第117話 <<ラマンド国へ ー東の大陸 サティナ姫ー>>
天上から降り注ぐ光。
丸い水場に張られたぬるめの湯が波うち、きらきらと光る。
細く長い脚を抱えて、無色透明な湯に身を沈めていたサティナは両手を頭上に掲げて大きく伸びる。
きらきらと滴が小粒の光を反射させながらその指からこぼれ落ち、まだまだ発育途上ながら既に女神を思わせる理想系の適度に張った美乳に陽光が当たっている。
魔獣掃討戦から既に3日が経っている。
大ハラッパ砂漠に激震をもたらした魔獣騒動はようやく完全に終結した。
サティナは水場の石組みに黒髪をまとめた頭を乗せると天上の明かり取り用の丸い穴を見上げた。その穴から差し込む柔らかな光が何とも言えない癒しの演出をしている。
砂漠の北東にあるこのラマンド国は、ドメナス王国から遠く離れた国だ。その都がここである。
ドメナス王国の知識では旧公国諸国連合と呼ばれる国を構成する国のひとつとされているが、複雑な歴史があり、実はそうとも言えないらしい。
ドメナス王国から見て、砂漠のすぐ北にラマンド国と東マンド国という2つの強国があり、そのさらに北に位置する小国群が旧公国諸国連合であると言った方が正しいだろう。
旧公国諸国連合は、砂漠の北東から東沿岸部に広がる複数の国の連合体で、かつては一つの大国だったが、家臣の権力が増大し、主家が滅亡し、複数の小国に分裂したものだ。
旧公国諸国連合の盟主として、旧公国領の南半を占めていた大国が南マンド大王国である。その南マンド大王国が内乱で滅び、南マンド大王国の将軍だった初代の王がその版図の東半分を領土として独立した国がラマンド国である。
ややこしい事に、このラマンド国の西には東マンド国という国もある。西にあるのに東マンド国なのだが、これには歴史的な理由がある。
東マンド国は、旧南マンド大王国の西半分を領土としており、ラマンド国よりも早くに独立した国である。
当時の南マンド大王国王都から見て東に領地を持つ大貴族が王家に反旗を翻して国を興し、東マンド国と称したのが始まりらしい。
主家を滅ぼし、旧南マンド大王国の西半を掌握した東マンド国の次なる目標は、旧大王国の領土の全てを手にいれることであった。
だが、旧王都の占領に手間取り、その政情が安定しないでもたもたしているうちに、東マンド国を糾弾する王族派筆頭の将軍が王族の一人を旗印にラマンド国を興してしまった。
これがラマンド国の西に東マンド国がある理由だ。こういった歴史があるため、当然、両国の仲は非常に悪い。
このラマンド国は、国とは言うもののドメナス王国から見ればその地方都市の一つよりも小さく、人口も50万人程度だと言う。
その都にはその8割の人が暮らしており、オアシスの街がそのまま大きくなって都になったという歴史を持っている。砂漠地帯に属してはいるがラマンド国は東方の海に近い平原にまで領土が広がっており、農地も広く比較的豊かな国である。
ーーーーーーーーーー
壁に大きく開口し、開け放たれた窓からは、中庭の緑の木の枝が見えている。このような開放的な水場はドメナス王国の王宮にはなかった。サティナは大きく息を吐いて手足を伸ばした。
こんな時間も良いな、などと思っていると、遠くからパタパタとサンダルの音が聞こえてきた。
何かを察したサティナは水場から上がるとその美しい裸体にこの地域独特の香水の匂いがするタオルを巻いた。
「姫! 姫はここであるか!」
タオルを巻き終わった途端、無造作に入り口の扉が開いた。その丸い目が爛々と輝いている。
「やはり、ここか! わしも一緒に入るぞ!」
バッバッと衣服を脱ぎ捨てると、まっ裸になった王子がサティナの元へ駆け寄ってくる。
「お待ちください! お待ちを! 王子! だめですって!」
その後ろから若い女官がパタパタと姿を見せた。
王子はサティナ目がけて勢いよく飛びつくが、サティナがさらりとかわしたので、水場に大きな水柱が上がった。
「も、申し訳ございません! サティナ様! たいへんな失礼を! 王子、何をやっておられるんです!」
女官が慌てて予備のタオルを手にして泡が湧き上がる水場の縁に駆けよる。
「ふう~」サティナはため息をつく。
このバルア王子には困ったものだ。
「ぶふぁ! あぶぶっ!」
水面から顔を出した途端、溺れ始めたバルア王子はラマンド国の第一王子である。
齢60歳になる現国王が当時20歳の妃に産ませた王子で、年はまだ10歳、ほとんど子を諦めていたところに出来たためにかなり甘やかされて育ったらしい。
「パルケッタも大変ね。ごくろうさま」
パルケッタはサティナとあまり年齢が変わらない若い女官だ。女官というよりも王子の子守り役兼遊び相手といった感じが正しいかもしれない。目のくりくりしたかわいらしい娘である。
「いえ、いつもの事ですから。王子! 落ち着いて! 大丈夫です、水場は浅いから足が付きますよ!」
頭から落ちたショックで「あぶわあっ!」と溺れかけていた王子はその一言で落ちついた。
丸刈りに近いつんつんの髪は濡れても立つほど硬い。浅黒く日焼けしているのはこの国の者ならごく普通だ。
ゴホッ、ゴホッと咳込みながら辺りを見回すが当然サティナの姿は既にない。
「むむむ、パルケッタ、なぜ姫を留め置かなかったのだ。わしは姫と一緒に水浴したかったのに」
「だめですよ。姫は子どもじゃありませんから。大人の女性はそうそう男と一緒に裸になって水浴したりはしないのですよ」
そう言いながら水場から上がってきた王子の顔をタオルで拭き取る。
「姫は大人なのか?」
「私と同じくらいの年齢ですから、大人でしょう。それとも私は子どもですか?」
「いや、パルケッタは良い大人だ。ふむ。……わしの命令でも、ダメなのか?」
「ダメに決まっているじゃないですか。まったくもう」
パルケッタはあきれ顔で王子の体をくまなく拭いた。
ーーーーーーーーーー
サティナはバルコニーから街を眺めていた。
討伐を終えて、近衛騎士団以外の部隊は既に帰国の途についている。昨日出発したから数日で南の街につくだろう。
なぜ、一緒に帰還しなかったのか? と言われるかもしれないが、最後まで魔獣の被害を受けていたこの国の国王への報告が必要なのだ。
事務官レベルでは説明と交渉は終わっているが、今日の夕方にはラマンド国王へ謁見し、今回の魔獣討伐について話をしなければならない。そのための水浴だ。身を清め騎士の正装に着替えてから謁見に臨む。
謁見の予定がわざわざ夕方に組まれているのは、その後に盛大な宴があるためらしい。夜の華やかな宴の際はドレスを着用との通知が来ていた。
謁見では、砂漠の大裂け目から逃げた魔獣を追跡し、最終的にラマンド領内で討伐する事態になったことを説明し、納得してもらう必要がある。
緊急事態だったとは言え、一国の軍隊が国境を越えただけでなく、他国の領土で戦闘行為を行ったのはルール違反だ。それなりの理由がなければならない。
「聡明な王なら良いけど」
サティナは欄干に片ひじをついて顎を乗せ、街を眺める。
都の外の駐屯地まで王の使者として、大臣と共にやってきたのが、ラマンド国のバルア王子だった。ドメナス王国という大国の姫に対して、王族以外の者を使者に立てることは失礼と判断したのだろう。
幼い王子が国王の使者ということで、少々優しくしたのが悪かったのかもしれない。バルア王子はサティナ姫に一目ぼれだ。それ以来、もう2日も何だかんだと付きまとってくる。
まだまだ発想が子どもなのが救いだけど……。
あの王子の父親だ。一体どんな方なのか。
サティナは迎賓館からさほど離れていない場所に建つ白亜の王宮を見た。
規模は小さいがシンメトリックな造りで尖塔にも繊細な美しさがある。都の街並みはさほど統一感も無く、一言で言うなら雑多だが、それがかえって活気のある印象を与えている。まだ若い、バルア王子のような国なのかもしれない。
午後の日差しは強いものの、遠く海の方から流れてくる風が湯浴みの後の体に心地よい。
その穏やかな心地よさは遠くにいる彼を思い出させる。
黒髪をなびかせ、その瞳は遥か彼方を見た。
バルコニーが見える街角では、立ち入り規制を行っている衛士の前に多くの男が群がってこちらを見て熱い視線を送っていた。
迎賓館に噂の女神或いは漆黒の戦乙女と呼ばれるお姫さまが泊まっていると聞きつけた野次馬たちだ。バルコニーに佇むサティナを見つけ、遠目でもわかる美麗な容姿に大騒ぎしている。
そんな喧騒にはまったく興味はない。
サティナの意識は風に乗って飛んでいた。
地平線の向こうに広がる海、それはカインのいる中央大陸にも続いている。ここからでは遠いが西海岸へ行けば、かつて中央大陸と航路があった港街があるはずだ。
サティナ姫ももう15歳である。庶民であれば多くの者が結婚する年齢だ。会いたい気持ちを乗せ、サティナは両手を組んでカインの無事を祈った。
その姿は神々しく、遠くから平和を祈る女神様だと叫ぶ声も聞こえてくる。
国王である父から18歳で結婚と言われたものの、この世界では女性は15歳から18歳で結婚する者が多い。婚期のピークは17歳である。男は18歳から22歳で結婚する者が多い。
男女とも23歳をすぎると行き遅れと言われる。子を多く産むために早く結婚する習わしなのである。
それからするとサティナが18歳の時にカインは25歳になる。男の平均から見ると少々遅い。だから、姫の相手としてカインが年齢的に相応しくないと横槍を入れられる前に結婚の既成事実を作っておきたかった。
王位継承権を狙う大貴族たちは、サティナを狙って罠をしかけてきていたが、カインに対しても婚約者の座から引きずり降ろそうと画策していた。カインが大貴族の一員でない以上、二人の年齢差もその根拠に利用されてしまいそうだ。
女好きで、ぶよぶよの油樽のような腹をした男の十数人目の妻として飼われるのだけは嫌だ。
特にカインが現れなければ夫の第一候補に挙げられていたであろうガガバ侯などはその最悪の部類だ。あの好色な目にはぞっとする。
流石にあの男だけはまずいと母も考えたらしく、母の理解を得て、結婚の既成事実を作るため夜這いをかけたり、部屋に閉じ込めたりと、色々と無茶もやってみた。
結局カインは狼にはならなかったな、とサティナは思い出して微笑む。
母もカインに性欲亢進剤を飲ませた。それなのに誘惑するサティナを襲わなかった、なんて凄い男だ、と逆に驚いていたことを思い出す。あんな無茶ぶりをしていたのが懐かしい。
やはり、カインはそこいらの男とは違う。
何を考えているか分からない怖さとその容姿から魔性の美女とさえ言われていたあのマリアンナが、いつの間にか陽気な笑顔で笑う優しい麗人に変わったのはカインの人柄ゆえだ。
彼女が王宮にいた頃は、国王である父が政務を蔑ろにしてまでのめり込むほどの愛妾であり、時折、寝室で見かけるその姿は幼いサティナには悪女そのものに見えていた。
しかし、カインの元で過ごすようになってから彼女は別人になった。瞳を生き生きと輝かせて健康的で屈託なく笑う麗人、あれが本来の彼女だと初めて知った。
頻繁にカインの屋敷に出入りするようになったおかげで彼女ともすっかり仲良くなった。
だからマリアンナからカインへの思いを打ち明けられた時も別に驚きはなかった。ただ先を越されたかと思っただけだ。
討伐に出る前の日にわざわざ挨拶にきたマリアンナは、新たな命を宿しており、物凄く満ち足りて優しい表情をしていた。
カインが心配なのだろうが、夫の訪問を待つのがこの世界の貴族の妻の務め。「その逢瀬がたとえ数年に一度であっても私は待ちます」と言っていたことを思い出す。
北方の国々に大きな影響力を持つカインの一番目の妻ナーナリアの情報網でカインが北方西岸の港行きの船に乗ったらしいということまでは掴んでいた。しかし、その船が実際にどこに向かったのか、どこの港に着いたかまでは分からなかった。
分からなかったはずだ。カインは海を越えて暗黒大陸と言われる中央大陸に着いていたのだから。
これからどうやってカインを助けに行けるか。父の許しが出る見込みはまったく無いので、密かに向こうに渡る手はずを整えなければならない。しかも、カインを確保し、連れ戻さなくてはならない。
副官のマルガには思いは伝えてある。彼はしぶしぶながら協力してくれている。
当面は、この国から西の沿岸部の国まで表敬訪問団や魔獣監視団という名目で渡り歩く必要があるらしい。そうでなければ一国の兵団がよその国の中を通過することなどできはしない。
長期間国を離れて活動するには軍資金も心配だったが、幸いにも労苦を共にした将軍たちが資金を援助してくれるので、旅費の方は何とかなりそうだ。
新たな国を訪れるたび、盛大な歓迎の儀式が行われ、その度にそこで数カ月の足止めとなるだろう。一人でさっさと行けば1カ月もしないで港街まで着けるかもしれないが、あの大陸から人を連れ戻すには個人の力では無理がある。
港に着いても大陸間を行き来する外洋船の準備には数年かかるそうだ。マルガの話では5年はかかるということだったが、何としても3年以内に渡航できる手はずを整えるようにお願いした。
それでも3年以上かかる見込みだ。
「ふぅ」
そのことを思うとさすがのサティナ姫でもため息も出る。
そんな時だった。バルコニーに誰かがやってくる気配がした。
「ここにおられましたかサティナ姫、まもなく迎えの馬車が参りますよ。そろそろご準備くださいませ」
とにこやかに顔を出したのは副官のマルガだった。
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