第234話 蛇人国への道(ドリス)

 「のう、ドリス、何だか段々さびしい道になってきた気がするのだが。本当にこの道が大湿地に続いておるのか?」

 野族の戦士ボザルトが不安そうに髭を動かし、周囲をきょろきょろと見回した。


 「なんだ、怖いのか? 槍の勇者ともあろう者が」

 ドリスはお構いなしに坂道を登る。


 「ふむ、それになんだかずっと上り坂なのだが、大湿地はこんなに高地だったか?」

 ボザルトの記憶では、野族の村がある森の端に広がる沼地なのだ。森の近くがこんなに山だったろうか?

 ギャアギャアとふいに黒い鳥が飛び立ち、ボザルトは思わず尻尾を立てた。


 「湿地は低地にあるわ」

 「ふーむ、ここは高地、湿地は低地、なんだか騙されている気がするな」


 「あたりです。ボザルト、実は湿地じゃなくて反対方向に向かっているの。たぶん」

 「ふーん。な、なんと! それは本当か!」

 ボザルトは目を丸くした。


 「なんてね、実は道に迷ったわけよ。心配しないで」

 「ふーむ、道に迷ったのか……」

 何気なくそう言って、意味が分かると急に物凄い心配に襲われるボザルトであった。


 ドリスは見るもの全て新鮮で楽しいようだ。

 道がどこに向かっていようが関係ないらしい。

 ボザルトとしては、ルップルップを探すか、一旦野族の里に戻って族長一族がどうなっているか確認したいのだが。


 ルップルップを探すにはあの地下に行かねばならない。ボザルトが知っている入口は族長の隠し砦にあるあそこだけだ。だが、洞窟の道に迷って偶々あそこに出ただけで、もう一度あの場所に辿りつく事ができるかと言われれば全く自信がない。


 それよりも何よりもルップルップが生きている事だけははっきりした。


 「ルップルップ様の事だ、何らかの方法で族長一族の元に戻ろうとするだろうな」

 だからこそ、危険でも野族の里に行きたいのである。

 隣でボザルトがぶつぶつ言いながら考え込んでいることも知らず、ドリスは旅路を愉しんでいる。


 大きな岩で出来た谷間に入った時だ。

 「お待ちなさい!」

 「そこで止まりなさい!」

 ふいに崖の上から声がした。


 「誰っ?」

 ドリスが急に立ち止まった。


 「ひえっ!」

 ボザルトがドリスにぶつかりそうになり、足を絡ませてコケた。背負い袋の鍋やなにやらが派手な音を立てる。


 ドリスが崖の上の影にいぶかしげに目を細めると前方の路上にその二つの影が移動した。


 「あなたは誰です? どうしてこの結界の中を何ごとも無く進めるのですか?」

 近づいてきたその姿を見て、ボザルトの目が左右に泳ぐ。


 「これは幻覚だ! ドリスよ、見てはならぬぞ!」

 「鏡……じゃないの?」

 ドリスが杖を握る。


 「その顔は! あなたは一体?」

 「ええっ、うそ!」

 こちらに近づいてきた2人も驚きの声を上げた。


 ドリスの前にドリスがいた。

 いや、少し違う、向こうの2人の方が少し年上かもしれん。


 ボザルトは落ち着きなくきょろきょろと見比べる。


 「私はドリス、こっちは仲間のボザルト、あなた方は?」

 ドリスは油断なく目を配った。これが幻覚術だとすれば、術をかけたことをドリスにすら気づかせないほどの術者だろう。


 「ドリスさんですか? そちらは野族ですね。私はイリス、隣はアリス、私たちは姉妹ですよ」

 イリスはそう言いつつ、油断なくドリスの挙動を見つめている。互いに相手が自分に似ていることを怪しんでいる。


 「イリス姉さま、これは幻覚術の類ではありませんわ。私たちに似せたなら私たちを見た瞬間に即応の術を使わなければなりませんが、結界に入ってきてから術を使った痕跡はありません」

 アリスがささやいた。


 「わかっています。ですが、これは異常事態ですよ。国への入口である結界を素通りできる、私たちと似た顔の者という事ですよ」


 結界が反応しないということは彼女が蛇人族の者だということだ。そしてこれだけ顔が似ているということは自分たちの血縁である可能性が高い。


 「まさか!」

 アリスは青ざめる。

 「あなたも同じ事を考えましたね。アリス」

 「ええ、お姉さまもですか?」

 「ええ」

 イリスはうなずいた。


 「お姉さま……言いづらいのですが、まさかとは思いますが、もしかして彼女はお父様の隠し子ですか? 国の外で生まれた隠し子が帰ってきたとか?」


 「まさか、そんな事があるわけないじゃないですか。お父様は母上の顔色を伺ってばかりなのですよ。そんな大胆な事が出来る王だったら今頃はもっと……」


 「何を二人でこそこそ話をしているの? 私たちはここを通りたいだけなんですけど」

 ドリスは腕組みして二人を睨んだ。


 イリスとアリスは困った顔をしている。


 「この先には蛇人族の国があります。ここはその国境なの。他族の者は、王の許しがないと入国できない神聖な地です。貴女方は一体誰にこの場所を聞いてきたのですか?」

 イリスが少女と野族を見る。


 帝国の神官見習いが着るような服を着ているところからすると少女は神官職か何かなのだろう。少女はともかくとして野族が人と一緒に旅をしているところなど見たことが無い。


 そもそも野族は、魔獣か亜人かという議論があるくらい微妙な種族で、普通は山奥や洞窟、森の奥等で群れで暮らしている。


 「そうですよ、我々蛇人族の国に何の用があるのです?」

 アリスが尋ねた。


 「誰かに聞いてきた訳じゃないわ」

 「そうだ。我らは、ただぶらぶらと。いや、道に迷ってここまで来ただけだ。そんな蛇人族の国などという、いかにも恐ろしそうな国……。別にそんな所に行きたいわけではないのだ! いや、別に鼠の天敵が蛇だから怖いなーーとか思っている訳ではないのだ。多少行きたくないかなと思っているだけなのだ! だから用など無い!」

 ボザルトが意味もなく胸を張るが、言っている内容はかなり微妙だ。


 「道に迷ってねえ?」

 イリスが首を傾げた。


 国の入口はかなり強力な術で守られている。常人ならば入口があることにも気づけないだろう。万が一、谷合の道に気づいて入ろうとしても強力な結界が張られているのだ。知らず知らず出ていくのが普通だ。


 「今、彼が言った事は正しいですか?」

 「大体合ってる。でも、私は色々な所をこの目で見たい。だからボザルトと違って蛇人族の国にも行ってみたいと思う」


 「ドリスと言ったわね。本名は? 正式な真名を言いなさい」

 イリスに嘘は通用しない。


 イリスの目がドリスの唇を見つめる。

 「お姉さま、その術は……」

 アリスが驚いてイリスを見た。


 イリスが人に用いることを自ら禁じていたはずの術である。ヒトの記憶の深層に作用して真実を吐かせる、いかにも暗黒術らしい術である。急にドリスが無表情になった。瞳孔が開いている。


 「さあ答えなさい」

 突然、ドリスの脳裏に何かが記憶を呼び起こすように光った。


 「私は、通称ドゥリス・ド・メラドーザ。正式名、メラドーザの名を冠するドゥリス。Do-alices計画による製造番号0002/X」

 まるで機械が話しているかのようだ。無表情なまま言葉だけが出てきた。


 「どうしたのだ! ドリス、なんだか変だぞ」

 ボザルトはドリスの肩を揺すった。ドリスが初めて見せる表情に不安を覚える。


 「はっ、私、今何か言った?」

 ボザルトの声にドリスが我に返った。


 「一体何をしたの!」

 ドリスが杖を構えた。今にも攻撃呪文を唱えそうである。

 ふと見ると、目の前の二人がさっきよりも一層困った顔をしている。


 「この子をこのままにしておくことはできないわね」

 「ええ、何か恐ろしい事がおきているようです」

 二人は杖を構えるドリスと槍を構えたボザルトを見た。


 「いいでしょう。ドリスとボザルトさん、私の権限で一時的に入国を許しましょう。ですが、その顔であちこち歩かれては困ります。まずは私たちについてきてください」

 そう言ってイリスがくるりと背を向けた。


 いかにも無防備な背中に困惑するドリス。


 「おい、あれについて行くのか? 信用できないぞ」

 ボザルトが小声で言う。

 「大丈夫、なんだかおもしろそうだし」


 「さあ、ついてきて」

 アリスが手招きした。


 「行くわよ、ボザルト」

 ドリスはそう言ってアリスの後に続いた。

 「仕方がない、我はドリスの集団なのだ。だから離れるわけにはいかぬのだ。そこがたとえ蛇の国でもな……」

 ボザルトの尻尾の先端が力なくうなだれた。

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