第225話 封印された神殿からの逃亡(ドリス)

 むしゃむしゃ……ボザルトは片っ端から食べ物を手に取ると口に運ぶ。


 「もぐもぐ……ドリスもたくさん食べておくのだ。食べられる時に食べぬと、いざという時に困ることになる」


 ボザルトの頬袋はまんまるに膨らんでいる。

 ドリスはその隣でふわふわ揺れる冷たいデザートを口に運ぶ。


 祭壇に座っている二人の前には神官服を着た年寄りがずっと付き従っている。


 「さすが女神様は上品に食されますな」

 神官長に若い神官がそっと耳打ちした。


 「うむ。女神様が何を好まれるかよく見ておくのじゃ。今後の祭祀の参考になる。聖典の記述にどのような誤りがあるのかもわかるだろう」


 「はい、それにしても従者のあの鼠はさすが大食いです。上品さの欠けらも無い。喉に詰まらせそうで詰まらないのは神獣だからでしょうか?」

 そう言ったそばから、突然ボザルトがむせ返ってゲホゲホと胸を叩き出した。


 慌てて神官の一人が水を差し出した。

 キラキラ……吐きだしたものを神官たちが急いで拭きとる。


 「むしろあの下品さが女神の上品さを浮き立たせる演出なのかもしれぬ」

 「はあ、そうなのでしょうか?」

 ただ単に間抜けな従者のような気がする。だが神官長の前でそれは言えない。


 真面目な記録官は、女神の眷属の下品さについて神官長の考えに沿って必死に書き留めている。

 その “美しい女神の脇で嘔吐する鼠” をモチーフとした木像や絵も、後に有名な土産品になるのである。



 ーーーーーーーーーー


 それから三日三晩、食ってはあがめられ、寝て起きては崇められの日々が続いた。


 「ふわーっ、流石の我も腹がゆるんできたぞ。そろそろ出かけるべきではないか?」

 小太り気味のボザルトは運動のつもりか、部屋の中で槍を振りまわしている。


 「それはボザルトが食い過ぎるからでしょ」

 ドリスは鏡の前で顔にクリームを塗って肌を整えている。


 「あやつらは、我らを神か何かだと誤解しているようだ。我がまさに神のように強いという事を見抜いたことは称賛に値するが。こうも崇められると、こう尻がむずかゆくてな」

 そう言いながら尻尾を上下させている。


 「そうだな。どうもこの杖のモチーフが神話に関係しそうだと言うことは分かったが、ここの神官長もよく知らないようだし、そろそろ出かけるべきか。それに……」

 ドリスの脳裏に地下洞窟で見たあの凡庸な男の顔がもやもやと浮かぶ。


 「認識阻害の魔法だろうか?」

 気になるのだが顔がはっきりと思い出せない。ドリスにしては珍しいことだ。

 それはカインがあまりに平凡すぎて平均的すぎる顔だからなのだが、ドリスに与えられた知識は、認識阻害術という高度な術が存在することを伝えている。


 「あの男、私を見て……アリスとか言っていたな。私と見間違うような似た者を知っているということなのか?」

 ドリスは鏡をじっと見る。


 それにアリスと言う名はどこかで聞いたような気がする。ドリスとアリス、一字違いというのも気になる。


 あの男を探す必要があるかもしれない。


 ドリスは立ちあがると、神殿で準備された華美な衣装を片づけ、元の服に着替えた。その様子を見たボザルトが荷物を背負う。


 「行くのだな」

 「うん、出発しようか」

 ドリスはうなずいた。


 「奴らに見つかると引きとめられるぞ。どうするのだ?」

 「幻惑術を使う。他人に化けるのよ。その前に、ボザルト、袋の中の像を出して頂戴」


 「え? 像とは何のことだ?」

 ボザルトは明らかに動揺している。尻尾が右に行ったり左に行ったりして落ちつきが無い。


 「いいから出しなさい」

 ドリスは無理やり背負い袋の口を開くと中に手を突っ込み、手のひらに載るような金属製の像を取り出した。


 「ああっ、それは……」

 「路金の足しに売るつもりだったのでしょうけど、これは神聖な像だし、重いからここに置いて行く」

 そう言ってその輝く小さな女神像をベッドに置き、未練がましく像を見ているボザルトの頭を撫でた。


 「術をかけるわ。今からしばらくの間は、あなたは人族に見える。そのつもりで行動するのよ、いい?」

 「わかった。カッコいい我が残念な姿になるのは不本意だが仕方がなかろうな」

 「私も別人に見えるから。いい、いくよ」

 ドリスの杖が輝く。

 そこには背負い袋を背負ったイケメンの男と杖を付いたじじいが立っている。


 「さて、逃げるぞ」

 じじいはそう言って扉を開け、廊下を早足で進む。


 やがて、その背後で、「大変だ! 女神様が像に化身されてしまった!」という悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。


 どやどやと大勢の神官たちが血相を変えて走ってくる。

 その脇を二人は素知らぬ顔で悠々と外に出ていった。

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