第118話 蛇身の祭壇

 窪んだ岩の隙間から顔を出し、通路の様子をうかがう俺の目の前を、次々と新手の岩男が通り過ぎて大きく開いた壁の割れ目に消えていく。


 怪しげな声がその奥から聞こえており、どう考えてもヤバい。のこのこ岩男に並んで中に入って行くのは間抜けのやることだろう。


 「ふふふ……俺もそこまで間抜けじゃない」


 俺が偶然潜り込んだ岩壁の窪みには別の扉があったのだ。俺は岩男たちが全員通り過ぎてから、岩壁に擬せられていた引き戸を力任せに開き中に入った。


 部屋は天井の方がうっすらと明るい。ただの部屋ではないらしい。物置のようだが、物置かと言うと余りにも丁寧に物が配置されていて妙だ。

 部屋の中央に少々立派な木製の台が置かれ、その上にさらに台座と網籠あみかごみたいな物が置かれている。その周囲には様々な形の蝋燭と綱が張り巡らされ、綱は木の札で飾り立てられている。


 壁の向こうからはずっと呪文のような声が響いており、明かりが高窓からもれている。他には窓は見当たらない。壁の向こう側の様子を探るなら光が差し込んでくる高窓しかない。


 「よいしょ、むむむ……あと少しなんだけどな」

 俺は高窓に精一杯手を伸ばしたが届かない。


 「これを使うか、乗っても壊れないよな?」

 一抱えほどもある丸い網籠を乗せた台座を手前に降ろし、そこに足をかけて、ようやく高窓に手が届いた。

 

 高窓の縁に肘を乗せ、そこから覗くと……。いたいた、やはり蛇身の連中だ。


 「うへぇ、これだけ集まっていると気色悪いな」


 蛇身の者たちがちょうど俺の方に頭を垂れて何か祈っている。その先頭にはご立派な神官服のようなものをまとった蛇身の奴が威厳に満ちた様子で両手に持った鈴を打ち鳴らしている。


 目を凝らして見回すと壁のすぐ外側に黒い祭壇がある。そこにリサとリィルの二人が仲良く寝せられている。まさに壁さえなければ手が届くような距離である。


 どうやって助け出す?


 まだ、蛇身に変えられてはいないようだが、部屋の雰囲気からするとあまり猶予は無い気がする。祭壇の周囲に置かれた燭台がいかにも怪しげな紫色の煙を立ち昇らせている。


 「まずはこの儀式を妨害すべきだな、この窓から何か投げ込んで混乱させられないかな?」

 とは言っても火炎玉のような武器を持って来なかったのは失敗だった。慌てて飛び出してきたので部屋に置いてきた。


 ならば、煙か臭いか?


 「うーーむ、やつらは鼻が利くよな? 俺の長靴でも投げ入れてみるか?」

 ちょっとやそっと嗅いだことのない異臭が充満するかもしれない。

 しかし、嫌がらせ程度では奴らもさほど動じないだろう。その結果、俺がここにいるのがバレては意味がない。


 そうだ、ここはリンリンを呼んで撹乱してもらうのがいいんじゃないか? だが、よく考えろ、撹乱したとしてどうやってあの部屋に入って、二人を助ければいい?


 と俺が考えている間にも岩男が黒い祭壇の前に例の茹でカエルや何やらを次々と順番に置いて一人また一人と立ち去って行く。


 やがて長い経文を唱え終わったのか、一番先頭にいた神官が不意に頭を上げ、さっと天に向かって両手を広げ、勢いよく鈴を投げ捨てた。


 「うっ……」

 危ない。一瞬、目が合いそうになった。


 「皆の者、準備は整った! 今より蛇身降臨の儀式を行う! 蛇神の前に祈りを捧げよ! さあ、神祠しんしを開くのだ!」


 その声に誰もが一斉に頭を垂れて祈る。


 ギガガガガ…………と岩を削るような音とともに壁が小刻みに揺れた。左右の壁際で二人の蛇身が大きな歯車のような回転盤を回している。


 「!」

 なんだと?


 何かが起きているようだが、驚きのあまり咄嗟には動けない。そして、いつの間にか俺が覗いている天窓のある岩を残し、下方の岩壁が左右にフルオープンしているではないか。


 ぶらーん。


 俺は天窓の縁にしがみついたまま、首を垂れて礼拝している奴らの前にぶら下がっている。


 なんという間抜けな姿か。


 ヤバい!

 俺は奴らが頭を上げる直前に手を離す。

 危機一髪のタイミングで着地した俺は、慌てて黒祭壇の陰に飛び込む。


 だが、股間アーマーが股に絡まって体制を崩し、さっき踏み台にした台を蹴飛ばしてしまった。ベキ! と音がした。


 神官がいぶかし気に顔を上げ、目を細める。


 異常に気付いたのか? と心配すべきだが、俺はそれどころではない!


 (打った! 打ったーー!)

 足の小指を押さえ、床をごろごろと転がった。


 (打ったぁーーーーーーーー! 痛いッ!!)


 踏み台の角に小指を打ったのだ! ちょうど長靴の破れから飛び出した小指をである。これはめちゃ痛い。


 (ぐおおおおお……!)


 俺は唇を噛み、鬼のような形相で無言でその痛みに耐える。


 あまりにも無様な姿だが、幸いにも奴らには気づかれていない。床に転がり悶える俺は黒い大きな祭壇の陰になっていて正面からは見えない。


 もっともそれは奴らが腰を落としているわずかな間だけだ。これ以上は痛みに涙を流している場合ではない。


 俺は苦悶の表情を浮かべ、唇を噛んで耐え忍んだ。ズキンズキンと指先に心臓があるみたいに痛む。


 耐えろ、耐えるんだ、この状況で気づかれたら間違いなく俺は死ぬ。1対1でも勝てないだろう相手が祭壇の向こう側に数十人もいるのだ。


 深呼吸だ、息を整えて……。

 

 ……ようやく俺は思考能力を回復させたが危機は全く去っていない。この場所では横から丸見えなのだ。


 何か、さらに身を隠すものは無いのか?


 (あっ、これだッ!)

 俺はさっき床に放り投げた大きな網籠を手に取ると頭から被って膝を抱えて息を止める。どうしても足が外に出てしまうが床は暗いので見えないだろう。


 「さあ神前に貢物を捧げよ! 蝋燭に火をともせ! 二人を蛇身に変え、全員で地上に出て、祭りを盗み見した罪人どもを始末するぞ!」

 神官が大仰な身振りで叫んだ。


 「まずい、まずいぞ」

 たいまつを手にした蛇身が2人、左右から近づいてくる。


 どうやってリサたちを助けるか考えるどころか、こっちが今にも見つかってしまいそうだ。


 黒い祭壇の左右から覗きこむ蛇身の男たち。その動きが左右同時に止まった。なぜか互いに顔を見合わせている。


 「どうした? 早く蝋燭に火をつけるのだ」

 膝をついた礼拝の姿勢のまま神官が言う。


 「キジルバット神官、妙だ。神像が祭壇の後ろに転がっている」

 「こっちには神像の台が落ちてる、壊れているぞ。何かあったのか? まさか神の怒りじゃないだろうな? 神はこの儀式を嫌っておられるのでは?」


 「妖精族を巻き込んだからでは……?」

 「やはり妖精族の娘はお気に召さないのでは……?」

 神官の背後にざわざわと動揺が広がる気配がする。


 妖精族の村とは古くから交流がある。十数年に一度建て替えるご神木用の二股の大木も妖精族の村から運ばれてくるものなのだ。


 儀式を始める前に、娘の一人が妖精族だと気づいた者がいて、異議を唱え始めたのを神官が服属スキルで黙らせていたのだ。しかし、感情が高ぶると低レベルの服属スキルの効果は簡単に打ち破られる。


 「皆、静まれ! そんなはずはなかろう!」

 神官が立ちあがり、その目が妖しく光った。


 急に無表情になった正面の蛇身の男が、チロチロと舌を出しながら暗い神祠内を探るようにのぞきこんでいる。その眼が俺の方をじっと睨んだ。


 そう言えば、さっき神像の台とか言ったな?


 俺が踏み台にしたのが神像の台だったとすれば、俺が今被っているこれは? 

 やばい、この安っぽい案山子の失敗作みたいなこれが神像だ。このままではバレる!


 脂汗が流れる。聖なる神像が床に直置きになっていることに気づいた蛇身の男が近づいてくる気配がした。


 こうなれば!


 「ぎゃおおおおおーーーーーー!」

 俺はいきなり大声を上げながら立ち上がる! こうなったらヤケクソである!


 「!」


 離れた所から見ていた者たちの目には祠の闇の中から急に蛇神が現れたように見えた。

 一瞬、何が起きたのか分からず静まりかえるが……


 「ぎゃあああああーーーー! 出たあああーーーー!」


 その時、正面の蛇身が悲鳴を上げ、手にしていた松明を俺の方に投げつけてきた。松明が回転しながら宙を飛び、炎が辺りに火を撒き散らした。


 一瞬で燃えあがる神祠。木札を下げた封印の綱があっと言う間に焼き切れる。


 「ぐうおおおおーー!」

 俺は祠の中で両手を上げて吠えた。


 周囲の祭具や蝋燭が倒れ、壺や皿が割れた。

 その祭具の壺には油が入っていたのだろう、炎が噴き上がり、背後の飾りに燃え移って、めらめらと勢いよく燃え始めた。

 俺は炎に下から照らされて、まるで本物の悪魔のようだ。


 「うわあああーー! 蛇神様がお怒りになった!」

 「逃げろーー! 殺されるぞ!」

 蛇身たちは一気にパニックに陥った。


 狭い出口へ我先に殺到して押しあい、倒れた者を踏みつけにして逃げていく。


 「今だ!」

 俺はリサとリィルを祭壇から降ろした。逃げるなら神祠の奥の扉なのだが、すぐに足が止まった。だめだ、炎の勢いが強くなって扉に近づけない。


 「待て! おかしいぞ。こいつは蛇神様じゃない! こいつは人間だ! 皆の者! 戻るのだ! 急げ!」

 神官のキジルバットの目が光って、叫んだ。


 そう言えば、こいつらは熱を感知するのだ。炎の影響があっても俺が生身の人間だと分かるくらいの感覚を持っているのだろう。


 キジルバットの呼びかけに応じて戻ってきたのは10人くらいだ。


 大半は既に逃げたようだが、10人でも俺が相手をするには多すぎる。しかもこっちはリサをおんぶしてリィルを小脇に抱え、両手がふさがっているのだ。奴らのように手が四本もあるわけじゃない。


 「おのれ、貴様はさっきの男だな! ここまで忍びこみ、聖なる儀式を汚すとは何と言う冒涜! 生かして帰さんぞ! 皆の者、奴を殺すのだ!」

 キジルバットが命じると、蛇身たちは毒牙を剥きだしにしながら手に短剣を持ってにじり寄ってきた。


 俺は後ずさりするが、背後の祠は益々燃え上がって逃げ道をふさぐ。


 「うわ!」

 倒れていた燭台に足を引っ掛けてよろけた。その瞬間、一番近くにいた奴がそれに反応して襲いかかった。


 俺は態勢を崩しながら、その一撃をかわす。その拍子に頭にかぶっていた神像がすぽんと跳んで、炎の中に落ちた。


 「うわあ! 神像が燃える!」

 そいつは俺よりもそっちが大事らしい。火が燃え移った神像を慌てて拾いに行った。その隙に俺は黒い祭壇の上に飛び乗った。


 どこかに逃げる隙はないか? と周囲を見わたすが出口は一か所である。そこに辿りつくには相手が多すぎる。奴らには尻尾もあるし、間を通り抜けようとしても、おそらく尻尾に阻まれる。


 ただでさえ鈍くさいのに二人を抱えていてはどうにも身動きがとれない。


 「おい! リィル、起きろ、目を覚ませ!」

 揺すってみるが、こいつ、気持ちよさそうに寝ている。まったく起きる気配はない。


 「逃げられはしないぞ」

 「よくも神の像を燃やしてくれたな!」

 半分燃えカスになった神像を手にした奴がほとんど涙目で俺をにらむ。黒祭壇の周囲を取り囲まれた。一切逃がす気が無いのは明白だ。


 「男は確実に殺せ! 良いな!」


 「はっ! キジルバット様!」

 ギラリと短剣が光る。


 あと一歩踏み出せば、間違いなくこいつらは跳躍して跳びかかってくる。獲物に狙いを定めた毒蛇の目をしている。チロチロと舌が蠢く。


 殺られる! 


 その時だ。ふいに黒祭壇の周囲が緑色に発光した。そのまばゆい光に周囲の蛇身たちがたじろいだ。


 「何っ? 何が起きている?」

 キジルバットが周囲を見回した。


 緑色の発光は羽衣のような光の帯状になって渦を巻いて上昇していった。


 「あ、アレを! 上を見てください、キジルバット様!」

 「おおっ!」

 蛇身が一斉に上空を見上げ、俺もつられて見る。


 おおっ、俺の真上かよ! 

 黒いメイド服の美しい天女が光に包まれ、ゆっくりと回転しながら降りてきた!

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