第104話 カムカムとカイン

 玄関先にバルドンの姿があった。

 マラッサが「この男なのですかな?」などと言うのが聞こえてくる。


 「さあ、カッインさん、一緒に参りましょうか」

 外に出ると、でかい凶悪そうな面構えの魔馬がいた。


 大きな血走った目で俺をガン見して鼻息が荒い。ガッ、ガッと地面を蹴る足が、俺を蹴りたがっているのか? と思ってしまう。


 「どうどう、バロキャリ。どうした?」

 バルドンが興奮気味の馬の頭を撫でる。


 「どうかしたのか? バルドン」

 「不思議です。あの男を見たら、いつも冷静なバロキャリが何かに反応しました。こんな反応は初めてです」

 バルドンとマラッサが同時に俺を見た。


 「こっちに来てください」とバルドンが手招きする。

 俺はその凶悪そうな魔馬におそるおそる近づいた。馬は俺の匂いを嗅ぐと途端に大人しくなった。


 「ほう、こいつ。あなたを乗せても大丈夫そうだ。珍しい」

 バルドンは感心した。


 「馬をもう一頭借りる必要はなさそうだ。じゃあ、行くよ。またな、マラッサ」


 「ああ、次の狩りの際も、また村にまわってくれ。この次こそ飲めると良いな。たっぷり葡萄酒を準備しておくからな」


 「次の機会を楽しみにしておくよ。さあカッインさん乗ってくれたまえ」 

 俺は差し出されたバルドンの手に掴まって引き上げられ、彼の後ろにのせられた。


 真っ暗な道だが、この魔馬には関係ないらしい。昼間のように普通に歩いて行く。


 「この馬は、ボロロン家で生まれた馬でね。元はクリスティリーナ様の愛馬だったのですよ。人見知りで、ボロロン家に縁のある者以外の人を乗せるのを嫌がるんですが、今日は珍しい」

 そう言ってさりげなく俺の様子を伺う。


 どきっとするが、そうかこの馬、俺の婚約紋に気づいたな?


 それで驚いて、それでも主人が夫にした男だから乗せてくれたのだろう。クリスティリーナの懐かしい匂いに気づいた、という線はないか、あれだけ臭い肥ダメに落ちて、水場で洗った後だからな。


 「それで、どこに行くんです?」

 なんだか次第に家並みが少なくなってくる。さびしい田舎道だ。

 馬はさらに暗い畑道を進んでいく。やはり、こんな所にむふふ……な店があるはずがない。


 「もう村は出ましたよ。もうまもなく行くと谷です。そこが目的地です。おっと、帰るなんて言わないでくださいよ。ここから一人で帰るのはかなり危険です」


 言われて周りを見ると、闇の中に赤い目が幾つも光っている。その目は俺たちの馬の歩調に合わせて、後をつけてくるようだ。


 「気づきましたか? あれは魔獣の目です。獲物を求めて夜に徘徊する奴らですが心配は無用です。このバロキャリを襲うほどの魔獣はいませんよ。ほら、あそこに灯りが見えた。あの谷が我々の野営地です」


 「我々とは?」

 「カムカム伯の野営地ですよ」


 「な、なにゆえ、そのような場所に俺を?」

 いきなり本拠地に連れ去られてきた。どうしよう? 俺は焦ってきた。


 「あなたには、カムカム伯に会ってもらいますよ」


 ちょっと動向を聞き出す程度に考えていたのに、こいつら俺の正体に気づいて捕縛する気だろうか? 


 だが、馬を飛び降りて魔獣がうろつく荒野を逃げる勇気など全くない。


 もはや、このまま観念して連れて行かれるしかない。そもそも俺を捕まえる気ならこんな風にカムカムに会わせる必要もないはずだ。


 俺は馬に揺られ続ける。

 野営地の周囲には結界の術がかけられ、門番が二人立っていたが、バルドンの顔を見るなり結界の一部を開いた。


 「カムカム伯は、寝室のテントにおられるか?」

 「はい、今日もお一人であります。その男はなんです?」

 兵士は怪訝な顔で俺を見る。


 「ふふふ……客だよ、客。おっと、こいつは男だぞ。カムカム様の夜伽のために連れてきた女じゃないぞ」


 「はっ。夜伽に女を連れてきたか、いつものように夜這いに来た女を捕らえたのかと思いました。失礼を」

 女が夜這いに来るのはいつもの事なのか……。


 大きな白いテントが野営地の中央にあった。周りには警備兵のテントが並んでいる。


 「カムカム伯、バルドンです、入りますよ」

 バルドンは俺を誘導しながら帳を開けた。続けて俺も入ると、目の前に美少女がいた。


 裸が透けて見えそうな衣装の少女が、ほとんど全裸のイケメン中年の膝の上に座っている。少女体型だが振り返った顔つきは妙に大人びている。


 「おう、バルドン。なんだ? そのみすぼらしい人族の男は?」

 少女といちゃついていたイケメン中年が俺たちに気づいた。


 このイケメン中年がセシリーナの親父だ。美形の遺伝子というやつか、どことなく雰囲気がセシリーナに似ているのは当たり前だろう。筋肉質の体は強靭そうで、見ただけで騎士としても超一流の人物だとわかる。


 俺にとっては、このイケメンが義父ということになる。大陸一の美花と称賛されている娘のセシリーナが、劣等種族とされる人族、しかも女顔と言われる俺のような男の妻になっていることがバレたら一体どうなることか。


 初めてサティナと会った朝、ドメナス王の前に引き立てられた時と同じような恐ろしさだ。逃げ出したい、胃が痛くなってくる。


 「カムカム様、またその精霊とじゃれ合って。精霊との間に子は簡単にはできませんよ」


 「ふむ、簡単でないからこそ楽しいのだ。ここには他に女もいないしな。早くあの娘に会いたいものだな」


 「それよりも、もっと大事な話があります。フィネには宝玉に戻っていただきますよう」


 「仕方がないな。フィネ、宝玉に戻れ」

 フィネと呼ばれた美少女はせっかく愉しんでいたのにと頬を膨らませて拗ねたが、一瞬全身が光ったかと思うと姿が見えなくなった。


 あれが精霊だったのか? 

 人型をしていて、うちのたまりんたちとはだいぶ違うようだ。


 「カッインさんはここに座ってください」

 バルドンは移動式暖炉の前にイスを準備する。


 「おいバルドンこいつは誰だ? 俺とフィネの楽しい時間を邪魔するだけの価値がある話なんだろうな」

 カムカム伯は水差しから水を飲み、服を着ながら聞いた。


 「はい、ちょっと気がかりな事がありまして、村から連れてきた者です」


 「気がかりだと?」

 カムカム伯は改めてイスに腰をかける。木製の折りたたみ型だが丁寧に造られており背もたれの枠には木に蔦が絡まる彫刻が施されている。


 「こいつに何があるのだ?」

 カムカム伯は少し身を乗り出して俺を検分するが、その目には敵意も特別な興味も感じられない。


 「こちらは、カッイン・パオンと申す者で、人族の旅商人だそうです」


 「ふん、その旅商人が何か珍しい物でも売り込みにきたのか?」


 「そうですね、ずっと探し求めていた珍しい掘り出し物なのかもしれませんね。さあカッインさん、カムカム伯への御挨拶を許します。御身の前に」

 バルドンは俺の肩を叩いた。


 挨拶って、あれか。貴族への庶民の礼だ。


 あれにはボロロン家の作法が混じっているってバルドンが言ってたよな。その本家本元の当主の前で披露するのは何かまずいんじゃないか。でも、作法は教養の範囲だとも言っていたような?


 わからないが、さっきと違う作法をしたらもっと変に思われるだろう。


 「カムカム伯の尊顔に拝し光栄に存じます。カッインと申します」と俺は立ちあがって貴族に対する庶民の礼をする。


 「ん?」

 カムカム伯がちょっと驚いた顔をした。


 「お前、カッインと言ったか? 人族だな、魔族の血は混じっていないのか?」

 「は、はあ。生粋の人族ですが?」


 「どこで、その作法を習ったのだ?」

 「え、えっと、母から教えられました」


 「どうです? カムカム様。純粋な人族でありながら、ボロロン家の作法を知る旅商人であります。しかもその作法は特別な女性にしか伝授されないはず」


 「カッイン・パオン、君の母の名はなんという?」

 お、いきなりだ。母親の設定はまだ考えていなかった。


 もたもたしていると怪しがられるのでとっさに自分の親の名前を適当にもじった。俺の母は、チサティ・マオナ・ア・アベルティアだから。


 「母はチサトゥ・パオンと言いますが」

 一瞬、カムカム伯の目がさらにきつくなった。


 「やはりなんとなく似ていますね、名前を変えているのではないでしょうか?」とバルドンがカムカム伯の脇でつぶやいた。


 口からでまかせの名前だったのに、誰に似ているというのだろうか。俺を見るカムカムの目が、増々厳しくなったように思える。


 「母親は、今どこに住んでおられるのかな? まさか、まさかこの村にいるのではあるまいな?」

 カムカムが少し身を乗り出した。


 「母は……今は、とても遠い所におります」と俺は遠くを見る目をした。


 もちろん演技である。バルドンが妙な誤解をしているので、それをそのまま利用する。


 「そうだったか」

 カムカム伯は気が抜けたような顔をして腰を落とした。


 「残念であります。ようやく彼女の手掛かりが得られたと思いましたが」


 「誰の話です?」

 俺はバルドンに尋ねた。


 バルドンはカムカム伯の顔を見て、その表情から話しても良いと判断したのだろう。


 「もしかして、君の母親の本当の名前はチサト・マオと言うのではないでしょうか?」


 なぜだか、俺の母に似ている名前が出た! 嘘から出た誠と言う訳でもあるまいに。


 「チサト様はカムカム様の初恋の相手なのです」

 そう言ってバルドンは机を指先で2回叩く。兵士がカップを持って現れ、机に置いた。


 「彼女は偽名でチサトゥ・パオンと名乗っていたのでしょう。純粋な人族で旅商人の娘、踊り子で美しい人でした。

 カムカム伯が騎士になりたての頃、チサトと恋に落ちたのですが、訳あってチサト様は行方をくらましました。今から20年以上も前の事ですが、あれ以来、カムカム様はずっと初恋相手のチサト様を探してこられたのです」


 むむむ、俺も母の若いころの話は良く知らない。だが、親父ののろけ話で、旅商人の一行とともに街を訪れた美しい踊り子だったと聞いたことがある。


 だが、それは東の大陸での話だ。そんな偶然もあるんだなと俺は感心する。


 「そうか、チサトはもういないのか。いくら探しても見つからぬはずだな。結局、私と彼女は結ばれぬ運命だったのだ。占い婆の予言を信じていたが予言は外れたというわけだ」

 カムカム伯は寂しそうに言った。


 「予言?」

 「カムカム伯とチサト様の血筋から英雄が生まれる、という予言を申した婆がいたのです。若いカムカム様はそれを信じて、いずれ再会して彼女を妻にできると思っておられまして、西に美女ありと聞けば飛んでいき、東に美少女ありと聞けば飛んでいき」


 それはただ単に女好きなだけだからでは? と言いかけて口を閉ざす。口は災いの元だ。余計な事は言わない方が良い。


 「どうぞ」

 バルトンが俺に温かい飲み物を渡した。


 でも、なぜかどこかで聞いたような話も混じっている。予言の婆が言ったというところが引っかかる。


 ナーナリアと一緒に占ってもらったあの婆さん、まさか何十年も前から既に婆さんだったのだろうか?

 だがここは中央大陸、あの枯れ木のような老婆が海を渡って東の大陸まで来るだろうか。


 「それでもだ。こうして彼女の息子に会う事が出来た。これも何かの縁だろうな」

 カムカム伯は、テーブルの上の酒を椀に注いだ。


 「君も飲め、さあバルドン、お前もつきあえ」

 「いや、俺は酒が飲めないんです」と断る俺の前でぐいっと椀を空にする。


 「カムカム様、それは強い酒ですからそんな風に飲むとお身体に触りますぞ」

 「いいから、飲むぞ。お前もだ」

 そう言ってバルドンに酒を注ぐ。


 俺は先に渡された熱い飲みものをちびちびと飲んで、酒を注がれないようにする。


 「カッイン様、今日は泊まっていってください。寝床は兵に準備させてありますからご心配なく」

 「ありがとうございます」

 しかし、妙な展開になった。アリスの身を案じて探るつもりが、全然聞き出せていないし。ぐび、と最後に残った飲み物を喉に流し込んだ瞬間、喉が焼ける。


 「!」

 カムカムがにやにや笑っていた。

 いつの間に酒を入れたんだ。

 一口で俺の目がぐるぐるまわる。世界が回るぞ!




 ーーーーーーーーー


 「ははは……カムカムのおっさんもモノ好きだなー! そんな女にまで手を出したのかよ。俺には無理だな」

 俺はカムカムの肩に腕を回していた。


 「ういっ、カッイン殿、それは失礼な言い方」

 テーブルにうつ伏していたバルドンが顔を上げた。


 「はははは……、よい、よい、それで、その村の海蛇族の女がまた良いわけだ。冷んやりした抱き心地がなんともな。それが28番目の妻との出会いだ。ははは……」


 「ははは……そんなに妻がいて、まだまだ増やす気ですか、男だなー。あんた」

 俺はもう誰と何を話しているか訳が分からなくなっている。


 「もちろんだ、この村のあの娘もな。明日には会いに行こうと思っておる。もちろん強制はせぬぞ、貴族の矜持きょうじがあるからな、俺の魅力でなびかせるのだ」

 カムカムは上着を脱いでムキムキの筋肉を誇示する。


 「あの娘はだめですよ。あの娘は……。ひっく。あの娘は俺のものですからね。あんたみたいなオジサンには渡せませんよ」

 俺は酔った勢いでさらにカムカムに絡む。


 「なんだと、あの娘と言うのはな。あー。私が言っているのはな。あー。市で見かけた美しい女のことだぞ。あれほどの美女を見るのは久しぶり、あれは世界の至宝となりうる宝石、まさにその原石だ。うん。それが村長の家にいることまでわかったのだがな。その娘をお前が、知っているわけがなかろう」


 「いやいや。でも、そんなに女好きなのに、それでも、今までたった一人の女性を追い求めていたって。いやいや、そこだけは純な話ですねえ。ういっ」


 うぷっと口元を押さえるが、崩壊……ゲロゲロとカムカムの後ろに吐く。幸いバルトンは既に寝落ちしている。


 「いやいや、彼女は単に美しいから妻にしたかっただけではないぞ。彼女の血統が我が一族には必要なのだ。あれは特殊な人族の女性でな。

 一つの根から魔族と人族が二つに分かれたばかりの古き血脈をもつ人族最後の生き残り。我が一族はかつて王命により、その一族の国を滅ぼし、その呪いで代を重ねる毎に子が減っている。

 その呪いを解くためには別れた人族と一つになることが必要と言われたのだ。

 結局、その願いは叶わなかったが、彼女も血筋を残していた……。そうだな、まだ希望はあると言うことだ。お前を見ていると、久しぶりに……。おい、聞いてるか。カッイン」

 ほとんど独り言だったと気づいたらしい、俺の肩を揺するような気配がした。


 「ぐわー」

 俺は机にうつ伏せ、……爆睡である。


 「ひっく。いや、今からでも一族の者がお前と結ばれれば、もしかすると呪いは……。だが、あれは身が固い。到底無理というものか。ぐおーーーー」

 カムカムもまたイビキをかき始めた。

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