第179話 サンドラッツファミリー

 暗く重い雲が水平線を隠していた。

 打ち寄せる波しぶきが高く上がる。


 釣り糸を垂れるその目は遠く、東の彼方をしっかりと見据えていた。


 「今日は釣れているかい?」

 その背後から声がした。

 「小魚程度だな」

 表情は深く被った麦わら帽子で見えない。


 「何匹釣れた?」

 「2匹と言ったところかな? そっちはどうだった?」

 「全部で8匹くらいだな」

 男は隣に座り、周りを見渡しながら何かを手渡した。


 古い桟橋には係留される船もなく、周りには誰もいない。釣り糸を垂れた男はそのメモを開く。


 「今のところ全部で14人か。外洋船を操るには最低30人は欲しいな」


 「この港付近では水夫の経験者はもう見つからないかもしれない。それに、いたとしても法を犯してまで海を渡ろうなどという酔狂な者はなかなかいないぞ」


 「だが、俺たちは何としてもこの海を渡る。うまく向こうに着ければ報奨金は倍額を出すと言え」

 サンドラットはメモを握りつぶした。


 「それと、ああ、来たようだな」

 そう言って隣の男が砂浜の方を見た。


 時折、こけながら子どもが走ってくる。


 「マロマロの旦那! こっちにいたのかよ。間違っていつもの酒場の方に行っちゃったよ」

 肩で息を吐きながら、真っ黒に日焼けしたボイボイが言った。


 「でも、そのおかげで重要な話しを聞いたぜ。おっと、その前にそれをもらうぜ」

 そう言うと、サンドラットが脇に置いていた水を奪い取る。


 「ひゃー。うめえ」


 「それで? 重要な話って何だ?」

 「ああ、酒場で例のお座敷に帝国のお偉いさんが来ていたんだけどさ、ドックで建造中の帝国軍船の建造が一時中止に決まったらしいぞ」


 「何だと? それは本当なのか? ガセを掴まされたんじゃないだろうな?」

 マロマロがボイボイの首元を掴む。


 「いてて、本当だよ。帝国の管理する全ての港で中止だそうだ。何でも東の大陸に攻め込む時期が見直しになったらしい」


 「何かあったな」

 サンドラットが竿を上げた。餌だけが盗られている。


 「ボイボイ、仲間たちにさらに情報収集を行わせろ」

 餌をつけ直し、再び海へ投じる。


 「了解」


 「どうやらあてが外れたな。外洋船の軍船が完成したら1隻奪取するつもりだったが」

 マロマロがサンドラットを見た。


 「それもうまくいくかどうかは賭けだったからな。やはり自前で何とかしないとならないな。ボロ船の方の修理状況はどうなってる?」

 「職人は何とかなっているが、材料が手に入りづらいようだ」

 マロマロは応えた。


 「これはむしろチャンスかもな。造船が中止になったということは、使われなくなった資材がどこかで余るはずだろ? 行き場を失った資材が安く売られるかもしれない。

 ドックへの資材搬入元や関連の倉庫を探ってくれ。盗まずとも横流し品とか、ボロ船用の資材が手に入るかもしれないぞ」


 「なるほど、搬入元には多少心当たりがある。そこからあたってみよう」

 マロマロは立ちあがった。


 マロマロと入れ替わりで桟橋の上をこちらに歩いてくる少し小柄な姿がある。


 頭から全身をすっぽりとフードで覆っている。

 すれ違いざまマロマロが何かを手渡すと、そいつはチラリとマロマロをみた。マロマロはニヤニヤと笑った。


 「かしら、今戻ったよ」

 そう言ってマロマロと同じようにサンドラットの隣に座る。


 「メーニャ、囚人都市の様子はどうだった? いや、今は聖都クリスティと言うべきかな」

 メーニャはフードを下ろし、髪を直した。


 褐色の肌にショートカットの似合うかわいい娘だ。

 彼女はサンドラットがこの大陸にやってくる前からの仲間の一人である。


 「僕がせっかく戻ったのに、最初の言葉がそれかい?」

 メーニャはちょっとむくれてサンドラットの帽子を取ると顔を覗きこむ。


 その真っすぐな瞳にサンドラットは口元を緩めた。

 こいつは前からそうだったな。


 「メーニャ、ご苦労だったな」

 サンドラットはその頭を撫でる。

 「ふにゃーーーー」

 メーニャは嬉しそうに猫の真似をして、その肩に頭を預けた。こいつは昔から猫の真似をするのが好きな女の子だった。


 この港町でサンドラッツファミリーの仲間たちは四方に散った。裏切り者の男から一族の秘宝である“支配の器”を奪い返すためである。


 “支配の器”は闇術の法具で、闇魔法を使えない者であっても闇魔法の“魂の支配”や“蘇る死者”等を一時的に行使することができる危険な秘宝である。


 同士を裏切り、その秘宝を奪ったのは一族の蟲使いの男だ。

 奴は、砂漠の生活に役立つ蟲を繁殖させる技を受け継いだ男だったが大言壮語な野心家だった。奴は、当時の族長を殺し秘宝を奪って逃亡したのだ。


 族長を殺されるということは一族、そしてファミリーの恥である。


 奴を斃し、秘宝を取り戻さなければならない。

 サンドラットは一族と自らのファミリーの名誉を回復するため仲間と共に奴を追って里を出たのだ。


 そして奴が大戦中の中央大陸へ渡ったことを知り、やっとのことで海を渡ったものの、奴を背後で操っていた赤い魔女の狡猾な罠にかかり仲間の多くが命を落とした。


 そしてサンドラット自身も帝国に仇成す犯罪人として捕縛され、生きては出られないという地獄の街、囚人都市に収監されたのだ。


 だが、サンドラットは重犯罪人地区から生還した。名前を変え、脱獄の機会を伺っていたのがカインと出会うまでのサンドラットなのである。


 カインたちと別れ、サンドラットはようやく始まりの地であるこの港町に戻ってきた。


 俺は戻ったぞ。

 仲間と共に上陸した岩場で祈りを捧げていると、背後に人が集まってきた。


 砂漠の民、そしてファミリーの絆は強い。

 一緒に海を渡ってきた仲間のうち生き残った者たちは、この港街で何年もの間、彼らのリーダーであるサンドラットの帰りを信じて潜伏を続けていたのである。


 泣きじゃくって再会を喜ぶ仲間の中にメーニャもいた。


 メーニャは別れた当時は幼さの残る少女だったが、今では別人のように美しく成長した。一人前に胸も膨らんで魅力的になっている。むしろサンドラットが意識するようにわざと服を調整して胸の谷間を強調しているようだ。


 以前から「僕はクーガの妻になるんだにゃん!」と言っていたが、その気持ちは今も変わらないらしい。


 「ねえ、クーガ。やはり奴を追って戻るのかい?」

 「ああ、奴が再び東の大陸に渡ったとわかった以上、どこまでも追う」


 「今度は僕も行く。おいてけぼりは駄目だよ。前のようにクーガがいなくなるのは嫌なんだ。そして奴を仕留めたらニーナの次に妻になるのは僕だよ」


 そう言ってにっこりと笑う。白い歯と褐色の肌が美しい。その胸元に光るのは”片鋏のさそりに盾”という変わった紋章の入ったペンダントで母親の形見の品らしい。


 「お前が子どもの頃の約束とは言え、約束は約束だからな。まあいずれな……全くお前の熱意には負けるよ」

 「それじゃあ。いつもの誓いのキスだにゃん」

 そう言ってメーニャはクーガとぎこちなくキスを交わす。

 柔らかな唇が離れた。


 「えへっ。クーガの妻になったら、僕はムラジョウ・メーニャになるねえ。孤児がついにファミリーの長、しかも族長の妻だ。すごい出世になると思わないかい?」

 少し照れながらメーニャが海に垂らした足を揺らす。


 サンドラットは集団名だが、その元になった盗賊団サンドラッツファミリーを率いていたのがクーガの一族である。

 サンドラットの本名は。サンドラットのムラジョウ・クーガ、サンドラット最大のファミリーの頂点にして、筆頭里長の一人息子である。


 「それで? 報告がまだだぞ。聖都クリスティの様子はどうだった?」


 「うん。そうだったね。聖都クリスティでは街の再建が進んでいたよ。外門も解放されて自由に出入りが出来るようになったし、バルザ木道に吊り橋が完成したおかげでデッケ・サーカや他の街からの物資の搬入も容易になっていた」


 「本当に独立する気なんだな」

 「そうみたいだね。成り行きとは言え、新王国リ・ゴイとして王女を擁立、聖都で独立を宣言したみだいだし」


 「帝国は黙っていないだろうな」


 「新王国は、経済の中心都市であるデッケ・サーカを守るため、スーゴ高原に大規模な防塁を築いているよ。帝国の攻撃前に完成が間に合うかどうかってところだね。ちょっと前に小競り合いもあったみたいだけど、その時はちょっかいを出した帝国軍が敗走したらしいね」


 「本格的な反乱鎮圧のための軍がいつ動くかだろうな。今回、軍船の造船が中止されたのもやはり関連があるんだろうな?」


 「それだけどさ、鎮圧軍の編成はあまりうまくいっていないみたいだよ。大戦で国土が急激に膨れたのが足枷になっているとか、帝国に参謀がいないとか、色々な噂でシズル大原の多くの街で動揺が広がっているみたい。

 それに数週間前、世界の終わりのような恐ろしい声が天空に響き渡って、民衆の不安と動揺を一掃掻き立てたらしいし」


 「恐ろしい声? この辺りでは聞こえなかったぞ」

 「シズル大原の西部から中央部、そして魔王国の首都のあるセラ大盆地の方で聞こえたらしいよ。僕は、あれは神の怒りの声だと思うな」


 神の怒りの声か。

 考え込むクーガの横顔を見つめニヤニヤするメーニャの鼓動は高鳴っている。

 そっとクーガの手を握るがそれにも気づかないようだ。


 造船中止は、国内の反乱制圧に力を入れるためか、それとも東の大陸の侵略に何らかの遅れが出る事態が発生したか、またはその両方を意味するのだろう。

 帝国が反乱の鎮圧に本腰を入れるとすれば、それ以外の地域は手薄になるはずだ。今までよりも多少大胆に行動しても気づかれにくくなる。


 「よし、思い切って行動する時期だな。一旦ねぐらに戻るぞ。今夜はメーニャにも一肌脱いでもらうことになりそうだ」

 クーガは傍らの水筒を手にした。


 「ええ、僕はクーガが望むんなら、いつでも脱ぎますよ! さあどうぞ、ですにゃん!」

 そう言ってメーニャはクーガの片手を胸の前で包んで純真そうな目で見つめた。そのくせその膨らんだ胸にわざとらしく押しつけて離そうとしない。


 「せっかくですから、今夜こそ思い切った行動に出ちゃってください。大胆すぎるくらいでいいと思いますよ、クーガ様」とにっこり笑う。


 「ああ。そうだな。ん?」

 水を飲もうとしたクーガの手が止まった。


 「ちょっと待て。この水の匂い…………お前、これにゲジ貝の粉末を入れたな?」


 「ええっ? 何の事ですかあーーーー?」

 メーニャは急に目を反らしてひゅーひゅーと口笛を吹く。

 危ない奴だ。


 「お前、俺に性欲増強薬を飲ませてどうするつもりだ?」

 「せっかくですから、今夜、妻としての既成事実をね……」

 クーガの鋭い視線にも全く動じない。


 「クーガ、僕はずっとクーガを愛してるんだ! 大好きなんだ! 今夜、いや、今すぐでもいいにゃん! 結婚してよ、ねぇ!」


 「うわっよせ! こんな所で抱きついてくるな!」

 メーニャに跳びかかられてクーガは柄にもなく慌てた。

 「恥ずかしがらなくてもいいにゃん!」

 クーガの事を好きすぎる美少女メーニャである。


 押して、押して、押しまくるんだ! メーニャはクーガの胸に顔をぐりぐりと埋めてうれしさいっぱいに微笑んだ。

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