第168話 クマルン村攻防戦3 ー野族駐屯地ー
「ん…………?」
どのくらい気を失っていたのだろう。
俺は生きていた。
「ここはどこだ……?」
ようやく目を開けると、とても明るい。どうやら既に夜は明けているらしい。
しだいに焦点があってくる。
そして手足が縛られていることに気付いた。
ドンドコドンドコ……太鼓の音が響く。
野族は食事の最中らしい。
どこかで見覚えのあるシュチエーションだが、今回は縛られて地面に倒れている。木に吊り下げられているわけではない。
以前と違い服も脱がされていないようだし、今すぐ食事の材料にされる様子はなさそうだ。
見ると、俺を縛っている縄は木杭に結ばれており、杭は深く地面に突き立っている。簡単には逃げられそうにない。
俺はわずかに身を起こすと周囲を見渡した。林の中のようだ。
あちこちの木々の間から煙が上り、多くの野族が見える。おそらく野族の駐屯地の中なのだろう。次に俺は身体の以上を調べたが特に怪我はない。叩かれた腹が痛む程度だ。武器はと言うと、もちろんどこにも無い。
なぜ俺を生かして捕虜にしたのかは不明だが、生き残ったことだけは確かのようだ。
ちょっと安心すると急に腹が減りだした。
きゅううぐるるる……と腹が鳴る。
「?」
俺の顔に影が落ちた。
見上げると野族の兵士が立っている。
上半身は硬そうな上質な鎧だが下半身はスカートのような装備だ。顔では区別出来ないがこいつは雄らしい。下から見上げているので丸わかりだ。こいつら、雄はパンツを履くという習慣はないらしい。
ゲロゲロである。
妙な物をまじまじと見てしまってげっそりとした俺を、そいつはどこかに引きずって行く。
「痛い! 痛い!」
背中が地面に擦れて痛いのだが、喚いてもどうせ言葉は通じないのだ。
ところが、そいつはぎろりと俺を見た。
「うるさい! 黙れ!」
「?」
言葉が通じた? というか、奴らの言葉も分かる?
「この人族め、昨日は話をできないふりをしていたのだな? 我らを
そう言ってズリズリとひきずりながら俺をにらむ。
「いや、でもなぜだ? なんでこいつの話が分かる?」
その時、俺は思い出した。
そういえば、最後にあおりんが光ったっけ。
「もしかして、あおりんがやったのか?」
「?」
そいつは無言で歩く。
こいつらが俺に何か術を施したのでなければ、おそらくあおりんが俺に術をかけたのだろう。
話ができるなら、交渉で助かる道が開けるかもしれない。見たところすぐに処刑というわけでもなさそうだ。殺すならあの場でできたはずで、わざわざ捕虜にして連れてくる訳は無い。
引きずられる俺を見て野族が集まってくる。
なんだかいつの間にか大勢の野族が周囲を囲っている。
「人間だ!」「なぜ生かしておく?」という声が聞こえてくる。
俺の前を行く野族より服装がボロい連中だ。おそらく一般兵なのだろう。俺を引き連れているのは特別な職の奴なのかもしれない。
「人間殺せ!」という叫びが次第に一つになって大きくなる。
一体どこに連れていかれるのか?
やがてそいつは止まった。
木造の大きな祠のような施設である。おそらく野族の村からわざわざ運んで来ているのだろう。いかにも仮設だが、造りの丁寧さから見ると野族にとってはかなり重要な施設のようだ。
「ルップルップ様の御命令で捕虜を連れてきた」
「それが例の捕虜か? 何だか臭いぞ。ちゃんと洗ったのか?」
建物の前の槍兵が短い髭を動かして鼻を鳴らした。
「いや。まだだが、やはり洗った方が良かったか?」
「うむ、ルップルップ様の前にそんな排泄物臭い者を出す訳にはいかんだろう。誰か、水桶と
俺の周囲に数人の雄が集まった。なぜ雄とわかるかと言えば……。
オエエエエ……!
俺は見たくもないものを間近に見みせられつつ、奴らに踏まれながら全身をごしごしと洗われた。
もう服も髪も何もかもめちゃくちゃにされた状態で俺はその建物の中に押し込まれた。
「貴様、そこで両手を床について拝礼しろ。良いと言われるまで顔は上げるでない!」
そう言ってそいつは俺の足の縄だけを解く。両手は後ろ手に縛られたままだ。これでどうやって両手を床につけろと?
俺は背中を槍の石突きでつつかれて拝礼の姿をとる。
一体何だと言うのだ? 捕虜の俺にクマルン洞窟の防衛情報とかを吐けとでも尋問する気なのだろうか? 軍事上重要な情報など俺は一切知らないのだが。
「間もなくルップルップ様のご入室である! 一同、頭を下げよ! お前もだ捕虜!」
俺は元々頭を床に付けている。これ以上どうやって頭を下げろというのか? 俺は頭を下げていることを誇張するため尻を上げた。
俺の真後ろにいる奴にとってはかなり危険な状態である。
ぷすぅ……。
無色透明、無味有臭の毒ガスである。
ダイレクトに吸い込んだ俺の後ろの奴が鼻をぴくぴくさせ、急に狂ったように取り乱した。みろ、言わんこっちゃない。
「!」
すぐに異変に気付いた厳つい顔の衛兵がそいつを無言で抱えて連れ出して行く。
悪いのは俺だがこれ以上立場を悪化させる必要はない。素知らぬふりである。弁解無用という態度の衛兵に挟まれたその姿が哀れを誘う。
やがてガタゴトと音がしてどうやらルップルップとかいう奴が入室したらしい。この物々しさから考えれば野族を率いるリーダーのような奴なのだろう。
「一同顔を上げよ」
声が響く。
俺は言われるがままに顔を上げた。
壇上のそいつは、ローブで全身を覆っていたがフードを後ろに払って顔を出した。
その瞬間、ブッ! と目の前で昨晩の美女が噴いた。
「ひゃはははははは…………!」
突然、大笑いだ。
「ダメ、くっくくく……笑いが抑えられないわ! 誰ですか、こんなふうにこいつを仕上げたの!」
「ぎゃはははははは……!」
もう一度俺を見て、壇上の美女が腹を抱えて笑い転げた。
周囲の野族がおろおろしている。
もしかして俺の風体を見て笑い転げているのか?
そう思っていた所に、何とか笑いを我慢したらしいその美女と目があった。
ぷうーー! またもや噴く。三度めだ。
その一撃に俺のナイーブな心は傷ついた。
「ひぃひぃ、おかしい……」
美女はようやく腹痛を押さえながら玉座に座った。
部屋の奥から鏡と櫛を手にした野族が慌てて入ってくると俺の前にドンと、どでかい鏡を置いた。
これは、最悪だ……俺はあまりの姿に絶句した。
髪はボサボサで逆立っており、服は胸がはだけ所々破れている。目にはクマができているし、寝ている間に誰かがイタズラしたのか妙に真っ赤な口紅がさされており、しかも頬の方にはみ出している。
「しばらくお待ちください。ルップルップ様」
鏡に映った自分の姿にげんなりしている俺の身だしなみを野族の一人が整え始めた。
ルップルップは目を合わせないようにしているが、時折、くくく……と肩を震わせて笑いをこらえている。
しばらくして野族が俺の周りから後ろに下がった。
ルップルップとか言う美女は深呼吸して威儀を正したが、唇の端がまだ笑っている。
その傍らのテーブルに山もりの果物が置かれた。
「ようやくなんとか直視できる姿になったようね。さて、人間、お前は我々の言葉が分かるの? 正直に答えないと殺すわよ」
その美女が果物を手に取ってかじりながら言った。
「わかる」
「ほう、それは珍しいことね。では、このままで話を続けましょう。最初の質問よ。まずは名前よ? お前の属する集団の中で与えられた呼び名のことよ」
「名前だろ? 俺はカインだ」
「カイン? それだけ? ふーーん、集団名を言わないところを見るとはぐれ者ね。では次の質問よ、なぜ人間のカインが穴熊族の軍にいるの?」
「俺は旅商人だが、村に入るには傭兵で登録しないと入れなくてね。そこに急に戦争が始まって傭兵として召集がかかったんだよ」
「確かにこれを見るとお前は傭兵と言うことになっているようね。では次の質問、お前はなぜ我々が穴熊族と戦っているか、知っているの?」
ルップルップは俺の認識票を指に絡めてくるくると回した。
「元々あの洞窟に住んでいたのを追いだされたからだと聞いているけど?」
「そう、そのとおり。つまり正義は我らにあるのよ。それを知った上であえて穴熊族に加担している、そういう事ね?」
その言葉に周囲の野族の目が鋭くなった。
「仕方がないだろ? 傭兵が雇い主の命令に逆らえばどうなるか、わかるだろう?」
「ふむ……言われて見ればそれもそうね。では、あの村の神殿に、何が祀られているか知っている?」
「神殿に? ああ、星神様だろ?」
ルップルップは左右の野族の顔を見た。
「こいつ、人間のくせに意外に知っているわね。やはり、それと関係があるのか?」
彼女は隣にいる野族を見た。
「わかりませんが、昨夜目の前で起きたことは現実です」
野族の槍兵が答えた。
思い出した。こいつは昨晩金ぴかの鎧を着ていた偉そうな奴だ。
「ボフルト、神の話をするにはここでは不敬かもしれない。こいつには直接祭壇の前で話を聞くべきでしょうね。カインを祭壇に連れて行くわよ」
ルップルップは立ちあがった。
スカートが揺れ、その魅惑的なふとももが見える。
「ははっ」
ーーーー俺はまたも乱暴に引き立てられた。
前を全身をローブで隠したルップルップが歩いている。
祭壇があるという仮神殿の周りには多くの野族が集まってきていた。人間の捕虜の事が噂になって伝わっているらしい。敵意のある視線が俺に突き刺さる。
人間ごときをなぜ生かしておく! とか、神聖な場所に人間を入れるな! とか色々と物騒な声が聞こえてくる。
ルップルップの側仕えの兵が殺気立つ群衆を押さえているようだ。
「ここだ。ここは神聖な場所よ。大人しく中に入りなさい」
ルップルップが移動式の仮神殿の木製の扉を開けた。
「わっ」
俺は背を押されて、中に転がり込んだ。
「ボフルト、ボザルト、お前たちは入り口を見張っているように、誰も中に入れてはいけませんからね、いいですか、絶対覗いてはだめですよ」
ルップルップはそう言うとバタンと扉を閉めた。
静まり返った部屋の中には俺とルップルップしかいない。
神殿の奥壁には星形に玉石がはめ込まれた祭壇が作られている。
ルップルップはローブのボタンを外してひと息つくと、祭壇の前に置かれたイスに座って足を組んだ。そのすらりと伸びた美しい素足が目に毒だ。
「さあ、ここであなたの玉を見せてもらおうかしら?」
突然、ルップルップはそう言って裸足で俺の股間をつんつんと突いた。
まさかこいつ、その容姿に反して痴女だったのか?
俺は青くなった。
神聖な祭壇の前で拘束した男の股間を見て何をするつもりなんだろうか?
「ど、どんな変態プレイを?」
俺は思わず声を漏らしてしまった。
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