第106話 森の妖精族のリィル

 「さて、状況を整理しましょうか」

 バルドンは険しい顔をしながらテントの中をうろついている。


 「まあ、落ちついて、座って話をせぬか」

 カムカムの言葉もバルトンは聞いていないようだ。逆に睨まれ、カムカムが身を縮めた。

 

 テントの中には地べたに座る俺の他に、例の少女も柱に縛られて座っている。俺の頬は少女の怒りのパンチでふっくら腫れている。


 「やっぱり悪魔です。お前の手下のこの変態が、私までこんな残酷な運命に巻き込んだのです!」

 少女は叫んでいるが、縄を解いて逃げることはできないようだ。


 というか、俺からはもう逃げられないらしい。

 少女の太ももには小さな服属紋が現れている。そして俺の腹にも俗紋が増えていた。


 さっきの一件のせいで、この森の妖精族のリィルは俺への服属という形で眷属になってしまったということだ。


 「そもそもの事の発端は、カムカム様が3年前にお忍びで森の妖精族のカサット村に行ったことです。

 そこで村の長となったばかりのミ・マーナを口説き落として婚姻の約束をされた。ですが、それっきりで、貴方は村に行くのを忘れていたということですね?」

 バルドンがじろりとカムカムを睨んだ。


 「いや、忘れていたわけではないぞ、ほら、戦後処理とかで多忙だっただろ? バルドン」

 「まあ、確かに多忙な時期ではありましたが。ですが、それは約束を信じて待っている方には関係ないことです」

 「うぐっ……」


 「森の妖精は20歳までに婚姻するのが習わし……。ですが、ミ・マーナはまもなく21歳になる。

 婚姻出来なければ、約束も守れぬ者として村長ではいられなくなる。その期限、彼女の誕生日まであと一カ月。

 こんな時期になっても何の音沙汰もない貴方に裏切られたと思って、妹が貴方を殺しにきたわけですね。

 婚約者が死んだ、という不慮の事態なら20歳を過ぎても面目が保たれる、というわけです」


 「ふむ、すまなかった」


 「すまなかったどころじゃないですよ! どうしてくれるんです? こんな奴の眷属ですよ。こんな変態ですよ。これが私のご主人様だなんて、うわああーー、信じられないのです!」

 そう言った後、キッと鋭く俺をにらむ。


 「とにかく、婚姻の約束は神聖なものですから誓いを破るのはいけません。

 カムカム様、約束を果たしに今から出発しましょう。ミ・マーナの住むカサット村ならここから二週間もあれば到着できるでしょう。

 彼女の誕生日には間に合いますので、村に結婚準備を進めるように使い魔を飛ばしましょう」

 バルドンが手を打って外に控えていた騎士を呼んだ。


 「わかった。……それで良いだろうか? 私に関してはそれで許せるか? リィルよ」

 リィルは何か考えていたが、しぶしぶうなずいた。


 「お姉さまが幸せになるなら、文句はないのです」


 「ところで、ミ・マーナも少しは成長したかね? 胸とか。あの頃は、今のリィルに似てぺったんこだったが。大きくなったかな?」


 「失礼ですね。これでも私は今年で16歳ですから。妖精族としては一人前の大人の体ですよ。森の妖精族は魔族の基準からしたら子どもみたいな体型に見えるかもしれませんが、もう立派な大人なのです。儀式によって森の乙女や貴婦人にでも昇格しない限り、この姿で成人なのです」

 リィルがぷんすかと怒った。


 そうか、森の妖精族は生涯の大半を少年少女のような姿で過ごす一族で、東の大陸のナーナリアのような人族に近い妖精族とは異なるのかもしれない。


 「それで、カッインはどうする気だね?」

 カムカムが俺の方を見た。


 どうするというのはリィルの扱いだろう。服属紋だから婚姻紋や妾の俗紋とは違うタイプだが、眷属化してしまったのだ。眷属は常に身の回りに侍る宿命である。そういう意味では肉体の交わりはなくても非常に身近な存在といえる。


 「こうなった以上、責任はとります。リィルには不本意かもしれないが、どこかで服属紋を解呪できるまで一緒に行動してもらいますよ」

 リィルは胸を押さえて疑いの目で俺を見た。


 「どうせ、強引にベッドに引きずり込んで妾にする気ですよ。私のような可愛い妖精に手を出さない男なんているわけがないのです。だけど、もしそんな事態になったら、必ず復讐してやりますから、覚悟しておいてください」


 俺は肩をすくめた。まったく信頼が無い。もっとも信頼されるような振る舞いを何一つしていないのも事実だが。


 「では、そう言うことで」

 リィルがいつまでも俺をにらんでいるので、バルドンがまとめた。


 「服属紋が有効だから今のところリィルは貴方を殺せない。リィルの縄を解いてやれ」

 バルドンが命じると兵士がその縄を外す。

 リィルは縄の跡が残る手首をさすっている。


 「思いがけず、カサット村に行かねばならなくなった。この村で見た美少女が気がかりだが、今は時間が無い。我々はすぐにテントを畳んで出発することにするよ。村に戻ったらマラッサによろしく言っておいてくれ」

 カムカムがイスから立ち上がった。


 「わかりました」


 「君とはまだどこかで会えるだろう。その時は我が娘を紹介しよう。これでも娘は国一番の美女だぞ。お前とは何かと縁がありそうな気がするからな」


 どうやら、カムカム伯は俺を特別視しているようだ。母のことで盛大に勘違いしているからだろうが、何か気まずい。それにその娘とは既に結ばれているのだ。


 カムカムは俺をじっと見ている。

 俺は腹を隠すように手を組む。

 まだ、この腹のセシリーナの婚姻紋を見せる訳にはいかない。


 「セ家の血を引く我が娘とチサトの息子か、何か不思議な運命を感じるな」


 「何か言いましたか?」

 「いや」

 カムカムがつぶやいたような気がしたが、気のせいだったか。


 「村までは兵士に騎馬で送らせるから心配するな。それでは」

 そう言うとカムカムは先にテントを出る。


 俺とリィルが帳を出ると、馬が待っていた。こうしてリィルを眷属にしてカムカム暗殺未遂事件は幕を閉じたのだった。




 ◇◆◇


 「ぎゃあああーーーーーー!」

 帝都の地下牢に男の断末魔の声が響いた。


 やがて訪れた静寂を破って、ガチャリと錆びた金属音が響き、黒い鉄の扉が開いた。


 「ナダ様、どうぞお手をお拭きください」

 門番の兵が布切れを手渡すと、魔王一天衆の一人、美天ナダは血まみれの手をぬぐった。


 「アレの死体処理はお前たちに任せる。残りのバカ共は集めているな?」

 独房の床に頭を吹き飛ばされた男が死んでいる。これが闇術師の頂点に立っていた恐ろしい闇術師長の最後とは思えない。美天には闇術による抵抗も無駄だったのだろう。


 「はっ! 既に隔離室に集めております」

 震える声で答えた兵が美天ナダの後を付いてくる。


 普段は美しい女性と見間違うような顔立ちの美天が激しい怒りを露わにしている。兵たちが初めて見る激高した様子に空気がピリピリと震えている。

 

 「愚か者共め!」 

 美天ナダはギリッと歯を噛んだ。


 魔王国の闇術師たちは美天の配下である。たった今処刑したのは、その組織の長たる男である。


 原因は囚人都市での失態とそれを隠蔽していたことだ。

 闇術師たちは、己の保身のため旧王国の王女リサが行方不明だということを先日まで全く報告していなかったのだ。


 「貴天オズル様の関心が失せていたのは幸いだったが、そうでなければ首が飛んでいたのはこっちだったのだぞ!」


 最近の研究で ”古き世界を滅ぼせし者” を復活するための儀式にリサ王女のような特殊な生贄が必ずしも必要ではないと分かったのは幸いだった。

 そうでなければ生贄を逃がした罪でどんな事になっていたか。


 魔王国において各種反乱に目を光らせている美天である。北方での貴族の反乱がようやく終息に向かいつつあるというのに、囚人都市での騒動を切っ掛けに、このところ南郡に不穏な空気が流れ始めている。

 北方へはあと一押しである。美天が軍を率いて姿を見せるだけで辺境地域の領主は恐れをなし、逃げ込んできた反乱貴族の首を差し出すに違いない。

 政治的駆け引きの繊細な時期だからこそ、今南郡が乱れるのは不味い。例え美天であっても北方の反乱平定と南郡の鎮静化を同時に行うことは困難なのだ。


 一番憂うべきは、南郡の旧王国の生き残りが国の再興を掲げて立ち上がることである。もしそんな事態になれば、帝国は北方貴族の反乱とは比較にならないほどのダメージを受けるだろう。


 生贄としての価値は減少したものの、リサ王女は旧王国の王族の唯一の生き残りである。そんな彼女がレジスタンスの旗印になる事だけは未然に防がねばならない。


 そのために囚人都市という絶対の監獄の中で闇術師たちに監視させていたのである。それが、ここに来て、一番重要なタイミングでこの大失態である。


 しかもリサ王女に付けていた問題の暗黒術師の三姉妹まで消えたという。彼女らまで帝国に反旗をひるがえしたとなれば極めて重大な事態だが、幸いにも三姉妹を拘束していた神級の封印が作動したことが感知されている。


 おそらく三姉妹は死んだのであろう。神級拘束として姉妹を縛っていた双蛇神が目覚めればその神罰から逃れる事など絶対に不可能だ。双蛇神を再度封印したり、滅したりする方法を知る者など今やこの世界には存在しないのだ。


 今頃は双蛇神は姉妹の肉体を依り代とし、深き闇に潜んで再び世界を混乱に落とす準備をしているのだろう。それもまた貴天オズル様の世界変革計画の一部なのだとも知らずに。


 三姉妹が死んだとなれば、彼女らが守護していた ”古き世界を滅ぼせし者” がこの世に現出して暴れ狂ってもおかしくはないのだが、そうはなっていない。

 おそらくは、守護者が死亡しても異空間にいる限り暴走しないのだろう。そしてまた、その異空間にアクセスできない以上、それは封印されていると同じことである。


 伝承によれば、”古き世界を滅ぼせし者” は全部で五柱である。三姉妹の他には彼女たちの母親が一柱を守護しているが、現状では外交問題になるのでこれには手を出せない。


 貴天オズル様が手に入れようと画策している残り二柱だが、実際に解き放つのは一柱だけで十分だ。

 誰にも使いこなせなくても良い、この世界に呼び出すことができれば、それだけでこの世界を滅ぼし、変えることが可能なのである。


 「お待ちしておりました。美天様」


 監視室に入ると、待っていた白髪の兵が慇懃に頭を下げた。囚人を痛ぶるのが好きという男だが、それだけに任務には忠実だ。

 ガラス窓の向こう側には円形ホールがあり、その中央に十数人の黒いローブの闇術師が手足を拘束されたまま集められていた。


 「聞こえるか?」

 美天の声がホールの真上から降り注いだ。

 闇術師たちは地面にひれ伏した。


 「お前たちの長たる男はたった今処刑した。次の長はお前だったな?」

 美天は最前列で頭を地面につけている男を睨んだ。男はその気配に気づいたのか恐怖に歪んだ顔を上げた。


 「死にたくなければ、よく聞け! 南郡及び囚人都市で反政府組織の勢力が増大しつつあるようだ。奴らを旧王国の忘れ形見であるリサ王女と接触させるな、リサ王女の生死を確かめ、生きておればここへ連れ帰るのだ!」


 震える闇術師たちの前方の壁に映像が浮かぶ。囚人都市の神殿の庭で遊ぶリサ王女の姿だ。


 「これが行方不明になる半年前の映像だ。この顔を覚えろ! ただし、精神逆行の呪いで、生きていたとしてもリサ王女の精神年齢は今やせいぜい2歳児程度だろう、その点を考慮し、リサ王女を捜索せよ! よいな、これは最後のチャンスだ、失敗すればお前たちの首に仕込んだ魔具が爆発し、お前たちの頭を吹き飛ばすぞ!」


 闇術師たちの手足の拘束具が外れ、彼らは一斉に口を動かしてうなずいたが、その声は監視室には聞こえない。


 「行けっ! リサ王女を探し出せ!」

 美天ナダの声とともに闇術師たちは開かれた扉から飛び出して行った。




―――――――――――――――――


お読み下さり、ありがとうございます!


『帝都ダ・アウロゼの何でも屋騒動記―― 恋する魔女は魔法嫌い』の第7章 『美しい魔女は狙われます ――街道で怪盗――』の話が、カムカムとリィルの前日談になっていますので、よろしかったらこちらもお読みくださいませ。

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