第166話 クマルン村攻防戦2 ー夜襲ー
突然、三日月の夜空に野族が放った火矢が弧を描いた。
洞窟を防衛するための最下層・最前列の木柵を修理していた穴熊族たちがちりぢりになって逃げ出す。
俺の周囲を警戒任務についていた
「おいおい、ヤバいぞこれは」
すぐに土塁の陰に隠れた傭兵仲間の一人が声を震わせた。
今や修理途中の木柵の真後ろにある幾つかの土塁の陰に残っているのは傭兵部隊だけだ。
「どうする? 撤退命令が聞こえないぜ。このままこんな所にいたら全滅しちまうぞ」
「どうしてよりによって今夜なんだ?」
「まったく運が悪いですよ」
土塁にへばりついて下の様子をうかがう俺の背後でぼやきが聞こえる。
最初の戦闘から既に3日である。山裾の街道付近での小競り合いは続いていたが、初日のような大規模な侵攻は起きていない。
次の敵の攻勢に備えるため、俺たち傭兵は昼夜を問わず交代制で防衛ラインの修復と警護に狩りだされていたのだ。
敵の奇襲を警戒し、蜥蜴騎士が平原付近まで出張って見張りをしていたが、それが逃げ戻って、直後に敵の矢が飛んできている。彼らの部隊だけでは対応できない数の敵がすぐそこまで迫っているということだろう。
「敵襲警戒!」の声と同時に工事用の篝火は既に消されている。
月明かりの中、夜襲をかけてきた敵の数は不明である。それだけに不安も大きい。
今は矢を射かけてくるだけだが、木柵の修復をさせまいと歩兵が大軍で押し寄せて来ていたらどうなるか? 傭兵は分散して持ち場に就いているが、今ここにいる全員合わせても100人もいないのだ。
俺は土塁の上から遥か彼方の平原方面まで目を凝らした。野族の野営地があるはずだが暗くてそっちの動きは見えない。わずかな月明りに薄っすら見える街道の石畳を時折横断する影がある。
奴ら暗い月明かりだけで動いているらしい。奴らは夜目が効く、月が欠けてこちらの目が効かなくなるまで待っていたのかもしれない。
なおも次々と坂の下方から火矢が弧を描いて飛んできている。
牽制なのか、火矢は射程距離の限界に近い位置から放たれているようだ。矢は一部で木柵に刺さって燃え始めている所もあるが、ほとんどがまだ地面を焦がす程度である。
「どうだ? 奴らどこまで来ている? 押し寄せてくる気配はあるか?」
「わからない。俺たちは夜目が効かないからな」
俺はどんなわずかな動きも見逃すまいと目を凝らした。坂の下方は静まり返っているが、むしろ左右の防衛地点で人が動く気配がする。
「ちっ、隣の奴らは勝手に逃げ始めているぜ。向こうもそうらしい」
「どうする? このまま残るか? それとも逃げるか?」
俺の後ろで相談する声が聞こえる。
この防衛地点にいるのは俺を含めてわずか7人だ。今日集められたばかりなのでお互いに名前すら知らない。
「撤退指示が出ていない。勝手に逃げたら独房入りだぞ?」
「そんな事を言ってもな。周りはみんな逃げているじゃないか?」
「俺は逃げるぞ」
少し太った男が言った。
「ちょっと静かにしろ」
俺は目を凝らす。何かが動いた気がした。
「おい、矢の攻撃が止まっているぞ」
物音はしない。その静けさが逆に怖い。
「もう我慢出来ない! 俺は逃げる!」
ついに限界に達した男が窪地を這い出て斜面を駆け上がった。
「おい、待て!」
叫んだ瞬間、逃げた男の首に矢が突き立った。血飛沫を上げて男が前のめりに地面に倒れる。
「敵だ! そこまできている!」
その時、俺ははっきりと見た。
数は決して多くは無いが、その敏捷な動きは精兵だろう。
「野族の襲撃だ!」
「夜襲ーーぅ!」
遠くで一瞬危険を知らす笛が鳴り、すぐに消えた。
「応戦の準備! 急げ!」
俺の後ろで男が剣を抜いた。
俺も急いで骨棍棒を手に取り、土塁に伏せた。
「!」
その瞬間、いつの間にか土塁を這い上がってきていた野族が跳びかかってきた。俺にではない。俺は土塁に張り付いていたので野族は俺の後ろの連中を標的にしたらしい。
「うわっ!」
「このっ!」
すぐに辺りは血の匂いに満ちた。
俺の足元にさっきまで話をしていた男の生首がコロコロと転がってきた。修理中だった柵が壊され、仮押さえの木材が内側に倒れてくる。
「!」
声は出せない。手にした骨棍棒が震えている。股間が熱いのはちびったせいだろう。次は俺の番なのだ。いつ暗闇から鋭利な刃が突き出されて首を切り落すか分からない。
だが、襲撃した野族の第一波はさらに上のテラスの破壊を目指して次々と駆けあがって行った。
俺は存在すら気付かれなかったらしい。
この新調した黒い鎧のせいか、それとも存在感が極めて薄いからなのか。なんだか少しほっとしたような複雑な気持ちだ。
しかしどうすればこの窮地から逃げられるのだろう? 俺は土塁の内側に背もたれたまま足元の血まみれの死体を見る。
土塁の背後からはさらに大人数の者が迫る足音が聞こえている。初日以来の大規模襲撃だろうか。幾つもの松明の火が灯った。
さっきは運良く見つからなかったが、次も見つからないという保証はない。というか絶対見つかるだろう。こんな時にクリスやアリスが来てくれればと思うが彼女たちは数日前から出かけてしまっている。
これは詰んだかもしれない。ここであえなく戦死なのか?
俺は満天の星空を仰いだ。
ああ、星がきらきらと瞬いて……。
「ああ、美しい足だ……」
その俺の目に突然、それは見事な女の美しい生足が映った。それを真下から見上げている。
「☆△△××○!」
綺麗な声が月夜に響いた。
その細い足首から魅惑的なふとももに俺の視線が自然と上って行く。片足を土塁のてっぺんに乗せているので足が開いている。しかも周囲に次々と掲げられ始めた松明の灯りのせいで、そのスカートの中が奥の奥まですっかり丸見えになってくる。
すらりと伸びた足は健康的で美しい。
その最深部……妙に食い込むエロい下着がまた…………。
俺は息を殺してじっとりと眺めた。俺の美女センサー……股間がぴくりと動いた。
その瞬間、野生の勘なのか、ざわっと不意に美女が身震いしたた。
美女と目があった。
「!」
「!」
俺は鼻の下を伸ばしたまま思わずニタっと笑みを浮かべる。
「凸凹×△! △↓◇!!」
女が大慌てでスカートを押さえて叫ぶと姿を消した。
代わって野族の槍兵が土塁の上に姿を見せた。
金ぴかの鎧を着た偉そうな奴だ。
アホか俺は! 死んだふりでもしてれば良いのに、見蕩れたせいで気付かれてしまったぞ!
俺は土塁から離れて骨棍棒を片手に身構えた。
こうなったらヤケクソである。
「最後くらいは貴族らしいところを見せてやる!」
骨棍棒を手にガニ股で立っている時点で既にまったく貴族らしくはないのだが……。テント気味の濡れた股間が気持ち悪いのだからしょうがない。
土塁の上に再び片足を上げて、さっきの美女が大油虫でも見るような目つきで俺を見降ろした。
全身をローブで隠した野族のシャーマン風の姿である。
その左右に侍る野族も雰囲気が違う。
その時、俺は気付いた。フードの奥に見える目元の雰囲気、この美女はどう見ても野族じゃないし、魔族というより人族だ。
ローブで隠しているが、スリットの着いた短めのスカートに、上半身は胸の谷間を強調するような刺激的な赤い神官風の衣装で豊満な胸がはちきれそうである。
手にした杖には
「×××!」
不味い事に俺の周囲を野族たちが取り囲んでいった。その鋭利な槍先が光っている。逃げ道はない。
やはり俺はここで死ぬのか?
短時間なら加護が発動してサティナモードで行けるかもしれないが、あれは持続時間が短い。あっと言う間に全身筋肉痛で動けなくなる。
何か策はないか?
普段から死んでいるボンクラな青灰色の脳細胞が回転するが、ついその美女のふとももに目が行ってしまう。こんな時に、だめだロクなことを考えない。
その時、女が杖を俺に向けた。その杖にきらりと星飾りが光る。
「凹△××!」
女が何か叫ぶ。
その杖を見て思い出した!
「あおりん! 幻影防御! たまりん! 俺の危機を救ってくれ! リンリンもお願いだ!」
俺の突然の魂の叫びに、剣を抜いて襲い掛かった目の前の敵が一瞬逆毛立てた。俺が急に声を上げたので驚いたのだろう。
だが、その攻撃は止まらない、奴の剣が俺の腹を裂く!
「!」
次の瞬間、そいつは手ごたえの無さに目を見開いていた。
間違いなく腹を斬ったはずが、俺が数歩下がってその剣をかわしていたからだ。あおりんの幻影術だ。それが奴の間合いを狂わせたのだ。
「××!!」
野族が剣を再度構えた。今度こそ刺す、という目つきだ。
次の瞬間、今度はぴかっと俺の股間が光った。
たまりん登場である。
「!」
目の前の女の目が大きく見開かれた。
「おおー! これは大変な危機ですねーー!」
なんだかうれしそうにたまりんが光った。
「やっと私の出番ですか?」
リンリンがぽわんと頭上に出た。
「この状況を見てわからないか? 俺の危機だ! 助けてくれ」
「☆△◇××、◎◎;!」
女が慌てたように俺を指差して何か叫んだ。
野族が動く。
「来るっ! あおりん! 頼むぞ!」
俺は身構え叫んだ。
次の瞬間だ。突然、俺の前であおりんが光った。俺に頼られるのがよほど嬉しかったのか、いきなり目の前でぴかぴかっと眩しく光ったのだ。それはもう最悪のタイミングでだ。
「馬鹿っ、目が! 目がっ!」
その光に目がくらんだ俺の腹に猛然と突進した野族の鉄拳がめり込んだ。小粒な手を握った拳だけに突き刺さり方がえぐい!
「ぐうえええええーーーー!」
俺は腹を拳でえぐられ、無様に嘔吐しながら腹を押さえて両ひざを地面に落とした。その頭上に野族たちの影が落ち、その手が振り上がった。
「ええーー? せっかく呼び出しておきながらもう終わり?」
「あーーあー、これはお終いですねーー。まあ、必要になったらーー、また呼んでくださ……」
死んだら、呼べないだろうが…………そう思いつつ、たまりんの声が次第に遠くなった。
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