第124話 環濠村ヨーナ/囚人都市の見習い騎士ラサリア

 俺たちは霧ならぬ煙の中にいた。


 けむい……。


 あちこちからもくもくと白い煙が上がっている。風と共に流れてきた煙が渦を巻いて、辺り一面が真っ白だ。


 「げほげほ! カイン、煙いよーーっ、目が痛いよーーっ!」

 俺の背でリサが涙を拭う。


 「さすがにこれは息が苦しいわ」

 セシリーナがハンカチで口元を押さえた。

 「はい、これはひどすぎます。ちょうどこっちが風下になってますから余計に煙が流れてきます」

 アリスが目をぱちぱちさせる。


 「私はわりと平気ですよ」

 リィルは俺の後ろから呑気についてくる。


 地面に近い方が煙が少ないからリィルは割と平気なのだろうかと思ったが、こいついつの間にかしっかり口元を覆っている。

 顔を隠す装備を持っているのは盗賊職としてはごく普通か。そういえばカムカムを襲った時にも装備していたっけ。


 「ごほっ、ごほっ、これは酷い」

 俺も涙目になった。


 さっきまで正面に見えていた少し小高い丘の上にある村というか街というかの影すらこの煙で見えなくなっている。


 ガーランドたちのケッパ村を出てから既に5つめの集落を過ぎた。まもなく次の集落なのだが、その周囲に広がるかや地を野焼きしているらしい。その煙が風に流されて行く手を覆っている。


 「リサ様、ちょっと布で口元を覆いましょうか?」

 アリスが布地を出してリサの口を覆う。


 早くこの煙地獄から脱出しなければならない。前の村の宿屋で、この時期には野焼きすることがあると話を聞いていたが、まさかこんなに大規模とは思わなかった。


 俺たちが向かっている村は湿地帯最大の集落地で人口は約2000人。シズル大原のアッケーユ村よりも大きい村だと言う。大湿地を行き交う交通の要衝に位置するため常設の宿屋兼食堂もあるらしい。


 これでようやく藁蒲団生活から脱することができそうだ。藁布団は寝ているとたまにチクチクする。そんな藁の感触に嫌気がさしてきたところだ。

 

 うまい食い物もありそうだし、不足してきた旅の物資も補充できるだろう。そんな期待に胸を弾ませ、ここまで来たのは良いが、村に入る直前でこの煙の大歓迎を受けた。


 ゲホゲホとむせながら早足で進み、ようやく煙を脱する頃には村の入り口は目の前だった。丸太を二本立てた木造門の上には蛇かミミズのような生物をかたどった彫刻が並んでいる。


 村と呼ばれているが、広がる家並は町と言って良い規模だ。

 周囲を運河を兼ねた幅広の環濠で囲み、その内側を先端を尖らせた太めの木柵で囲っている。

 柵は最近手入れを行ったらしく、その切り口が新しい。これほど高い木柵は今までの村では見られなかった。脅威的な跳躍を見せる沼鹿でも飛び越えられないだろう。


 それにこの辺りでは珍しいことに、村の入り口には門番らしい姿まで見える。門番とは言っても帝国兵のような鎧を着ているわけでもなく、簡素な皮製の胸あてをしている程度で、持っている槍もお手製という感じだ。


 門番たちは煙の中から出てきた俺たち一行に驚いていたが、職務に忠実な男が近寄ってきた。


 「ここはヨーナ村だ。旅人か? 旅商人か? ここへ来た目的は何だ?」

 さすがにいきなり槍を突きつけたりはしないが、不審者を見る目つき。


 「我々は旅商人で俺が代表のカインと言います。アパカ山脈方面へ行く途中です」

 俺は準備した設定どおりに話をする。


 「旅商人だと? こんな辺境の道をわざわざ通って? それにどうしてアパカ山脈の方へ?」

 男は眼を細めた。


 「おい、こいつら怪しいぞ。そんなメンバーで良くここまで来れたな? 背後に武装した盗賊団がいて、その斥候せっこうとして送り込まれたのではないか?」

 もう一人の男がじろじろと見る。


 「バカですか? 斥候ならもっと怪しまれないようにするのです。んぐ……」


 「私たちは、こちらの森の妖精族の娘を国元に送り返す途中なのです。その見返りとして、妖精族のラフサット村で商品を仕入れる予定になっています」

 俺はリィルの口を塞いで微笑んだ。


 「うむ、口は悪いが確かに森の妖精族の娘だな」

 「ラフサット村のある森に行くには、まあ近道と言えば、近道だからな、そうか、なるほど」

 ラフサット村は、アパカ山脈の麓に広がる森にある森の妖精族の村である。リィルの叔父たちが住んでいるという。


 「どう思う、村に入れて良いと思うか? ほら見ろよ、腰から牛の骨なんか下げて、武器のつもりか? 頭がおかしいんじゃないか?」

 「いや、原始的な部族の出なのかもしれんぞ。拾ったボロ長靴を悦んで履いているような奴だ。顔つきもこの辺の奴らとは違う」

 男は破けて指の飛び出している長靴をじろりと見た。


 「旅商人だと言っているが、信用できるか?」

 「うーーむ、しかし、こんなに間の抜けた姿の奴が盗賊団の一味とも思えないしな」


 丸聞こえなんですけど。

 もう少し小声で相談して欲しいものだ。

 オリナたちが後ろでくすくすと笑っている。特にリィルは爆笑だ。「ひぃー苦しい、腹が痛い」とか言っている。


 「よし、通っていいぞ」

 二人はようやく道を開けた。


 「ところで、宿屋はどの辺りにありますかね?」

 「宿は中央の道を進んでちょうど村の真ん中付近に2軒ある。どちらも同じ経営者だ。空部屋のある方に泊まればいいさ」

 「ありがとうございます」

 俺は旅商人に見えるように礼をした。


 門を通過するため、全員フードや帽子を脱いで顔を見せた。

 通り過ぎる俺たちを見て、門番の目が「おおっ!」とアリスに釘づけになる。


 あまりにも目立つので大きめの帽子を被って、少し野暮ったく田舎娘風の化粧をさせているのだが、それでもいつも注目の的になってしまう。

 暗黒術で意識させないこともできるが、それだとお使いや何やら、本来のメイドとしての仕事ができなくなる。

 あおりんの幻惑術で化ける手も考えたが、暗黒術師とは相性が悪いらしく、力が打ち消し合って効果が安定しなかった。


 そこで、ここに来る途中の村々では、男共を諦めさせるために俺の妻ということにして既婚者の装いをさせた事もあったのだが、結局セシリーナに反対された。気を使ってアリスと俺を同室にしようとする所が多かったのである。


 クリスほどあからさまではないが、アリスも夜二人っきりになったりしたら妻としての既成事実を作ろうと画策しそう。同室になったりしたらアリスは間違いなく誘ってくる予感がする。それでなくても時折ドキッとするような流し目で俺を誘う時がある。

 アリスはとんでもなくカワイイ! だから俺は彼女の誘惑に抗える自信は全くない。

 誘うくせにすぐにおふざけモードに移行するクリスと違って彼女はいたって真面目だ。断言しよう、アリスに本気で誘われたらもうダメだ。全裸でベッドに飛び込んで夜だけ魔王の覚醒だ。


 守護者はいずれ妻に昇格する。それは仕方がない。しかし妻に昇格すると戦闘力が母性的な防御力偏重へと変わるらしい。逃亡中の身で、攻撃力不足の俺たちの今の状況ではその変化は少々不味い。


 だから今はまだ三姉妹を抱くことは出来ない。



 ーーーーーーーーーー


 「にぎやかな村ね。やっと大自然から人の世界に戻った気分だわ」

 「わーー! あそこ見てよ! 飴を売ってるよ! 飴!」

 リサの目が光った。


 通りは行き交う人々で活気にあふれており、本当に街と言った感じだ。このところ寒村ばかり通り過ぎてきたから余計にそう見えるのかもしれない。常設のお店や食堂があるところを見るのは久しぶりだ。


 俺の隣を歩くアリスは、劣化化粧をして帽子を被っていても通り過ぎる男のほぼ全員を振り向かせている。


 「カイン様、今日はひさしぶりに食堂で食事ができますね」

 アリスが微笑んだ。


 「リサも楽しみ!」

 俺の後ろでオリナと手をつないで歩くリサが笑った。

 「今日くらいは、美味しいものを食べましょうよ」

 オリナが言った。


 「どうした? リィル? ずいぶんおとなしいな」

 いつものリィルなら、食べ物の話にもっと乗ってきても良いのに左右を見て、何かを考えているようだ。


 「いえ、なにか村の様子が変なんです。以前とはちょっと雰囲気が変わったというか」

 「そうか? 別に変わったところはない村に見えるけどな」

 「ええ、一見そうなのですが……。露店に武器屋が増えたような気がします。それに、ほらあれを見てください」

 そう言ってリィルが指差した先には、大湿地に入る前の村々で良く見かけた物見台が建っている。木目の感じからしてあれは最近建てられたもののようだ。


 「物見台だろ? あれがどうかしたのか?」

 「大湿地の村では物見台はほとんど必要がないんです。何もしなくても遠くまで見えるんですから。……それなのに、わざわざ新しく物見台を作るなんて不自然です。以前来た時はなかったのです」


 うーーむ、確かにリィルの言うように大湿地帯に入って初めて見る物見台かもしれない。でも、今までの村では小さすぎて物見台を作る資金力も無かっただけなのでは? という気もするのだが。


 「村の周囲の柵を新しくしたみたいだし、あれが高すぎて視界が悪いから新設したんじゃないの?」

 オリナが俺を見た。


 「その可能性もあるな。いずれにしてもそんなに気にすることはないよ。リィル」

 俺はその肩を叩いて笑った。


 「やれやれ、その呑気な性格、なんとかなりませんかね? 少しの異変を感じて危機を察知する能力は私のスキルなのですよ」

 リィルが肩をすくめた。





 ◇◆◇


 「ラサリア! 動きが遅い! もっと腰を入れて打ち込んでこまぬか!」

 「はい! お師匠さま!」

 ラサリアはぐっと奥歯を噛んで木刀を構え直した。

 既に何度跳ね飛ばされたのか、あちこち擦り傷だらけだが、少女の瞳には力強い光が見える。


 「恐れるな! 間合いに飛び込まねば勝機はないぞ!」

 「はいっ!」


 目の前には決して弱くはない魔物、””顔食い”がゆらゆらと揺れ動いている。顔食いには顔が無い、それゆえに他人の顔を求め、人間だけを襲う。


 襲われた人間は顔を剥がされ殺される。顔を剥ぐための両手の爪はまさにカミソリだ。


 「!」

 その凶暴な爪がラサリアに迫った。


 ガツンッ! 

 ビリビリと空気が震えた。

 空気を裂き、ラサリアの脳天を割るかに見えた凶暴な爪を、ラサリアが両手で掴んだ木刀一本で受けた。


 普通の人間には信じられない光景だろう。

 あんな華奢で幼い少女が大人でも受けきれないような一撃に耐えたのだ。


 攻撃を止められ、一瞬、顔食いに動揺が見えた。

 離れた所で見ていた白髪の老人はそれを見て少しだけ笑みを浮かべた。


 「えええーーいっ!」

 今度はラサリアが力いっぱい踏み込んで、振り下ろされたその腕を流麗に右にそらした。

 と同時に、その小さな体が顔食いの懐に飛び込んでいた。


 敵の攻撃を受けてからの返し技。


 「剣技! 骨砕き!」

 ラサリアの木刀が紫色の光を帯び、光が一閃した。

 圧倒的な体格差からは信じられない一撃だ。

 顔食いの横っ腹にねじり込むように木刀が叩きこまれた。



 「グオオオオオ!」

 体を側面方向にくの字に折れ曲がらせ、顔食いが吹き飛んだ。

 ラサリアも荒い息を吐いて、片ひざを地面に落とした。


 決着はついた。ラサリアの瞳に地べたを這いまわって逃亡しようとしてもがく魔物が映る。


 「油断するな、とどめじゃ! ラサリア!」

 「はい! 剣技、一刀両断!」

 ラサリアは立ち上がると指を二本立て、木刀の刃にそって滑らせた。木刀の刃先に薄い光が帯びた。


 「グオオオオ!」

 逃げられぬと悟った顔食いが最後の抵抗を試みるが、その反応速度では少女の踏み込みには対応できない。

 空気を切断する短い音がして、木刀を振り切ったラサリアの背後で魔物が塵と化して崩れ落ちた。その威力は闇の者が光術によって浄化させられた時のようだ。


 「まあまあじゃな。よっぽどマシにはなったかの?」

 肩で息を吐いている少女に老騎士が近づいた。


 「お師匠さま、ここはもっと褒めるところじゃない? 初めて一人で倒せたのに」

 ラサリアは唇を尖らせた。


 「そう言うな、わしが見習い騎士を褒めるなんぞ滅多にないことだぞ」

 そう言って分厚く温かな手が少女の頭をぶっきらぼうに撫でた。

 「まあ、それもそうかな」

 ラサリアは頭をもみくちゃにされているが、まんざらでもないようだ


 ここは大墓地の一角である。大墓地は二人の秘密の特訓場であった。


 囚人都市の大墓地は、王宮エリアの南半を消し飛ばした爆心地のクレーターを利用している。

 大戦の戦死者や犠牲者が弔いもされずに埋葬された場所で、悪霊が湧き出して魔物と化しており、禁忌の地として帝国兵ですら恐れて立ち入らないという危険地帯である。巨大なクレーターの縁には巨大な溶けた岩が林立しており、それが障壁となって内部の魔物は滅多に外には出てこないが、人もまた入ってくることもない。


 荒々しく溶けた岩が取り囲んだ一角に古い石造りの小さな神殿が残されていた。

 大墓地のほとりに位置しながらも、ここはかつて土地の神を祀っていた場所であり、その聖なる力の残滓があるために魔物は近づいて来ない。


 そこが、元ルミカミア・モナス・ゴイ王国随一の騎士と称された老スザ・ラングラット・ベルモンドの隠れ家であった。


 箱庭のような神殿域を一歩出ればそこは極めて危険な大墓地であり、それが大陸中に名を轟かせたスザが帝国の追跡から逃れて生き延びてこられた理由である。

 そしてまた、このような場所で暮らし、生活の糧を得るため囚人街と大墓地を行き来できること自体が老騎士の力の証でもあった。今、二人はその神殿跡で共に暮らしていた。


 「ラサリア、そなたの職業を騎士と定めスキルを得てからまだ日も浅いが、ついに魔物を一人で打ち倒すことができたな。ほれ、食うが良い」

 スザは畑で採れた野菜の入ったスープを少女に手渡した。


 「ありがとう。うわあ、良い匂い!」

 ラサリアは無邪気な年齢相応の笑顔で皿を手に取った。

 「じゃろう? 特製肉なしスープじゃ」

 スザはイタズラ顔で笑みを浮かべた。


 ハフハフ……と息をかけながら、美味しそうにスープを口に運ぶラサリア。


 「今日で第一の課題は終了じゃ。思っていたよりも早かったな」

 スプーンを皿に置いてスザがラサリアを見た。


 「これもお師匠さまの教え方がうまいからじゃない?」

 「いやいや、そなたの強い思いの力だろう。いくら若さとはいえ、数か月でこれほど剣技を習得した者は見たことがないぞ」


 「えへへへ……、お師匠さまに頂いた天職とスキルのおかげだよ」

 「いやいや、剣技以外は、わしが教え与えたわけではない。そなた自身が望んだ結果じゃよ」


 ラサリアが言うとおり、数か月前、彼女が弟子になると言った時にこの神殿で天職とスキルを付与したのはスザである。

 通常の人間が天職を知りスキルを得る年齢からすれば数年は早い。だが、スザはこの娘に騎士としての才能を見たのだ。騎士として修業するには早ければ早いほど良い。


 「多くの人々を救い、導く、それがそなたの運命じゃ」

 「はい」


 ラサリアはまだ見習い騎士だが、その天職は、”純愛の騎士”、人を愛するほど強い力を発揮する能力である。

 スキルは「純愛一徹」、天職の力を数倍に引き上げる。


 この天職とこのスキルが同時に発現することは極めて珍しく、組み合わせの妙で、騎士でありながら光術師のような闇属性の魔物に強烈に作用する加護を発生させることができる。


 そもそも”純愛の騎士”は一生をかけて愛する者を知る女性だけが得られる天職であり、その母性で人を導き育てる力が強く発揮されるという大人の天職なのだ。天職を得る15歳の若さで運命の相手を得ている少女は滅多にいない。

 それが”純愛の騎士”が発現する者が少ない理由であり、逆に言えば、この愛らしい少女はその歳にして既に運命の相手を心の内に秘めているということである。


 「おかわりはいらんかな?」

 スザの言葉に空っぽになった皿を持つラサリアの瞳がパッと輝いた。純真な目でスザを見つめ、素直にうなずいた。


 その素直で純粋な強い愛が少女の力の源であり、この少女の温かい心はやがて多くの人々を導くことになるだろう。

 だが、今は温かいスープで自分の腹を満たすことじゃな……スザは鍋を掻きまわして笑った。

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