第167話 <<メーロゼ亭の夕食 ー東の大陸 サティナ姫ー>>

 家族が一同に会する食堂は大商人の屋敷にしては質素であった。


 屋敷は現在のメーロゼ家の礎を築いた初代当主が作らせたもので、代々受けついて来た歴史のある建物である。


 初代当主は物乞い同然の幼少期を過ごした苦労人で、南マンド大王国が内紛により家臣に主家を乗っ取られて東西に分裂するという動乱の時代に、危険を冒し西方諸国から食料・物資を仕入れて南マンド大王国領内に運び入れ、財を成したという。


 奥壁にあまり目立たないように下げられているのがその初代当主の肖像画だ。


 食事が終わってお茶が運ばれてくる。

 バドンズはカップを手に取って一口飲み、視線を戻すとサクが絵の方を向いているのに気付いた。仮面を外さないので表情までは分からないが何か気になっている様子だ。


 「サク殿は、絵にご興味があるのですかな?」

 その言葉に、サクの正面に座っていたミラティリアがサクの様子を見た。


 「いえ、面白い絵だなと思いまして」


 「正直、自慢できるような絵師が描いたものではありませんよ。これは初代当主ですが、私が言うのもなんですが、美男子というわけでもなく、平凡な容姿でして、服装も粗末な平民服ですよ。絵のタイトルは、“この者我が家の繁栄をもたらす者なり”です」


 ああそうか、なぜか気になる理由がわかった。その、凡庸そうな雰囲気がカインに似ているのだ。


 「どんな方だったのですか?」


 「見た目はともかく、熱い男だったそうですよ。まあ、“暑苦しい男” とかいう評価もあるようですが、内乱で食料危機に陥った国で庶民に対して救済を行った慈善家としても知られています」


 「そうですか、良い人だったのですね」


 「良い人かどうかは評価が分かれるところでしょうな。何せ、かなりの女好きでして。各国で一番という美女を次々と妻に娶って男共の恨みを買い、最後は嫉妬に狂った男に刺されてあっけなく死んだのですから。もっとも、そのおかげで国一番という美人の系譜が一族に受けつがれているわけですがね」

 バドンズは肩をすくめながら、娘を見る。


 確かにミラティリアはサティナがこれまで見てきた女性の中でも10本指に入る美女と言えるだろう。


 「初代当主の妻はどれくらいいたのですか?」


 「伝承では50人以上とか。まあ、それくらい居てもおかしくないということで後世に話が膨らんだだけでしょうね。身を立ててから暗殺されるまでの期間を考えれば、それほどの数の妻がいたとは思えませんからな」


 「そうですか……」

 どうも肖像画を見ていて感じる違和感がある。


 暗い闇の中から人物だけが光を浴びるような描き方だが、何となく縦横の比率がおかしい気がする。絵画については多少の知識はある。王女としての教養を身につけるため王国随一の絵師を師匠に持つサティナである。


 サティナは首をかしげた。


 「肖像画には後から手を加えているのですか?」


 「ええ、やはり分かってしまいますかな? 本当は全身像なのですが、三代目の頃に下半身を見せないように隠したらしいです。実は木枠の下に本来の絵が続いているのですが、気になりますか?」

 バドンズはいたずらを思いついた少年のように目を輝かせた。


 「お父様! 私には見る必要がないと言っておきながら、サクにはお見せするつもりですの?」

 ミラティリアが頬を膨らませて立ち上がった。ちょっと怒った顔もかわいい。


 「いやいや、本当に大したものが描かれているわけじゃない」

 「大した事がないなら、私にも見せてくださいませ」

 バドンズは困ったようにサクを見た。


 「ぜひ、見たいですね」

 「まあ、良いでしょう。では二人ともこっちに来てください」

 そう言ってバドンズは絵の前に立った。


 「さあ、ご覧あれ」

 バドンズは魔術師のような身ぶりで後から貼られた壁紙をめくり上げる。


 「「ぷっ!」」

 ミラティリアとサティナが同時に噴き出した。


 上半身は庶民服だが、下半身はボロくて黄ばんだパンツ姿である。


 そのアンバランスさに加え、もっこり大きく膨らんだ股間、毛深い素足が見事なほどその下品さを醸し出している。


 そしてトドメは足である。すね毛の素足にブカブカの汚い長靴のようなものを履いている。これが妙に変態じみていて格好悪い。


 「これは、初代が、最も苦労して内戦中の街に物資を運んだ時の姿だそうです。初心忘れるべからずという意味でしょうな。でもあまりに格好悪いので隠されたようです」


 「このボロボロのブーツは何ですか?」

 「長靴ですか? 何でも履いた者の足を臭くするが、その代わりにその者を栄光に導く幸運のアイテムとか、まあ良くある売り文句でしょう。彼の妻の一人が受け継いだそうです」


 「汚い絵ですわ」

 「忠実に描いたのでしょうね」

 「そう言って頂けると少しほっとしますな、娘のようにバッサリ切られるとご先祖様が可哀想だ」


 「でも、お父様のおっしゃるとおり、これは隠していた方が良いと思います。下品ですし、サクもそう思いますよね?」

 ミラティリアは少し顔を赤くしている。


 「え、ええ。今まで通りで良いのではないでしょうか」


 「ミラティリアも見た目に惑わされず、初代のような本当の男を見つけるのだぞ」


 「心配なさらずとも、既に私には心に秘めた王子様がいらっしゃいますわ」


 「また、そんな昔のことを」


 「お父様ったら、あの方は遠国の船乗りですわ。あの方がいなければ今ごろ私は奴隷だったのですよ」


 「さあさあ、もう良いでしょう。お菓子も来たようだし、お茶をもう一服いかがですかな?」

 バドンズはそう言って微笑んだ。



 ーーーーーーーーー


 夕食が終ると、サティナは1階にある使用人部屋をあてがわれた。ミラティリアの部屋はちょうどその隣である


 部屋には簡素なベッドと引き出しのついた机が置かれている。

 サティナは窓辺に歩み寄って、窓を押し開いた。

 ぷーんと羽音を立てて虫が入ってきた。


 サティナはイスに座って机に向かう。ペン立てに刺さった羽ペンの羽先に小さな甲虫こうちゅうが止まっている。


 「サティナ姫、騎士ケビルでございます」

 突然、その虫が話し始めた。


 虫を使って通信するのはケビルの得意とするところだ。ケビルをサンドラットの里の居残り組にしたのは、彼が連絡係として最適だからである。ドメナス王国は様々な通信法を開発しており、彼の術もその一つだ。


 「御苦労様、ケビル。この会話は騎士マッドスも聞いているのかしら?」

 「はい。そちらの状況は報告いただいておりますので、通信はサンドラットの里とマッドス、そして姫の所を同時に繋いでおります」


 「それで? 貴方が連絡を入れてきたということは何か動きがあったの?」


 「はい。あれから半月余り、ラマンド国の情勢が明らかになりました。ラマンド国は東マンド国の攻勢に対抗するため、ガゼブ国とその他の旧公国諸国連合の国々との共同戦線を画策しているとの話は本当でした。ラマンド国を本気にさせる何らかの刺激があったと思われます。旧公国諸国連合の代表が密かに王都ラマンデアに入ったようです」


 「それは、こちらにとっては良い動きね。東マンド国を包囲牽制できるわ」


 「ですが、悪い情報もあります。今回の東マンド国の行動にガゼブ国の王宮は混乱し、主戦論派と和平派の衝突が起き、双方に死者が出ました。

 どうも悪い虫が王宮内に潜り込んでいるようです。このままではガゼブ国はまとまりを欠いたまま東マンド国の要求を飲まざるを得ない状況に追い込まれるのではないか、というのがサンドラットの里長たちの見方です。

 東マンド国の第一軍が旧リナル国との国境を越える気配を示し、ガゼブ国は慌てて南の要塞の駐屯部隊を王都周辺へ呼び寄せる命令を出そうとしましたが、今度は東マンド国第三軍が手薄になった要塞群に向けて行軍を開始したという情報も入って混乱を呈しています」


 「東マンド国には戦略家がいるらしいわね。ガゼブ国が早々と降伏したらまずいわ。東マンド国を包囲するにはガゼブ国以外の旧公国諸国連合の国々は遠いから、ラマンド国との連合はうまく機能しないかもしれない」


 「ラマンド国では、東マンド国を牽制するため軍を動かしたいようですが、現状では大義がないという事で躊躇ちゅうちょしているようです。ラメラ嬢誘拐や王都でのテロ事件の首謀者は東マンド国だと糾弾きゅうだんするには証拠が無いとのことです。ラメラ嬢に関して東マンド国は、誘拐団から救出して保護していたところを、勝手に何者かが狼藉ろうぜきを働いて連れ去ったと喧伝けんでんしている始末です」


 「よく言うわね。恥知らずだわ」


 「それと、これは極秘情報ですが、東マンド国のコドマンド王の元妻が瀕死の状態でラマンド国内で治療を受けているという話があります。もし彼女が意識を取り戻してコドマンドに不利な証言があれば、また情勢が変わるかと思われます」


 「そんな事があったの? わかったわ。引き続き情報を集めてちょうだい。私の方もなるべく早く片付けて戻るわ」


 「ご無事をお祈りしております」

 ケビルはそう言って通信を終えた。


 虫は何事も無かったかのように羽を広げ、窓の隙間から三日月の夜空へ飛び立っていった。

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