第224話 <東の大陸 ーゲイル高原ー(ニロネリア)>
「見てよ! ニロネリア! ここにサボン草の花が咲いているよ!」
駆けだして行ったサパが大きく手を振った。
その無邪気な様子にニロネリアは思わず微笑む。
「遠くに行ってはダメよ。ハドックに叱られるわ!」
ニロネリアはまだ足を引きずっている。
だいぶ具合は良くなったが、遠出は無理だ。
あの魔剣の呪いを受けた魔力量も本来の2割程度まで回復してきているが本調子には程遠い。
高原の澄んだ湖が見える丘にニロネリアは座ってサパの様子を見ている。このところ、サパと一緒に近くを散策するのが日課になっている。
今の季節が高原では一番良い季節である。一面に咲く花々の香りに包まれ、とげとげしかった心が今は穏やかに和んできている。
ニロネリアは心地よい風に髪を掻き上げた。
サパが駆け寄ってきて、ニロネリアの傍らに集めてきた薬草を置いた。
「あっちにもっとあるんだ。採ってくるね」
そう言って再び丘を走る。
ニロネリアは微笑んで、サパが集めてきた薬草を仕分けした。
日が傾く頃、二人は家に戻った。
家の裏手にある木柵の中には家畜の群れが戻っている。
先に放牧から帰ってきていたハドックが台所で夕食を作っていた。
その脇に見慣れた婦人の顔がある。
隣家のマーロネイである。彼女は母親を早くに無くしたサパの面倒をよく見てくれる。
「おお、お帰り。今、マーネロイに教えてもらって薬草入りのスープをこしらえたところじゃ。傷が早く治るそうじゃ」
「ただいま。薬草をたくさん見つけたよ。ニロネリアが詳しいんだ。今まで知らなかった薬草もあったんだよ」
「そうか、それはよかったな。今度はわしにも教えてくれ。その収穫した薬草は新鮮なうちに石蔵に下げてくるんだ」
そんなやり取りを微笑ましい顔で見ていたマーロネイがニロネリアを手招きした。
「ニロネリアさん、いつも同じ服では洗濯も大変でしょう。バザーでこんな服を見つけたので買ってきたわ。あなたのその高級な服には及ばないでしょうけど、よかったら着てみてね」
そう言ってマーネロイが取り出したのは西方諸国で若い女性が着る伝統的な衣装である。
「私に? わざわざ」
「好みがあるだろうから、気にいるかどうか分からないけど」
「ありがとうございます」
ニロネリアはマーネロイから服を受け取った。
「マーネロイありがとう、ニロネリアが嬉しそうだよ」
サパがニロネリアの周りを飛びまわった。
「着替えたら、その服は洗濯するわね」
「じゃあ、着替えてきます」
奥の部屋に消えたニロネリアが新しい服を着て戻ってきた。
「まあ、やはり似合うわ。こっちの服は少し派手過ぎて無理に背伸びしているみたいで、その方が年齢相応の若さに見えて好ましいわ」
マーネロイは赤い服を受け取ると腕にかけた。
「そうですか?」
「ええ、それで化粧をしたら、それこそ男達が放っておかないわね」
マーネロイは腰に手を当ててうなづく。
「それじゃあ、私もそろそろ旦那が帰ってくるころだから家に戻るとするか。じゃあ、ハドック、最後にそこに刻んだ香草を入れるのを忘れないでよ」
そう言って手を振ってマーネロイは帰って行く。
食卓のテーブルに着いたニロネリアをサパがニコニコして眺めている。
「どうかしたの?」
「ううん、やっぱりニロネリアはお姉さんみたいだ。薬草にも詳しいし」
「お姉さん?」
「うん。お姉さんも薬草に詳しかったんだ」
ハドックがテーブルにパンとスープを並べた。
「お姉さんがいたのですか?」
ハドックの手が止まった。
「ええ、もっと自由な暮らしがしたい、薬屋になるとか言って、数年前に高原を下りてそれきり連絡もないのですじゃ。今ごろどこで何をしているのやら」
なるほど、それで若い女性が使う品々が部屋に残されていたのだ。
「ねえ、ニロネリア、明日は村のバザーを見に行かない?」
サパが身を乗り出した。
「ええ、でもこの足で村の中心まで行けるかしら?」
インムト族の村は草原の中に点在する家々からなるが、バザーが開かれる広場の周辺には数十軒の家が並んで、村の中心地らしい景観になっている。そこにはささやかながら店や食堂もあるらしい。その食堂で売っているお菓子は村の子ども達の憧れだそうだ。
「わしが途中まで馬車に乗せて上げよう。ついでに薬草を売ってきてくれ。用事はそんなにかからないから、帰りは迎えに行けるじゃろう」
ハドックがサパに言った。
「やった! もし高く売れたらお菓子を買っても良いかい?」
「そうじゃな、まあ、たまにはいいじゃろう」
「よし、ニロネリア、明日は僕が村で一番にぎやかな所に連れて行くよ。楽しみにしてね」
「わかったわ」
月夜の中、ハドックの家の窓から光が漏れている。
ハドックの傍らのベッドでサパが寝息を立てている。
「ハドックさん、こんなにして頂いて何とお礼を言えばよいのか」
「お気になさるな。わし等は弱い種族ゆえ、困っていれば助け合う。それが当たり前なのじゃ。たとえ種族が異なっても困っている者は助けるのが流儀じゃ」
「ありがとうございます」
ハドックはあの雪山を越えてきたことについて何も聞こうとしない。あの山を越えようとする者など犯罪者か逃亡者ぐらいなものだとわかるだろうに。
インムト族の者はみんな優しい。
「明日行く村の中心には、ニロネリアと同じように他から来た人も住んでおる。サパがお菓子目当てで行きたいと言っていた食堂を経営している夫婦もそうだ。わしらで分からないことは彼らに聞くと良い。明日は早い、そろそろ寝なさい」
ーーーーーーーーーー
ニロネリアは自室に戻ると窓辺に座って美しく光る月を見上げた。
この村を出てどのくらいで西の港町に着くのだろう。魔王国へ戻る方法を調べなくてはならないはずなのだが、インムト族が自然の中で生きる姿を見ていると、戦争や謀略の渦巻くあの国に戻ることがなんだが空しくなってくる。
戦いに負けて以来、憑き物が落ちたように心が澄んでいる。
こんなに素直に生きるのはいつぶりなのか。
心を隠すために覚えた派手めの化粧も今はまったくしていない。
自然体で精一杯生きていたのは、みんなで冒険をしていた頃だろう。懐かしいあの時代に胸に空いた隙間を埋めていたのは、ミズハと張りあった魔王様への思いだったのだろうか。
「おかしいわ」
ニロネリアは胸を押さえた。
ミズハへのライバル心もあって何かと魔王様を追い掛けていたが、今、切なさを感じて脳裏に浮かぶのは、ぶっきらぼうながらいつも無茶な自分を支えてくれたもう一人の男の背中である。
いつも突然告白してくるので疎ましく思うこともあったが、本当は自分に気のある彼をからかうことで彼に甘えたくて強がっていただけなのかもしれない。
今、こんな事になったのは、素直でなかった見栄っ張りで強がりな自分のせいだ。もう二度とあの居心地の良い場所には戻れないのだろう。
ニロネリアが佇む窓辺。
部屋に置かれた机の上で半分に欠けた腕輪が寂し気に月明かりを反射していた。
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