第253話 野族の里1(ルップルップたち)

 「見張りはいるか?」

 「うん、いるな」

 草むらの向こう側に野族が歩いて行くのが見える。


 草を集めて作った茂みの中にルップルップが顔を引っ込めるとその茂みが動き出す。野族の里と森との境界線を二人が隠れた怪しい茂みが右に左に動いている。


 「だが、どうして私なんだ? ネルドルでも良かったんじゃないか?」

 シュウはまだ納得いかないようだ。


 「それはね。ぷぅーーーーっ」

 ルップルップは隣を見て思わず噴き出した。

 こっちをまともに見ない、肩を震わせて笑い声を押し殺しているのがかえって傷つく。


 「ほら、やっぱり! やっぱりどう見てもおかしいでしょ! これ!」

 鼠のお面を付けたシュウが恥ずかしさのあまり身悶える。


 野族をあまり知らないネルドルがルップルップに話を聞きながら試行錯誤して急いで作った野族顔のお面なので、どう見てもおかしい。額から伸びた鼻の位置も何か間違っているとしか思えない。だがこれが野族語の翻訳機になっているのだから仕方がない。


 「そのお面のサイズがお主にぴったりだったのだから仕方が無い。それにそもそも交渉役はお主じゃないか」

 くくく……と肩を揺らしてルップルップが笑っている。


 「ああ……、何でこんな時にクリスさんがいないんでしょうか。クリスさんならどんな言語でもきっと話せるし、どんな相手でもけして負けないでしょうし……」


 野族の村がまもなくという所で野営し、朝起きて見るとクリスがいなくなっていた。なんでも夜も開けないうちに出かけるのをゴルパーネが見たという。


 折りたたみテーブルの上にシュウ宛の置き手紙が1枚残されており、中には「がんばれ」と下手な字が一言である。


 「うううう……」

 「嘆いても何にもならないぞ。それより見なさい。あの林の向こうに大きな建物が見える? あそこが目的の族長屋敷です」

 ルップルップが指差す方向を葉っぱの隙間から覗くと木立の上に大きな屋根が見える。

 あんな立派な建物を建てるくらいだ。野族は魔物というよりやはり亜人種なのだろうとシュウは納得した。


 「ところでネルドルたちはちゃんと後ろから付いてきているのでしょうかね?」

 シュウは不安気に振り返るが、森が深くて何も見えない。地面にはお面に接続した細い線が森の奥まで続いており、その先にネルドルたちがいるはずだ。


 「どこにいるか見えないけど、お主の言葉はちゃんと野族語に聞こえているから、近くには居るはず……たぶんね」

 「このお面が翻訳機だなんて誰が思うでしょうか?」

 シュウは少し痛くなってきた耳止めを緩めた。


 ネルドルが修理した万能翻訳装置は優秀だが、本体はやたら大きいので後方に控えているネルドル自身が背負っている。

 これは元々は旧王都の地下工房跡で見つけた古代の道具の一つである。その内部には数多くの種族の魂を吸い込んでいるというちょっと不気味な魔石板を格納している。


 お面から伸びた細い糸のような線は魔法糸で、お面と本体を繋いでいる。


 「それよりも、ここからが本番だ。見なさい。とっても見張りが多い。さて、どこからこっそりと族長屋敷に入りこむか……。族長屋敷に入ってしまえば、これでも私は一族だったのだからな。人間として放逐されたとは言え、族長は私を無下にはしない気がするけど。他の者どもは私に騙されていたと恨んでいるかもしれない」


 「捕まったらどうなるんです? たしか野族は人も喰うんですよね?」

 シュウはぶるっと身震いした。


 「それ、いつの時代の話? 大昔の野蛮な時代ならそんな事もあったかもしれないけれど。今の野族はもっと洗練されて、人を食うなんて滅多にないわ」


 「あるんじゃないですか! 少しも安心できない!」


 シュウは武器をネルドルたちに預けてきたことを後悔し始めている。交渉事に武器を持って行く者はいない、確かに人間同士ならそうだろう。でも相手は鼠みたいな奴なんだぞ。


 「このまま茂みを移動させて、できるだけ近づく。さあ付いてきなさい。モタモタして私をがっかりさせないでね」

 とルップルップはガサゴソと茂みを移動させ始めた。


 「ん?」と近くにいた野族の見張りが振り返った。

 こっちを見ている。


 いかにも不審そうだ。

 さっきまでそこに茂みなんて無かった気がする、という感じに首を傾げている。


 「!」

 シュウは前にしゃがんでいるルップルップを見て思わず声を上げそうになった。


 ただでさえ赤くて目立つ神官服の裾が草の間から大胆に外にはみ出ている。

 二人とも用心して地味な色の布を頭から被っているが、こそこそ動いているうちにずれたのだ。つまり、緑の茂みから真っ赤な布がひらひらとはためいて、丸見えなのだ。


 手に槍を持った一匹の野族がいぶかしんで近づいてくる。


 「いかん、シュウ、あれをよこすんだ。早く!」

 ルップルップが手を差し出した。


 「あれ? あれって何だ?」

 まったく何の事かわからない。


 「早くしなさい!」


 シュウは戸惑って、小声で尋ねた。

 「あれって、なんですか?」


 きゅううう……! ぐるるる……!

 不意にルップルップのお腹が大きな音を立てた。


 「×△何者×いる○か!」

 目の前の野族が血相を変えて槍を構えた。


 「ほら見ろ、見つかったじゃない! お主がすぐにおやつを差し出さないからだよ! あ~あ、見つかったよ!」

 ルップルップがいかにもシュウが悪いというような非難めいた顔をする。


 「待ってくれ。そんな打ち合わせはしていないでしょ? 第一、何でそんなにお腹がすくんですか? 作戦開始前にあれだけ食べて、他の人の分まで横取りして喰ってたじゃないですか?」


 「お腹がすくものは仕方がないじゃないか」

 ルップルップは全然悪びれていない。


 「何者×だ!」

 外の野族が声を上げ近づいてきた。


 「これはまずいですよ。どうします? これはう誤魔化せませんよ」


 「ここは紳士的に話し合いで切り抜ける場面。と言う訳で出番だよ!」

 ルップルップはそう言うと、突然シュウを思い切り蹴飛ばした。


 「うわあっ!」

 ゴーンと凄い音が響いて、シュウはすぐ目の前で茂みを覗き込もうとした野族と顔面衝突した。

 キュウ……とあっけなく野族が気絶した。


 「痛つつつつ……何をするんです! ルップルップ!」

 シュウも額のタンコブを押さえながら振り返った。


 「いや、お主が交渉役じゃないか。だから、今まさにここが交渉役の出番なのかと……」


 「私が話をしたいのは族長たちなんですっ!」

 「あ! そんな風に立つと目立つわよ」

 動揺のあまり、茂みから上半身を突き出していることも忘れてシュウは叫んだ。そして、気づくと周囲に槍を手にした数匹の野族が取り囲んでいる。


 「えー、あー、私は野族、族長に会う」

 シュウが片言の野族語で話した。

 これがネルドルの翻訳機の威力だ。


 野族たちはこいつは何だ? という感じでヒソヒソ話を始めるが攻撃してこない。


 不審な目で見つめる野族たちの間を茂みごと徐々に族長屋敷の方に近づく。

 野族たちも野族語を話す面妖なお面をつけた者の正体が掴めずに周囲を取り囲むだけで、今のところ襲いかかってくる気配はない。


 「もうちょっとだ」

 族長屋敷の前の広場までそのまま移動してきた。


 「何をしているのだ! そんな怪しい奴を族長に近づける奴がいるか! 愚か者ども!」

 急に大きな声がして、周囲の野族たちがビクンと震えて尻尾を立てた。


 「そいつは仲間じゃない! 偽物だ!」

 

 「なんと! 不穏な!」

 「敵か? 敵だな?」」

 「不気味な奴め! これ以上は進ませるな!」

 野族たちが二重、三重に周囲を取り囲む。


 「あー、私、族長と話がしたーいです、私、敵じゃなーい」

 シュウが身振り手振りを混ぜて必死に言葉を伝える。


 「野族と思って舐めるな! 誰がそんな怪しい奴の言葉を信じると思うか?」

 高床式の族長屋敷の階段の途中に立つ、金ピカの鎧を纏った野族が言い放った。


 たしかに丸い茂みに下半身を隠した、妙チクリンなお面を付けた者の言う事など信用する方がおかしい。立場が逆だったら俺もそう言うだろう。


 野族のその男は、野族を率いる立場に近い者で、まともな考え方をする奴だと確信する。


 「敵意はありませーん。お話が、したーい、のです」

 「ふざけた格好で我らを愚弄しておきながらまだ言うか!」

 ぎろりとその野族が睨む。


 「バカにしているわけでは、アリマセーーン!」

 「では、ちゃんと顔を見せろ。その我々を侮辱するためとしか思えない不気味なお面を外して話すのだ!」


 あーだから言ったのに!

 変に野族っぽいデザインにしない方がいいんじゃないかって。野族がこのお面に憤っているのは間違いないが、かと言ってこれを外したら会話にもならない。


 ネルドルの奴、顔が似ている方が親密になれるなどと言っておきながら、こうやって本物の野族を見ると全然違う。ネルドルの作ったお面は相手をバカにする道化にしか見えない。


 後方で待機しているネルドルとゴルパーネはこの状態をどう見ている? 彼らのことだ、何かこのピンチを切り抜ける手立てを講じているはずだ。信じているぞ。……と思っていると。


 「よっ! シュウ」

 「はーい、ごめんねーー、見つかっちゃったァ! ハハハハ……!」


 ネルドルとゴルパーネが野族にあっさり捕まって目の前を横切って行った。


 「お前らなァーーーーっつ!」


 「人間か? やはり敵なのだな」

 ネルドルとゴルパーネの二人は階段の前に座らせられた。


 まずいぞ。


 「どうします? ルップルップ! 不味いですよ」

 「不味くはないぞ、おいしいぞ」

 「ん?」

 シュウがルップルップを振り返ると、茂みの中でシュウの荷物袋から携帯食を取り出して食べているルップルップと目が合う。


 「妙に大人しいと思ったら! こんな時に何をしてるんですか!」


 「何って、むろんお菓子だろ? 腹が減っては何もできないから。大丈夫、大丈夫! そんなに心配せずとも封を切った物は残さずにきれいに食べた」


 「誰も残すか残さないかなんて心配していませんよ! この状況をわかってるんですかっ!」


 「貴様、何をブツブツ言ってる? まだ、お面を取らないのか? やはり我らに敵対する者という事だな!」

 金ピカ鎧の野族が片手を上げた。


 「こいつを殺さず生け捕りにせよ!」

 その声を合図に周囲の野族が動く。茂みに向かって一斉に跳躍し、シュウに掴みかかった。


 その時だ!


 「お待ちなさい! ボフルト!」


 キラっと太陽が光った。

 真っ赤な神官服をはためかせ、宙に飛んだルップルップがスタッとボフルトと呼ばれた野族の前に華麗に着地する。


 「ボフルト、私よ……」

 ルップルップは手にした杖を構えた。


 「こ、これは……」

 「久しいわね。族長一族を守護する者ボフルト」

 ルップルップはフードの下でニヤリと笑う。


 「こ、これは、神官……」

 おお、奴の態度が変わった。

 流石はルップルップか! 元族長一族の神官だけのことはある。シュウが見直したとばかりにうなずく。


 「こ、こいつは裏切り者だ! ひっ捕らえよ!」

 ボフルトが大声で叫ぶ。



 「ぎゃあ! な、何でよう!」

 「あちゃー、だめだ、これは」

 諦めたシュウの両手を野族が掴んだ。


 「裏切り者どもを連行しろ!」


 ボフルトはそう言うと、4人を族長屋敷の裏手にある板造りの堅牢そうな建物に連れて行った。

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