第119話 巫女姫アリス

 まさか女神降臨? そんな非現実的な光景だ。その目の覚めるような美少女の出現に蛇身の男たちに動揺が走るのは当たり前だった。


 「わ~~ぉ、これは凄い」

 見上げる俺の目にはV字に切れ込んだ黒いレースのパンティが映っている。なんという妖艶で美麗な切れ込み……いや、違う。別にそれを凝視したかった訳じゃない。


 いつの間にか天井に穴が開いており、そこから黒いメイド服のアリスがゆっくりと優雅に回転しながら下りてきたのだ。浮遊術を巧みに使って、まさに美しき天女の降臨だ。


 そして音もなく黒祭壇の前に華麗に降り立つ。


 「アリス、無事だったか?」

 「カイン様、遅れて申し訳ございません。ちょっとカッコ良かったのでカイン様の活躍ぶりを見学させていただきました」


 「ということはさっきから見ていたのか?」


 「はい。“度肝を抜く” 登場シーンから全て」

 その笑顔がまぶしい。

 サンドラットではないが胸がズキューンと射抜かれる。圧倒的にかわいい…………。さっきのパンティが脳裏をちらついて鼻息が荒くなりそうだ。


 アリスがいればもはや蛇身たちなど恐れることはない。ようやく安堵の息が漏れる。


 「貴様! 何者だ! この神聖な場所に勝手に入ってくるとは! 皆の者、こいつも侵入者だ! 捕らえよ!」

 キジルバットが神官杖を突きだして叫ぶ。まだ自分たちが絶対的優位にあると信じ切っている声だ。


 だが、返事は返ってこない。


 あああ……と周りの蛇身たちが頭を抱えて地に伏せ始めた。


 「どうした? 皆の衆、こいつを捕らえるのだ! おい! どうした!」

 キジルバットが服従の声色を混ぜたにも関わらず誰一人立ち上がる者はいない。

 何か異変が起きている。

 それは分かるが何をどうすればこうなるのか? とその原因を求めてキジルバットは目の前の美少女を睨んだ。


 「こうなれば、あまり使いたくはないが、手段を選んではおれまい」

 キジルバットは即座に胸に下げた笛を吹いた。


 この音は人には聞こえない。蛇身の支配下にある岩魔人と呼ぶ亜種の岩人形ロックゴーレムにしか聞こえない特殊な超音波である。笛の音を操り、岩魔人の持つ殺戮衝動の封印を解く。本来の凶暴な姿に戻った岩魔人が集まれば、どんな敵であろうと単なる肉塊にすぎない。すりつぶされて終わりだ。


 「くくくく……、まもなくお前たちには死が訪れるのだ」

 キジルバットの顔に卑しい笑みが浮かんだ。


 「ああ、あのゴーレムたちに期待しても無駄ですよ。すでにこの巣穴で残っている敵は貴方一人だけです」

 アリスは表情を変えずに言った。

 美少女だけに無表情には怖いものがある。


 「バカな! はったりだ! あの岩魔人たちがそうやすやすと倒されるはずがない!」


 「果たしてそうでしょうか?」

 

 その表情に欺瞞の色はない。

 ゴクリ……と唾を飲んで身構えた。その時。

 ガツン! と岩を蹴る音が響き、入口に岩魔人が現れた。


 やはりこの娘の言葉ははったりだった。やっと来たか、胸を撫でおろし、これで勝てる……、そう思ったキジルバットの目が固まった。


 現れた岩魔人が幻のようにゆっくりと地面に倒れていく。


 その背には長剣が突き刺さり、頭部の支配の杭も無くなっている。やがて、キジルバットのぬか喜びと共に派手な音を響かせて倒れた岩魔人は粉々に砕け散った。


 「ば、ばかな!」

 ゴーレムだった岩クズの背後から現れた者はさらにキジルバットの想像を超えていた。


 そこに顔を出したのは今まで見たことも無い究極の美女である。男好きするスタイルも完璧。一見清純そうな雰囲気を匂わせながらもその妖艶な腰つきは既に男を知っている。そんな強烈な妄想と劣情の奔流に流されかける。これほどの美女がこの世に存在するのか、その姿を目にした途端、神官の鱗がざわざわと波打った。


 「お、お前は、だ、誰なのだ……」

 キジルバットは理解が追い付かない。


 まさに女神のような容姿、これほどの超絶美女はあの一行には居なかったはずだ。一体どこから現れた? まさか本当に美と性愛の女神アプデェロアの化身なのではなかろうか。


 「岩男たちは既に全部倒しました。残るは貴方だけですよ」

 美女は青白く輝く剣を引き抜くと神官に剣を向けた。

 その流麗な長剣は滅多に人に見せない。あれはセシリーナの家に伝わる宝剣で、通称竜殺しの剣と言うものだそうだ。


 カッコいい、さすがはセシリーナだ。


 俺はその姿に惚れぼれした。蛇身ばかり凝視していた俺の目にようやく潤いが戻った気がする。うん、美しい!


 「さて、次はこうです」

 私を忘れていませんか? という表情でアリスが指先をパチンと鳴らした。すると、床にうずくまってもがいていた蛇身たちが次々と人の姿に戻っていく。


 「馬鹿な! 蛇身を解いた、だと? 貴様は一体何者なのだ?」

 さらに顔色が悪くなったキジルバットがにらむ。


 蛇身だから元々顔色は悪いのだが、しばらく見ていたせいか、表情の変化が分かるようになった。俺も違いの分かる男になったものだ。


 にらみ合う神官とアリスを横目に俺は手招きするセシリーナの元へ走る。


 「大丈夫だった? カイン。心配したのよ。怪我はない?」

 セシリーナは俺を抱き締めた。その胸の感触、これだ、俺はこれが欲しかった。俺は胸の谷間で大いに安らいだ。


 「大丈夫だ。どこも怪我はしていない。それよりもリサとリィルだ。まだ目が覚めない」

 「わかったわ。何とかしましょう」

 二人を床に寝せ、あとはセシリーナに任せる。セシリーナはポシェットから小瓶を取り出すと二人の鼻に当てて匂いをかがせた。


 祭壇の方を見るとアリスは神官の破れかぶれの攻撃をよけて、黒祭壇の上に飛び乗ったところだ。


 「神聖な祭壇を足蹴にするとは! お前も、あの男も、みんな許さんぞ! まとめて殺してやる!!」


 「神官とやら。貴方はこれが何なのかおわかりなのですか?」

 そう言って、黒祭壇の上でつま先を軽く打ち鳴らす。

 キュイイン! と妙な耳鳴りがしたかと思うと、またもや祭壇が緑色の光に包まれた。


 「それは我が村に代々伝わるもの、人を蛇身に変え、我が一族を増やすための神聖な祭壇じゃ! ええい、そこから降りろ! 我らの祭壇に何をするか!」


 「蛇身変化の闇術台、真なる名を”黒結晶の祭壇”という。その効果は、少しは言い伝えられていたらしいですね」


 「な、なぜ、その名をお前が知っている?」

 ぎくりと驚いて、キジルバットは耳を疑った。祭壇の正式な名称は神官が代々語り継いできたもので、余人が知るはずがないのだ。


 「封印の力としてここに置かれていたのですね……、それをあなた方の祖先が見つけて勝手に使いだした。だからなのですね……。でももうこんな馬鹿なことに使うのはもう終わりにしてもらいます」

 アリスはどこからともなく銀の長剣を取り出す。


 キジルバットの目が丸くなる。たった今まであんなに大きな武器を持っていなかったはずだ。一体どこから取り出したというのか。


 「我は願う、願いは我が血によりて…………」

 アリスの目が緑色に光った。胸のネックレスの蛇の飾りが浮き上がり、祭壇の光に同調して明滅すると、祭壇がまぶしいほどの輝きに包まれた。


 「貴様は一体!」

 キジルバットはその姿を見て、初めて畏怖の念に囚われた。これまで代々守り伝えてきた祭壇がこのように反応するところは今だかって誰も見たことがなく、そんな記録もない。


 「し、信じられん!」

 いくつもの贄を供え、呪いの儀式を何週間もかけて妖力を祭壇に満たしても、わずか一瞬の光が見えるのが普通だ。それが、今は満天の星空のような輝く粒を渦巻かせながらフルパワーで光り続けている。


 「あなたは、この祭壇の本当の力を知らない。でも知らない方が良い。これ自体が我が一族の負の歴史の産物なのだから」

 アリスは剣を両手で握る。


 「我が一族だと……まさか、まさか、貴女はあの蛇人族の巫女姫だとでも言うのか!」

 キジルバットが驚きのあまりぽかんと口を開け、その手の杖を落した。


 「闇より造られし、異才の祭壇よ。異空の扉を塞ぎし重石よ! そなたの役割は20年前に終わっているはず! その力を元のあるべきところへ戻し、その闇に囚われし幾多の魂を解放せよ。メラドーザを継ぎし子の娘、アリス・ララ・メラドーザが命ずる。残執を解き去り、今、この地、ここに砕け散るべし!」


 アリスが剣を祭壇に突き刺した。

 硬いと思われた祭壇は粘土のように形を歪め、アリスの剣が深々と刺さって行く。


 周囲に噴き出していた光粒が逆流し始め、ゆっくりと集まって祭壇の中央に収束していく。

 光は渦状星雲のように回転し、剣の突き刺さった先端付近で急激に収束すると丸く光る一点に凝縮していく。

 驚愕の光景で誰もが息を飲む美しさだ。やがて光が一つの玉状の結晶になったかと思うと、その結晶体をアリスの剣が貫いた!


 「!」

 俺たちはそのまぶしさに目がくらむ。


 「カイン、リィルを守って!」

 「わかってる!」

 俺は危険を感じてとっさにリィルの体に覆いかぶさり目を覆う。セシリーナはリサを抱き締めた。この余りにも強い光は目を閉じていても危険だ。光の方向に顔を向けてはいけないものだ。


 玉が砕け、光りの粒が四方に爆散した。


 甲高い衝撃波が同心円状に広がり、耳鳴りを引き起こす。

 神官は両手で顔を覆い、驚きのあまり腰を抜かしているようだが、光を浴びた所から鱗が剥がれ、その姿から蛇の要素が抜けて行く。


 …………やがて静寂とともに光は消滅した。


 「さすがはアリスね。その根源から邪悪な力自体を消し去ったのね。あれは他の誰にもできないことよ」

 セシリーナが膝にリサを抱えたままつぶやいた。

 俺もリィルを守って四つん這いの姿勢でその成り行きを見ていた。


 「み、巫女姫様……」

 アリスを前に神官の男は震えながら平伏していた。もう大丈夫だろう。蛇身の力はすっかり消えたようだ。アリスをあれほど畏怖しているのだ、新たに降臨した生きた偶像、巫女姫様を前に悪いことはもうできないはずだ。


 「んん?」

 その時、俺のすぐ下でリィルのかわいい声がしたかと思うと、愛らしい森の妖精が目の前でぱちくりと目を見開いた。


 「な、ななななななななななななな…………………っ!!」

 「な?」

 俺と目が合ってしまう。


 「な、なんですか! 夜這いですか! 私を襲うところだったのですか!」

 一瞬でリィルの表情が豹変した。

 叫びと同時に目を吊り上げ、足に思いっ切り力を込めて!


 「まて、違う! これはな!」


 ゴガッ! ち~~~~んっ!

 「ぶふゃあ!」

 我ながら無様な悲鳴。

 リィルのやつ、思いっきり股間を蹴りあげやがった……!!


 俺は意識が飛んで白目を剥いて沈没していく。しかもリィルの上に覆いかぶさるように、である。


 「ぎゃああ! 助けて! 誰か! またカインが! カインがかわいいあたしに理性を失って! 襲ってきました!」

 リィルが暴れるが気絶した俺は当然無反応だ。

 やがて俺の体の下から這い出たリィルはセシリーナに気づいてその影に隠れた。


 「た、たいへんです。妻の前で堂々と夜這いをかけてきましたよ。見ましたか? やはりこの男は変態だったようです」


 セシリーナはため息をついた。もちろん一部始終を見ていたので、股間を蹴られた俺に同情してくれている。


 「あのね、リィル、周りを良く見てよ……」

 セシリーナはリィルに今の状況を説明した。


 「なるほど、うん、そうなのですか」

 リィルは少しも悪びれるところはない。こいつの日頃の行いが悪いのだ! と思っている顔つきだ。

 こうしてリィルへの説明が終わる頃になって、ようやく俺は意識を取り戻したのだった。

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