第123話 <<ラマンド国 王都騒乱 ー東の大陸 サティナ姫ー>>
月に照らされた廊下は静まりかえっていた。
その影は音もなく現れた。
四方に回廊のある中庭を通り過ぎ、影は奥の廊下を進む。
明るい魔法の光が灯る廊下は今までとは違う華やかさを持っている。誰が見ても
廊下の十字路に二人の兵士が槍を手に立っていた。その鎧は実用性というより
ーーーー影はにやりと笑ったようだった。
黒い風が吹いたかと思うと、禍々しく弧を描く大鎌が光った。影の前に血しぶきが噴き上がり、首のない兵士たちが膝から崩れ落ちた。
「クククク……」
血にまみれた黒い衣が揺れる。黒フードの下から赤い目だけが光っている。骨に皮が張りついたような指が、倒れた兵士の腰から下げられていた鍵を拾い上げた。
床の上を滑るように移動すると、影は白亜の扉の前で立ち止まり、痩せた不吉な手が取っ手を握った。
音もなく鍵が開いた。
前室には二人のメイドが控えていたが、彼女たちが侵入者に気づく前に、影は空中で指を水平に滑らせた。
イスに腰掛けたまま眠ってしまったメイドの間にある扉の前に立ち、影は
この奥に居るはずの者が目覚めることの無いように部屋全体にその効果が広がったことを確認すると、影はわずかに扉を開けて部屋に忍び込んだ。
大きな部屋の中央に豪華絢爛な装飾のベッドが一つ置いてある。そこに犠牲者が永遠に目覚めることのない眠りについているはずだ。後は悲鳴を上げさせることもなくその命を刈り取るのみである。
影は滑るようにベッドサイドに移動し、大鎌を振り上げた。
「!」
その目の色が変わった。ベッドには布団が敷かれているが、そこにいるべき人物の姿が無い。
ーーーーギイっ、と静かな音がして、背後の扉が閉まった。
「やはり、来ましたね。待っていましたよ」
振り返った影の前に、闇よりも深い漆黒の髪をした美少女が立っている。
「姫の命を狙うとは、許しません。配置につけ!」
マルガが片手を上げると、物陰に隠れていた近衛兵が姿を現した。
「グケフフフフ…………!」
影は笑うと、獲物を見つけたとばかりに片手で鎌を振り被ってサティナに急迫する。
「させませんよ!」
金属音を響かせて、鎌が弾かれる。マルガの長剣がその衝撃に震える。こいつは見かけ以上にかなり力が強い。
「姫様!」
サティナの前に騎士が壁を作った。
「グケフフフフ……」
影が滑らかに横に移動する。どうやら足で移動しているわけではないらしい。奴は浮いているのだ。
「明かりをつけろ!」
サティナの指示で騎士が天井の灯りをつけた。
明るくなったにも関わらず、そいつの周囲だけは光りが避けて通るかのように薄暗く、その姿は以前として曖昧だ。
「気をつけろ! そいつは見た目以上に怪力だ!」
マルガが叫ぶ。
奴は左に回り込んで両手で大きく鎌を振り上げた。
「させるかよ!」
体の大きな騎士バルカットが追う。
ひゅん! と風を切る音がして、続いて金属音が響く。
「ぐっ!」
「うわっ!」
鎌を受け止めたバルカットの巨体が吹き飛ばされ、マルガたちを巻きこんで壁に激しくぶつかる。前衛が空いたサティナ姫に下から地を這うように鎌の鋭利な刃が迫る。
キィイン! と音が響いた。
サティナが剣で鎌の一撃を受け流しつつ後退する。
「やるわね! こいつ!」
「姫!」
マルガが頭を振って叫ぶ。
「下がってなさい! お前たち! こいつは人じゃない」
サティナは剣を構えた。
影はゆらゆらと動き、間合いの感覚を狂わせる。
武器は相手の方が長い、実力が
サティナはバルカットが落した剣をちらりと見た。
長剣は一度打ちあっただけなのに刀身に既に致命的な亀裂が入っている。こいつは相手の武器を破壊する術を持っているか、あの鎌自体にそういう呪いが刻まれているのだろう。
呪いに対抗できるのは呪いの武器、つまり私の剣だけだ。
じりじりと影は近づく。
サティナはマルガに目配せする。
マルガは有能だ。すぐにサティナの意を汲んで奴に気づかれぬように周囲の騎士たちに合図を送る。
鎌がサティナの首を狙って動く。
「!」
サティナは一瞬でその不穏さに気づいて、回転しながら後退していた。
影は両手の鎌を構えなおした。いつの間にか鎌が2本に増えていた。最初と同じつもりで1本目を受けていたら、今ごろは2本目の鎌に首を落されていたところだ。
こいつ、闇術まがいの術まで使うのね!
サティナの口元に笑みが浮かぶ。恐ろしいだけに思わず笑いが出る。
強敵だが、対処法は今の攻撃で分かった。闇術の強さも弱点も良く知っているのだ。
「いくよ!」
誰に言ったのか、サティナは叫ぶと剣を振るう。
室内では大剣は不利なはずだが、影が仰け反るほどの連撃を繰り出す。そのサティナの動きを見極めるため赤い眼孔が光る。
「今よ!」
サティナの手の平からまばゆい白光が炸裂した。
闇術で生み出された影の目を焼き尽くす光術である。
溢れる光とともに奴の手足に四方から鎖が巻き付いた。
「全力でやれ!気を抜くな!」
マルガが叫ぶ。魔道具を使った
マルガと近衛兵たちが片手を突きだして、その手から光る鎖が飛び出し、影に向かって伸びている。
「ガフフフ……」
影は両目を手で覆うと、壁際まで跳ぶ。
一体、いつの間に切断したのか、鎖が断ち切られてマルガたちが体勢を崩した。
「逃がすな!」
窓が破壊される音がして影が外に飛び出す。
マルガたちが窓に走る。
「逃げられたようです。マルガ様」
近衛兵のマッドスが窓の外を見渡して言った。
マルガの隣にサティナが歩いてきた。途中で床に落ちていた鎌を拾い上げる。その手の中で黒い鎌は見る間に腐って粉になってしまった。
「やはり来ましたね。どう思う?」
「はい、不穏な動きがあると東マンド国に潜入していた者から連絡があったとおりです。しかし、あれほどの暗殺者を送り込んでくるとは予想外でした」
「東マンド国内の権力争いがここまで影響をもたらすとはね。貴方の助言のとおり、用心していて正解でした。お手柄ですよ。マルガ」
「いや、そんなことは」
マルガが照れ笑いを作る。
ラマンド国の隣国、東マンド国の王家は今分裂状態にある。国王が長く病の床についており、次の王位争いで、現王の長男派と
王弟は軍の最高司令の任にある強硬派で、ラマンド国を併合してかつての南マンド大王国に匹敵する国を作るというのが口癖の危険人物である。
一方の長男派は教会勢力と結びついて、幅広い層からの支援を受けており、国民の人気も高いという。
今回の襲撃は、情報通りならば東マンド国王弟派の工作であろう。ラマンド国の来賓である大国ドメナスの姫が傷つけられたり、殺されたりすれば、ドメナス王国が黙っていない。
ドメナス王国がラマンド国に対して討伐軍を出せば、東マンド国からはその応援部隊を派遣する。軍を指揮するのは王弟だろう。勝ち戦で国民の人気を取り、その戦後処理で巧く立ちまわって、王座を狙い、さらにはラマンド国を併合する方向に持っていく。
確かに小賢しい貴族の考えそうな策略だが、その策略の駒にされる身にもなって欲しいものだ。
「それで、紐はつけましたか?」
「ケビル、どうだ? うまくやれたか?」
マルガは近衛騎士の一人を呼んだ。
ケビルはマルガの前に膝を落とし、頭を下げた。
「はい、奴が縛鎖術に気を取られている隙に、上手く虫を忍び込ませました」
ケビルは小柄な騎士だが、隠密行動が得意で追跡者としてもかなり有能な若者である。彼が奴に忍び込ませたのは追跡用の昆虫の雌である。雄はその臭いを遥か彼方からでも察知することができるのだ。
「今から追跡なさいますか? サティナ様」
マルガは思案顔のサティナに尋ねた。
「そうね、まずは今回の件をラマンド三世陛下にお伝えしておく必要があるわ。勝手に私たちだけで動くことはできないでしょうからね」
サティナ姫がそう答えたとき、窓の外が光った。
遅れて、ドンという大きな衝撃音が響く。
しかも一回ではない。立て続けに何度かの発光が見える。
「なんだ? 何が起きた?」
マルガが再び震える窓の外を見た。
「これは一体? 何が起きているの?」
「これは?」
二人はその光景に息を飲んだ。
同時に窓辺に駆けよった騎士たちも目を見張った。
街のあちこちで真っ赤な炎が上がり、黒煙がもくもくと立ち昇るのが見えた。襲撃はここだけではなかったのだ。
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