第105話 狙われたカムカム

 早朝、俺は見慣れぬテントの中で目が覚めた。


 うーー、頭に心臓があるみたいだ。二日酔いって奴だ。頭痛がする……。このままでは起きられそうもない。


 俺は持ち歩いている非常用の薬草を口に含んで噛みしめた。これは二日酔いに効く薬草で苦みが強いが即効性がある。

 

 「それにしてもここはどこだ?」

 しばらくして目が周囲に慣れてくると、色々と思い出した。どうやらカムカム伯の野営地にあるテントらしい。


 「み、水はあるだろうか」

 俺はもぞもぞと起き上がる。凄く喉が渇く。全身倦怠感が凄い。頭痛は薬草が効いてきたのか次第に収まってきた。


 昨日はカムカムと共に酒を飲んでしまったらしいが、何を話したか全然覚えていない。


 カムカムの武勇伝を延々と聞かされていたような気がする。俺も調子に乗って何かやばい話をしなかったか不安になるが、今さらだ。捕縛されたり、檻に閉じ込められていないところを見ると、大丈夫だったのだと思うしかない。


 帳を開けると外は少しもやっていた。


 すぐ近くに立っていた衛兵に水の場所を聞くと親切に教えてくれた。客だと思っているからか、人族に対する偏見を感じさせない態度には好感が持てる。


 彼らはよく訓練されており規律正しい高潔な騎士という雰囲気だ。囚人都市では帝国兵が威張り散らしていたが、やはりああいう連中だけが帝国兵ではないようだ。


 「ぷふぁ……」

 教えられたとおり馬車の近くにあった水樽で喉の渇きを癒す。これはうまい、生き返る。


 その直後、ぶるっ……ときた。地形的に谷風が吹き抜けるのか、急に寒さを感じてぶるぶると震えがきた。昨日飲み過ぎたせいなのか、尿意をもよおしてきたのだ。


 便所はどこにあるだろうか? 

 周りを見渡すがそれらしきものはない。

 衛兵に聞くか? 俺は衛兵までの距離と崖までの距離を目で測る。どっちが近いか?


 「うおおお、限界だ! もはや我慢できない。もれそうだ」

 俺は崖の方へ走った。


 壁のようにそそりたつ崖である。野営地の外れにあたる崖下の岩場の陰に走り込み、やにわにズボンを下げ、モノを引っ張りだした。非常にきわどいタイミングで放水開始だ。


 「はあーー」

 思わずオヤジくさい声が漏れる。

 止まらない、まったく止まる気配がない。溜まりに溜まっていたせいだ。地面から湯気が立ち上る。冷たい風がその湯気を散らす。


 ふと湯気の散り方が妙な具合に変化したと思った瞬間、背後に誰かが着地する気配を感じた。

 振り返った途端、殺気を放った鋭い目ときらめく銀色の刃が見えた。崖の上から縄を伝って侵入してきた奴が襲い掛かってきたのだ。


 「うわ!」

 足元が急に滑って、とっさに刃をかわした。長靴が滑らなかったら刺されていたに違いない。

 だが、そんな危機でも出ているものは止まらない! 襲いかかってきた者めがけ、噴き出す熱水がしぶきを上げた。


 「ぶばばば…………!」

 顔面にまともに俺の熱いほとばしりを受けて、小柄な少年のような奴が尻もちをついた。よほど慌てたのか、小便で滑る地面で手を滑らせたが、横に地面を転がって態勢を立て直すと、俺を無視して、ダッと中央のテントの方に駆けだした。


 「侵入者だぞ! 誰か!」

 俺はようやく出しきって、モノを振りながら叫んだ。


 「誰か! くせ者だぞ!」

 俺の声にテントか兵士が飛び出してきた。

 カムカムのテントにまっすぐ向かっていたそいつの行く手を阻むと、手にした短剣に気づいて剣を抜いた。


 そいつは物資テントの外柱に手をかけると身軽に兵士の頭上を飛び越えた。見事な反射神経だ。


 きらきら! としぶきが舞う。


 「うわっ、これ小便だ! くせえ!」と兵士が振り返って叫ぶ。


 「くせえ者だ! 捕まえろ!」

 「すばしっこい奴だぞ!」

 「テントに近づけさせるな!」


 そいつは駆け付けた兵たちをまるで馬鹿にしているかのようだ。軽やかに兵の攻撃から身をかわして突き進む。


 小柄なくせに見事な体術だが、やはり多勢に無勢だ。

 さらに兵士が集まってくると行動範囲が狭まってきた。


 俺は少し近づいて積まれている木箱の陰から様子を伺った。あの場に出て行くなどとてもできない。レベルが違うと言うべきだろう。俺など出る幕ではない。


 「ええい、ちょこまかと!」

 「そっちに回り込め!」


 そいつは走り回って兵を攪乱している。あれだけの人数を相手にかすり傷一つ負っていないのだ。


 「どうした? 騒がしいぞ」

 中央のテントの帳が開いてバルドンとカムカムが顔を出した。


 「カムカム様! 暗殺者です! 隠れていてください」

 「ここは我々にお任せを!」

 兵士が叫ぶ。


 そいつはフードを払った。

 子ども? 少年? いや少女かもしれない。口元を布で覆って顔を隠しているのではっきりしない。


 「この悪辣あくらつ非道な貴族カムカム! 私と勝負しろ!」

 そいつは短剣を逆手に持ちかえ、見つけた! とばかりに加速した。


 その態勢と身のこなし、間違いなく盗賊としての高等技術をもつのだろう。だが、カムカムとバルドンはそいつの突進を前に逃げもしない。二人の前に巨体の騎士が立ちふさがった。


 「お前は誰だ? 誰の命令で私を襲う?」

 カムカムが腕組みして言う。


 「カサット村の長にして我が姉の恨み、晴らさせてもらう!」

 そう言うとそいつはカムカムたちの目の前で突然横っ跳びに跳んだ。巨体の騎士が繰り出した大剣の薙ぎ払いは空振りに終わり、瞬間、三条の光がカムカムに向かって閃く。


 カンカンカン! と金属音がしてバルドンの長剣がそれを払い落した。身じろぎもしないで立つカムカムの足元に柳刃の投擲剣が突き立った。


 奴はなにかカムカムに恨みがあるということらしい、しかも我が姉と言っているところを見ると、女がらみのイザコザのようだ。カムカムらしいと言えばそれまでだろう。


 「カサット村? 森の妖精族の村だな。そんな所、カムカム様とは何の関係もないぞ」

 バルドンが叫ぶ。


 「えーー、そうですよね? カムカム様?」

 言ってから確認するところがカッコ悪い。


 「ふむ……まあ、そうだな」

 目をそらして顎の辺りを掻く。

 ああ、あれは誰が見ても、身に覚えがありそうな感じだ。


 「カムカムさま~~。また、何か悪い癖で、昔やらかしたとか、おっしゃらないですよね?」

 むしろバルドンの顔の方が怖い。


 「わかったぞ! お前、ミ・マーナの妹か! ええと、たしかリィル?」


 「やっぱり、わかってるじゃないですか!」

 リィルは後方に跳躍しながら叫んだ。


 「誰なんです? ミ・マーナとか? 私は聞いてませんよ」

 バルドンが怖い。


 リィルは兵士の攻撃を右に左にかわしているが次第に逃げ場が無くなってきている。やはり技術が卓越していても体力では敵わないのだ。少しずつ、その衣服に剣先が当たるようになってきた。それでも逃亡しないのは、何としてもカムカムを殺す! という執念だろうか。


 「あっ!」

 上着が切れてリィルの白い肌が見えた。

 ここぞ、と兵士たちが一斉にリィルに迫る。相手は暗殺者だ、それが少女だからといって彼らは容赦しないだろう。


 「はっ! ……あ!」

 リィルは後転して跳んだ。兵士の剣先はぎりぎりのところで土色のズボンの留め具に当たった。

 その瞬間、剣で破壊された止め具が砕け散った。


 リィルが着地した時には上着だけになり、脱げたズボンがひらひらと兵士の前に落ちた。まるで短いワンピース姿だ。


 その向こうではカムカムがバルドンにやり込められている。


 一体、どういう話になっているのか?

 俺は隠れている木箱を押しながらじりじりと前に進んだ。


 「そんな約束を! だから、怒って貴方を殺しにきてるんじゃないですか!」

 バルドンが青筋を立てている。


 カムカムはなんだか身を縮めている。

 もう少しよく聞こえるように近づこうとして俺は木箱を押した。その時、ガッと小石にあたった。

 木箱が反動で揺れ、勢いよく崩れ落ちる。

 

 「!」

 騎士の剣を避け、後方に回転して着地したばかりのリィルの頭上に木箱が!


 「あ!」

 同時に俺の頭上にも崩れた木箱が落ちてきた。


 リィルは危険を察して軽やかに木箱をかわして跳ねた、そこに俺が足をもつれさせて転んだのが同時だった。

 「ひええええ……!」

 リィルの悲鳴が上がった。

 うーーむ、なんという偶然。着地した瞬間のリィルを押し倒した。しかもめくれたリィルの服の下に手が滑り込んだ……。


 俺はとっさに地面に手をつこうとしただけなのだが、リィルの服の中に両手を突っ込んで、そのまま、わずかに膨らむかわいい胸を鷲掴みにして揉み上げている。

 しかも、俺の閉め忘れたズボンの前閉じから大きなアレがひょっこり顔を出して彼女の股間を一突き!


 「……」

 「……」 

 見つめあう二人。

 俺の下敷きになって、かあっとリィルの顔が真っ赤になっていく。口元の布が外れており、その素顔はかわいい少女と言って良い。


 「こ、このっ、変態! 死んでしまうのです!」

 リィルは短剣の切っ先の方向を変え、俺の背に突きたてようと……。


 「うわ!」

 ビビった俺の指が反射的に動く。思わず何か突起物を摘まんでしまった。

 「あ!」

 リィルは思わずビクンと痙攣して一瞬短剣が止まったが、指を離すとまだ刺そうとしてくる。

 「やめろ!」

 俺は闇雲に指を動かした。必死なので何も考えている余裕はないのだが、俺は房中術のマスター級なのである。


 「あ! は、あ! くっぅ!」

 少女はついに身悶えして短剣を落した。

 ほっと安心したが、リィルは攻め続けられたせいで赤い顔をしてすっかり放心状態だ。


 ということはまずいぞ。もしかして……。

 俺はへそ下を確認しようと身を起こした。この状態のせいで何か紋が生じた気がする。


 「お客人、大丈夫か……」

 駆けよった兵士たちが思わず青ざめる光景だ。

 男が少女を抑え込んだまま、さらにズボンまで下げようとしている。


 「ひ、ひどい」

 「いくら敵とはいえ、あんな少女に、うわあーーーー悪魔だ」

 

 「違う、誤解だ!」

 俺は救いを求めるべくバルドンを見たが、蛇蝎だかつを見るような目になっている。


 こうして、ボロ長靴男の変態伝説がまたひとつ生まれた。

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