第120話 ケッパ村の後始末/オミュズイの街
俺たちは広場の聖なる木の前にいた。村人は全員集まって俺やアリスの前に座り込んでうなだれている。
蛇身の呪いが解けたせいで、自分たちがやってきたことに対する罪の意識にとらわれているらしい。元々呪いの影響を受けていないガーランドとガーマインだけは特に変わった様子はない。
あの後、蛇の巣穴の至る所から熱泉が溢れだして、祭壇のあったホールはあっという間に水没してしまった。
熱釜と呼ばれる地下水位の調整をする重要な場所の天井になぜか穴が開いて、そこから蒸気と熱湯が溢れだしたのが原因らしく、地下水脈の流れが変わってしまったのだ。
熱釜までは何とか入れるらしいが、それより地下にはもはや入ることはできない。
そのせいで蛇穴の奥底に金目の物を大量に隠し、村の実力者として羽振りを効かせていた神官とその取り巻きはほとんど無一文になってしまった。
「まあ、これでみんな普通の魔族に戻ったってことだし、誰かを種族維持のために蛇身に変えなくても良くなったということだよな?」
俺は隣のアリスに耳打ちした。
「ええ、そうですね」
「まったく、迷惑な話です。私まで蛇に変えようとしていたなんて、ぞっとします」
リィルが俺を見上げる。
「蛇にならなくて良かった。リサはカインと結婚するんだもーーん」とリサがオリナの影から顔を出した。
俺がかなり頑張って二人を守って戦ったことをアリスが英雄伝のような物語風にして聞かせたらしい。リィルの中で俺の株はだいぶ上がったようだ。
良かった良かったと温かい目で見守る。
「その目はなんです? なんだか誤解しているようですが、カインのことは超変態から普通に変態といった程度しか変わっていませんよ。気を許した訳ではありませんからね」
リィルは相変わらず辛辣だが、いつものリィルだ。
今回のような狭くて暗い蛇穴のような場所なら、本来はシーフで小柄なリィルの活躍の場だったろうに、ずっと眠らされていて、しかも自分が救助の対象だったことが面白くないのかもしれない。
「アリス様、我々はこの後、どうすれば良いのでしょうか?」
蛇身の時に俺たちを襲った男だ。
村人の目がアリスに集まる。
蛇人族は蛇を崇める人々にとっては伝説の一族だったらしい。しかもその中でも巫女姫という存在はさらに特別らしく、あれ以来村人がアリスを見る目が変わった。
「なあ、巫女姫ってそんなに偉いのか?」
今度はオリナにそっと耳打ちする。
「蛇人族の国の王家の姫だけに与えられる称号だそうよ。メラドーザの三姉妹のメラドーザって本当に王家の名だったのね」
「というと?」
「リサと同じ。小国ながら彼女たちも本物の王女様だったということよ」
オリナがリサの両肩を抱いた。
「ということは?」
聞いては見たが、その答えは察しが付く。彼女の呆れかえった表情を見ただけでわかる。
「蛇人族の国の王は必ずしも世襲制じゃないらしいけど、もしも彼女らの誰かが王位を継げば、貴方が蛇人国の王になってしまう可能性もあるってこと」
「蛇人族の国の王に? うそだろ?」
「これも女運急上昇の呪いの効果なんじゃない? ドメナス王国のお姫様とリサ王女、それに三姉妹。もしかしたら3つの国の王様をかけ持ち? 歴史上、2国で二股をかけて王様になった人物もいないのよ。当たり前だけど」
「ぎええええ、それは恐ろしい気がする」
「だから呆れてるんじゃない!」
ーーーーーーーーーー
聖なる木の前に立つアリスが地べたに座り込んでいる村人の目を集めている。今や村人の表情は祈りにも近い。
セシリーナがオリナに化けている今、アリスの美人ぶりは超絶している。それが自分たちの信仰してきた蛇人国の巫女姫だと知ったのだ。アリスを崇めるのも無理はないだろう。
「アリス様! 我々に生きる道をお示しください」
「アリス様!」
アリスはふうとため息をついて、ちらりと俺を見た。
俺はうなずいた。
たぶん、俺の守護者という立場の自分が、巫女姫として人々の前に立ってもよろしいでしょうか? という意味だろう。
アリスが言葉をかけないと、もはや村人は立ち上がる気も起きないようだ。
「わかりました……」
と言ってアリスが目を閉じると、村人が次の言葉を聞き逃すまいと一斉に息を飲む。
アリスは目を開いた。
「皆さんを縛っていたあの祭壇は邪悪な魂とともに消えました……。今後は心を入れ替え、この聖なる木をよりどころにして生きるのです。聖なる木の御利益は無くなったわけではないのでしょう?」
「おお、そうですな! さすがは巫女姫、聖なる木は健在ということをお認めくださるのですな!」
神官のキジルバットが真っ先に叫ぶと表情を明るくさせた。そう簡単には村を仕切っていた癖は抜けないようだ。
「認めるも何もないのですけどね。でも、いいでしょう。認めます。ですから、今後は人に危害を加えるような風習は無くしなさい。この木を純粋に子孫繁栄の証として祀ればいいでしょう」
「ははっ!」
村人が一斉に頭を下げた。
アリスは聖なる木に片手を振れ、それを見上げた。
双頭の蛇の姿。
見覚えのある双蛇の神である。けれども、その存在はここには感じられない。これは多くの村にある小祠の拡大版にすぎない。
「これで良いでしょうか? カイン様?」
アリスは微笑む。
「アリスが大丈夫だと言うなら、大丈夫なんだろう? 良いんじゃないか」
急に話を振られて俺はただうなずくしかない。
その会話を耳にした村人たちがじろっと俺を見た。
「俺たちはアリス様にお聞きしたのだ。なぜ、お前が答える?」みたいなトゲトゲしい視線が妙に痛い。
◇◆◇
旧ネメ国王都オミュズイの街。
その大都市は、旧王都である囚人都市の規模に匹敵する。
都市の中央に位置する旧六大神神殿は今はシズル大原方面における帝国軍の最大の基地になっていた。
「流石に大きい街だ。ここなら何か情報が掴めるかもしれないな」
サンドラットは肉を挟んだパンをかじりながら開け放たれた窓の外を眺めていた。カインたちと別れてから大街道である大シズル中央回廊を順調に東に進んで、ついにこの大都市オミュズイに着いたのだった。
ここで、東の大陸に戻る手段、仇の行方、そして共に海を渡ってきた同士の生き残りに関する情報を集めるつもりなのだ。
窓の外には活気にあふれた街の風景が広がり、朝も早くから大通りは馬車と行き交う人々で混雑している。
店の前の石畳の道は、帝国軍基地と旧ネメ国軍演習地とを結ぶ軍用道路でもあるらしく、隊列を組んで移動する帝国兵の姿が多い。
三階建ての建物が多くてここからでは見えないが、その演習地には大きな競技場もあるらしい。
帝国兵の多いこんな場所に顔を出すのは危険に思えるかもしれないが、かえって逃亡者がこんな場所にいるとは思わないだろう。それに輸送部隊が基地に運ぶ荷物の種類や量から帝国軍の動向を探ることもできる。
朝飯を食いながら、行き交う帝国兵の装備や様子を観察しているだけでも、緊急の動きはないということもわかる。
「お客さん、見かけない顔立ちですね、あ、当ててみましょうか? 西方諸民族の出ですね?」
店の店主らしき男がサンドラットの前に茶を置いた。
「これは?」
「朝のサービスですよ」
「でも、どうして俺が西方諸民族の出だと?」
サンドラットはそうだとも違うとも言っていないのだが、店主はほらやっぱりみたいな得意そうな顔をした。
「いえね、西方諸民族の方々がたまに店に来るんですよ。もう数年来の馴染み客でして、骨格というのか顔立ちがよく似ているものですからすぐにわかりましたよ」
「へえ、どこから来るんだ?」
サンドラットは茶をすすった。
「マロの旦那は東の港町に住んでるとか言ってましたね。今月はまだ顔を見ていませんから、そろそろ海産物を売りにオミュズイの市に来る頃ですよ」
「マロ?」
サンドラットの眉がぴくりと動いた。
「どうかしましたか? やはりお知り合いですか?」
「いや、何でもない。それにしても俺はこの街に来たのは初めてでね。ずいぶん兵士が多いところなんだな」
人のよさそうなこの店の主人が帝国の密偵ということはないだろうが、とサンドラットは話を変えてパンをかじった。
「今はこの街が帝国軍の最大の拠点ですからね。でも彼らがお金を落としてくれるので街の経済は潤っていますよ」
「なるほどね」
その時、通りの向こうで重低音の角笛が吹きならされるのが聞こえた。
「なんだ?」
「おお、またですね。最近多いんですよ。帝国軍の大部隊が基地から演習地に移動するので道を開けろという合図です」
しばらくすると誰もいなくなった大道を隊列を組んだ獣人部隊が威風堂々と行進していく。話で聞いたことがある魔王一天衆の獣天の部隊だろう。
「なんだ、ありゃあ?」
サンドラットは目を疑った。
周囲を獣人装甲兵に囲まれながら、どうみても獣化した人間くずれにしか見えない怪物の集団が姿を見せた。
その先頭を行く騎馬隊は装備品からみて正規兵ではない。おそらく傭兵だ。傭兵部隊の中央には驚くほど妖艶で野生味のある獣人族の美女が馬にまたがり、その傍らに美しい毛並みの大きな銀狼を従えている。馬の背で左右に振れるお尻は男心を掴んで離さなくなるほど魅力的だ。
「イイ女だな……」
「いつ見てもたまらねえな……」
店の外に避難していた男どもがギラギラした目でその獣人族の美女の後ろ姿を見送った。
サンドラットもも通り過ぎていく人間くずれたちを呆気にとられて見ていると。
「あれが、最近帝国が編成した特殊部隊だそうですよ。なんでも獣人以上の力を持つ化け物の集団とか。今日も基地から演習地の闘技場まで移動させて訓練なんでしょう。こうやって人の多い市中を歩かせることで化け物が勝手に人を襲わないよう、コントロールする訓練も兼ねているそうです。いつ襲ってくるかわからない化け物ですから、我々も冷や冷やものですよ」
「ああ、ありゃあ化け物だな。でもどうやってあれを飼いならしたんだ?」
「さあねえ」
店主は腕組みしながら窓の外を行くその異様な兵たちを見ている。
何か違和感がある。囚人都市で見なれた姿とどこか違う。やがてサンドラットはその首輪に気づいた。
人間くずれは一様に見慣れぬ首輪を装着している。あれが怪物を服従させる魔具なのかもしれない。
これを見ていると、人間くずれが帝国の実験で生み出された化け物だという噂は真実だったような気がしてくる。
だが、ひとつ疑問が浮かぶ。
このような戦力を新たに準備するほどの理由が見当たらない。
大戦はとうに終結しており、最近まで帝国北方で争乱を起こしていた貴族との戦いも既に大勢は決したと聞いている。
もしかすると、噂になっていた東の大陸への侵攻作戦のためなのだろうか?
東の大陸には魔族はいない、ましてこんな人間くずれなど見たこともないだろう。
人間にとって獣化型の人間くずれの戦闘力は圧倒的だ。
こんなのが東の大陸に攻め込んだら……、もしも上陸を許してしまえば沿岸諸国に勝ち目はないだろう。
だが、沿岸諸国を足掛かりにしたとしても、西方諸国や北方の旧公国連合は大陸最大の強国ドメナス王国と同盟を組むだろう。そしてドメナス王国との戦いは長期戦になるはずだ。
そうなると補給が問題になるが、人間くずれならば元々何も食い物のない囚人都市重犯罪人地区で繁殖した奴らだ。飢えには非常に強く、乾燥地帯にも強い。
沿岸諸国から大陸中央の大ハラッパ砂漠を経由して各国の分断を図るのかもしれない。
もしかするとこいつらは、最初から東の大陸への侵攻のために生み出された怪物なのかもしれない。そう思うと、その邪悪な企みと遠大な計画にぞっとするものがある。
「あんなものを作り出すなんて、魔王様もどうかしちまったんでしょうかねえ」
店主は占領された国の人族のくせに魔王を敬うような口ぶりだ。
「どうかしちまった?」
「いえね、かつてこの街を占領した際に、入城された魔王様と魔王二天様は一般市民への暴力や略奪を厳しく禁止されて、我々が今まで通りの生活ができるように非常に気配りのされた占領政策をとられたんですよ。そのお影で今の治安と繁栄があるんです。たまに市中に出て来て市民と一緒に飯を食うような気さくな御方で、あの頃はあんな化け物を作り出すような御方には思えなかったんですけどねえ」
「へえ、意外に評価が高いんだな」
「戦いに負けた国民としては思うところもありますが、付き合ってみれば魔族も人族となんら変わりがないですからねえ」
「魔族を恨んではいないのか?」
「魔族至上主義者に絡まれると恨みたくもなりますが、まあ普段はねえ……。でも、戦で家族を失った者の中には魔族を憎んでいる者はまだまだ多くいますよ。魔族斬りという秘密結社ができたという噂もあるくらいですからねえ」
「魔族斬り? 最近夜間一人で歩いている帝国兵の将校が斬り殺されている事件だったか?」
「ええ、北方貴族の反乱とか、帝国もここに来て急に国土が広がった歪みが出てきたようで、なんだか色々と物騒な時代になってきましたよ」
ふぅ、と店主はため息混じりに行進する獣人部隊を見つめた。
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