様、早く術を解いてください。あっちは女風呂です!」

 ゴーレムは股間にぶらぶらと鼠、いやボザルトを揺らしながらお風呂場に入ると両手で拳を作る。


 「ガオーン!」

 ゴーレムが吠えた。


 「どうしてだろう、完璧な脱出作戦28号だったのに」


 ミサッカに首元を掴まれ、ドリスは引っ立てられた。ゴーレムはドスンドスンと風呂場を歩きながら、時々吠える。

 風呂に入ろうと女官たちが脱衣室から顔を覗かせ、その途端、悲鳴を上げた。


 「ドリス様、見てください。犠牲者が増えました」

 ゴーレムが悲鳴に反応して裸の女官たちを追いかけ始めた。


 「ガオーン!」

 「きゃー、きゃー!」

 何故だろう、ゴーレムはよほど女好きなのか。巧みに追い回すと、ついに一人の若い女官を壁際に追い詰めた。


 「きゃー!」

 悲鳴を上げる女官は手にザルを持ったままだ。

 そのザルの中には赤根実と呼ばれる果物が入っている。湯上りにみんなで食べるつもりだったのだろう。


 「ああ、あれは、ボザルトの大好物、だから追いかけたのか。おい! ボザルト、そろそろ目を覚ませ!」

 ドリスは気絶しているボザルトに杖を投げつけた。

 ボスっとそのお尻に杖が当たって跳ね返る。垂れていた尻尾が動いた。


 「ん……おお、これは何と言うことだ。我の身長が伸びたのであろうか?」

 ゴーレムの股間で顔を上げ、きょろきょろ周囲を見渡すボザルト。傍から見ているとなんだか卑猥だ。


 「ボザルト!」

 「おお、ドリス、これは一体?どうなったのだ?」

 ボザルトの意識がドリスに向くと、ゴーレムはくるりと回って今度はこっちに近づいてくる。


 「こっちに来ましたよ。奴をとめてください! 今がチャンスですよ! ドリス様!」

 ミサッカがドリスの肩を揺らす。

 「…………のだ」

 「は?」

 蚊の鳴くような声で言われても聞こえるはずがない。


 「この術の解除はまだ習っていないのだ」

 「はあ?」

 「だから、止めかたは知らないって言ってるの!」

 ドリスが大声で叫ぶ。


 「ガオーン!」

 そいつが目の前でいかついポーズを作る。

 ひぇーーーーっっ、目が点になった二人は一目散に逃げ出した。


 「ガオーン!」

 ドスンドスン!


 「ドリス様、こっちは駄目です。母屋の方角です。裏庭の薬草園の方に誘導しないと被害甚大ですよ!」

 「そうは言っても、道がない!」

 そうだった。野草園への近道は最初の一撃で既に通行止めだ。一旦は母屋まで戻らないと薬草園方向には行けない。


 「うわっ! ゴーレムの足が早くなりましたよ!」

 「ドリス! 待つのだ! 待ってくれー」

 ボザルトの声が背後から聞こえてくる。

 ドスンドスン!

 地響きが近づく。奴の方が一歩一歩が大きいだけに早い。


 「何か、何かないのですか!」

 走りながらミサッカが叫ぶ。

 「よし、こうなったら!」

 ドリスは振り向きざまに術を仕掛けた。

 「火炎付与!」


 ボウッ!! とゴーレムの上半身が炎に包まれた。

 「ガオーン!」

 炎を上げて吠えた。

 「あちっ、あついぞ」

 ボザルトは降りかかり始めた火の粉を尻尾で打ち払っているが、尻や足に火の粉が舞い落ちて、あちっあちっと身悶えした。


 「あれ? おかしいな」

 ドリスは首をかしげた。思っていたのと違う。


 「ドリスさま―っ! 今、付与って言ったでしょ。付与って! 見た目は似てますが全然違いますから! 奴を焼き尽くすのではなく、奴に炎の力を追加したんです!」

 益々燃えさかる力を増大させながらゴーレムが近づく。


 「ガオーン!!」


 周囲の木の枝に火か燃え移る。次第に山火事が広がっていく。


 「あわわわ…………なんてことを」

 「やったのは貴女ですわ! ドリスさまっ!」

 二人の前に炎のゴーレムが迫った。


 ゴーレムが拳を握り、炎の塊と化した鉄拳がグオーーッとドリスたちに振り下ろされた。


 「ひえーーーーーー!」

 二人は頭を抱えた。


 「そこで何をしているんです?」

 その涼やかな声に思わずドリスは硬直した。


 目をつぶっていたミサッカが目を開くと、目の前でゴーレムの拳が見えない壁によって制止していた。振り返るとメイド服に着替えたイリスが涼やかに立っている。


 「これからせっかくカイン様の元に行こうと気合いを入れて支度したというのに、まったく騒々しいですこと」


 「イリス様、ドリス様がまた講義をさぼろうとして、やらかしたのでございます」

 少し涙目になっているミサッカがゴーレムを指差す。


 ギリギリとその拳が透明な壁を押し破ろうとしている。ドリスが呼んだのだろうが、かなり強力なゴーレムのようだ。


 「これを止めれば良いのね。まったくもう。それにあのデザインは何なの?」

 イリスはため息をついた。


 見れば見るほど下品さが際立つ。

 股間にボザルトの顔が突き出しているところなど、一体どうすればこんなデザインを思いつくのか。これが将来この国を背負って立つ者が考えたデザインだと言うのか? とドリスを見て一抹の不安を覚える。


 「あいつを止めることができますか? イリス姉様」

 ドリスがうるうるな瞳で訴えた。


 「その術は私には無効ですよ」

 「ちっ」


 「さて、この精霊には元の世界へ帰ってもらいましょうか。まずはその外殻を壊します」

 イリスが両手を天にかざす。

 ドッ!

 周囲に滝のような水が突然降ってきた。


 水はイリスを避けていくのでイリスは平然としているが、ゴーレムの近くにいたドリスとミサッカは思い切り頭からその水を被った。


 「ひえー」

 「なんですかこれ?」

 びしゃびしゃに濡れた二人の背後でゴーレムが崩れた。


 「焼けていただけに急に冷やされると破壊されるようですね。では精霊に帰ってもらいます」

 イリスが指をくるりと回すと、ゴーレムだった土の中から淡い光の粒が無数に現れ、次々と天に昇って行った。


 その幻想的な美しい光景の最後に、土塊の中からボコリと泥まみれのボザルトが顔を出した。まさに泥鼠! なんだかそれまでの光景が台無しである。


 「うーむ、ようやく岩から抜けられたようだ」

 ボザルトは首をまわすと当たり前のように荷物を拾い、ミサッカと目が合うと突然脱兎のごとく逃げ出した。


 「あっ! 待て! ボザルト! お前にはやってもらわねばならないことが!」

 ミサッカが鬼のような形相でその後を追いかける。


 「はあ、一時はどうなる事かと思った。体で覚えるのって難しいんですね。イリス姉さま」

 作り笑いで振り返る。


 「さーーて、ドリス、なぜこうなったか、この顛末をお話頂けるかしら?」


 さぁーーっと青ざめたドリスの前で、イリスがとてもにこやかに微笑んだ。

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